1-9「ふいうち」
杖で円を描くように、万夜は舞った。
神装〈杖〉は魔法使いの杖。この杖さえあればあらゆる魔法は万夜の手の内に生まれるのだ。
杖の軌跡が宙にいくつもの円陣を形取る。描かれた円陣は扉として、魔法を生み出す。
空中に描かれた無数の円陣一つ一つから氷の礫が顕現する。
「威勢はいい、なっ!!」
氷の礫は全て弧を描いてヤゴロシへと殺到する。
万夜は歩きながら円陣を描く手を止めない。次々と氷礫が生まれ、それが殺到する先を眺めるが、万夜は悪魔に対する攻撃としては物足りない事に気が付いている。
氷の礫一つには全く特別な効果もない。ただの氷だ。
常識の範疇にある氷は勝手に空を駆けたりしないが、その礫自体の性質は氷と全く変わらない。
「ふむ」
氷礫を避けながら、ヤゴロシは人を遥かに超えた悪魔の思考速度で対策を考える。
氷の礫の数が多い。一つ一つは大したことはないが、数が多いため炎熱で溶かそうと考えたらある程度は焼き払える。
しかしすべてを焼き払うことは叶わないだろう。蒸発により弱まった炎の間を埋めるように氷礫が突き抜けてくるに違いない。
炎の向こう側は見えづらい上、ここは林だ。木々に燃え移っても下らない。
その上直線的ではない軌道というのは炎で溶かすには少し厄介だ。
だが、そもそも。
弧を描くという事は、その弧の中心は空いているのだ。
「……近付いてくださいってことかな??」
ヤゴロシは姿勢を低くして、突進した。
氷礫が曲がりきれないだけの速さでの突進だ。万夜の描いた円陣から飛び出す氷礫を軒並み無駄撃ちさせ、更に急に近付くことで、万夜の動揺を誘おうとした。
だがそんな単一の動きで騙せるほど、万夜は甘くない。
「〈
杖を掲げた万夜の上空に円陣が出現する。円陣から生み出されるのは同じ氷であったがその大きさ、形は全く違った。
氷の槍だ。
一つの円陣から生み出された無数の氷の槍が、万夜の目の前に連続で落とされる。
そして万夜が杖を振り下ろすと、同時に槍が着弾する地点が一直線にヤゴロシの方へと向かっていく。
ヤゴロシは横っ飛びに槍の射線上から外れて、地面に突き刺さった氷の槍を観察する。
突き刺さった氷の槍はその場に残っていた。消えない。
邪魔だな、とヤゴロシは舌打ちして更に周囲を警戒して見渡した。
避けたはずの氷の礫が弧を描いた勢いそのままにヤゴロシに向かっているのを見つけた。
「マジか。再利用できないように溶かすべきだな」
幸いその全てが返ってきているわけではない。数は明らかに減っていた。
林だ何だと言っている場合ではないと感じたヤゴロシは両手両足に炎を纏わせた。
魔術である。
ヤゴロシは炎を纏った四肢で殺到する氷の礫を殴り、踏み砕き、溶かしていく。
悪魔であればその場に合った魔術を即興で産み出すことも可能かつ容易なのだ。
よく使う魔術であれば認識で強さの変わる魔術全体の特性上、威力の補強目的に名前をつける。
しかし多くの悪魔は即興で作った魔術に名前をつけるほど酔狂ではない。ヤゴロシもまた同様に酔狂な感性はしていないつもりである。
ヤゴロシは名前のない炎の魔術を用いて、殺到する氷の礫を幾つか砕き、前進する。
握られた拳や足へのダメージはほぼ皆無だが、これは即興で組み上げられた魔術による防御がある為だ。
見た目はただの炎で防御効果などはあるように見えないが、魔術はその効果のすべてを見た目で判断できるわけではないのだ。
その防御は、拳銃の銃弾を立て続けに十発受けた程度ではびくともしないだろう。
とはいえ、不用意に炎のない部位に氷の礫を受けてしまえば、たとえ悪魔として人間の防御力を遥かに越えているヤゴロシであろうが、小さくないダメージを負うだろう。
「〈
「そう来るか!!」
炎の拳で氷の礫を砕きながら移動をするとヤゴロシは移動前の位置、背後に猛烈な勢いで氷の槍が地面に突き刺さるのを見ずとも感じとれた。
二つ目の円陣を、万夜が生み出したのだ。
何回も襲い来る氷の礫、降り注ぐ氷の槍。
殺意は充分にある。しかし、その程度でヤゴロシは喰らってやるほど弱くない。そして、万夜もこの程度で殺せるほど毛ほども思っていない。
「ねぇ、湿ってきた?」
「ッッ!!?」
ヤゴロシはその言葉を聞いた瞬間、咄嗟に湿気があるかどうかを確認した。
蒸発した氷だけでは不自然なほどに水蒸気が滞留していた。──湿っている。
ヤゴロシは万夜の狙いを察し、炎の熱量を上げた。
足元の草木が燃え、残った氷が蒸発する。
炎の熱量に上昇気流が生まれ、水蒸気を吹き上げた。加えてそれでは足りないとばかりにヤゴロシが暴風を起こす。
荒れ狂う風が、辺りの水蒸気をまとめて上空へと吹き飛ばしていく。
万夜は対応の様子を耳で聞いている。見る事はせず、言葉と同時ににバックパックから缶を取り出し投擲。
それは市販のガスコンロの燃料にするガスの入った缶である。
火気厳禁。そう缶の注意書きに書いてある。
「〈
杖先の円陣から極小な球状の風の刃が射出される。
刃が投げた缶を貫き、ぷしゅー、と気の抜けた音と共にガスが漏れだす。
そして缶を起点に円陣が出現し、その円陣が拡大されていく。地面と平行に、水平に延びた円陣が、ヤゴロシの炎に当たり──ヤゴロシは爆発した。
「ガッ!!?!?!?」
「よく燃える。だから火気厳禁」
爆風で吹っ飛んだヤゴロシはごろごろと転がることで火を消そうと試みる。
そのせいで身に付けていた衣類は煤けてボロボロだ。完全にやり込められている事に舌打ち。
その様子に、万夜は氷の槍と礫の攻撃を止めずに畳み掛ける。だが、火消しのために転がりながらもヤゴロシはその全てを回避する。
「がぁ……ちっくしょう、二段構えか」
「そう」
答える間にも、万夜は連続で氷の礫を生む円陣を杖先で描き続ける。
先程の〈
ガス缶の中身に魔術の円陣で《ガスの可燃性》を共有し、炎に触れただけで円陣の効果が作用し爆発する。
爆発の原因を理解していなければ爆死し、炎に反応することを理解していれば炎を封じる抑止力になる。
万夜の持つ魔術の中では使いやすいものの部類に含まれる。
屋外であればガス爆発の危険性は多少減衰するらしいが、万夜にとってガスボンベの中身など燃料だとかよく燃える位しか思っていない。
風でガスが散ったりする事までは考えが及んでいない。共有したのはよく燃えるという属性だけであった。
だからヤゴロシの生んだ暴風をお構いなしにヤゴロシへと牙を剥いたのである。
「痛い痛い。……よく考えてるね、本当」
ヤゴロシは降り続ける氷の槍を避け、上着を破り捨てる。
元より服などなくても問題はない。ただ、汚れるのが嫌なだけである。だから体の汚れというのはダメージ以上に精神的に効いていた。
煤に塗れた真っ黒で毛深な上半身にヤゴロシは僅かに怒りを滲ませる。
「自分の為に人間に魔術を使うだなんて嫌だったんだけど、お嬢さん強いから仕方ないか」
「〈
万夜がバックパックを背後に投げ捨てて、杖を地面に突き刺した。
杖の影が拡散し、そしてヤゴロシの影がヤゴロシの体に絡みつく。
「暗いって言うのによくもまぁ……!!」
「暗くても影はあるから」
止まない氷の礫の攻撃をヤゴロシは即興魔術の透明なドーム状の壁で防ぐ。透明ゆえにその防御壁自体は影を生まない。
影縫いを助長しない為だったのだが、拘束からは脱せない。既に手遅れなのだ。
「正気じゃない、な!!」
ヤゴロシは己の腕力で影を引きちぎろうとして、それが不可能であることを悟る。
影は本人の映し身であり、殆ど同じ能力をしていると言うのが万夜が認識する影だ。
つまり自分の影に拘束されたヤゴロシは、悪魔の身体能力の高さ故に、強い拘束力を受けている。
厄介だ。
こうなるとヤゴロシは自分の影を万夜から奪い返さなければならない。
物理的な干渉では無理だということであれば、魔術的に。
「ちっ、何だコレ、お前は本当に人間かよ……!!」
早速ヤゴロシは影の支配に魔術で干渉するが、その支配力に驚く。
影に働く万夜の力は、並の悪魔では太刀打ちできないほどに強い力だったのだ。
ヤゴロシでも、対処は出来るがかなり長い時間がかかる。それほどに強い影の支配力だった。
ヤゴロシは知らず知らずのうちに歯を食い縛る。
ヤゴロシから見て、万夜の魔術は人間の性能の範疇から外れていた。
ならばその元凶は〈杖〉だ。レアティファクトであれば、不可思議な話でもない。
「ちっ。縛られておいてやるさ」
「じゃあ、そのまま死んで」
氷の槍の頻度が上がる。無尽蔵な氷の攻撃にただヤゴロシは壁を強固にして耐える。
「ねぇ、寒くない?」
「知ったことか!!」
「寒かったら、暖かくしなきゃね。だから教えて。寒がりな人は何処に居るの?」
「壁が凍りついてる……不味いか……っ!!」
一気に壁の内側の空気の温度が下がる錯覚がした。二度の問いかけ、それは標的を指定するための詠唱だ。そうヤゴロシは断じた。
だからここからはヤゴロシは、講じておいた策に賭けなくてはならない。
「寒いなら〈
「お断りだよ──ッァァァァァァァ!!!」
ヤゴロシの体が爆ぜ、燃え上がる。
人間であれば即死する炎の中に影縫いで縛られたヤゴロシは閉じ込められていた。
いかに人間を超えた生物であれど、長時間燃やされれば死ぬ。
絶大な痛みをヤゴロシは味わいながら死ぬだろう。
このままであれば、万夜の狙い通りに死ぬのだ。それはお断りだ。最期の抵抗とばかりにヤゴロシの分身が十体出現する。
それらは身体能力はヤゴロシと同等だが、取れる行動が突進をするだけ。
それでは万夜からすれば大きな猫である。図体の分、子猫より殺りやすい。
頭を氷の礫で砕いてやると動かなくなったので、耐久性すら本体に及ばない。
丁寧に一匹ずつ──
「……とどめを──」
どすり、と音がした。
それから、声が万夜の後ろから。否、万夜から鳴った。
ヤゴロシが、炎熱に体を焦がされながら嗤った。
──策が、成った。
「刺させねぇよ」
(嘘……っ?)
万夜は刺された背中の痛みに顔を顰め、膝をつく。
背後には宗一が立っていたのである。
声の主であり、万夜の背中を刺した人間。
家からは出てこないはずの、人。
「ンだよ、このマント、硬ぇなァ」
宗一は、ナイフの感触に顔をしかめていた。
万夜はしまったなぁ、と内心思いながらも問う。
「なん……で……」
「ンなの、契約した悪魔はまだ仕事を終えてねェって言うのに死なせてどうすんだって話だよ」
当然だな、と万夜も思っていた。
そもそも万夜は契約者の霧川宗一は攻撃をしてこないと高を括っていた。
戦闘に慣れていない一般人が契約した悪魔が死にそうになったときどうするのか、その知識が万夜には足りなかった。
何せ基本的に契約者を先に殺してきた魔術師である。その対策が杜撰だったのだ。
あるいは。
万夜は攻撃したくないから、宗一は万夜を攻撃できないだろうからと、意識的に宗一と敵対するパターンを頭から外していたのかもしれない。
どちらだったのか、万夜にはわからない。
ただ、わかったところで背後から忍び寄られて刺された事実は変わらない。
「ま、完全に背中がお留守で助かったわ。内心ビクビクしてたんだぜ? 俺は。いつか気づかれるンじゃねぇかってな」
宗一がしゃがみこみ、万夜の背中に刺さった刃物をその背を蹴りつつ引き抜く。
傷口から血が溢れ、万夜はうつ伏せに蹴倒された。
万夜は、痛みで明滅する視界、勝手に喘鳴する喉、それらを捩じ伏せて手にに力を込める。杖は、まだ手にあった。
血に濡れた刃渡りの短いナイフを、宗一はまじまじと見ながら呟いた。
「そだ、迷子ちゃんだ。思い出した」
その言葉に万夜が驚いた表情をして振り返った。お構い無しに宗一は彼女の背中にもう一度ナイフを突き立てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます