1-25「兄弟喧嘩」(前)



「…………」


 林の中を幽也は歩く。うろ覚えの林の中をゆっくりふらふら、覚束ない足取りで進んでいく。


 幽也はこれまで出来事について考える。


 どうすればよかったのか思い詰め、思い直し、考え続けていた。


 幽也が殺されたのは、誰のせいか。


 それは当然、宗一だ。宗一が契約した悪魔だ。宗一に契約をさせた獄島黄昏だ。


 そして黄昏は。


『殺されるようなコトをするのが、悪いんだよぉ??』


 ──悪いのは幽也自身も、だと。


 その時は感情的になって否定した。けれど、確かに正しいのかもしれないと、幽也は思った。


 否定する材料が見つけられなかった。


「ちがう」


 けれど幽也は、その言葉に対して賛同する事はない。


 これは、そもそも殺した方が悪いということを棚に上げた発言だ。


 殺した方が悪いに決まっている。当たり前なその事を失念していない。


 殺されたほうにも理由があった。漸くその事に気が付いた、というだけだ。


 ──歩く内に思考は切り替わる。


「やっと死んでくれた、か」


 幽也が最初に死ぬ間際に聞いた言葉がふと浮かぶ。間違いなくこの言葉には宗一の思いが乗っている。


 最初は、幽也は信じたくなかった。


 たった一人の兄、宗一。


 幽也は宗一との仲は良いと思っていた。それは結局のところ幽也の思い違いだったのか。


 宗一から殺意を向けられた事実は変わらない。


 幽也は未だに信じたくなくても、良好な兄弟仲がまやかしであったことを認めなくてはいけないのだ。甘えた考えは捨てなくてはいけない。


 いつからだったのか。幽也にはさっぱり分からない。


 その殺意に気がついた所で、その原因がすぐに分かるなんてことも無く。すぐに思い付くなら、きっと嫌われていない。


 殺されることもきっとなかっただろう。


 嫌われているのだろうと自覚する度に幽也こ心は翳る。


 きっと嫌われるほどの事をしたのだろう。


 幽也からすれば霧川宗一が悪いなんて話は、ない。嫌う理由がない。


 そして、宗一が悪くないとするのであれば、嫌われるだけの原因は幽也にある。だから、幽也が悪いのだという事実に辿り着く。


 幽也からすれば当然の帰結。


 この状況に陥っていても、幽也は宗一を憎めなかった。


 理由が分からなくても、幽也は宗一が悪いとは思っていない。思いたくない。信じている。


 だから、これからすることは決めていた。


「聞かなきゃ」


 知らなきゃいけない。


 殺しの理由を。


 恨みの始まりを。


 宗一の事を。


 宗一に殺意が宿るほど嫌われていたとて、幽也にとってはたった一人の兄。


 信じていた兄に訳も分からず突然に殺されたのだ、他ならぬ幽也が納得できない。


「そして、ぶつける」


 何が悪かったのか、知って何になるのか幽也には分からない。


 けれど、知らないままでは何も分からない。分からないままではいけない。


「怒りも」


 瑠華に言われたことを反芻する。


 相手を怒れ、と的から少しずれたような言葉。けれど、ぶつけるものは多分怒りだけじゃない。


 幽也は瑠華の言葉で決めたのだ。


「何もかも全部」


 幽也が宗一と居たときに感じた喜怒哀楽、その思いを宗一にぶつけるのだ。


 相変わらず幽也の決意した行動が良いかなんて、自分じゃわからなかったけれど。


 これが酷く間違えた答えとは幽也は思わない。


 原因を知るのにも、怒りをぶつけるのにも、契約の解除を求める交渉というのは、絶好の機会だった。


 何せ交渉である。対話して、どうにかするのだ。対話をするのであれば知る事も出来るだろう。


 幽也に攻撃の意思はなく、あくまで交渉話し合いに向かっているのだから。


 幽也の思う通り平和的に進めば、確かに良い機会だろう。


 しかし、交渉は話し合いが全てではない事を幽也は失念していた。


 もう既に小屋までの道の半ばまで来ていた。もうすぐに6時だろうかと幽也は橙色に染まり始めた空を見た。


「……」


 黙って思考を巡らせながら空の色を眺めた幽也は、小屋へと緩やかに歩いていく。


「……よし」


 幽也は大きく深呼吸をした。緊張している。手が震えていた。膝が笑っていた。声も揺れていた。


 全然良くなかった。幽也はそこでポケットに手を突っ込んでその中に入っていたものを握り締めた。あまりに力が籠りすぎて握り潰してしまった。


 でも、震えは収まった。


 御守り、潰れちゃったじゃないか。苦笑と共に力が抜けてしまったのが功を奏したようだ。


 幽也は苦笑しながら御守りを服の内に隠すように首に掛けた。


 それから幽也は小屋の様子を眺める。前来たときにはなかった真新しい扉が出来ていた。それ以外は特に変わりがない。


 再び深呼吸をして、入り口の扉に手を掛ける。


「お邪魔します」


「おう、いらっしゃい」


 挨拶が返ってきた。


 宗一は、窓際の椅子に座っていた。手を幽也に振りながら、対面に置かれた椅子を指差した。


 座れ、という事だろう。幽也はその椅子に腰掛けると宗一を観察した。


 相変わらずの悪人のような笑顔を浮かべて足を組んでいる。悪魔が傍らに居ないと言うのに平然としている宗一の態度は悪人そのものだった。


 幽也はどんどん悪くなる宗一のへの心象から気を逸らし、それから黄昏からの伝言は正しく伝わっていたことに安堵した。


 しかし悪魔が居ないことは宗一が無策で来た事を証明する訳ではない。しっかりと策を講じてきたのか、彼の手には大きめの透明な石が握られていた。


 レアティファクト、だろうか。


「1日ぶりだな、幽也」


「…………そうだね」


「元気そうだなァ」


「そうだね。うん」


「それでよォ、なんか面白いことあったか?」


 面白いこと? と幽也は首を傾げた。


 宗一の落ち着き払った様子と言葉の一つ一つが不自然に思えた。平然とし過ぎている。余裕とも言えるだろうか。


 幽也は、宗一の雰囲気に首を傾げつつも話を断ち切らずに続ける。


「兄貴は、あるの?」


「質問に質問で返すなよ……そォだなァ、ま、あるわな」


「どんなこと?」


「先にお前が言えや」


「そうだなぁ……面白いことかぁ」


 このままならもしかしたら、平和に話し合いが進んで和解してくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱きつつ幽也は考える。


 面白いことと言われてもあまり思い付かないが、珍しい出来事ならここ2日は大量に起こっている。


 幽也にとって話す事が尽きないほどある。


「初めて学校サボったんだ、今日」


「へぇ、そりゃすげェ」


「全くすごいとは思ってないよね? まあ褒められた行為じゃないけどさ。……結構罪悪感あるよ、これ。それに、同級生に見つかったときは滅茶苦茶ビックリしたよ」


「見つかったのかよ」


 宗一が笑った。


 幽也を馬鹿にするような笑いではあったものの、幽也は嫌な気はしなかった。


「うん。偶々学校の前を通っちゃって」


「偶々学校の前を通っちゃって、ェ?」


「それ同級生に見られた」


「馬鹿じゃねェか?」


「俺もそう思うよ」


 宗一は笑っていた。


 幽也は、その笑顔を注意深く観察する。


 ──所々笑顔に綻びがある。


 浮かんだ色は喜色、ではなかった。


 ……そうだろうな、とは思っていた。


 けれど、実際に確認して、確信を得た。得てしまった。


 そして、自分はたったこんなことにも気づけなかったのかと、幽也の口の中に苦みが広がっていく。


 その作り笑顔、何の意味があるんだよ。


「今度は兄貴の話だよ。何かある?」


「そォだなァ……これはつい最近なンだが、映画を見たんだ」


「映画?」


「そォだ。クソ詰まらん映画だったが、オチは最高だったぜェ? なんせヤな奴が全員死ぬんだ」


「そっか……」


 幽也は、笑顔で話す宗一を睨み付けた。


「つまんないよ、そんな話は」


 幽也は、吐き捨てる。


「俺は、話をしに来たんだけど」


「だからよォ? 俺はこうして話してやってるじゃねェか」


「そうかな。俺はそんなことよりもやっぱり聞きたいことがあるんだけど」


「そう言うなよ、幽也。もう最期なンだぜ?」


「俺は、最期にするつもりはないよ」


 平然と宗一は最期と口にした。その事に対して幽也は驚かない。ただ、分かっててやってるのかと今一度理解しただけである。


 深い溜め息が漏れた。


 分かっていたけど、やっぱりムカついた。


「なぁ。何で俺を殺した」


 睨むように見詰めながら、幽也は己が最も気にしていた部分を問い掛けた。


 宗一は飄々と答える。


「そンな事聞くか? フツー」


 宗一は溜め息。それから呆れたように肩を竦める。


「言えない訳でもあるの?」


「言えねェ理由? ねェよそンなの」


「だったらさ、言えよ」


「はァ、そンなん言って何になるッてンだよ」


「そりゃ、悪いところを改善するんだよ」


「はァ? 今更?」


「今更でも。俺、そもそも何でそんな嫌われたかわかんないし、まずはわかんないと」


「これから死ぬのにか?」


「死なないよ、あの子が頑張ってくれてる」


 今ここには居ない魔術師を思い浮かべる。華奢な女の子だった。そんな彼女が悪魔と戦おうとするのを、幽也はこうして信じることしかできないのだ。


 だから幽也はしっかりと揺れずに言った。


 宗一は幽也の自信が気に食わないのか、少し声を荒げた。


「へぇ。信用してンだな?」


「そりゃあ、命が懸かってるからね」


 その通り命懸けである。なにせ、取り返せなければ幽也も万夜も死ぬのだから。


「つか、良いのか? そんな質問ばっかしててよォ」


「……よくないけど。仕方ないでしょ」


 何故殺したのか、なんて質問を引き延ばしても仕方ない。幽也は分かっていながら切り捨てられなかった。


 それを、やっと切り捨てようとした。その時宗一が安堵したように吐息したことには幽也は気付けない。


「兄貴、悪魔との契約を解除してくれ」


 幽也は頭を下げた。


 宗一はそれを見て気分を良くしてにやにやと笑い始め、用意していた答えを告げた。


「断る」


「そこをなんとか」


「いやいや、当然の話なンだがよォ。それを止めて何か俺に利益があンのかよォ? ねェだろ? あったらとっくに止めてるンだが、今まだ俺は契約者をやってるンだよなァ」


 利益。なるほど。


 幽也を殺せるという利益に、悪魔の使役という利益。


 それを覆すほどの利益を寄越せと。


 幽也には、そんな利益は用意できない。無理な話である。


「それ、なんとかならないの?」


「それが頼む態度かよ? ……まァ、お前が自殺してくれるって言うなら考えなくもないが」


「それは断る」


 幽也は即答した。


 それは、無理だ。


 自殺なんて、死ぬつもりなんて万に一つもありはしない。


 だってまた明日って、朝霞さんと約束したから。


「へぇ? そうかよ。即答かよ」


「まぁね。まだ死にたくないよ俺は。だってさ、まだ兄貴に謝ってもらってない」


「謝るだァ? 何を謝れってンだ?」


 本気でわからない、という様子の宗一に幽也は言う。


「実はさ、俺を殺した事、謝ってほしいんだよね」


「ハッ」


 鼻で笑い、宗一はついに椅子から立ち上がった。幽也へと、馬鹿にするような目を向けて、椅子の後ろで立ち止まる。


「謝るわけねェだろ? バカじゃねェの?」


「かもね。俺はやっぱり馬鹿なんだろ、まだよくわかんないんだよ。まだ、兄貴と仲良くしたいって思ってるんだ」


「俺は一切思ってねェけどな」


 幽也も立ち上がる。


 既に話だけで終わる空気ではなくなったことを幽也は察していた。


「だろうね……そう言えば俺達って、最近喧嘩してなかったよな?」


「そうだな? まぁ、マジ喧嘩なんてのはもう十年近くやってねえわな。つか、まさか対話で事を納められなかったからって暴力かよ? 対話を諦めるンか、荒いなァ? そーいや俺が死んでも契約が解けるんだよなァ、それ狙いか?」


 そうやって宗一に言われて、幽也は『契約者を殺せば契約が解除される』という情報を思い出す。獄島黄昏からの情報だったか。


 こんなもの幽也にとっては最終手段にすら取れない不要な情報だ。それでも覚えているのが、自分のことだが幽也は単純に気に入らない。


「面白くない冗談だよ。今から俺達、肉体言語で語り合おう喧嘩しようって言ってるの。これも立派な対話じゃんか」


「ハッ、荒ェなァ」


「今まで言わなかっただけで、俺だって兄貴に対して怒りが沸いてるんだよ。その怒り、たまには受け取ってもらうよ?」


「嫌だねェ、ここで死んでくれ」


 宗一は言うと同時に椅子を投げた。幽也は飛んで来る椅子に自分の座ってた椅子を合わせて投げつける。


「お断りだよっ!!!」


 椅子がぶつかり合い、床に落ちる。その大きな音が合図となり、遂に兄弟喧嘩の幕が上がった。


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