1-15「不和」
幽也は、壊れたスマホを持って一度自宅の近くまで帰って来ていた。
足早に歩きながら、自宅の電気がついている事に気がつき、不審に思いながらも幽也は隠れながら家に近づこうとして、声を聞いた。
「おい、居ねェぞ」
「まぁまぁ、そんな苛立たなくても良いじゃないか」
宗一と、ヤゴロシだ。
(本当に、来てるのか……)
幽也の家に来ていたのだ。幽也が動かなければ間違いなく襲撃を受けていただろう。〈杖〉の魔術師の上司に内心感謝しつつ息を潜めて聞き耳をたてる。
ヤゴロシと宗一は契約関係にある。そこには確実に宗一の意思が存在するのだから、幽也が宗一に殺されたのは、受け入れるべき現実だ。
こうして、わざわざ殺しに出向いてくるのだから。さすがの幽也も、もう疑わない。出ていって直接聞こうとも全く思わない。
馬鹿だなぁ、なんて幽也は思った。
宗一が幽也を殺したいと思っていたことを、微塵も察せなかった。あの悪辣な笑顔を、疑わずに楽しそうだと断じていたのだ。
見てみろ幽也。あの笑顔、どう見ても悪人がする顔だぞ?
お前が消えて、気楽に笑っているぞ?
「違う……」
浮かんだ思考を否定する。違った。宗一は、笑っていた。
確かに笑っていた。
でも、楽しそうではない。
幽也は二人を遠目に、違和感を覚えた。宗一は、何か違う。あの宗一は楽しそうではない。笑っているけど薄っぺらい悪そうな笑顔。
それは幽也が生きているから、だったかもしれないが幽也は全くその事に気が付かない。
兎に角。幽也は、無性にムカついた。
あの顔を一度ぶん殴ってやりたくなった。
ただ今この場で出ていくべきではないという事は理解している。だから飛び出すのは必死で耐えた。
「つか、何処に居やがる、幽也はよォ」
「さて。少なくとも、そう遠くには行かぬだろうな」
「ンなことァ分かってる。けどよォ、幽也を最初に何であの魔術師みてェに捕らえなかったんだ? 理由があンのか?」
宗一が聞いたのは前夜の話。小屋に誘きだした幽也を殺したときの話。
何故か幽也が見逃された時の話だ。
幽也はその疑問に乗っかって、ふと思った。
──見逃す事などせずに、完全に殺すことも可能だったじゃないだろうか?
それと魔術師を捕らえたという言葉に耳を疑った。慌てて動いてしまいそうになって、しかしすぐに大船に乗ったつもりでと言った時のあの電話先の女性の様子の変化を思い出した。
覚悟はしていたことだ。それを思い出したことで、幽也は落ち着きを取り戻した。
「前にも言った通り、夢と言うことにして平穏な1日をプレゼント……というのを信じている風では無いね? 確かに今夜面倒な事にもなった、あの魔術師が現れたからね」
「本当にそんな理由か?」
「なんの事だ?」
宗一は幽也の部屋から出て、ヤゴロシの後を追う。幽也から見て、妙な空気だった。
幽也は隠れる場所を変えながら、二人から少しずつ離れていく。
「あンときゃ、幽也の観察していてーってたな。ヤゴロシ」
「ああ。なにぶん急にあの《杖》の魔術師が襲ってきたから、やむなく撤退したのだが、それが何か?」
──観察をして?
(おもいっきり攻撃してきたのに、アレをヤゴロシは観察で済ませたの? )
幽也は隠れられるところで足を止めて、二人を凝視する。
幽也に接触までして襲い掛かってきたヤゴロシを思い出す。
それを観察と言い張るのは、幽也にもおかしいとわかる。
(まさか二人は、しっかりと連携が取れていないの?)
「……あァ。そもそも何であの魔術師は俺とアイツを兄弟って、知ってたンだろうな? まさか、観察してるところがバレましたー、なんて悪魔様にしちゃあ間抜けな事ァ言いやしねェよなァ?」
──ハッタリだった。
宗一からすれば万夜が二人を兄弟と知っている理由なんて、昔会ったことがある。それだけだということは分かりきっている。
だが、そんな事普通は知り得ないのだ。宗一は、既に魔術師が幽也から相手が兄であると聞いていたんだと思っている体で話した。
襲撃されたとき、幽也と一緒に居たんじゃないのか? と、その事実の真贋を見極めるつもりで。
調べれば、宗一と幽也が兄弟というのは分かるだろう。しかし、調べたのであれば霧川宗一を調べようとするまでの時間がおかしいのだ。
早過ぎたのだ。期間が短過ぎたのだ。
悪魔と契約してからまだ三日程度で、しかもこれが初めて宗一が悪魔と共謀した行動である。
悪魔と関係があるとして調べたのであれば、流石の調査能力。
そうであれば宗一は白旗を上げてしまうだろうが、違うと確信している。
「さてな。俺が口を滑らせ「違ェな」…………ほう? 何故そう言いきれる?」
「目線だ。お前は今俺の質問を答えるとき右上を見た。心理学的見解から嘘をついているってェ事が分かる」
へぇそうなんだ、と遠巻きに聞いていた幽也は思う。
自信満々の宗一の言葉に、ヤゴロシもほんの少し取り乱した。
「ま、嘘だが」
「──……ははっ、騙された。悪魔ともあろうにな」
嘘かよ。
幽也も宗一の自信に騙された。
幽也は騙された恨みを込めて二人の横顔を睨み付ける。逆恨みである。
一方、ヤゴロシは諦めたように言った。
「そうだな。確かにあの魔術師が兄弟って知っていたのは俺が口を滑らせたからではない」
「やっぱりな。それでよォ、知られてンの、お前が原因なンだろ?」
「何故そう思う? 俺は口を滑らせては居ないぞ? そんな事をする利点がない。それにこの問答に意味はあるか?」
「おいおい、単なる会話じゃあねェか。そんなもん、意味なくたッてするンだよ」
意味無くても会話をする? 違う、宗一はこの会話に意味を見出だしていた。
ヤゴロシとの信頼関係の破綻を見極めるため、状況を悪くしたのがヤゴロシであるという疑念を明らかにする、そのつもりで会話をしていた。
しかし、疑おうが結局のところなにも宗一にはできない。
もう契約は結ばれていて、今さら信じられないと契約を宗一から切ることは出来ないのだ。だから宗一は信じたいと思っている。
信じられる奴だと、思いたかった。
ヤゴロシは少し考え込んで、一つの可能性を宗一に投げつける。
「……そもそも、前からの知り合いだった。それならどうだ?」
「ハッ。だったら何か? それで被害者と加害者が接触前から結び付くか? ンな馬鹿な話があるか。少なくとも両者目にする必要があンだよ。ンで、少なくとも片方から話を聞く必要がある。つまるところ、幽也はあの魔術師と接触しているッてェ訳だろ」
「そうだな。その通りだ」
「でもよ? おかしいンだよ、お前。最初に言ったよな。『家族を狙わない』から『お前は平気だ』みてェな事をよ。まるでもう兄弟ってあの魔術師が知ってることを知ってるみてェに」
「なるほど。よく覚えているね」
ヤゴロシは両手を挙げた。降参だ、そう言うことの代わりに。
「で、だ。お前は、何のつもりで幽也と接触した? あのまま放置すれば、確かに魔術師が真実を伝えたかもしれない。だが、お前の行動はその事態を早めたように見える。何がしたかったンだよ、テメェ」
「それはだね」
ヤゴロシはまるで諭すような声音で宗一へと顔を寄せて言った。
「面白くなりそうだったから、だよ」
宗一は聞いた端から嫌そうな顔をした。
面白くなりそう。
幽也はその言葉を反芻し、その意味を咀嚼して、飲み下そうとした。
ヤゴロシは宗一に顔を向けるのを止めて回りを見渡す。
ヤゴロシが幽也の隠れた方を見て笑った気がした。ぞくりと、背筋が凍る感覚がした。
「ほら。君は俺を召喚した。所謂現実には存在しないはずの、何もかも、道理すらねじ曲げる悪魔という破格の力を。いわば俺達はこの世界におけるルールブレイカー。そんなの手に入れて、相手が一方的に潰されてしまうなんて、クソゲーにも程がある。そう思うだろう?」
「何処見て言ってンだよ、こっち見やがれ」
幽也の存在に宗一は気付かない。ヤゴロシは気付いていて、見逃しているのだ。
──だってその方が面白くなりそうだから。
「だから幽也君にも時間を、情報を、手札を与えた。公平にいこうじゃないか契約者。これでも随分有利なんだぜ?」
宗一はヤゴロシを何秒か見詰め、それから諦めたように脱力した。
既に宗一のヤゴロシへの信頼は殆ど無かった。
面白くなりそうだから、と身を不利な方へと振るなどと宣うのだ。宗一は享楽で弟をヤゴロシに殺させた訳ではないのだから。
「チッ。まあ、それもそうだ。お前の面白くなりそうッてェのがどういう意味か今一分からんが、契約はちゃんと履行しろ」
「君こそ、俺を楽しませてくれよな? 期待しているよ」
「抜かせ」
ヤゴロシと宗一が歩いていくのを、幽也は隠れて眺めていた。完全に歩き去るのを見て、幽也はそこから出る。
隠れ潜むという行動はそれなりに気を張っていたらしい。幽也は大きく息を吐いて、その場にへたりこんだ。
疲れた、死ぬかと思った。
幽也はひとまず自分が落ち着くのを待ってから、自分の家に戻ろうとして、ふと思ったことを呟いた。
「というか何であんな夜中なのに堂々と歩いてるんだ、悪魔なのに」
その疑問に答える声が1つ。
「悪魔の実在を信じてない人には認識できないから」
「へー、そうなん……だぁっ!? 魔術師さん!?」
背後には〈杖〉の魔術師。幽也はその気配を直前まで感じることが出来ず、声に振り返り驚き飛び上がった。
「うん」
「いや、うん。じゃなくて。えっと……何処に行ってたの?」
「ちょっと。……私のスマホは?」
万夜は戦って負けて捕まっていたことの説明をちょっとで済ませた。伝わらないが、幽也は伝える気がないのだろうと深堀りしなかった。
スマホのことを聞かれたからである。
「あ……えっとー……はは」
(壊れました、なんて言いづらいなぁ)
苦笑いで幽也は誤魔化そうとしたが当然万夜は仏頂面から変わることはない。
「えっと。じゃない」
万夜は察していない。言わなくてはならないのだ。
「すいません……壊されました……」
幽也は、頭を下げて画面の割れたスマホを万夜に差し出す。僅かにショックを受けて固まったように幽也には見えたが、それは一瞬だった。目の錯覚だったかもしれない。
幽也が渡そうとしたスマホに万夜は手を重ねる。
「…………いい。持ってて」
「え」
「いつか役に立つかも」
そう言って、万夜は踵を返して何処かへと行こうとする。この状況で一人になるのは正直心細いと、幽也はその背を追い掛ける。
心なしか歩くのが速い万夜に、質問を投げ掛ける。
「何処に行くの」
「眠い」
答えになっていなかった。
よく見てみれば万夜の服装は前見たときよりもダメージを受けていた。所々が破れていて、暗がりで分かる程に思い切り汚れていた。
何かあったのかもしれない。眠いのは本当だろう。
「俺の家は?」
「さっき悪魔が来てた。安全じゃない」
「そうなの?」
「そう」
寝床として使うには幽也の家はもう安全ではないらしい。途方にくれて幽也は万夜に追い縋る。
「じゃあ俺はどうすれば」
「勝手にして」
「ついていっても良い?」
「金は出さない」
そう言われて、万夜が既に宿を取っているのだと言うことに漸く気付く。
そして今の幽也は殆ど金を持っていないのだ。
だからこのままついていっても宿の辺りで別れる事になる。
なるほどどうしよう。幽也は頭を抱えた。
「……お金、ないの?」
不思議そうな顔だった。万夜はてっきり幽也がお金を持っているものだと思っていたのだ。
幽也は首を傾げた万夜の言葉に頷く。
「うん……家に置いてきた。結構慌てて家を出たから最低限しか」
「何処行ってたの」
「兄貴の家。電話があってさ、最低限の荷物でさっさと行けって急かされたんだ」
あの上司か、と万夜が真っ先に思い浮かべた女の顔は意味ありげに笑っていた。上司に悪意はない。被害妄想である。
実際急いでいたのだろう。だがある程度余剰に金を持ってて欲しかった、と万夜は思った。
万夜は歩き出していた。幽也は、見捨てるつもりだろうかと思いながら言葉を待った。
けれどそれは杞憂だった。万夜には幽也を見捨てるつもりなどなかったのだから。
「スマホ代。弁償」
「それはさせてもらいます。けど、どういうこと?」
「宿はそれで手打ち。ついてきて」
仕方ないな、と不機嫌に幽也の手を引いた。
「あ、ありがとうございます……?」
幽也は、取り敢えず宿無しの危機を脱したのでお礼を言ったが、何故万夜が意見を翻したのか腑に落ちなくて首を傾げた。
元より、万夜は意見を翻すもなにも同じ宿に泊めるつもりだったのだがその事は幽也が知るよしもない。
それから、幽也は宿に着くなり爆睡した。万夜は緊張が解けて倒れた幽也をベッドに投げ捨てて部屋の椅子に座って眠りに落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます