1-epilogue2「夜が明けて、朝が来る」
「なんというか、災難だったな?」
万夜の上司は、開口一番にそう言った。幽也は、これまでの出来事を思いだし、頬をひきつらせながら答えた。
「……そうですね、何度死ぬかと思ったことやら」
「そもそもお前死んでたろ」
「あー、そうでした」
万夜の上司が横に並んで歩調を合わせて来るのを感じ、幽也は苦笑した。
大変だった。何せ、一度幽也は死んだのだ。死んで、悪魔の娯楽に付き合わされた。
「そら、もうすぐ駅だ」
「……なんか、あんまり死んでた実感がないんですけど」
「ま、そりゃそーだな、意識もある、体も動くとありゃ、生きてると勘違いもする。もう死ぬなよ?」
「そうですね、もう懲り懲りですよこんなの。人に嫌われないようにしなきゃ」
「無理だな。嫌われないことなんざ」
「……やっぱりそうなんですかね」
がっくりと肩を落とす幽也。慌てて上司は捕捉する。
「人は皆違う。嫌われねぇなんて無理だ」
「やっぱり、そうなんですかね?」
「そういうもんだ。八方美人なんていねぇ。いるのは鉄面皮だ」
そういって先を歩く少女を見た。
「はは……」
幽也は乾いた笑いを漏らした。
「そもそも、お前はそんな嫌われるような奴でもねぇと思うけどな」
「…………っ?」
幽也は驚いたように目を見開く。訝しむように上司は目を向けた。
「そんな意外に思うことか? フツー、電話先の一度もあったことのない私みたいな人間の言葉を真に受けて動く奴、そういないと思うが」
幽也が言葉に従ったのはあの状況で、行動しない選択肢がなかったと言うだけだ。
「迷いが短かった。戸惑っちゃいたが、疑わなかった。ま、私感だが」
「ありがとうございます?」
「今回はお前を騙そうって奴が──まあ居たかもしれないが、私たちを信じて上手く行った。だが、もう少し人を疑った方がいい」
「いや、まぁ、結構疑ったつもりですけど……」
「それなら兄と対立する決心をするのが、もう少し早かっただろうな」
「うぐ、それを言いますか……」
何かを思い付いたように、上司が幽也の肩を叩く。
「そういや、アイツのスマホまだ持ってるか?」
「持って、ますけど」
幽也が、画面がバキバキに壊れたスマホを取り出した横から上司が奪い取る。
驚く幽也に一言。
「返してもらうぞ、修理しなきゃだからな」
「……そうでしたね」
「そういや、修理代出してくれるんだっけか。〈杖〉が言ってたが」
「そうです………結構掛かるんですかね?」
「高校生の財力じゃ、結構痛いだろうな」
「──その必要はない」
「うわびっくりしたあっ!?」
突如気配もなく背後から万夜に声を掛けられ幽也は跳ねた。
万夜は幽也達の前に歩いていた筈だった。いつの間にか追い越していたらしい。
「先に謝罪する。ごめんなさい」
「え? ど、どういう事?」
戸惑う幽也に、万夜はとても重い空気を伴いながら告げた。
「────あなたに、帰る家はない」
◇◆◇
「おい、起きろ幽也。テメェ遅刻すんぞ」
「ん……? あれ? なんで兄貴が……?」
幽也は目を覚まし、宗一が睨み付けてくるのに怯えながら部屋を見渡した。
「テメェ寝惚けてんな? 家ぶっ壊れたからしゃあなしに泊めてやってンじゃねェか」
「あー、そうだった!! あれ!? 時間今何時!!?」
「テメェが起こせって言った時間の三十分前だよ」
「それは……早くない?」
「早いなんてこたァねェよ。テメェが通ってンのは進学校だろ? ボケッとしてたら碌な大学に入れねェぞ。わかったらボサッとしてねェで飯だ飯」
言われて幽也は良い匂いがする事に気が付いた。がばりと起き上がって匂いの元に目をやれば、部屋に鎮座するテーブルに料理が置かれているのが見えた。
「焼き鮭と、味噌汁と、あとはスクランブルエッグだ。まぁ味は保証しねェがさっさと食え」
「……すご」
幽也は朝から料理で火を使う事はしなかった。面倒だからだ。
焼き鮭の切り身。豆腐とワカメの入った味噌汁。ケチャップのかかったスクランブルエッグ。それらを前に幽也は自然と手を合わせていた。
宗一からすれば簡単な料理だったが、幽也にはなんか凄い豪華な朝食に思えたのだ。
「いただきます」
結論だけ言うと、すごく美味しかった。
──いつもとは違う道のり、いつもとは違う時間、いつもとは違う気分で学校へ向かう。
「……気を付けて登校してください、か」
スマホへ届いた高校からのメールは、普段通りのカリキュラムだと知らせてきた。悪魔が高校で暴れたというのに、呑気なものだと幽也は思った。
それ以上に、来いと言われていれば行こうとする幽也自身にも呆れていた。
ともあれ、駅を降りれば普段見覚えのある道だった。宗一の家で一晩明かしたせいか、帰って来た、という感覚だった。
通学中の高校生に追い抜かれながら幽也はのんびりと歩いた。昨日見た街の景色とはどこか違う空気を味わうように、ゆっくりと。
じりじりと蝉が鳴いていて喧しい高校の門をくぐった。幽也の隣を長袖の少女が通り抜けた。
そして、振り返った。満面の笑みで彼女は言った。
「おはよう、ゆうや」
「おはよう、朝霞さん」
だから霧川幽也は、一辺の曇りもない笑顔を返したのだった。
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