1-19「兄と会うために」
──現在時刻は午前10時。
約束の時間まで残り八時間。
それまでに幽也はなんとかして宗一と一対一で会わないといけない。
しかし、大した時間はかからないだろうと幽也は重い気分で考えていた。
なぜなら、あの男が来るからである。
「やぁ、幽也君。また会ったねぇ?」
酷く不快感を煽るような声音。それが誰だかはっきり分かる。
吐きそうだ。
その声の主は、万夜と入れ違うように現れた。
まるで偶然みたいな風を装っているが、その実狙って現れたのだろう。そうに違いない。
幽也はこの男を、正直に言って超警戒していた。
幽也は声の主を見ずに呟く。
「獄島黄昏……」
「うぅーんっ! そうです獄島黄昏でございまぁす♪」
元気よく答えた男は先日出会った影のような男、獄島黄昏。
宗一に対し悪魔を提供したと宣うこの男を、幽也は心底気味が悪いと幽也は睨み付ける。
「兄貴は今夜何処に行く?」
そう聞かれて黄昏は肩を竦めて不服そうな演技をする。
「えぇー、ボクと会えたことに関してぇ、何か言うことはぁ?」
「何もない」
素っ気ない幽也の言葉に本気で落ち込んだ風に肩を落とした黄昏。演技なのが分かりやすくて良い。
その証拠に、すぐ黄昏は気落ちした事を忘れたかのようにけろっとした様子で幽也の回りをぐるぐると歩き出した。
「えぇぇ、それはひどぉい。イイコト、教えに来たんだけどなぁ?」
幽也は、出来るだけ顔を黄昏の方に向けないようにして、聞き返す。
「良いこと?」
「あはぁ、反応したぁー。ヤラシー♪」
黄昏は、幽也の顔を覗き込んで笑う。やらしいとは何だ。気持ち悪い。
不気味さを孕んだ黄昏の高いテンションをかなり怖ろしく感じた幽也は距離を取ろうとゆっくりと立ち上がった。
幽也は表情を万夜の無表情のようにしようと意識して、黄昏を見た。
「……で?」
「ツレないなぁー。交渉、するんでしょお?」
「……っ……そうだよ。そのつもりだったよ」
幽也は一度驚いたが、直ぐに落ち着きを取り戻す。
黄昏は見計らったようなタイミングで現れた。
今更幽也の目的を知られていたからと言って、驚くほどのものではないと幽也は一呼吸のうちに思い至る。
平静を意識しないと駄目だ。そうしなければ良くない方向へ転がる予感が幽也にはしていた。
「でも、教えなぁい。幽也君? ボクは、君に肩入れはしないからねぇ? 何故ならぁ、ボクが背中を押したのは宗一だからだよぉ」
「……そっか。じゃあ兄貴に伝言頼める?」
「え、そう来るぅ? 何々ぃ? 内容によっては伝えちゃうのも
「………………………」
「なぁに? 黙っちゃってぇ?」
幽也は黄昏に向き直って大きく息を吸う。
「…………『今日の6時にあの夜の小屋で決着をつけよう』って。一人で来てって伝えてくれる?」
「へぇ」
黄昏が目を細めて幽也を見る。ねめまわすように。じっくりと。幽也の意思を見定めようとするように。
幽也は黄昏の顔を睨み付けていた。それが気に入ったのか黄昏は笑った。
「いいよ、伝えよう。賭けだねぇ、誘い出そうなんて」
「そうだね」
「上手く行くと良いね? 契約破棄交渉♪」
黄昏は伝える。と、それを聞いて幽也は脱力した。
「そぉだっ、忘れそうだったけどぉ、二つイイコトをボクが教えて差し上げちゃおう」
「何……?」
幽也は見た──黄昏の体から溢れ出す黒い燐光が、幽也の首もとに絡み付く様子を。
恐怖に顔をひきつらせた幽也が慌てて手で払おうとするが、その光は触れられない。
幽也にはこの黒い燐光がおぞましいものに見えた。触れたくない。見たくもない。そんな代物に思えて仕方がなかった。
「幽也君はぁ、勘がいいなぁ」
その様子を、黄昏はそう評した。そして。
「もう一個のレアティファクトのお陰かねぇ?」
「もう、一個……っ!?」
「ふふっ。さてね、もう一つのイイコトはぁ……」
見えていた黒い燐光。勘。それらは幽也に宿るもう一つのレアティファクトがもたらした結果である、と黄昏の言葉は示していた。
何でも分かっている風な黄昏の言葉が信じるに値するか。
もう一つの神装のお陰と言われた意味を、幽也は考え込もうとしていた。
しかしその時間は今はない。
黄昏は止まらない。幽也に思考の間を与えない。次の話題で幽也の意識を殴りつけた。
「契約破棄ぃ。一番簡単なのって交渉なんかじゃなくてフツーに契約者を殺せばいぃんだよぉ」
「契約者を……!?」
「ふふっ、あはははっ、教えちゃった♪ 知っちゃった。知っちゃったねぇ幽也くぅん!! どぉなるのかなぁ? 楽しませてよ、ねぇ……っ!!」
黄昏は笑った。
契約者を殺せば良い? 確かにそうだろう。契約する相手がいなければ契約は成り立たない。
だいたいそんなこと、幽也が知っても行動は変わらない。幽也はそんな手を取りはしないつもりだから。
だと言うのに、黄昏は笑った。
「宗一に悪魔を渡したのは正解だったなぁ……君は面白いよぉ? ちゃあんと、動いてくれる……くふ、くふふふふ♪」
とても、嫌悪感を煽る笑顔。
幽也は黄昏と彼から沸き上がる黒い燐光を見て、後退る。
狂喜、だった。
見るにおぞましい笑みを浮かべる人間が目の前に居る。
黄昏と初めて会ったときよりも、幽也は己の体が震えるのを感じた。
「こぉんな、ステキでボクを満たしてくれる舞台が繰り広げられてぇ、ボクはシアワセだよぉ……♪」
──こいつと関わってはいけない。
「だからぁ、宗一もぉー幽也君もぉ、精一杯踊ってよね? ボクはどんな結末でも……ふふふ♪」
黄昏が、幽也に背を向けて公園から去っていく。
幽也は、ただ、獄島黄昏が言いたい事を言い切って満足して公園から去っていくのを、茫然と眺めていた。
「こわかった……なんなの、あの男は……」
幽也は頭を掻き、吐き捨てる。
あの男の掌の上と言わんばかりの言葉の数々に、今になって行動するのが怖くなってきたのだ。
宗一に悪魔との契約を破棄させ、ヤゴロシを倒す。
それを成すために動く事を、きっと黄昏は分かっていたのだろう。
悪魔を用意して宗一に手を貸して。なのに最後には幽也に協力するような助言を置いていった。
あの男は何を期待している?
わからない。
あの言葉を聞いてから幽也の両手から漏れ出すように立ち上る煤のような真っ黒な燐光が止まらない。
幽也には時々見えるこの黒い燐光が、滅びを示す
もしかして、それは。
「レアティファクト……」
ベンチに座り込み、祈るように念じながら右手を前へと差し出す。
果たしてそれは、出た。
握りこぶしほどの
石の中には謎の紋様が浮かんでは消えて、回っている。その意味は、読もうという幽也の意識を通じて理解させられる。
「〈破滅〉……かぁ。なるほど……そりゃあ、ご親切にどうも」
〈破滅〉。
それがもう一つの幽也のレアティファクトの意味だった。レアティファクトの使い方は、紋様を読むという意識を通じて同時に幽也へと伝わる。
「じゃあこの黒い光は、破滅の道標とでも……じゃあ、あのときの魔術師さんも、獄島黄昏も……」
合点がいった。幽也は、〈破滅〉のレアティファクトを手元から消滅させる。
これは、危険すぎる。そんな、予感があった。きっと、殺傷能力も低くないだろう。
これがあれば。これさえあれば、宗一を殺──
「ちが、違っ……」
このレアティファクトを幽也は使わない。こんなものを使う覚悟は今の幽也には無い。
「……もう昼か」
一応、風邪を引いたと連絡したけれど、学校を初めてサボってしまった。
サボったのか。と、実感のないままに時計を見上げる。現在時刻は11時55分。
もう昼だ。高校に居ればきっと4限の途中。
こんなことがなければ、きっと普通に授業を受けていたはずなのに。
「…………けりをつけなきゃ」
幽也はふらふらと歩き出した。
黄昏の狙い通りに動くのはとても癪だ。その先にはきっとあの黒い燐光の示す破滅が待っているのだろうから。
けれど、どうすればその道から外れられるのか。誰も死なずにけりをつけられるのか、幽也には皆目見当がつかなかった。
破滅に目が眩んだ。今は目的地は無い。その足に迷いが出ていた。
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