1-21「竦む足」


 ────レアティファクト。


(一つ一つに名前が付いていて、それに対応した能力を使える石……のはず。ちゃんと分かってないし〈杖〉の魔術師さんに説明してもらえば良かったかもしれないけどさ)


 幽也は透明な赤い石〈気絶〉片手に、少し悔やんだが概ね間違ってはいない筈だ。


 幽也は公園で堂々と威嚇のポーズをしていたカマキリの前でしゃがみこむ。幽也の目にはその小さい体を大きく見せようと万歳している姿はどこか可愛らしいものに映った。


 今はそんな事はどうでもいい。


 幽也は綺麗な赤い〈気絶〉のレアティファクトを握りしめる。レアティファクトの力を一度試してみたかった幽也は、足元のカマキリを効果の対象に定めた。


 念じてみた。


「遠くじゃ……意味ないのか」


 しかしカマキリには効果が無かった。


 じゃあこれはどうだ、と幽也が手に持った赤い小石を近付ける。


 カマキリは威嚇するようにぶんぶんとその両手を振り下ろそうとしてきた。当たっても痛くないだろうが、ちょっと怖かった。


 約一分ほどの睨み合いの末、遂にレアティファクトを使うことを成功した。


 どうやら気絶させることを強く意識しながら触れさせることが発動の条件のようだ。


 接触とほぼ同時にカマキリは倒れて、同時に幽也は軽い目眩がした。


 地面に手を着き、一息。


 渡されたレアティファクトの名前通り、気絶したのだ。〈杖〉の魔術師が護身用にと渡してきた理由が幽也にはよく分かる。


 この即効性ならばピッタリだろう。


 問題はこれが小さな石であること。条件が石との接触のようなので、遠くに居る相手を気絶させる事をはほぼ不可能だろう。


 何かの先に括り付けるのも悪くはないだろうが、幽也はレアティファクトを括り付ける何かを思い付けなかった。


 大体、そこそこ長い棒に括り付けるなら、携帯していることがバレてしまう。バレる位なら細工せずにポケットにでも隠し持っている方が良いだろうと幽也は〈気絶〉を仕舞い込んだ。


 使ったとき幽也も触れていたせいだろうか、少しだけ目眩がした。


〈気絶〉の効果は接触している相手に及ぶのだろうか。しかし、幽也は気絶まではしていないのだ。


 もしかしたら、ちゃんと効果が分かってしまっていると効果は薄いのかもしれない。


 それはつまり少しでも警戒されれば不発に終わってしまう事を示唆している。


 そもそも気絶させてしまうと交渉も何もない。万夜は〈気絶〉をヤゴロシが居合わせたときなどの想定外への出来事に対しての保険のつもりで渡していた。


 完全に護身用である。


「あーそろそろ……下校時間だなぁ……」


 時計をみれば四時を過ぎていた。


 本来、高校に行っていたら、このぐらいに帰っていたのだろうという頃合いであり、ここからは同級生と出会う可能性が高くなる時間である。


 仮病を理由に学校を休み街を彷徨っている幽也にとって、同級生と出会うことは余り良い事とは思えなかった。


 出会ってしまうことを考えると気分が重い。出歩くとその危険は高まってしまうだろうが、しかし熱に浮かされたように幽也は歩き回ることをやめなかった。


 道沿いに建つパン屋から、芳ばしいパン匂いがする。中には同世代くらいの女の子が店番をしていた。とても胸が大きかった。


 少し暗い雰囲気に幽也は目を奪われたが、店番の女性と目が合う前に幽也は足早に店の前から移動した。


 学校──それに意識が向いたことでむくりと起き上がった罪悪感と共に、歩く。


「……不思議だよなぁ」


 神装も悪魔も、魔術も。不思議なものが現実に在る。幽也は男子高校生だ。


 自分がこんな酷い状況に叩き込まれている最中でなければ、現実とは思えないファンタジーな出来事。楽しんでいたに違いない。


 幽也は頭を振る。現実は、生死の境なのだ。とても楽しむなんて余裕はない。


 今考えるべきはどう説得すれば宗一と悪魔の契約を破棄させられるか。その一点だけだろう。気が重い。


 しかし高校生が昼間出歩いていれば怪しまれると幽也は思っていたのだが、幽也が思っていたほど怪しまれることも注目されることもなかった。


 人通りがそんなに多くなかったからだろうか、と幽也は目線を下にしてそんなことを考えつつ重い足取りで歩いていた。


 なんか見覚えがある地面だと、思った。


「あ」


 顔を上げた幽也は間の抜けた声を漏らした。幽也の視界一杯に広がる校舎が視界を埋め尽くしていたからである。


 自宅から遠くないところを歩いているのだから、高校の近くを寄ってしまっても不思議ではない。


 しかし、そもそも幽也はここに来るつもりは無かった。見つかりたくないのだから当然の話である。


 幸いまだ下校する生徒は居ない。


 ……見られたら何を言われるかわからない。幽也はその場を後にしようとした。


「れ」


 ──足が動かなかった。


 どうしたんだろう。幽也は見上げたまま考え込んだ。おっかしいなぁ。早く離れないといけないのはよく分かってるつもりなのだけど。


「なんで、はやく、いかなきゃ」


 ぎこちない言葉を発する口と反して、思考はよく回った。すぐに理由に辿り着く。


 もしかしたら、もう、今見ている風景を見ることは叶わないかもしれない。死んだら、消えたら二度と高校にも行くことは出来ない。


 失敗したら、二度と見れないのだ。交渉をし始めれば失敗するかもしれない。交渉に行かなければ、交渉は失敗はしない。


(──わかってる。そもそも、交渉に行かなきゃ消滅は避けられない事くらい、わかってるけど)


 動かなければやらないで済むんじゃないか、というどろどろとした甘い考えが、幽也を捕らえる。


 怖い、やりたくないと、心が叫びを上げる。


 惰弱な思いに縛られて動けなくなっていた。


 幽也はそんな弱さが嫌だと思いつつも、すぐにははねのけられなかった。


 いつしか高校の校舎からざわざわと話し声が聞こえてくる。


 ぐだぐだと思い悩み、端から見れば幽也は我を忘れたかのように目前の校舎を眺めていた幽也は段々と騒がしくなってきたような気がして我に返った。


 ついに放課後がやってきたのだろう。


 もうすぐに下校する生徒が学校の外に姿を表すだろう。感慨に耽るのをやめ、幽也は最後に一頻り校舎を見る。


 最後になるかもしれないが、ちゃんと交渉を成功させれば問題ないのだ。


 けれど、流石の幽也も絶対に成功するなんて楽観できるほどに楽天的な頭はしていない。


(あれ……?)


 幽也の意識に引っ掛かる。窓から身を乗り出すように顔を出している女子生徒がいたのだ。


「……もしかして、こっち見てる……?」


 見詰め返す度胸は幽也には無かった。視界に映った瞬間、幽也は目を顔を逸らしたのだ。


 目が合ってしまった。それがとても気まずくて、幽也は未練を感じながら高校に背を向けた。


 ──しかし幽也は見ていなかった。


 幽也が逃げるように走り出した様を見て慌ててその背中を追うべくして駆け出した女子生徒の姿を。



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