1-26「兄弟喧嘩」(後)
椅子を投げ、前に出た幽也に対して宗一は下がり、壁に立て掛けてあった棒を掴み取った。
どこかで見覚えがある棒だ、と幽也は思い出そうとしたが、一瞬では出てこなかった。
「お前は知らないだろうけどな、悪魔と契約者ってのはなァ、物を共有してンだ。例えば、
「ッッ!!」
接近した幽也を払うように宗一は棒を振り回した。棒は軽そうだが当たればそれなりに痛い。
だが、多少痛い程度だ。ならば突進して棒を満足に振るえない間合いまで近づく方が良いと幽也は考えた。
しかし、その考えが軽率だと諌めるかのように宗一の持った棒に対して〈破滅〉は警鐘を鳴り響かせた。
今まで勘と呼んでいた凄まじい察知能力を信じた幽也は迷うこと無く回避を優先する。
幽也はその棒に当たらないように思い切り後ろに跳んで距離を取った。
大きく跳んだ後に、やっとその棒が何に似ていたのかが幽也の頭の中に浮かんできた。
(杖……?)
宗一は、幽也が突進してこなかったことを意外に思いながら笑う。
「何だァこいつが何なのかもうわかってンじゃねェか。そォだ、杖さ。当たりゃあテメェ、一溜まりもねェだろォよ」
距離をとった幽也に対して見せつけるよう宗一は杖先を床へと落とす。
するとなんということだろうか。床に付けられた杖先が煙を上げながら床に沈んでいったのだ。
床板を溶かしその下の地面すら溶かして沈む。
「うわ、凄、魔法っぽい」
幽也は茶化すように呟く。ただの木の棒が床に沈むというのは中々に衝撃的な光景だった。
さしたる抵抗も無く沈む様子に、あの杖に触れればあっさり両断されそうだと幽也は身震いていた。
「お前も当たればこォなるんだぜ?」
宗一は杖を床から真っ直ぐに引き抜くと、肩に担いで不敵に笑う。
思い切り杖と肩が触れていた。幽也はふとその事が疑問に思えて、考え込んだ。
(床を溶かした杖はどういう特性? 杖が当たるまでは溶けなかった。けど、兄貴が担いだってことは、接触したら問答無用で溶かされる訳ではない? じゃあ、宗一が溶けないように設定されていないとしたら杖には確実に溶けない安全な場所があるはず……多分)
「本当にそうなると思う?」
幽也は、なんとなく宗一が見せた杖の力は無差別なんだろうなと考えた。賭け、みたいだったけれど。
「あァ、絶対ェな」
〈破滅〉が静かになった気がして、幽也は杖には安全地帯があると思い込むことにした。
杖を投げたりしない限り、その射程の限界は杖を振り回して届く距離ならば、その杖が高い攻撃力を誇っていようが恐れるものではない。
幽也は腰を落として、拳を眼前まで上げて握り締めた、映画で見たような構えを取った。
顔面さえ守ればなんとかなるんじゃないか、と幽也は思ったがそれが正しいのかはわからない。
「というか兄貴さ。そんな道具使って、俺なんかが怖いの? 怖くないなら杖要らないよね。杖なんか捨てて拳でかかってきなよ」
「ハッ、言ってくれるなァ。そんなやっすい挑発、乗るわきゃねェだろォが」
だろうね、と幽也は呟き左拳を引きつつ下がった。
幽也は更に下がり反転、駆け出す。
宗一は幽也に背後を取られないようにその狙いへ思考を巡らせる。幽也の進行上には椅子が落ちている──投げるつもりか。
幽也は転がっている椅子を掴んで振り上げるように投げた。
分かりやすい動きだ。宗一は嘲笑う。
「〈
宗一の呟きと共に、空中で椅子が砕け散り、その破片が慣性を無視して真下に落ちていく。
ヤゴロシが宗一に授けた魔術だ。
「ハッ、その程度通じねェよ!!」
ヤゴロシに魔術の教えを乞うた宗一は、たった数時間のうちに幾つもの魔術を修得していた。
当然、完璧に効果を発揮する魔術は一つもないが、それでも実戦へ使えるレベルの効果を発揮する程度には仕上がっていた。
この〈
「だろうねっ!!」
幽也は椅子を投げた後も止まらずに宗一の周りを旋回するように走っていた。幽也は宗一が魔術を使うことは想定済み。
なにせ、幽也にとって宗一が凄いという一点は揺らがないのだ。宗一が魔術を扱えることに幽也は感激こそすれど、驚く事はない。
兄が使う魔術に目を輝かせた幽也を、宗一は苛立たしいと言わんばかりに睨み付ける。
「チッ……」
急に身を翻して突っ込んできた幽也に向けて宗一は杖を振り下ろす。
幽也はなんとかその一撃を見切って、左側へと倒れ込むようにして杖を避けた。
そしてそのまま宗一の隣を過ぎるような勢いで前へ進む。止まらない。
宗一は幽也との間に杖を挟むように体を捻る。確実にカウンターを当ててやるつもりだった。
幽也は通り過ぎていく。
もう一撃叩き込もうとした宗一だが、それは幽也が殴ってくることを前提にした動きだった。杖が空振り、意味がわからないと目を見開く。
幽也が向かったのはガラス張りの窓。
そのど真ん中目掛けて跳び蹴りをする。
「何をして──ッ!?」
大きな音を立てて窓ガラスをぶち破って出ていった幽也。意味不明な行動に宗一は思わず叫び声を上げた。
窓の外に消えた幽也を宗一は追い掛けようとして窓へと近付いた。
幽也は割った窓ガラスの破片の幾つかを、なるべく手に傷が付かないように拾い上げて握り締める。
幽也の狙いは、鋭利な刃物として武器になる窓ガラスの破片を手に入れること。
いくら安全地帯が杖に在るからといって、素手だけで喧嘩できるとは思えなかったからだ。
そもそも宗一の方が喧嘩慣れしていて強い。そして、その兄の想定を越え続けなければ幽也に勝ち目はない。
武器収集のついでに、使い物にならないガラスの破片は宗一を牽制するのに使ってしまおう。次々と割れた窓へと小さなものから乱雑に投げつけていく。
「ッッぶねェな!!」
窓の外から飛んできたガラスの破片が、窓へと近づいた宗一を襲った。それは不意を打つ事ができたが、その攻撃力はあまりにも低い。しかも、狙いが甘い。
最初の一つが宗一の頬を掠めて、舌打ちを漏らしながら毒づく。
「チッ、甘ェよ」
宗一は咄嗟に窓の死角に隠れる事でたいした傷を負うこと無く幽也の攻撃を凌ぎきった。
「こっち来なよー、家から出てこれないの? もしかして
幽也はガラスの大きな破片を右手が傷付くのを厭わずに持つ。それからガラス片で傷だらけになった左手で挑発するように手招きをする。
「るっせェぞ!!」
そんな安い挑発に乗るほど冷静さを失っていない──宗一は叫んだ。
「あんまり舐めてるってンなら殺すぞテメェ!!」
あまり幽也に馬鹿にされたこと無かったので歯軋りしながら幽也を睨み付けた。
宗一は杖を地面に叩き付けた。
──カコォン、と音が響くと同時に地響きが起こる。
「な、何……!?」
幽也は揺れの中心になっている家から離れようと、走って逃げた。
そして振り返ると──家が、立っていた。
「……は?」
家の四隅から柱が伸び、家の床を地面から2mほど浮かせている。柱は最初地面に埋まっていたが、一本ずつ縮み地中から脱して、歩きだした。
「は? ははっ? ははーん? なにこれ」
幽也は、意味不明な光景に笑ってしまった。
これが魔術か。幽也が思うと同時に幽也がようやく驚いたことに気を良くした宗一が大笑いする。
「ハッ、これも魔術だってなァ。面白ェよなァ!!」
家が床下から生えた四本の柱を伸縮し折り曲げさせ、ゆっくりと幽也を追い始めた。
「ちょっ、ちょっと待ってなにそれ!!」
「カッケェだろ!!?」
「いや、かっこよくはない、かなー!!」
「ハァ? この良さが分かんねェかよ」
「外から見てみなよ、かっこよくないから!!」
家の外観は、ぼろぼろのあばら屋。
足は二メートルくらいの円柱。
とても滑稽な見た目である。幽也がそう叫ぶのも無理はない。
家は追い掛けてくるだけで遠距離からの攻撃手段は無かった。
ただ、見かけ倒しではない。家の質量に押し潰されたら人間は普通に死ぬ。
それでも幽也はあまり怖いとは思わなかったが。
「押し潰されろや!!」
「嫌だねっ!!」
幽也は逃げながら叫ぶと〈気絶〉のレアティファクトを取り出した。
生き物を気絶させる能力があることは分かっていたがこの状況で生き物を気絶させるだけでは意味がない。
投げても宗一には当たらないからだ。
しかし〈気絶〉は現状を打破できる。幽也なりの勝算があった。
気絶とは気を絶つと書く。レアティファクトというものに期待して、賭けてやる。幽也は願いを込めて叫ぶ。
「ものは試しって言うでしょっ!!」
幽也はくるりとその場で反転して〈気絶〉を片手に、立ち止まる。
目の前の家はノタノタと歩いてくる。見れば見るほどに滑稽な動きだ。
しかし、油断は禁物。いくら間抜けに見えても人一人くらい容易に殺害できるのだから。
「おいおい、もう諦めたかよォ?」
目前まで近づいた家が大きく傾くように一本の柱を振り上げる。
踏みつけるつもりなのだろう。
しかし変形はあまり出来ないのかミシミシと家が鳴りを上げている始末。
無茶な動きを繰り返せば自壊するかもしれない。
「まさか」
幽也は、自壊するのを待つつもりはなかった。なにも通用しないのであれば、自壊待ちをするのも良いかもしれない。
けれど今は悠長に戦っている場合ではないから。
幽也は〈気絶〉を近付いてきた家に投げつけた。
それで動きが止まるわけではない。家の足柱が幽也目掛けて振り下ろされる。
幽也は、柱を引き付けてから大きく後ろに飛んで回避する。
柱の叩き付けられた地面が大きく陥没し、その余波で抉れた土を吹き飛ばした。
「まずっ!!?」
幽也は高速で飛来した土塊を、碌に避ける事が出来ずにその身に受けて転がった。
──大丈夫、打ったのは背中だ。
「……〈気絶〉っ!!」
強く背中を打ち付けた幽也は歯を食いしばって顔を上げる。〈気絶〉は家の壁の僅かな隙間に偶然挟まっていた。
倒れた幽也は土塊を払いながらレアティファクトの力を発揮させる。
家は地面にめり込んだ柱を持ち上げられない。それどころか微塵も動かない。動揺した宗一が叫ぶ
「な、クソッ、なんで止まりやがった!!?」
「っし、成功した!!」
幽也はガッツポーズした。狙い通りに家にかかった魔術が〈気絶〉によって解かれたのだ。〈気絶〉のレアティファクトが、魔術と宗一の繋がりを絶ち切ったのだ。
「ちっ、再起動も出来ねェか」
家を操る魔術はヤゴロシが下準備をした。
だから、一度〈気絶〉によって宗一の意識との繋がりが断ち切られてしまった為に宗一にはもうこれ以上家を操ることは出来ない。
宗一がこの魔術をちゃんと扱えれば話は違ったのだが、今の宗一の実力では扱うことが出来ない。どう足掻いても再起動は出来ないのだ。
「ったく、杖も使い辛ェしよォ」
宗一の手にある〈杖〉もうまく扱えば何でも出来るとまでの代物だった。
万夜であれば一個人にしては膨大な種類の魔術を〈杖〉一つで操る事が出来ていただろう。
しかし〈杖〉に対する宗一の理解は浅い。そのせいで〈杖〉を介して再度家を操る魔術を起動させることも出来ない。
宗一の持つ〈杖〉では出来ることは限りがあるのだ。
それでも幽也にとって危険だということには変わり無いのだが。
「チッ、もう来たンかよ!!」
家を再度操ろうとした宗一が見ていない内に、幽也は家の柱と壁、そして窓をよじ登り割れた窓から屋内へと突入した。
「そうだ来たよっ!!」
右手に持ったガラス片を振り上げて襲い掛かる幽也に、宗一は杖で突きを放つ。
辛うじて反応した幽也は右へと飛び、さらに前へと出て、左手で杖を掴もうとする。
杖を引かれ、そして幽也が触れたのは杖の先端だ。
幽也の左手は親指を除いた四指が杖に溶けるように消えた。痛みが幽也を襲い、思考が白む。
大怪我だ。宗一は嗜虐的な笑みを浮かべた。しかし思考できなかったというのに幽也の体は勝手に動いた。
幽也は前へと踏み込みガラス片を宗一の左手に叩きつけ、挟み込むように下から膝をぶつける。
「グッ────」
「っ!!」
幽也の攻撃が宗一の左手の甲に荒々しい傷を刻む。
思わず宗一の左手から力が抜け杖から離れる。
幽也はガラス片を今度は宗一の右手に振り下ろそうとしたが、宗一は杖を振り幽也が持つガラス片を弾き飛ばした。
幽也はさらに踏み込んで杖を奪い取らんと右手を伸ばし、遂に杖を掴んだ。
「離せよッ!!!」
「兄貴こそっ!!」
取っ組み合いだ。
杖を奪い合うように力任せの引き合い、空いた片手で殴り合う。
数秒の競り合いの後に、拮抗を破る一発の拳は幽也のものだった。拳が宗一のこめかみを捉える。
あまり腰の入ってない一撃。しかし、それでも顔面へ直撃。隙が生まれるには十分だ。
幽也は抱き込むように杖を奪い取り、前へと体勢が傾いた宗一の腹を蹴り飛ばす。
宗一は幽也の蹴りを受けて、咄嗟に威力を軽減すべく後ろに跳びよろめいた。
幽也は杖を窓の外に投げ捨てた。
「よし、これで条件は一緒だ」
「いってェなァ。幽也」
転がって距離が離れてしまった後では杖は取り返せない。宗一は舌打ちした。
宗一は、杖を即座に諦めて、息を整えることに専念した。
少し息が荒いがそれは幽也も同じ──宗一は獰猛な笑みを浮かべて拳を構える。
幽也の見様見真似な構えとは違う、動きが馴れていると一目で分かる構えだった。
「そんなに殴り合いてェッて言うンならよォ……相手になってやらァ!!」
先程までとは気迫が違った。
その様子に気圧されると同時に幽也は拳を構えて前傾姿勢を取る。
宗一は、怒りを覚えていた。
幽也が、楽しそうに笑うからだ。
「結局付け焼き刃じゃア、どうしようもねェンだな」
幽也に、苛立っていた。
──なぜこの状況で笑えるんだ。
その苛立ちは、今までも気持ちが悪かった。
今でも気持ちが悪い。
だから、宗一は悪魔の手を取ったのだ。
「さァ、ぶっ殺してやる」
幽也が、宗一の吐いた殺気を受けて反射的に飛び出した。
幽也が右拳を振る。
宗一は上半身を逸らしながら左手を添えるようにして押す。殆どダメージを受けずに逸らした。
幽也の攻撃は大振り──そんなものに当たってやるほどに宗一は甘くない。
幽也の攻撃の勢いを利用して宗一は幽也の鳩尾に右拳を当てる。
勢いなんてつける必要もない。
待てば来るものに向かう必要は、ない。
「っ」
宗一は幽也のこめかみを狙って、蹴りを放つ。
咄嗟に左腕を盾にして受けたようだが、先の鳩尾へのダメージが響いていたようだ。幽也の踏ん張りが甘い。
幽也は咄嗟に防いだが、しかしその蹴りを受け流しきることは出来ず防御した腕ごと蹴り飛ばされ倒れる。
しかし直ぐにふらふらと立ち上がろうとした。
「チッ」
宗一は苛立ちを隠さずに舌打ちして幽也を蹴る。幽也は腕で防いだが、後ろへ転がった。
また、ふらりと幽鬼のように立ち上がるのを、宗一は蹴り倒す。
また立つ気がした。
その前に仰向けに倒れた幽也の襟を宗一は即座に引き上げて思い切り殴り飛ばす。容赦ない一撃だ。
叩きつけた右手が反動で痛む。
「ふざけんな、一方的に殴るンは喧嘩じゃねェ」
──喧嘩しようぜと言ったのは、こいつじゃねぇか。
「チッ」
たまらず舌打ちが漏れた。倒れた幽也が再び起き上がる前に宗一はその腹を踏みつけて乗し掛かる。
逃がさないように馬乗りになって。
「……………………」
そして、宗一は右手を振り上げた。
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