1-29「万夜対悪魔ヤゴロシ③」



 数秒遅れて体育館へと飛び込んだ万夜が見たのは様々な球を構える高校生だった。


「──やれ」


 響いたヤゴロシの声に反応し万夜は咄嗟にメイスを引き抜く。


 万夜目掛けて飛んできたバスケットボールやバレーボールを、引き抜いたメイスで打ち返す。


 万夜自身に当たらないように、且つ最低限の振り数で全て処理できるように万夜はメイスを片手で軽々と振り回す。


 球がその後に飛んできた球を弾くように一瞬で計算したのだ。


「もう一度だ。やりなさい」


 ヤゴロシは体育館の舞台で、腰を下ろして高みの見物と言った風に万夜を見下ろしている。


 10人を越える体育着姿の男女がボールを構えて、万夜へ投げ付けようとしているのを冷めた目で見、呟いた。


「洗脳か」


「その通りだ」


 ヤゴロシが洗脳の魔術を掛けたのは、魔術を知らぬ一般人だ。当然、抵抗など出来ない。


 万夜が洗脳された生徒を無視してヤゴロシを狙う動きをすれば生徒に対して隙を晒すことになり、ボールによる集中砲火を喰らうだろう。


 無論万夜はそれだけでは死ぬことはないが、本気で投げられれば、まず間違いなく大きな隙を晒す事になる。その隙をヤゴロシは見逃さないだろう。


 逆に洗脳を受けた一般人を処理することを優先すると、恐らくは大きな隙が生まれる事無く生徒全員が倒れるだろう。


 しかし、洗脳されたとは言えども一般人だ、危害を与えることを普通ならば躊躇うだろう。


 さて、万夜はこの光景を見てつまらなそうに吐き捨てた。


「馬鹿みたい」


 投げてきたボールをメイスで打ち返す。一人の顔面に投げた数倍の速さの豪速球が突き刺さって生徒が空へ飛ぶ。


 球を蹴り飛ばす。一人の顔面に突き刺さる。


 駆けて投げられたボールを避けて、ふわりとメイスで打ち返し一人討ち取って跳ね返ったボールを蹴り飛ばしもう一人。


 近くにいた一人の顎に掌打し、昏倒させる。


 次の一人は顔面を蹴り上げ、次は投げられたボールをメイスで打ち返して──。


「たった二十秒足らずで倒しきるか。躊躇いとか無いの?」


 最後の一人を殴り倒した万夜はヤゴロシに飛び掛かる。


 不機嫌に目端を歪めて万夜が呟く。


「十五秒」


「ハッ、細かいことは良いじゃないか」


 ヤゴロシは、メイスの振り下ろしをようやく再生しきった両腕で防ぐ。


 重い。小柄な少女の生む重さではない。


 だが重いだけだ。単なる鈍器では悪魔に通用しない。


 万夜の脇腹に、ヤゴロシの回し蹴りが突き刺さる。深く食い込み、万夜は吹き飛んで壁に突っ込んだ。


「が、はっ!!」


「ま、そんなナリしてる割には、重たい一撃だったね。体重の掛かった、良い振り下ろし。俺には武術の知識なんていうのはないけどね、分かるよ」


 ヤゴロシは、舞台から降りて万夜へと歩み寄る。万夜はめり込んだ壁から脱してコートからナイフを二本抜き取って投げる。


 ヤゴロシはそれを最低限の動きで避けた。


「あれは不意打ちだったから当たったのであって。ついでに当たって、面白くなったでしょ? じゃなきゃ当たってやらないさ」


 ヤゴロシは乱雑に左腕を振り下ろす。万夜はそれを手首の辺りに叩き付けるようにメイスで防いだ。


 しかし、ヤゴロシが続けて繰り出した右拳を顔面に叩き付けるのをメイスでは防げない。なんとか体を捩っていくらか勢いを受け流す。


 ヤゴロシが蹴る。万夜は吹き飛んだ。受け身を取りながらヤゴロシを睨む。


 立ち上がった万夜にヤゴロシは追撃を掛けてこなかった。万夜へと近付かないでニタニタと笑うだけ。


 万夜はその様子に対して不気味に思った。ヤゴロシはそんな万夜を見て上機嫌な様子で喋りだした。


「うん。面白い。その目だ。剥き出しの、勝てると思い込んだ目。勝てるとまだ思ってる。敵意のみなぎった目。いいね。もしかして、何か策があるのかな? それは面白い。見せてくれ」


 不気味だ。


 万夜は言われるまで手が止まっていたことに気付かなかった。無意識に動揺を隠すように呟く。


「言われ、なくても」


 杭と爆弾を二つずつ天へと投げ上げ、〈風〉の矢をヤゴロシに撃ち、前へと出て左足のナイフを三本抜く動きのまま振り上げるように投げる。


「〈焼殺しヤゴロシ〉」


 ヤゴロシは向かってくる万夜へ向けて一歩前に出ながら風の矢を片手で消し飛ばしながら呟く。魔術が発現し、ヤゴロシの足から炎が体育館の四隅に広がり燃え上がる。


「風、だろ? 使ってみなよ」


 ヤゴロシは、万夜が〈風〉で爆弾やナイフを操作する様に攻撃をすると踏んで炎をバラ撒いたのだ。


 そしてこの〈焼殺しヤゴロシ〉の炎は、ヤゴロシの統制下に置かれていて炎上すればするほどに操る炎の強さが跳ね上がる。


 〈風〉を使う──万夜も、確かにそのつもりだった。


 けれど、この状況では〈風〉を使い新たな空気を生み出すことは死を早める行為になるのだと万夜は即座に気がついた。


 だからこそ。


「〈〉ッ!!」


「バカが!!!」


 ヤゴロシの罵倒が飛ぶ。


 万夜の身を守るように風が生まれ、それを飲み込むように炎が万夜へと殺到し赤い揺らめきが一瞬でその小さな体を飲み込んだ。


 そして万夜は己を包んだ炎の塊が更に強くなるのを把握しながらヤゴロシに突貫した。


 その炎でヤゴロシを焼くのは不可能であり捨て身の一撃のつもりならその選択は悪すぎると、ヤゴロシはそう思った。


 ヤゴロシは万夜をそのまま焼き殺すつもりで炎の勢いを強くした。


 もうもうと燃える炎の間から万夜の顔をヤゴロシが見た時には、目と鼻の先の距離だった。


 ──獰猛な獣のように笑っていた。


 その顔を見てヤゴロシは己の背を駆け抜けた感覚に身を震わせる。滅多に感じることのない。寒気だった。それは悪寒だった。


 ──使


 万夜とヤゴロシの眼前にが落ちてくる。


 ヤゴロシは、それが何かを理解することが出来ず。万夜の言葉を聞いた。


「〈火 気 厳 禁Flammable bomb〉」


 言葉と共にヤゴロシの目の前で灼熱が広がった。


「何故っ!!」


 万夜は炎の内から伸ばした左手の鉤爪でしっかりとヤゴロシの右手を握り潰す程に強く掴む。


「一緒に燃え尽きろ、悪魔ぁ!!」


 悪鬼のような顔で、万夜が叫んだ。






「────っ」


 万夜は、左肘から先と、右膝から下、左腿の半ばまでを失って地面にうつ伏せに倒れていた。


 視界には仄か揺らめく炎。肌を焼くような熱気に、肺がいかれたのか息が出来ずに、口が空気を求めて開閉する。


 四肢を失ったのは物理的なダメージによるものではない。


 魔術の代償だ。


 今の万夜はである。


 という解釈が一般的に行われている。それがそのままこの世界のルール。


 ファクターは魔術を使えない。


 しかしレアティファクトを持たないファクターは、明確にはと言えるだろう。


 使

 勿論腐ってもファクターだ。消失のルールからは半端にしか逃れられない。


 せいぜい魔術一発使用で即死だったのが、一発で死にかけるだけの代償に低減される程度の変化だ。


 万夜は死なないと分かっていて魔術を使ったのだ。


 たとえ四肢を悪魔という概念この世界のルールに喰われたとしても。


 それで悪魔ヤゴロシを殺せるなら、


「…………ぁ」


 万夜は見た。


 揺らめく炎の先に、黒い影が立っている。


 万夜は、慌てて立ち上がろうと手を動かそうとして。


 手が無いことを忘れていて腕が空を切る。


「熱いよ、熱い熱い」


 炎を踏み潰しながらヤゴロシは万夜へとゆっくりと迫る。熱いと口にしながらもその炎熱を意に介していない様子でニタニタと笑っている。


 ヤゴロシは、全身に火傷を負っていた上に所々未だ燃えている。


 しかし、全く効いていないと万夜へ思わせるほどにヤゴロシは余裕を見せつけるように堂々と歩く。


「ゃ……」


「おお、ちゃんと生きてるようで何よりだよ。自殺じゃ、面白くない」


「……っ」


 ヤゴロシは笑っていた。しかし、その目は笑っていない。


 ──ヤゴロシは怒っていた。ここまで痛め付けられたのは想定外。これ以上は自分の意に反した展開など許さない。


 ヤゴロシは口元に笑みを浮かべたままに、動けない万夜を見下ろした。


 万夜はヤゴロシの嘲るような目線を受けて、睨み返した。


「まぁだ、その目が出来る。流石悪魔を憎悪して数十の悪魔と人間を殺した女は違うねぇ?」


 殺意の籠った目だ。ヤゴロシは万夜に睨まれながらその意思を茶化すように、ヒュウと口笛を吹いた。


 目だけで人を殺せそうなほどだが、その殺意を振り撒く本人は達磨状態だ。


 怖くもなんともない。


 むしろその殺意は今のヤゴロシにとってはとても気持ちの良いものだった。口元が歪むのを抑えられない。


 感情が昂るままにヤゴロシは万夜を蹴り転がした。


「良い……面白いっ!! そう、最後まで、最期までその目をしていてくれっ!! そして俺を楽しませてくれっっ!! それまで折角だ、冥土の土産にを話そうじゃないか!」


 まだ死なれては困る。ヤゴロシは万夜を死なない様に、意識を手放されないように注意しながら蹴り転がす。


 その先には未だ燃えている炎が上っている。万夜がそれを視認した瞬間、思い切りヤゴロシが蹴り飛ばした。


 万夜がなんとか勢いを殺そうと手足を地面に叩き付け抵抗する様子を、ヤゴロシは愉快そうに眺める。


「そもそも、俺はどんなものを媒介に召喚されたか知っているかな?」


 万夜は炎の寸前で止まった。その頭をヤゴロシは踏みつける。炎の目の前で、動けないように。熱い。


 ヤゴロシはころころと、足で踏みつけた万夜を嘲笑うように弄ぶ。


 炎の熱と、ヤゴロシの嘲笑が、万夜の思考を沸騰させていく。


「知るわけないよな。どうせ君たち二人は情報共有なんてしていない。そうだろう?」


「ヤ……ゴ……ロ……シ……っ!」


 万夜は話を聞いていなかった。殺意が万夜の頭を灼き、魔術を脳裏に描画していた。


 万夜はもうヤゴロシを殺すことしか考えていなかった。


 やり過ぎたかな、とヤゴロシはしゃがみこむと万夜へと顔を近づける。


「くくくっ、媒介だけどな? これだ」


 指を鳴らす。その行為自体には魔術が込められていた。万夜から一瞬憤怒の色が消える──魔術で正気を強制的に取り戻させたのだ。


 一瞬ではあるが、これからの話を聞かせるのであれば十分である。


 万夜が怒りを見失い呆けている一瞬の間にヤゴロシは更に別の魔術を発動する。


 産み出されたのは小さな厚紙だった。


 そこに写しだされた物がしっかりと万夜に見えるようにヤゴロシは万夜の目の前にその紙を突き付けた。


「ぇ……お、兄ちゃ……ん?」


 


 血に濡れて所々読めないところまでご丁寧にヤゴロシは再現していた。


 それはヤゴロシの記憶の内に綺麗な免許証が無いからなのだが、寧ろ血塗れの免許証を再現したことで万夜はその意味をしっかりと理解してしまった。


「これがなんなのか分かるよ、ねっ!!」


 万夜がヤゴロシに向ける憎悪の質が、怒りを失う前と変化する。


 その事にヤゴロシは更なる愉悦を覚えて万夜の頭を掴んだ。


「そうだよ、君の!! !! 当然分かるよねぇ? この悪魔ヤゴロシを召喚するための媒介が赤城翔太の免許証コレだっていうその意味が、君には。ね? 狭山万夜ちゃん? いや──」


 ヤゴロシは、口端を釣り上げた。


「── ちゃん?」


 ──ヤゴロシこそ、自分の家族を皆殺しにした悪魔なのだ。


「ヤゴロォ──」ヤゴロシのつまさきが万夜の開いた口に向けて振り抜く。


「良い顔だぁ!! その殺意に満ちた顔が! 憎悪に満ちたその声が!! 憤怒に燃えるその様が見たかった!! ハハハハッ!!」


 もう一度蹴り飛ばす。最早手加減など考えていない。感情が高ぶったままに、その足を振り抜く。


「これだから!! 止められないっ!! 面白い!! 今回は契約者がちと頭が回っちまって不穏だったが!! ああ!! アイツと手を組んでて良かったっ!!!」


「が、ごほっ、ヤゴ……シぃ……」


 ヤゴロシは蹴り飛ばされながらも譫言のように呟く万夜を嗤った。


 今の万夜は最早喋るのも苦痛だが、それでも殺意が彼女を突き動かしている。


 そう思うと、ヤゴロシは笑いが止まらない。


「復讐を誓った相手に足蹴にされる気分はどうだね赤城万夜ぅ……?」


 満身創痍なはずの万夜がヤゴロシに向ける殺意は弱まる所かどんどんと膨れ上がっていた。


 ヤゴロシが煽る度に、反応する。


 それがとても


「ははは!!! さいっこうだ!! 君は今からぁ!! 君の家族と同じように、抵抗も出来ず!! 己の無力さを悔いたまま!!! 無惨に!! 無様に!! この俺に殺されるんだ!! 今の気分はどうだい? ……君ももうすぐ家族の元に行けるんだもっと喜んだらどうだい……どうなんだい??」


 万夜の心を逆撫でするように、ヤゴロシは言葉を続けていく。


 もっと、その憎悪を見せてくれ。


 その殺意をもっと、もっと。


 もっと!!!!


「ヤァァゴォロシィッ!!」


「そんな達磨みたいな身体で叫んでても怖くないね」


 蹴る。


 あまりやり過ぎたら死んじゃうな、とヤゴロシは己の行動を少しだけ諌めながら次はどうするかを考えた。


 折角だ、万夜の親を殺した手段を模倣して攻撃しよう。


 それは、とても面白いだろう。


「君のお母さんがどうやって死んだか、知りたいかい知りたいだろうッ!!? そうか知りたいか教えてさしあげよう!!」


 返事は必要ないとばかりに万夜の髪を掴んで持ち上げる。


 手足を失った万夜の体はかなり軽い。


 そんな小さな体を持ち上げる事など悪魔のヤゴロシにとって朝飯前だった。


 だが万夜の憎悪は、殺意はまだ死んでいない。


「〈雷〉ぃっっっっ!!」


 バチバチバチィッ──と大きな雷が万夜を伝って万夜ごとヤゴロシを灼く。


「あぁぁぁあ!!!!」


「がっ、この!!」


 ヤゴロシは思わず万夜を地面に叩き付けて、数歩ばかり後退る。


「チッ」


 ヤゴロシは思わず舌打ちした。


 良い感じに気分が高揚していたのに、水を差された気分だ。ヤゴロシは暴れる万夜から〈雷〉の刀を奪い取って投げ捨てた。


 そして今度は乱暴に髪を掴んで持ち上げた。


 ヤゴロシの目は据わって、最早一言も発さない。


「っ、ゃ、ぁ……」


 万夜の喉から言葉にならない呻き声が漏れる。パチパチと炎が鳴らす音に紛れて誰の耳にも届かない。


 ヤゴロシが万夜へ向かって手を引いた。狙いは心臓だろうか。


(こいつは、私が殺さなきゃいけないのに……っ!!)


 ──無理だ。


 万夜は憎悪に狂いながらも気付いていた。殺せない。殺される。不可能だ。その事実から目を逸らすために殺意に狂った振りをした。


 叫ぼうとした。喉から息が漏れる程度でなにも言えなかった。しかも万夜は自分が何を言おうとしたのかもわからかった。視界が歪んだ。


 ヤゴロシの嘲笑が最期の光景なのかと、万夜は目を閉じ──、


「なぁ、ヤゴロシ、終わったぜ?」


 ──誰かの声がした。

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