1-22「また明日」
「──ゆうやーっ!?」
聞き覚えのある声に呼び掛けられ、幽也は立ち止まってしまった。
──朝霞瑠華は、立ち止まった幽也を見て苦笑する。人違いじゃないんだ、と。
「……幽也、どうして今日……休んだの?」
幽也が風邪じゃない事は校舎の窓から瑠華が幽也を見た時に察していた。
まさか馬鹿正直に殺されそうになったなどと言えるはずもない。幽也は、どうやって誤魔化すかに頭を回した。
「き、今日は良い天気だよね」
誤魔化す事を必死に考えた幽也の口から出てきた言葉は、自分でもはっきり分かるくらいに震えていた。
瑠華は何で幽也がそんな話題に変えようとしたのかよくわからないままに空を見上げた。
空は快晴だった。良い天気だ。
「……まあ、いい天気だね……?」
「こ、こう天気が良いと、外出たくなっちゃうというか、えっと。多分、そういう」
「多分?」
瑠華は誤魔化せてない。幽也はぼろぼろな言葉をなんとか口に出す。
(そもそもなんで突然天気の話をしたんだ。普通に晴れてるけど!! 晴れてるけど!!)
頭のなかがぐちゃぐちゃになる。どうしたら良いのかわからない。瑠華と話がしたい。今は誰とも話をしたくない。この場から逃げたい。現実から逃げたい。このままでいたい。このままではいけない。
どうしたらいい?
幽也には分からなかった。
「えっと……」
幽也が背を向けたまま放った言葉に首を傾げた瑠華。言葉に迷って視線が宙をさまよっていた。
距離は、詰めなかった。瑠華は幽也と同じように立ち止まり、心配そうに聞いた。
「……何か、あったの?」
幽也はその言葉を聞いて嬉しくなった。嬉しくなってしまった。気に掛けてくれることを自分が求めていたことに気付いてしまった。
それは甘えだ。今そんなものを与えられてしまうのは良くない。このまま一気に、心が弱い方へと傾いてしまう。
幽也は、頭を掻きながら苦笑して。困ったように呟いた。
「ちょっと、今朝から調子が悪くてさ。ほら昨日変な夢を見たし、その、風邪なのも本当だからさ……だから」
「──……誤魔化さないでよ」
「え?」
幽也は、瑠華がなんと言ったのか聞き取れなかった。だから、幽也は振り返った。
──なんで瑠華がそんな悲しそうな顔をしているのだろうか。
「……幽也はさ、晴れの日ってどう思う?」
「ど、どうしたのいきなり」
「天気の話、幽也が振ってきたんでしょ」
「そ、そう、だったね?」
戸惑って声が上擦る。幽也は、自分がさっきまで何言っていたかを覚えていなかった。余裕がなかったからだ。
「で?」
瑠華がジト目を向けて幽也に詰め寄った。
晴れの日をどう思うか、幽也は少しだけ考え込んで空を見上げた。
質問の意図が幽也にはよく分からなかったけれど、できる限り素直に答える。
「好き、かなぁ」
「…………そっ、か」
幽也は空を見上げながら晴れの日に思いを馳せる。
瑠華を直視して居たらそもそも幽也は何に対してでも好きだとか瑠華を意識してしまうことは一切言えなくなってしまう。
幽也は素直な感想を言うためにも目を逸らすため空を見上げていた。
瑠華はぱちぱちと瞬きしつつ、平静を装った。ちょっと暑い。
「だってほら、洗濯物が早く乾くし。夏場は暑いのは嫌だけどさ」
「そう。私は……嫌い。長袖だと暑いし……」
瑠華は制服の袖を摘まみ、儚く笑う。幽也は今まで見たことのない影の射した笑みに、僅かな間意識を奪われる。
笑顔と共に顕れた黒い燐光に。
幽也は瑠華に垣間見えたその影へと手を伸ばそうとして──そんな時間も資格も持ち合わせていないと思い直した。歯噛みする。
黒い破滅の燐光は、昨日の万夜よりも弱く、ちらちらと見える程度に現れている。
優先度はきっと低い。
きっと低いのだ。低いはずだ。だから、今は放置しなきゃいけない。
幽也は考え込んで、間を置きすぎてしまって大いに慌てた。
とにかくなにか言わなくてはいけないと思って幽也はぼそっと呟いた。
「じゃあ……長袖着なきゃ良いんじゃ、ないかな」
「ファッションは我慢ってよく言うでしょ?」
言い切るよりも早く、瑠華はそう返した。
用意していた返事だろう。もしかしたら何度も同じ事を言われたのかもしれない。
言葉と同時に黒い燐光が吹き上がる勢いを増した。幽也にしか見えない破滅の燐光の内で、瑠華は何事も無かったかのように不敵に笑って見せた。
その光景に幽也は僅かに見惚れてしまった。
きっと多分幽也が感じ取ったよく分からない破滅を、瑠華は感じ取られたとは気付いていない。
それでいいのかと、幽也は言いそうになってしまった。踏み込まない事を幽也は選んだ幽也にはその言葉は許されない。
──逃げるのか? と声がした。
幽也ははっとして、瑠華を見た。
彼女は何も無かったかのようにしていた。瑠華からすれば何事も無いことだと、幽也は瞬時に悟った。
分かっている。分かっていた。それは幽也の気の迷いが生んだ幻聴だということを。幽也は目の前の意中の女性の問題に踏み込まない事を選ぼうとした。その事に対する後ろめたさが生んだまやかし。
優先順位は宗一との交渉が上。大丈夫。それは分かっているから。今は踏み込めない。踏み込んではいけない。
分かっている。余裕はない。だから、今だけは許してほしい。
「幽也はさ、その、分かってくれる、かな?」
「えっと。夏服に可愛い服がない、とか?」
「……うん、そんな感じ」
「……そう、かな?」
「そうなの」
困ったように笑う瑠華。
「だから、嫌い。晴れの日は、嫌い」
幽也は瑠華のその目に、その口に、その先に何かあるのを感じてしまう。
闇、とでもいうべきだろうか。
破滅が見える何か。そう呼ぶのが相応しいくらいの闇を感じても幽也は何も出来なかった。
「……そっか。うん、人それぞれだと思うし」
「幽也は、変なことたまに言うよね。面白い」
「この話題は朝霞さんからじゃないか、天気の話を振ったのは……俺だけどさ」
「そうかも」
燐光から目を逸らしながら幽也は言葉を続ける。
そうだ──一つだけ、誰でもいいから聞きたいことがあったのを幽也は思い出した。
「変な話ついで、なんだけど……朝霞さんはさ、ずっと一緒にいた相手と喧嘩したらどうしたら良いと思う?」
「喧嘩?」
「そう。絶交寸前なレベルで相手にキレられたとき」
幽也は視線を落とした。
思い出したのは宗一との事だ。喧嘩と呼ぶには一方的過ぎる出来事だったが、人に伝えるには丁度良い表現だろう。
瑠華は、確かに変な話かも、と反芻する。
「うーん……誰かと喧嘩したの?」
「まあ……はい、そんな感じでございます。俺としては仲直りというか、しなきゃとは思うんだけど、向こうが何でキレたかもよくわからなくて」
「へぇー……それって相手はお兄さん?」
瑠華がそう言ったのは、幽也にとっては想定外だった。
そもそも瑠華が幽也に兄がいることを知られているとは思っていなかったのである。
その上でまさか瑠華が喧嘩の相手を一発で当てるとは尚更思っていなかった。露骨に幽也は反応した。
「……! 分かるの?」
「え? ま、まぁね? 多分そうだろうなぁって思ったの」
挙動不審に瑠華はそう言った。幽也は瑠華の事をエスパーかもしれないと内心持ち上げながら話を続けた。
「実はさ、滅茶苦茶にキレられて。しかも何が悪かったのか結局言わなくてさ、ねぇこれ、どうすれば良いと思う?」
結局幽也には、それがわからなかった。
実際自分の悪いところを上げればたしかにキリがないが、そんなことで宗一が憎悪するとは幽也は思っていないのだ。
だから藁にもすがる思いで、霧川家の事情をほとんど知らないはずの瑠華に聞いているのだ。
「どうしてか、は私にはわからないけどさ。幽也は怒って良いと思うよ」
「怒る……?」
「うん。幽也、その、お兄さんに対して怒った事ある?」
「そりゃあ、何度もあるけど……」
「喧嘩したの?」
「それは……ないけど」
幽也の記憶の中でも、あまり兄弟間での衝突は無かったように思える。
「それは、凄いね」
瑠華は馬鹿にするでもなく感心したように呟いた。それから。
「幽也は、お兄さんにその、怒りをぶつけたことがあんまり無いんだよ。多分、それをやれば良いんじゃないかな?」
「怒りを、ぶつける」
幽也は言われたことを反芻した。しかし、怒りをぶつけるという事は、幽也にはあんまり想像が出来なかった。
瑠華は言い聞かせるように静かな声音で続ける。
「そう。よく漫画とかであるよね。太陽に向かって全力疾走とか、河川敷で殴り合うとか。青春て感じの」
それは青春なの? と幽也は訝しんだが、主題はそこではない。
要するに本音をぶつけてみろ、という話だ。それが瑠華の話の本体。
確かにそんなことは、してこなかったかもしれない。
深く考え込む幽也に、瑠華はパッと真面目な空気に慌て誤魔化すように手を振りながら笑う。
「変な話しちゃった、ごめんね。あ、時間……」
「そっか」
瑠華は腕時計を見て言った。
幽也には何時だかわからなかったけれど、それを見て少し焦りだした瑠華の様子を見て、幽也はそろそろ話を切り上げるべきだと思った。
瑠華に背を向けて歩き始めた。結局、瑠華が何のつもりで追い駆けてきたのかが全く幽也にはわからなかった。
分からなかったけれど、少し気が楽になったような気がする。幽也は頬が綻ぶのを感じた。
「ゆうやっ!!」
背を向けて歩きだした幽也に、瑠華は叫んだ。いきなりだったので、幽也は肩を跳ねさせて驚いた。
「ええと、何かあったのかもしれないけど、明日はちゃんとサボんないで学校来てねっ!! じゃ、また明日ね!!」
言いたいことだけ言い切った様子の瑠華が手を振った。
最後に驚かされはしたが、彼女のお陰で幽也は全部逃げないで向き合ってやろうと言う気概は得られたのだ。
幽也は手を振っていた瑠華にいくらか遅れて手を振り返し、また歩き出した。
「また明日、か」
〈杖〉の魔術師と結んだ手を思い出すように強く握り締める。
今日の夜を越え、まだ見ぬ明日の朝日を見るために。幽也は強く強く、握り締めた。
夕陽がその姿を、明るく照らす。
憂鬱だった幽也は瑠華と会ったことで気合いは充分に入った。仕組まれた決戦の時間まで、残された時間はあと僅かだ。
だが、幽也の気の迷いは見上げた空のように快晴だった。
きっと、なんとかなるだろう。
…………多分
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