魔は夜より来る
リョウゴ
0-0「少女は街へ向かった」
──悪魔。
人ならざる頂上の化け物。邪神、悪霊、妖怪など呼称は様々なそれらは、現代の表舞台に姿を現すことはない。なぜなら科学の発展した現代において、昔話に騒がれたオカルトの類いの与太話はその原理を解き明かされてしまっている。
きょうび、その実在を騒いだとしても一時のネット社会にごく僅かの娯楽をもたらすだけだろう。
しかし確かに人ならざる化け物は実在している。
決して自我の無い動物と一線を画した知能を有し、人よりも個の力の強い生き物が現代社会の日陰で息を潜めて蠢いているのだ。
人間の油断ならぬ隣人。
彼らの事を一纏めに〈悪魔〉と呼んだ。
「ようこそ、魔術師」
ステンドグラスから射した色とりどりな光が、教会の一番奥に立つ男を照らしていた。
外見からするに三十歳前後くらいだろうか。適当に剃られた髭を撫でながら教会の入り口に目を向けた。
その視線の先に居たのは、銀髪の少女だ。幼い顔立ちと背丈の小ささから、十代前半くらいだということが分かる。
「魔術師。君が悪魔ヘイゼの周りを嗅ぎ回っていることは、こっちにははっきり分かってるんだ。少し話をしようぜ」
魔術師と呼ばれた彼女はとても落ち着いた様子で教会の内部を見渡す。堂々としている、と言えば聞こえは良いかもしれないが子供らしい外見に反して落ち着きすぎていた。
綺麗なステンドグラスを見ても、教会の高級感溢れる調度品を見ても彼女は小揺るぎもしない。
まるで興味がないのだろう。男から見れば少女は違和感の塊だ。
彼女は薄い表情で教会の内部を見回すと、ぼそりと呟いた。
「……悪魔の契約者?」
「そうだ。悪魔ヘイゼの契約者はこの僕だ。彼は素晴らしい! 悪魔を自称したが僕からすれば天の使いか神そのもの! 彼のお陰で金に力、そして女! 全て手に入れたんだから! そしてようやく彼のお陰で僕は生まれ変わることが出来たんだ!」
かなり高揚した様子の男に対し、どこまでも平坦な声で少女は聞いた。
「代償は」
「代償……? あぁ、アレか。あの石ころの事か? 親父の持ってたアレならくれてやったよ。そしたらヘイゼの奴、すげえ喜んで僕が欲しがったもの全部くれたぜ!!?」
気分良さそうに男は語る。
──親父の持ってた?
その言葉に少女は反応した。
この程度で反応してしまうとは迂闊だなと男の話の途中だが少女は俯いてしまった。服のポケットに手を突っ込み、一歩一歩ゆっくりと男に近付いていく。
「ところで悪魔を殺そうとするなら容赦しないぞ? 君みたいな可憐な女の子は傷つけたくないけれど、殺るってなったらヤる男だよ僕は」
「そう」
簡素な相槌を打つ。男は少女を舐め回すように見た。
そして少女を見下すように言った。
「80点だ。良いねえ、胸はないが顔は可愛らしいし、まるで妖精みたいじゃないか。いや、ここは髪を崇める教会だ。言うなれば君は女神。美の女神だろう」
「ありがとう」
少女は男の向ける穢らわしい視線に気付きながらも、礼を言う。
少女はよく親に『褒められたら礼を言いなさい』と言われていたからだ。少女は(何様のつもりだ)と心の中では唾を吐いていたが、それはおくびにも出さない。
「今日は実に良い日だ。君は悪魔狩りの魔術師なのだろう? だったら人よりも強いはずだ。僕も悪魔から貰った力を丁度試したかったんだ」
あと七歩。
男は手から炎を生み出す。そして、うっとりとその揺らめきにみとれている。
普通の人間に、手から炎を生み出す能力は備わっていない。しかし、この炎に手品のような種や仕掛けは見当たらない。
──魔術だ。
悪魔が扱う超常現象を総称してそう呼ぶ。本来悪魔にしか産み出せないが、悪魔から教えてもらうことで人間も扱うことだけは出来るのだ。
まさか悪魔から貰った力と呼んでおいて実は手の込んだ手品でした、というわけはない。
つまり男の手の炎は魔術によるものなのだ。
「君たち魔術師も、人と違ってこういう風な力を使うんだろ? 羨ましいよ、君たちは僕がこの力を知るまでも、こんな力が使えたんだってね」
あと五歩。
男が手を翳すと、教会全ての燭台に火が灯った。
「魔術師、君に決闘を申し込む。受けてくれるかな」
あと三歩。
男は炎の灯っていない方の手を少女に伸ばした。
「礼儀正しいんだね」
あと二歩。
少女はポケットから両手を出して、男へと伸ばした。
あと一歩。
男の手を少女の手がすり抜けて男の顔に伸びた。男へと顔を近づけた少女が笑う。少女の笑顔は美しかった。
間近でその美貌にみとれて、男は少女から目を逸らした。礼儀正しいと言われて悪い気がしなかった男は歯切れ悪くも礼を述べる。
「まぁ……ありがとう」
少女は辿り着いた。
隙だらけの男の首筋に、手を添えて、一層深く微笑んだ。
「さ──「契約者ッ!!」
ガキン──ッ、と金属の弾かれる音が教会の内に響き渡る。
少女は大きく後ろに弾き飛ばされながら男の傍らにいつの間にか現れていた何かを睨み付けた
「……悪魔」
「うちの契約者は隙が多すぎる……魔術師よ、決闘を申し込まれたのなら真面目に受けてはどうかね」
少女に向かって肩を竦める様に呟いたのは人型の黒い霧だった。明らかに人ではない。動物にしても有り得ない何か。
有り得ないものが喋っている。知らなければ目を疑う光景だが、これくらい現実と乖離してくれるならむしろ分かりやすい。
これが悪魔だ。
「何故?」
真面目に決闘を受ける意味はないと首を傾げた少女の右手にはナイフ。しかし、大きく刃が欠けている。
不意打ちしたのだ。
少女は、戦うことにおいて素人同然の男の視線からポケットに忍ばせてあったナイフを隠し続けて近付いて首を斬り付けようとした。
しかし、首への一撃は油断した男の代わりに悪魔が弾き返したのである。
不意討ちを狙っていることは悪魔にはバレていた。
当然だ。男の意識からしかナイフを隠していないのだから。
しかも不意討ちを防いだ悪魔は同時にもう一撃、少女へと意趣返しのように首を狙って攻撃を返していた。
それを彼女はナイフで防ぎ返した。そして、ナイフが破損した。
少女の持つナイフは使い物にならなくなってしまったのだが、本来悪魔の攻撃を単なるナイフで捌くなんて芸当は出来ない。安い金属程度なら砕く悪魔の一撃をたった20cmに満たない刃物で防ぐなど。
少女に攻撃を行った悪魔が目を剥いて驚いていた。
両者ともに先制攻撃に失敗した。その事を男だけが状況を理解できず、戸惑っていた。
「手を引いてくれるかい、彼はいい人だ」
悪魔へと少女は刃零れしたナイフを投げつける。霧の悪魔には物理的に干渉することができないのかナイフはすり抜けていく。
「断る」
悪魔が言う、いい人という言葉を信用はできないかった。せいぜい与し易い人間という意味だろうと少女には容易に想像がついたからだ。
少女は空いた両手に木の棒を顕現させる。何の変哲もない真っ直ぐな木の棒。しかし、それを見て悪魔が更に驚愕した。
「な、〈杖〉だと!?」
悪魔ヘイゼは聞いたことがあった──杖を扱う魔術師についての噂を。
「マズ──っ!!?」
「遅い」
一つ──彼女は悪魔を憎悪している。
一つ──彼女は悪魔を殺すのに手段は選ばない。
一つ──悪魔と同程度に、家族に手を出す奴を許さない。
三つ目は悪魔にはこの時までもよく分からなかったが──最近悪魔の内に蔓延する噂に付随する特に有名な情報がこの三つ。
悪魔ヘイゼはそれを与太話か何かだと思っていた。
寿命が限りなく長い悪魔は娯楽に飢えている。魔術師が悪魔を殺す度に面白半分な噂が広がり、真贋不確かなままの噂が悪魔社会を席巻するのだ。一々真に受けていられない。
しかし、この噂の『〈杖〉の魔術師』は数十もの悪魔を倒した魔術師という話を悪魔ヘイゼは聞いた事があった。
「な、な……ぐぇ」
男の呻く声が悪魔の耳に届いた。
悪魔が振り返る。男の首が裂けている。
男の首には、その首ほどに大きな氷柱が突き刺さっている。その傷からは出血が不思議と無いが、寧ろその普通じゃない光景で悪魔には一目で分かった──致命傷だ。
「術を言うまでもない」
「な、な、ぁ……どう、なっ、て?」
それなのに男は喋った。喉を突き破っているのだ、有り得ない──と驚きつつも少女を攻撃した悪魔を、彼女は杖で殴り付けた。何故かそれは悪魔に通用し、霧が吹き飛んでいく。
男に駆け寄った少女はその喉に突き刺さっていた氷柱を握る。
「あなた、自分の親を殺したって言った?」
氷柱を少女の細腕が持ち上げた。
「ひぎっ!?」
「移動魔術封印術式展開──で、何で?」
男の鼻先に触れるくらいに少女の顔が近付く。しかし、先程とは男の反応は異なり、怯えたように顔をひきつらせて情けない声を上げて固まった。
後ろから襲いかかろうとした悪魔に向けて氷柱を掴んだまま男との体格差をものともせずに少女が背負うように振り降ろした。
悪魔は退き、男は背中を打ち付けて呻く。少女は男を見下ろしながら首の氷柱を掴み直した。
「力を手に入れた?」
「う、わぁ、ぁ、あ!!」
男は少女が発した言葉で抵抗を思い出したその手に炎を生み出して少女の顔へ突き付けた。
その手が少女の顔を焼く。しかし少女は眉一つ動かさずに、男の頬を殴り付けた。
「力を得たの? 良かったね」
「か、金、いくら、ほ、し」
「要らないよ、お父さん殺して手に入れたんでしょ」
「つ、つま、に」
「嫌。貴方みたいな人と家族なんて、絶対に」
「た、助け、てくれ、」
男に出せるものはもうなかった。彼にはもう助けを乞うことしか出来ない。
「おとうさんのレアティファクト、とったんでしょ?」
男はこくこくと頷く。少女はなおも無表情で──否、僅かに怒りを滲ませて言葉を続けた。
「なら、言うことは違う。何故私に助けを乞うの?」
「ごべ、ごべんな、ざ──」
絶望を顔に浮かべた男の喉に刺さった氷柱を詰まらなそうに目を細めた少女は引き抜いてやった。
そして彼女は男の喉から鮮血が噴き出す様子を蔑むような目で見下ろした。
「〈闇霞〉!!」
──悪魔ヘイゼの魔術だ。真っ黒な煙の帯が少女へと迫る。彼女は杖を振るいその煙を叩く。
「硬、っ」
杖で叩いた感触が、気体みたいな見た目に反して硬質だった。黒い煙が杖ごと少女を殴り飛ばす。
魔術の勢いに押されるように後ろに跳んで、教会の壁面に着地した。
「この、小娘がッ!!」
契約者の男の姿を悪魔は確認した。
──絶命していた。出血も緩くなっている。
悪魔が叫ぶ。魔術〈闇霞〉が少女へと殺到する。
壁に突き刺さる様に飛んでくる煙を、壁の上を走って避けていく少女は〈闇霞〉ではなく悪魔の方を見詰めていた。
「────、ッ!?」
ふと、悪魔に眩暈が襲い掛かった。少女を狙っていたはずの〈闇霞〉が検討違いの方向へと飛んでいく。
──契約中の契約を喪失したことによる罰だ。体の不調が、悪魔ヘイゼの魔術の扱いを誤らせた。
不調は、それほど重くないものだった。
ただ、悪魔ヘイゼは契約喪失の罰を受けたことがなかった。不調が起こることを失念していた。
その隙を、少女は淡々と狙っていた。見逃すつもりもなかった。
「〈
少女の魔術で、ただの木の棒だった杖が橙色の光を帯びた刃を生やす。剣へと変貌したのだ。
剣へと変化した杖を構えた少女が遂に悪魔へ迫らんと、足蹴にした壁が爆ぜる。
不調に襲われた悪魔はその動きを追うことができずに見失った。
「〈霊体、」
これは不味い──咄嗟に判断した悪魔が打った手は逃走。しかし、言葉の途中で、異変に気付く。
魔術が発動する気配がなかったのだ。
何故だ、と混乱した悪魔の前に少女は迫る。
「死ね、悪魔」
少女が横に一回転するように杖を振るい、斜めに悪魔の霧状の体を水平に切り裂いた。
剣風が舞い、部屋を暴風が暴れまわる。
しかし、悪魔の体は霧だ。剣で斬れる道理はない。どんな強い風が吹いてもここは室内。元通りになるのだ。
「残念、だったな!!」
死ぬかと思って冷や汗を垂らすような錯覚に陥りながら、悪魔は嗤った。
「そう?」
少女が首を傾げながら、杖の尻を地面に叩き付けた。
悪魔はわざとらしい少女の態度で変化に気付いた──教会の中がさっきより暗い。
燭台の炎が軒並み消えた上に、日が沈んだ事で、外からの光が入ってきていないのだ。室内はわずかな光が射しているだけでかなり暗くなっていたのだ。
「〈
何かが悪魔を縛り付ける。ぐるぐると繭のように覆い隠すように。
何かとは、影だ。
影が、悪魔ヘイゼを捕らえたのだ。
隙間一つ無い闇が、ヘイゼを囚えて逃がさない。
僅かな逃げ場の無い闇だ。ヘイゼは死んだ。
「……おわった」
少女が教会を出ると、敷地外に立つ金髪の女性が苛立った様子で貧乏揺すりをしているのが見えた。
少女はその女性に裏路地に引きずり込まれる。
「お前……教会をぶっ壊すとかいい加減にしろよ!!?」
少女と違って女性の金髪は染めたもので、所々傷んでいる。その傷みは怒鳴り散らしながら頭を掻いているのが原因かもしれないが、少女からすればどちらでも構わない。
後者なら、心が痛まないこともないが。
「悪魔は倒した」
「悪魔倒してもその報奨と弁償と隠蔽でトントンなんだよ分かれようちは弱小なんだぞ!?」
「仕方ない、あの男。人殺し」
「あぁもう、仕方なくねぇよ!? もっと静かに殺せねぇの!?」
「爆発よりは静かだよ?」
少女は首を傾げる。ふざけて言っている様子ではない。
女性は、爆発を引き合いに出されたことで弱ってしまい、適当に受け流して話を終わらせるしかなかった。
「ソーデスネ……まあ、いいわ取り敢えず後始末は私がやっておく。お前は次の悪魔を始末しに行け」
「次?」
「あー上……〈滅魔首領会〉から私達〈ヤシロ〉へお前宛に仕事が来てんだ。でも、「情報は?」
食い入るように少女が女性を見ながら、近付いた。女性は、少しだけ言いづらそうにしていた。
「……あのさぁ、連続して〈滅魔首領会〉の仕事だぞ? 私はこれ受けない方が、「情報は?」
悪魔を殺す事を目的とした組織『滅魔機関』。その内の彼女達の所属する弱小機関〈ヤシロ〉に、その機関全てのトップである〈滅魔首領会〉が仕事を命じる事はとても珍しい。
この銀髪の少女が目当てか? 彼女はとても有能だが、〈ヤシロ〉自体が弱小の機関であることは変わらない。
弱小を贔屓するのは体面が悪いはずだ。只でさえ今回の事が〈滅魔首領会〉から命じられた仕事である。
栄えあるトップ機関から、弱小機関に二連続で命令が下ることなどありがたいを通り越して異質な事だ。と、女性は思っていたのだ。
しかし少女は、聞き入れる気がないようだ。女性は肩を落とした。
少女にそれとなく受けないようにしてもらうのを諦めたのだ。
──少女は悪魔を殺すことに囚われている。
その事を原因含めて知っている女性からしたら、悪魔を殺す仕事があるのを知って止まるような性格じゃないことは分かっている。
止められるわけがなかった。分かってた、言ってみただけだ、と女性は心の内で嘯いてみせる。
「……隣の市だな。どうやら狙われた人間だけが分かっているらしいんだ」
女性は一枚の写真を取り出す。それを少女に渡す。
「これは、」
少女は紙をまじまじと見る。
写真に写って居たのは高校生くらいの気の弱そうな男子だった。制服姿で机に座っているところを撮られた写真のようだ。カメラに気付いてない様子だったが、はっきりピントが合っている。
写真の腕はいいようだが、盗撮だろう。
「写真に写ってる奴を悪魔が狙っているんだとよ。名前は──」
「──霧川、幽也……」
女性が言う前に少女は呟いた。
少女は信じられないものを見たかのように目を見開いていている。女性は表情の希薄な少女が驚いたことをとても意外に感じ、曖昧な答えを返していた。
「……お、おう、そうだが」
「隣の市って言った? バイクは?」
「あっちだ」
「わかった、ありがとう」
少女は笑顔で礼を言うと、女性がバイクを置いてあると示した方角へ走っていった。
………………?
女性はなにか引っ掛かるものを感じて首を傾げた。
「あいつ、隣の市ってどっちだか分かるのか……!?」
慌てて女性が追いかけると、バイクが道路を爆走しているのと擦れ違った。
間に合わなかったようだ。
「逆だ!! そっち側の市じゃねぇ!!」
女性は叫ぶと同時にメールした。いきなりこれでは先が思いやられる。女性は溜め息を吐いてその場を立ち去った。
────そして翌日、霧川幽也が死亡した。
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