1-18「約束を交わして」
一時間ほど後。
時間に差し迫られながらチェックアウトを済ませた二人は、少し歩いた。
丁度通りかかった遊具の少ない小さな公園のベンチに吸い込まれるように二人は座り込む。
先に幽也がベンチの端に座ると、万夜は自分の中の体を抱くようにしながらその反対側の端に腰掛けた。
ずいぶんと警戒されてしまっていた。時折万夜は幽也を獣か何かだとでも言わんばかりに本気で睨んでくる。しかも万夜の睨みはかなり覇気があったので幽也は睨まれる度にかなりの恐怖を味わっていた。
大体二人の間の会話はベンチを指差した万夜が「そこ、座る」。それに対して幽也がぎこちなく「うん」と答えたものだけだった。
そんなもの会話と呼ばない。完全に嫌われたな、と幽也は頭を抱えていた。怖すぎる。どうにかならないものか。
二人の間に気不味い空気が流れる。
その空気で、発言できたのはやはり万夜だった。状況を整理するべくぽつりぽつりと口に出す。
「……幽也は、あの部屋に辿り着いたらベッドで爆睡してた。私もあの部屋の椅子で、寝てた、はず……」
万夜は何故自分がベッドで寝ていたかがわからなかったが、そういえばと、朧気に記憶が蘇ってくる。
──夜中。椅子は寝心地が悪かった。もっと寝心地の良いところ、ベッドがあった。なにも考えずに潜り込んだ。
何だか、万夜はそんな夢を見た気がした。
「もしかして、夢じゃない……」
潜り込んでいた以上寝惚けた上での行為であって夢ではないと万夜は気まずくなって頬を指で掻いた。
泥のように寝ていた幽也のことが意識に入らないで自分からベッドに潜り込んで、自爆した。それを幽也に悟られるのも、ちょっと嫌だ。
幽也は聞き取れずに疑問符を浮かべていた。それを好機と万夜は誤魔化そうとした。
「…………気にしてもしょうがないでしょ」
瞬間、空気が和らいだ気がして幽也が脱力した。
今朝の万夜を見て顔真っ赤にして硬直していた幽也を思い出して、一先ず幽也に対しての威嚇するような警戒を止めたのだ。
「えっと、ありがとうございます?」
幽也は悩みながらそう口にして、万夜に睨まれて肩が跳ねた。
「……?」
万夜が何故こんな反応するのかと疑問に思った。無自覚に睨んでいたのである。
警戒を解くつもりはあっても、ほぼ反射的に警戒してしまうのは仕方のないことだろう。
「それで幽也君、どうする?」
「ひゃいっ!?」
呼び掛けられただけでこの反応。怖がらせてしまっている。万夜はなんでだろうと首を傾げる。
それは。万夜の目付きが怖いのもあったが、威嚇じみた警戒が緩んだことで万夜を眺める余裕が幽也に生まれた事が原因だった。
この男は、女性に免疫が無さ過ぎた。
「これから、どうする」
「こ、これから? えっと……」
頭がポンコツ化した幽也を見かねて万夜が補足する。
万夜はこれで警戒を止めて歩み寄っているつもりだった。笑顔をするようにしながら幽也に数㎝だけ近付いた。
なお幽也から見たら万夜は今も無表情だ。
幽也は言葉の意味を図りかねて口ごもる。万夜の言葉数は元より足りな過ぎる。
万夜はそもそも対話というものが得意ではないので、これで捕捉した気になっているのだが。
数秒の沈黙。万夜はそれでようやく言葉が足りないことに気付いて付け加える。
「悪魔のこと」
「あっ、えっと。どうにか出来ない感じ?」
幽也は体ごと万夜の方に背を向けたまま言った。
幽也はあれだけ豪語していたのだから、万夜は悪魔をどうにか出来るものだと思っていた。
悪魔への対抗手段が存在していない幽也はそう考えることで、何も出来ない自分の事を落ち着かせていた。
出来る事があるとすれば同じ人間である契約者を押さえておくことぐらい。その役割がもし与えられるなら幽也に断るつもりはない。
なにもしないのは精神的に辛い。だから志願したいまではある。
そんなことを考えていた幽也は少しだけ目を伏せた万夜の言葉に耳を疑うことになった。
「〈杖〉、奪われた」
「?」
ツエヲウバワレタ。
杖を奪われた?
幽也は一瞬この人何言ってるの? と疑問符が積もって山となった。どゆこと?
理解してしまっても何言ってるか分からなかった。杖を奪われたからなんなんだろう。
幽也は背後の魔術師の事を全く分かっていなかった。そもそも。何故彼女は悪魔を倒しに来たのかすら、幽也は知らないのだから。
「私も、同類。あの〈杖〉は私の。早く、悪魔を倒さなきゃ私も消える」
「……っ」
万夜は幽也と同じレアティファクトを身に宿した者同士だった。ヤゴロシに神装を奪われた者同士だと言うことに幽也はようやく気がついた。
「ねぇ、魔術師さん」
幽也は万夜の事を結局はよく分かってない。幽也にあるのはここまで少しの会話した事と、親切にしてもらった恩義。それだけだ。
それだけだったが、彼女が消滅するのは嫌だと幽也は思った。よく知らなくても、理由としてはそれで十分だった。
「どう、するの? これから君は」
だから、幽也は聞いた。知らないから。知らないけど。分からなくても。知りたいから。
これから何をするのか知って、協力する。
協力を、したい。
万夜は質問に対して、暫し黙り込む。
──これからどうするの、と聞かれれば、万夜は『悪魔を殺す』としか答えようがない。
元よりそれしかなかった。
今の万夜には何もない。ヤゴロシと渡り合うのには準備が必要になる。時間がどれだけ残っているかわからない。途中で妨害を受けるかもしれない。
でも不可能ではない。
〈杖〉がなくても諦めてやる道理は、ない。
「作戦が、ある」
──幽也は、振り返った。
そして杖を失った〈杖〉の魔術師の瞳の底に幽也は力を見た。
白い燐光が舞う。
その光は暖かかった。それが何を意味する光かは分からないけれど、幽也はそう感じたのだ。
「君が嫌なら。この話は、なし」
「作戦を聞かせて。まずはそれからだよ」
「契約者に、契約を破棄させる」
──この期に及んでも万夜は契約者を殺すという手を取ろうとしなかった。 彼女の曲げたくない信念なのだろう。
契約破棄。悪魔との契約の程度によって代償を支払えば悪魔との契約を破棄することが人間側にも出来る。
悪魔側からであれば無条件破棄が出来るが、人間側では代償を支払わなければならない。
それがどのような重さであるかは、万夜は知らない。可能なことは知っているが実際に行った人間を見たことはなかった。
でも、死ぬよりは、マシだ。
万夜が手を出す。
「交渉は、幽也。君がやって。その間悪魔は私が君達に近づかせないから」
幽也は手を取った。
「わかった。ぜった……必ず、契約を破棄させてくる」
幽也と万夜は手を結んだ。
「頼りにしてる」
万夜は柔らかく笑うと、手を解いた。
少し、感情が表に出てくるようになってきたと。感情の見えづらい女の子だけれど全く感情がない訳じゃないんだと幽也は万夜に対して思い始めていた。
「けど、まずはどうやってあいつらを見つけるかだよね。心当たり、というかそのまんま悪魔を見つける手段はあるの?」
「……ない」
「…………えっ」
てっきり幽也はあるものだと思っていた。むしろどうやって悪魔を探り当てていたんだ? と考え込む幽也。
万夜はぼそぼそと呟くように言う。
「……あるにはある。大雑把。だから論外」
「そうなの?」
「そう。……地図と
出してきたのは半透明の黄色の石。
実物を見るのは幽也は初めてであったが、宝石のような、と説明を受けていたお陰でその石がレアティファクトだということは分かった。
なくしそうだ。
「それ、奪われなかったの?」
「信頼できるとこに預けてあった。だから奪われなかった」
「なるほど」
あと地図と言って出してきたのは日本全国地図一枚。
あれこれもしや地図が悪いのでは?
幽也は訝しんだ。
「〈標〉よ。悪魔、ヤゴロシの場所を示せ」
黄色の石──〈標〉のレアティファクトが光る。その黄色の光が地図へ波及し、地図の一点が光る。
この街の辺りだ。
市町村で言えば市の範囲程度は光っていた。
確かにこれは大雑把だ。幽也はその雑さに天を仰ぐ。
「こんな感じ」
地図が光る。それは幽也からすれば万夜が説明するときにした杖を出したり消したりするものよりもまさに超常現象らしい超常現象だった。
だが感動よりも、がっかりしたと言うのが幽也の正直な感想だった。状況が状況で無ければ、ワクワクしたかもしれないがこれでは。
期待外れも良いところだろう。
「ねぇ、もう少し拡大された地図使おうよ……」
「なんで?」
「なんでっ!?」
なんでと申しましたかこの人は……。幽也は頭を抱える。
「えっと、もしかしてもっと細かい地図だと使えないの?」
「……使ったことない。近付けば杖で分かる」
「なるほど」
「細かい地図……持ってない」
「じゃあスマホなら……あっ」
万夜のスマホは前日に破壊されていて、幽也のスマホは。
「俺のスマホ、家じゃん……」
手詰まりだ。
幽也は、恨めしげに呟いた。それを聞いて、万夜はなにか思い付いたように手を叩く。
「──そうか。家か」
「そうだよ」
「違う。何処に居るのか分からなければ、出て来て貰えばいい」
「……なるほど」
昨夜、宗一とヤゴロシは幽也の家に行っていた。万夜はそれが罠だと警戒して自宅に戻るなと幽也に言ったのだ。
つまり、幽也の家に行けば宗一とヤゴロシに行動が筒抜けになる可能性が高い。
筒抜けになるのであればそれが罠だろうと来る、万夜はそう踏んでいた。
悪魔を見つける手段はこれで解決したと言えるだろう。
しかしこれでは幽也と宗一を交渉させる状況に不確定な要素が多すぎる。ヤゴロシと宗一が同時に現れてくれるかどうか分からない。
少なくともヤゴロシは現れるだろうが、宗一が現れるかどうかが怪しいところだ。
杖無しで契約を行っている悪魔を撃破するのは現実味がないと万夜は考えていた。
少なくとも杖がない現状では、悪魔の契約が破棄されることは悪魔を撃破する絶対条件である。
「宗一君の場所を調べないと」
宗一の場所。それを確定させる手は、幽也にあった。幽也は、冷や汗を浮かべながらはっきりと言った。
「兄貴は、心当たりがあります」
「え……?」
幽也は俯いていた。だから万夜はどんな顔をして幽也が言ったのか分からない。
本当に、心当たりがあるのか。疑わしい目で万夜は幽也を見た。
「知ってる人に、心当たりがある。もう一度会えるかは、分からないけど」
──あの男を頼るのは、本当は怖かったけれど。出来ることがあるのならやるべきだと幽也は思った。
「……そう。じゃあ、私は悪魔を殺す準備がある。けど、これ」
万夜は、幽也に薄い赤の石を一つ渡す。神装であることは確かだが、それが何であるかは一目見ただけでわかるはずもない。
「これ、は」
「〈気絶〉のレアティファクト。護身用。どんな使い方するかは任せる」
〈気絶〉のレアティファクト。
透明度の高い赤の石を握り締めると、それは幽也の手の中で仄かに輝いた。
「それじゃ」
万夜はそれを見て、歩き去ろうとして数歩。立ち止まった。
「午後六時、作戦開始ね」
そう言えばその打ち合わせは全くしていなかったな、と幽也は小さな笑みを浮かべた。
それから幽也は〈気絶〉のレアティファクトを持っていない方の手を挙げて応える。
「分かった。絶対契約を破棄させるよ」
それを聞いた万夜は同じように手を挙げて歩き去る。ここからは別行動だ。
公園を見渡す。一人、出ていった万夜と入れ変わるように公園にやって来た男を見て寒気を感じた幽也はぼそりと呟く。
────気合い、入れなきゃね。
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