2-3「パンの味はわるくない」

「つかこのカレーパン、瑠華は『うまいうまい辛いけどさ』って食べてたんだけど……ホントに味覚音痴なん……?」


 咲菜が瑠華に聞いた。


「えー……いや、違うと思うよ? うん。偶々私が辛いの平気なだけじゃない? 多分、はい多分そうだよ?」


「よしじゃあ真昼」


「ん。──っ!?」


 咀嚼と同時に目を向いて咳き込んだ万夜を見て咲菜が「ほらな」と瑠華を見て、瑠華は目を逸らした。万夜から食べかけのカレーパンを取ると一口で食べきってしまった。


「……ゼンゼンヘイキダケドナー」


 美味しそうに瑠華が食べているのを、幽也と万夜は信じられないものを見たと言わんばかりに目を見開いていた。


「もう信用ならない。えっと、君、ちょいちょい瑠華が言ってた気がするけど、名前は?」


「霧川幽也。字は天候の霧に、簡単な方の川に幽霊の幽に、他のにんべんの無いやつ」


「霧川幽也くん、じゃあ幽也くんでいっか。カレーパン、どうだった? 辛さはどう……って聞くまでもないけど一応」


「辛すぎる」


「やっぱりそっかー……確かに分量多いかなって気がしてたんだけどほら、瑠華は平気そうだしってエスカレートしてったら、こう、ね? なっちゃったんだよね……なおさなきゃだよね」


 落ち込む咲菜に、万夜は牛乳をちびちび飲みながら小さな声で言う。


「そもそも激辛である意味が、ない」


「それは……ここ、ママのだから──」


 咲菜はそれだけ言って、店の奥に行ってしまった。瑠華は彼女の背中に意味深見つめていて、幽也はそれが気になった。


 なんというか、悲しそうだったから。


「朝霞さん、どうしたの?」


「んー? どうしたのって、何?」


 幽也が呼び掛けると、彼に瑠華は平然と笑みを向けた。まるで何もなかったかのような瑠華に、幽也は自分が見た彼女の表情は見間違いだと思って閉口した。


 直後、店の奥からどたどたと足音が近付いてきた。


「よっし、ノート持ってきた! 改善点メモってくから色々案、出してくれる!?」


 咲菜はノートをレジのあるカウンターの上に広げ、シャープペンシルのペン先コツコツと紙面を叩いた。


「案?」


「実はちょいちょい私と咲菜でこの店の方針? について話し合ったりしてるの。この店を良くするためにはどうしたらいいかなって」


 瑠華は咲菜の肩に両手をのせてそう言った。万夜ははぁ、と呆れたように息を吐いた。


「話し合ってこの程度か」


 万夜の目付きが僅かに鋭さを増す。その様子に咲菜は震えた。こわい。


「だってママの──」「咲菜」


 慌てて口走った咲菜に、瑠華がとんと彼女の頭を叩いた。


 後頭部の衝撃に咲菜はしぱしぱと目を瞬かせ、それからふっと頭を掻いて幽也に笑いかけた。


「あ、いや、うん。ともかく幽也くん! どう思いますか!! まずそのカレーパン!! 辛さ以外!!」


「辛すぎて分からなかったよ……朝霞さん、これよく食べれるの凄いね」


「いやぁそれほどでもある、かなぁ……」


 瑠華が照れたように顔を赤くして首を掻いた。そんな彼女を咲菜は半眼で見詰めた。


「まあ、食感は美味しい感じだったと思うけど……まあ、その、辛すぎてさ」


「うぐぐ」


 唸りながらも咲菜はノートに文字を走らせる。


「辛さの段階を落とす、と。後は? そだ、他のも食べてよ。どうせ売れ残るし」


「売れ残っちゃうの?」


「うん。何でか、私はわからないんだけどさ。これでも前は結構賑わってたんだよ? ね、瑠華」


「…………」


 瑠華はいつの間にか店の窓の近くまで移動していての外を眺めて居た。反応の遅れた彼女の隣にまで咲菜は歩み寄ってその肩をポンと叩く。


「瑠華? 無視は酷いんじゃないかなー?」


「あ、うぇ、っと、うん。昔は賑わってたんだよねー」


 咲菜は、瑠華の顔をじとーっと眺める。


「顔色悪いよ。瑠華、大丈夫?」


「ん……ちょっと。じゃあ、もう、帰 ら せてもらう よ」


「そうしなよ」


 瑠華は店の外に出ていく。ふらふらしている訳ではないが、その顔色は少し悪いものに変わっているように幽也は思い、彼女を追った。


「えっと朝霞さんが帰るなら……」


「幽也は、咲菜を手 伝 ってあげてほしいな?」


「でも、朝霞さん凄く顔色悪いけど」


「こんなの平気平気、帰ったら治るしね」


「そっか……じゃあ朝霞さん、また明日」


「ん、またね」


 瑠華の背中を見送って、幽也は店内に戻る。


「あれ? 送らなかったんだ」


「上瀬さんを手伝ってくれって言ってた」


「そう? じゃああの子の厚意に甘えますかね」


 咲菜は不適に笑って店に並ぶパンを幾つも手掴みで抱え、その内の一つを幽也の顔面に突きつけた。


「食べて、感想をお願いね?」


 ──その後幽也は日が暮れた後まで、咲菜にパンの味を伝え続けた。

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