2-2「激辛☆カレーパン」

 ──気が付いたら高校が終わっていた。


「へへ………夏休み、マジか……」


 幽也はスマホを眺めてだらしなく頬を緩ませながら下校していた。


 何せ朝霞瑠華に夏休みにプールに行こうと誘われたのだ、幽也がまわりが気にならないくらいに幸せな気分だった。


 そして高校の正門を出ようかというタイミングで幽也は──ふと視界を横切った黒い燐光に意識を揺さぶられた。


「……え、朝霞さん……?」


「ん? あぁ、幽也。家、こっちだっけ?」


 瑠華から黒い燐光が漏れだしている。その光は〈破滅〉のレアティファクトが見せる幻の光だが、これ黒い燐光が見えた万夜はその後に死んでいた。


 ──今のところ見えたのは万夜と、黄昏。それから瑠華。


 不気味な光だ。幽也はこの光が嫌いだった。


「いや、家はちょっと爆発で吹き飛んじゃって、兄貴の家に居候中」


「ば、爆発……?」


 瑠華は戸惑ったが、すぐに笑った。


「って、お兄さんと和解したんだ!! 良かったね」


「あぁ、まあ? うん。おかげさまで」


「そっかそっか、それで幽也もこっちなんだ」


 瑠華が向かう先は駅で、幽也もそこへ向かうところだ。行き先が同じ、足早に歩く瑠華の背中を幽也は追い掛けた。


「うん、駅使うからね。これからは」


 幽也は少しだけ歩き慣れない道に視線を右往左往させながら瑠華についていく。


「そっかぁ……せっ、せっかく一緒に帰れるようになったことだし幽也、友達がやってる店あるんだけど……寄ってく?」


 瑠華が振り返ってどこか気恥ずかしそうに頬を掻く。その様子に幽也はくらりと目眩のようなものを覚えた。かわいい。


「ど、どんな店?」


「パン屋、だよ」


 黒い燐光が吹き上がった。


 それで幽也は思った──そのパン屋、厄ネタじゃないよな……?










「いらっしゃいませー」


 店員の平坦な声。幽也は天を扇いで苦笑いした。


「あれ? 知らない子だ。わー、かわいいね? 何歳? 狭城さんっていうの? きれいな銀髪! 触って良い?」


「十四歳。消毒ちゃんとしたら触るのは許す」


 胸に『狭城』と書かれた名札を付けた店員は〈杖〉の魔術師の姿をしていた。


(厄ネタじゃん…………)


 失礼だった。幽也にも言わないだけの分別はあるが、それでも失礼な扱いだった。


「ふわふわぽわぽわー」


 かわいい(←ふわふわぽわぽわと万夜の髪を弄る瑠華に対する幽也の感想)。


 ところで、と幽也は万夜をまっすぐ見た。


「なんで〈杖〉」「人違いです」


 くい、と万夜は黒縁眼鏡のブリッジを人差し指で持ち上げた。伊達眼鏡で変装しているつもりの万夜だが、そも銀髪の女性は日本では珍しすぎる。幽也にはすぐわかった。


「いや絶対〈つ」「人違いです」


 万夜は認める気がない。幽也は、良くわからないが人違いと言い張る万夜の意思を尊重することにした。瑠華をチラチラと気にしながらも店内を見回して、ようやくここがパン屋だと気付く幽也。


 瑠華だけを見ていたので気付かなかったのだ。


「パン屋?」


「ん。そうだよー? ここは私の友達がやってるお店……新しい店員が入ったとは聞いてなかったけど」


「──まあ、言ってなかったからね。でも瑠華の事を驚かそうとかそういうんじゃなくてこの子。突然転がり込んできてゴタゴタしてたからなんだよね……でもどう? 驚いた?」


 店の奥から現れた明るい茶髪の少女が腕組みしながら自慢気に瑠華に聞く。彼女こそ店主代理の上瀬咲菜である。幽也は組まれた腕にしっかりと乗っている双丘に目を奪われていた。


 ──強調される巨乳。瑠華はいっそう万夜を撫で回す力を込めながらも、目敏くも幽也の視線に気付き冷ややかな目線を幽也に送っていた。


「んー。かわいー」


 幽也へ意識が向いているが故の棒読みであった。


 幽也は瑠華の感情の変化に気付かないまま、商品に目を向けた。美味しそうなパンが並んでいる。


「ええ……、それだけ?」


「それだけだよ。寧ろなんで今更とまで思うよ」


 幽也は一つのパンに目を奪われた。


!! カレーパン』¥400


「むぅ、いや、ほら、この子、どうも住む家が無いみたいでさ。お金もないみたいだし可哀想だし仕方なく? バイトとして雇ってみたってカンジ」


「金がないとは言ってな「住み込み!? それって!?」


 瑠華の尋常ではない剣幕に、幽也が驚き危うくカレーパンを取り落としそうになった。


「危なっ……っと、大丈夫って何?」


 幽也が瑠華に聞く。すると露骨に瑠華は顔を反らした。


「こっちの話だから気にしないで」


「てゆーか」


 咲菜が瑠華に詰め寄る。


「瑠華こそ、この人誰よ? カレシ?」


「──……味見役だよ、意見欲しくて」数秒瑠華は硬直してから返答した。その口許は笑みに緩んでいた。


「アジミ……ヤク?」


 まるで予想外の事のような咲菜の反応。その通り瑠華が味見役を連れてくるなど全く想定していなかった。


 咲菜にとってはそもそも瑠華が味見役だ。必要ないという意識が強くあったために理解が出来ない。


「ほら、私味音痴だし」


「瑠華が? それはないよ。ね、真昼ちゃん」


「む、うまい」


 万夜があんパン (¥400)を牛乳と一緒に食べている。眉一つ動かさないが、彼女に嘘はない。


「そんなことあるの。幽也、とにかく何か一つ奢ったげるよ!!」


「いや良いよ自分で買うからさ!?」


 財布を取り出した瑠華に、幽也は慌てて拒否した。


 これでも初めて瑠華と二人で店に立ち寄ったのだ、その初めてで奢られるのはあまりにもなんか、カッコ悪い。幽也は強硬し、レジに代金を置いた。


 万夜が拾いあげた。


「ありがと」


 あんパン購入のレシートが発行され、真昼の右手にくしゃり。それと同時に瑠華が四百円を万夜の左手にシュート。


 カレーパンのレシートが発行された。


「お買い上げありがとうございます」


「今のどういう……」


「ふ」


 万夜のどや顔が瑠華に向けられる。(これで良いんでしょ?)と言わんばかりに。


「っ」


 瑠華が万夜の手を掴んだ。(流石!!!!)と言わんばかりに。


「……あんまふざけてないで四百円を彼に返しなよ真昼」


「むぅ」


 不満げに万夜が四百円を幽也に引き渡す。


 あれ、これ奢られてない? ──幽也は思った。瑠華が笑っていたので、もにょりながら引き下がった。


「つか、それより味よ味。どうよ?」


「あれ? 私信用してたんじゃないの?」


「それとこれは別でしょ。作った料理、少しでも多くの人に感想を貰いたいの」


 幽也は、カレーパンを手に固まっていた。


 女性二人の注目を浴びながら、である。


 そんなに見られたら食べづらい。言えなかったが、そういう話である。幽也は注目されることになれていない。


「……」「……」


 二人の視線に耐えられなくなり幽也は遂に言った。


「あ、の、……あんまり見られると、その、食べづらい」


「そーゆーもん?」「あ、ごめんね?」


 咲菜は何を言ってるのかよく分からないという風に首をかしげた。瑠華が顔を逸らしたので、その隙にカレーパンを半分くらい齧る。咀嚼。もぐも……ぐ!!!?!?


「辛ッ!!!?」


 カレーパンは辛かった。いや『激辛』と銘を打ってる以上当たり前なのだが、それを失念する程度には緊張してしまっていたのだ。いやいや、それにしても辛かった。


「うわ水というか牛乳っ!! 牛乳頂戴!? 辛いどころか痛い痛いよこれぇ!!!!」


 辛さというのは元々痛覚が感じ取っているのである。そして、度を越した辛さは──激痛を伴うのだ。


「牛乳」


「あっ」


 あまりの辛さに汗をだらだらと垂らす幽也に万夜が牛乳を差し出した。それを軽く一飲みして、一息吐こうとしてもまだ痛い。


 それよりも万夜は変な反応をした瑠華が気になった。


「どうした?」


「それ間接キ……いや、何でも……ないよ」


 瑠華はもにょもにょと言いながら顔を逸らした。


 万夜は、再びあんパンを食べて幽也から返してもらった牛乳を飲んで一息。


「………──!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る