1-epilogue1「懺悔」


 サイレンが響く街中を、四人は歩いていた。万夜、宗一、幽也、万夜の上司の順に歩いていたが、若干幽也が遅れ気味だった為に上司がそのすぐ後ろで幽也を急かすように睨んでいる。


 万夜の格好はボロボロだったが、彼女のコートに仕込まれたレアティファクト〈隠〉は無事である。ついでに即興で魔術も重ねがけしているので周囲から怪しまれることはないだろう。


 殆ど走っているかのような早歩きをする万夜。他の三人のペースを全く考えていない彼女の背中を、宗一が走って追った。


「なァ、迷子ちゃんよ」


 宗一に声を掛けられて万夜は眉をひそめた。迷惑そうに振り向いた。


「なに」


「……そんなに迷惑そうにしねェでもいいじゃねェか」


 笑いながら、宗一が万夜に追い付いた。


 宗一は、万夜が迷惑そうにするのがよく理解できた。先程まで敵対関係だったのに、平然と一団に混じっているのだから。


 万夜は迷惑そうな顔をするだけでなにもしなかったが、随分寛大だと宗一は思っていた。


 宗一は例え今殺されても文句は言うつもりはなかった。覚悟はできているがしかし、万夜は宗一を殺すそぶりすらしなかった。


 隣に並んだ宗一に対して、迷惑そうな顔をしてはいるものの、万夜は歩く速度を変えたりはしない。あからさまに拒絶することもしない。


 宗一はこの魔術師が自分の事をどう扱うつもりなのかが、よく分からなかった。


「なァ、迷子ちゃんよ」


「なに」


「今までだが……すまなかった」


 宗一は軽く頭を下げた。


 万夜は、宗一の仕草に目を細めて、


「せいいがたりない」


「……そォ、かもな。俺は不意打ちで一回お前らを殺してる。こんな軽い謝罪で許してもらおうなんざ──」


「そうじゃない。私に謝るんじゃなくて。幽也に、だよね」


 自嘲するように言う宗一に、万夜は僅かに笑みを浮かべる。


 ──万夜にとっては。あの日の二人が希望の象徴だから、はやくその形に戻って欲しかった。


 宗一は、そう真顔で言ってのけた万夜が得体の知れない生き物に見えた。戸惑いながら口を開く。


「……お前……いや、まぁ、その通りだ、が。普通気にするもんじゃねェの? 自分が殺されたんだぜ?」


「それは、そう。ちょっと恨む。……結構憎む。でも、私は死なないから、別にいい」


「いや、えぇ? マジか、確かにお前は普通に殺しても死にゃあしねェだろォが、それを真顔で言うか」


 実際万夜は宗一を憎んでいた。悪魔なんてものに手を出したことを、悪魔を使って幽也を殺したこと。万夜にとってそれだけは許せることではないからだ。


 しかし万夜を殺したこと、それは別にどうでもいいと本心から思っていた。


 だって契約者として、悪魔を狙う魔術師を攻撃することは然しておかしな話ではないから。


「言う。だって本当に気にしてないから」


 万夜はもう憎んでいない。怒ってはいない。だって、宗一は幽也を二度と殺さなかったから。


 万夜は、別行動した幽也が宗一とどういう話をしてどうして万夜を助けに来たのかその経緯を知らないが、平和的に終わったのだろうと万夜は思っている。


 宗一の幽也への殺意が治まっていなければ、とても実現しない行動を、既に万夜は見ている。


 だから。悪魔に翻意を見せて万夜に支援した時に──否、体育館に現れた時点でもう許していたのだ。


 嗚呼、でも。


 やっぱり悲しいかな。そう万夜は思った。


 許すとか、許さないとか関係はない。結局、殺し合った事実は歪むことなく存在し続ける。


 万夜は自分に家族の眩しさを見せてくれた彼らがそんなところに堕ちたのかと、その事実で傷付いた。


「それと、質問があるンだ」


「なに」


 万夜は、宗一の顔を見上げる。しかし宗一は空を見上げて万夜の数歩先を歩いていた。顔が見えない。


「トドメ、あいつに譲って良かったんか?」


 宗一は、殆ど事情を知らない。けれど突入する前の会話をある程度聞き取っていた。


 万夜の家族を奪ったのがヤゴロシらしいと言うことを宗一はしっかりと聞き取っている。


 きっと復讐出来るのであれば自分の手でしたいだろうに、と宗一は思っていた。


 だから次の万夜の発言は予想外だった。


「トドメ? 刺したよ。私が」


「そう、なのか? 素人目には幽也が殴ったのが決定打に見えたんだが」


「足止めがなければ、幽也君のレアティファクトは当たらなかったはずだから」


「あァ、そうかよ」


 やっぱりトドメ刺したのは幽也じゃねェか、と宗一は万夜の方を見て、固まった。


 万夜が、満面の笑みだったからだ。宗一は今までの無表情の万夜と別人のように見えて


「うん。あのレアティファクトで死ぬ方がよっぽど苦しい目を見せられるはずだから、決定打にしたの」


「そォかよ」


「あのレアティファクトは多分私のとだから、きっとその存在に気付いたばかりの幽也じゃ暴走させる。レアティファクトが暴走した攻撃ってきっとすごいに違いないって思って」


 万夜はその無邪気な笑顔のまま、杖を振るった。宗一の周りに白い何かがいくつも出現した。それは宗一には空間に空いた穴とそこから走る亀裂のように見えた。


 ふわふわと浮かぶ白い何かは道路に触れると触れた側から道路を消していく。その通り道に何も残さない。


「あの悪魔の最期に相応しい何かをしてくれるって、信じたから足留めにしたの。実際その通りになった」


 宗一の目にはそうは映らなかったが、万夜はそれを確信していた。


 ヤゴロシの最期のあの顔。絶望したようなあの悪魔の顔を思い出すと、万夜は胸の底がすく思いになった。


 ただ殴っただけではああはなるまい、きっと幽也のレアティファクトが何かを見せたのだ。崩壊を名乗る悪魔ヤゴロシを、壊すだけの何かを。


「宗一君、触れると危ないから触ろうとしないでね」


 道路を消す白い何かを見て、こんなことが出来るなら最初から本気で殺れば良かったじゃないか。宗一はそう口に出そうとして止めた。


 違う、止められた。万夜と目が合ったのだ。


 お前が言うのか? と万夜が言っているような気がした宗一の背中が凍り付く。


「これ使えば簡単に、とか思った? 残念ながら弾速が遅すぎて悪魔には使えない。初見殺しの罠程度」


 万夜は、ふっと笑顔を消した。白い何かが、ふわふわと宗一の元にゆっくり近付いていく。


「宗一君は本当に幽也君を殺したかったの?」


「何でそんな事を聞きやがる」


「…………」


 万夜は無言だった。が、はっきりと白い何かが近付いてくるのを宗一は感じて焦った。


「そ、そりゃあ……そうだったンだろうよ」


 口をついてでた言葉は、そんな曖昧なものだった。だけれど、万夜は白い何かの動きを一度止めた。


 宗一は、浅く息を吐く。


 今から宗一が言うのは、ただの愚痴だ。殺意の大元になった、普通にありふれたものだった、ただの文句。


「アイツを許せなかった。アイツには勉強とか、色々追い抜かれて。その癖アイツは、俺の弟だからってずっと俺はすげェって持ち上げ続けンだ。正直やってられねェ。どんだけ俺が、惨めな思いをしたか。お前に分かるか?」


「………………………分かるわけ無い」


 万夜は、口に出すか長く迷った。しかし、宗一は万夜の言葉を聞くまで待っていた。だから素直に万夜は言った。


「だろォな。俺ァ、アイツさえ居なければッて何度も思った。何度も繰り返し、思ったさ」


 万夜は悲しそうに目を伏せて、宗一の言葉を聞いていた。


 今万夜が聞かされているのは、かつての憧憬が壊れた原因だ。自分の事ではないのに宗一の言葉に万夜は苦しみを感じた。


「アイツは、いつも兄貴の方が凄いって言いやがる。本当は俺よりもアイツの方がすげェのに。アイツの方が。何でアイツは、俺なんかを持ち上げやがる。ふざけるなよ」


 宗一の声が震え始めて、万夜は顔を上げた。杖を一振りして、魔術を使った。白い何かは消え去った。


 きっと、聞かれたくないだろう。と万夜は後ろを歩く幽也を一目見た。


「それがみんな苦しくてよォ。アイツさえ、居なきゃ楽になれるンだって。そう思ってよォ、だからあの悪魔の手を、取った、って、のに、よォ………」


 万夜は目を瞑って、ひどく湿った息を真っ暗の空に吐き出した。ぽつ、ぽつ、と歩く二人の靴音とは全く違う軽い音が、万夜の耳に重く響いた。


「俺は、結局、何してンだろうなァ……なんで、こんなこと、したんだろォなァ。俺は……俺は、ただアイツをすげェって言いたかった……あれが弟だって、……だってのにそれを忘れて……──。」


 ぽつ、ぽつ、ぽつ。


 その音に万夜はただ黙して耳を傾け続けた。


 酷く、虚しい音だった。


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