1-4「悪魔」
「歩きながらで良いんだ、話をしよう」
「話?」
その男は6月の下旬の暑さに不似合いな程に着込んでいた。
灰色のベレー帽、ブラウンのコート。この季節にコートとは。瑠華も大概だったが、もっと酷い。もはや着てない幽也すら見てるだけで暑いと感じるくらいだ。
この男。しっかりと着込んでいるためにその下に何を着ているかは不明であり、顔を見れば年は三十くらいのおっさんだ。幽也は観察して思った。
それからようやく幽也は、遅蒔きながら気付いた。
……誰だコイツ。
しかし、会話を始めてしまっていて、打ち切るような事もする気が起きない。なんとも頭が回らないからか、危機感がない。
普段の幽也であれば、知らないおっさんに名前知られてたらビビるし、逃げる事も頭に置くだろう。
だが、幽也はぼんやりしていた。
だから、真面目な声音で自然を装って質問された幽也は、相手の態度をそのまま返すように真面目に会話をしていた。
「そうだ。君は、何でこの高校に入学したのかな?」
「それは……ちょうど良かったから」
「学力的に、か」
「あー……多分はい。」
「多分? それはどういう」
「……一人暮らし、してみたかったから」
「家からの距離的にも独り暮らしと言いやすかったってことだね」
「そうです」
「君のお兄さんはどうして高校の時に一人暮らしなんてしていたのかな」
あれ、そんなこと言ったかな。と幽也はふと思った。
兄が一人暮らししていたことなんて他人が知ってるわけないのに。
幽也はその疑問を深く掘り返さず、ただ相手の疑問の答えを探す。
「……さぁ、分かりません。でも、羨ましいな、と思いました」
「へぇ、何で?」
「……ほら、兄貴って、かっこいいでしょ」
「はぁそうか? そうか、もしや君はそっちのケがあるのかね?」
そっちのケってどっちのケだよ。と幽也は反射で答えそうになった。
ほぼ同時に幽也は意味を理解した。
あー、はいはい。あまりに真面目なトーンで言われてしまって、怒る気にもならず幽也は溜め息を吐き、答えた。
「俺は、普通に女の子が好きです。……それとは別に、かっこいいでしょって話じゃないですか。なにバカなことを言ってるんですか?」
言葉尻に怒りが若干滲んでいた。
「そうかい。アレをかっこいいって言うんか。そうか、大体分かった」
おっさんに頷かれ、何が分かったんだろうと首をかしげる幽也。
知らぬ内に帰路から外れている事を幽也は気付けなかった。
「でも君はその格好いいお兄さんから死ぬことを望まれたよね?」
暗い方へ暗い方へと歩いていっていることに気付けない。
幽也は言葉の意味が理解できなかったので適当に受け流した。
「アレは夢の話じゃないですか」
「そうかい。だからずいぶん平然としてるんだな。けど残念、君はしっかり一度死んでるんだ」
幽也は、誰も居ない路地を歩いている事に気が付かない。
「へー。それはそれは。ホラー映画にでも影響されたんじゃないですか? 俺はただ、自分が死ぬ夢を見ただけで」
違和感に幽也は気付けない。気付かないまま歩いていく。
そんな幽也の隣を歩く男は、その様子を見て酷薄に笑う。
「…………そう思うか? ……あぁ、目を潰したのは間違いだったな」
その言葉を聞いて幽也は目を覚ますような猛烈な寒気を背筋に感じた。
そして幽也は、咄嗟に地面を転がった。
勘だった。
何もなければ奇行だ。
だが、幽也は本能が勘に従えと、ほぼ無意識下で行動に移したのである。
そして顔を上げた幽也は、誰と一緒にいたのか、その事にようやく気付かされる。
──悪魔だ。
四肢は黒、手は黒く輝く鋭い爪、覆うかのように毛深く、猫のような顔、猫背。
大きな猫だな、と幽也は率直に思った。
「どうも。弟君に名乗るのは初めてだな。霧川宗一が契約した悪魔〈
成人男性ほどの大きさの二足で立つ猫の姿をしたイキモノが、そう名乗り恭しく一礼する。
顔を上げたヤゴロシが、その猫のような瞳孔を大きく開いて驚いたように幽也を見た。
「しかし……なるほど、挨拶代わりのは避けられちゃったか」
「挨拶代わり……っ!?」
漸く頭が冴えてきた幽也は転がる前に立っていた場所を見る。
コンクリートの地面にヒビが入っていた。
避けられなければ、どうなっていたことか。幽也は足が震えたのを自覚して手で思い切り膝を叩く。
「すっごいぼんやりしていると思ったけど一撃目をよく避けたね。そんなに殺気とかは出してないつもりだったんだけど」
「……っ」
避けられたのは、勘のお陰だ。何だかそう動くべきだと直感し、行動した。
この攻撃を受ける瞬間まで全く危機感を覚えてなかった。
だというのにも関わらず避けられた。
それは幽也が油断していると思われていたことと、微塵も迷わなかったことの二つが原因だったが、何にせよヤゴロシにとっては意外だった。その事は変わらない。
ヤゴロシは顎に手を当てて、ふむ、と唸った。
「あー。まだ、あるのか。珍しいけど、だとすれば今避けられたのも納得か」
「何を言って……」
「良いのかな? 悠長にしてて。見たら分かるでしょ? 俺は悪魔。君のお兄さんとの契約で君を殺しに来た悪魔さ」
黒猫の姿をした悪魔を名乗る存在の言葉で幽也はようやく現状を把握し始めた。
認めたくないが色々と現実の出来事らしい。
目の前の悪魔のような奴はやっぱり悪魔なのだ。それを把握して幽也が真っ先にとった行動は対話だった。
コンクリートにヒビを入れるような相手に真っ正面から逃げられると思うほど幽也は阿呆ではない。だから話をしようとした。
ただ、対話という行動もそれはそれで阿呆なような気が幽也にはしたが。
「待って、何で俺を殺そうとするんだ……?」
「さっき言ったろう? 命令だよ。でもま、この襲撃は必要なかったけどね。加えて俺は
重心を落とし、手を閉じたり開いたりする悪魔。
コンクリートに穴を開けるほどの力と、それに耐えうる固さと鋭さとしなやかさを備えている爪。弧を描くような形で、長さは15cm程。それに幽也の目が向いた。
あの爪は人間相手には正しく必殺だろう。悪魔の身体能力と爪の強さを鑑みて、幽也はそう結論付けた。
初撃を勘で転がって避けたけど、そうしていなければ死んでいたよなと、幽也は冷や汗を垂らす。
「まあ、容易く済んだとしても面白くは無いけどな」
「じゃあ……」
乗り気じゃない様子の悪魔に幽也は希望を見出だす。
しかし、悪魔は幽也の様子を見て嗤う。バカにするように、哄笑する。
「──ダメだ。弱い奴が必死こいて逃げるのを想像したら興奮してきた……っ!! 見逃すなんてとてもできやしない!!」
「な……っ!?」
絶望。幽也の顔が、望み通りの変化をしたのだろう。ヤゴロシは心底可笑しそうに嗤う。悪趣味な事が透けて見える笑みだった。
「ははっ、そうだ、その顔。そーいうのが見たかったんだよねぇ!!」
悪魔が姿勢を低くするのを見て、幽也は逃げ出した。駄目だ。もう対話が出来るような状態ではない。
ヤゴロシが襲いかかってきた。
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