1-6「少女との邂逅」
幽也は目覚めると、自分の家のベッドに寝転がされていた。
「……あれ?」
部屋の中は真っ暗だ。さっきまで夕方だったはず。どういうことだ、と首を傾げる幽也。
そもそも幽也には自宅に帰った記憶はなかった。戸惑っているうちに思い出し始めていたが、思い出したのは、悪魔を名乗る黒猫に頭を掴まれたところまで。
そこで意識を失ったのだろう。なら、幽也はあのあと間違いなく殺されるだろうと、そこまで考えて疑問符を浮かべた。
しかし幽也は生きている。
死んでないなら、あの痛さも恐怖もどうやらまた夢だったらしい。なら帰ってきているのも不思議ではないかもしれないと幽也は自分に言い聞かせた。
夢だったのだ。あの悪夢みたいな出来事は、夢だったのだ。その事実が幽也にもたらしたのは安堵。重苦しい緊張から解き放たれた幽也は、息を漏らした。
「なんだ夢か……」
「──夢じゃない」
にょい、と幽也の目の前に女の子の顔が飛び出してきた。
幼さを感じるような可愛らしい顔立ちの少女だった。しかし、彼女の何の感情も浮かんでいない完全な無表情のせいで、与える印象が異なっていた。
「うわぁ!!?」
幽也は叫んだ。
突如目の前に現れたことに加えて、さらりと垂れる彼女の綺麗な銀髪が幽也の顔に触れるほどの近さに居ることに驚いたのだ。髪が当たってぞわっとした。
少女は間近で大きな声を浴びせられて肩を跳ねさせて驚いた。無表情もこのときばかりはほんの少ししかめられた。
それでようやく相手が人なんだと幽也は認識した。ぼんやりした意識だったし、相手には伝わっていないけれど、かなり酷い話である。
「勝手に上がらせて貰った。鍵はお前が持ってた奴使ったら開いた。気絶したお前をあの場に放置できなかったから」
「え、え?」
「あと。日が沈んだ、ご飯どうする」
動揺する幽也に反して、目前の女の子は平然冷静に言葉を重ねる。その言葉の数々は、幽也は聞いた側から滑り落ちて意識から抜けていく。
お蔭で幽也は少女の言葉を理解するまでに数秒かかった。
幽也の様子に構わず、服のポケットからカロリーメイトの銀袋を取り出した女の子に戸惑って、訳がわからなくなった幽也は取り敢えず体を起こした。
何が何だか分からない。
幽也はまじまじと銀髪少女を見た。赤ジャージと赤のハーフパンツ。学校指定っぽいジャージではあるものの学校名の刺繍がない。
じゃあ多分、制服ではないだろう。彼女の着ている赤ジャージが私服なのだとしたら見た目が中学生くらいの子がする服装では無いような気が幽也にはしたが。
似合わない訳ではないが、このジャージみたいな機能性重視!! みたいな服装は女の子であればあまり好まないだろう──と幽也はそこまで考えて頭を振る。
(今はそういうことを考えている場合じゃないよね)
そう幽也は自分に言い聞かせて、質問した。
「いや、あの夢じゃないってどういう──ふごっ!?」
幽也が起き上がったのを見て、銀髪少女がもそもそ食べていたカロリーメイトとは別のカロリーメイトを幽也の口に突っ込んだ。
そのまま押し込んで、その勢いで寝かそうとしてきた。
「お前は暫く寝てろ。でなきゃ消えるぞ」
「むぐ……。っ!? 消えっ!? それってどういう意味……?」
「文字通りの意味。消える。だから、寝てろ」
取り出した杖で幽也の額にゴツゴツと執拗に小突く。痛っ、痛いって、そこまでしなくても安静にしてるから。
寝そべる体勢になってからも数回小突かれた。
彼女はどうやら相当幽也に寝ていて欲しいらしい。流石にここまで小突かれては起き上がろうという気は幽也には起こせない。
「説明になってないよ、何で消えなきゃならないのさ」
「お前は一度死んだ。そしてお前の中にあったレアティファクトを奪われたからだ」
「レアティ……何だって?」
幽也は聞き慣れない単語を聞き思わず聞き返す。銀髪少女は特に不快に思うことなくもう一度言った。
「レアティファクト。使うとすごいちからが扱えるようになる宝石。それをお前は奪われた」
「奪われた……いつ? そもそも宝石? そんなものは持ってなかったよ!? というか死んだっていうなら何で生きてるの!!?」
「持ってることを自覚することは普通の人は出来ない。レアティファクトを奪われた人は暫く不死身になって生き永らえる。そしていつか消滅するの。それは、今じゃないのは確か。でも無理をすればさらに早まる」
「っ!? そ、そもそも、そもそもそんなものがあるなんて証明は……!!」
幽也は、そんなものがある事を事実とは認めたくなかった。
真実なら。少女が語ったことが真実であれば、これから消えることも、何たらいう宝石のことも、殺されたことも、全てが真実になってしまう。
しかし、そんな恐れを幽也が抱いているのを構わず少女は証明を行う。
「この杖。消したり出したりできる。種はない。仕掛けもない。これが証明」
少女の握った杖を光の粒に拡散させ、それから収縮させて杖を形取らせた。
相変わらず感情の見えづらい顔をしている彼女だが、心なしか幽也には自慢げな表情をしているように見えた。
「……もし、レアティなんたらっていうのがあるとして」
「 レ ア ティ ファ ク ト 」
真顔で少女はハッキリと訂正する。怒りが滲んでいた。幽也は目をそらしつつ話を続ける。
「……あるとして、それを俺が持ってる訳ないと思うんだけど」
「言われなければ一生自覚しない人もいる。それに今は無い。奪われたって言った筈」
「奪われた? いつ?」
幽也は二度目となる質問を少女にぶつけた。彼女はただ無表情のままに首を横に振る。
「そんなの私は知らない。でも最近であることは間違いない。レアティファクトを奪われた人間は数日程度しか生き延びれない。生きてるなら最近奪われたはず」
「なんだよそれ……消えるって。本当に?」
銀髪少女は首肯した。
信じるなら俺の余命はあと僅かなんだな、と幽也は他人事のように感じていた。
しかし諦めが浮かぶ幽也に、彼女はなに諦めてるの? と言わんばかりの態度を見せた。
「方法は一つ。奪い返す」
「奪い返す? 誰から?」
幽也は、この期に及んでまだ夢だと思っていた──否、思いたがっていた。
夢でなければあの猫の姿の悪魔の言う事を否定できなくなってしまう。
しかし、少女は酷く平坦な声で幽也に答えを告げた。
「あのヤゴロシとかいう悪魔」
「………………っ」
幽也が思い出したのは目を潰されたときに兄と誰かがしていた会話だ。
──良いのか? 契約を始動させるが。反故にすれば。
思えば、あれは黒い人型の猫の悪魔との会話だったのだろう。幽也は目を潰されて目視することも叶わなかったが。
──分かってる。契約破るわけないだろ、そいつのレアティファクト? っつーのを取り出す代わりに、ってやつだろ。
────殺っちまって良いぜ?
あぁ、そうだった。そうだった。幽也の唯一の兄は。
あの男は。
──はーぁ。やっと、死んでくれたわ
そんな事を、言っていた。やっと、と。幽也の死を長い間望んでいたかのように、幽也の無様な姿を嘲笑うように。
幽也の死に、心底安堵するように。
そうだ。そうだったのだ。あれはまるで現実みたいな悪夢ではなく、悪夢のような現実の話だったのだ。
あの兄が幽也のの死を望んでいたという信じられない事実に足元が崩れ落ちるかのような幽也は絶望を覚えた。
二つ上の兄。昔からあまり喧嘩もなく、仲良かったと思っていた兄。小さい頃よく迷子になった幽也を探し出してくれた兄。運動も勉強も出来て、兄弟でゲームをやれば必ず勝てない。
幽也から見て人の出来ていた兄が──。
「…………ぅ……」
「?」
首をかしげる銀髪少女。
幽也が平常心であれば、可愛らしいとでも感じたかもしれない。
だが、この時は平然としている少女にただただ幽也は感情を逆撫でされた。
怒りを露にし、幽也は彼女の肩を掴んで叫んだ。
「……う……そだ。嘘だ……嘘……だろ?」
「残念ながら」
目を伏せて、少女は否定した。だが、幽也は信じない。
「嘘だろっ!? 嘘だって!! 兄貴が俺を殺す!? そんな訳ないじゃん!! なんで殺されなきゃならないんだ!!? なんかの冗談だ!! そうなんだろ!!? そうだって!! 言ってよ!! ねぇ!!」
信じられない。あの兄が。あの優しい兄が。なんでだよ。
信じたくない。喧嘩の一つもなかったんだぞ。色んなことが出来る。
そんな兄が。何で。
「…………うるさい」
銀髪少女は目を伏せて、呟いた。
突っぱねるかのように語調は強かで、けれど優しく両肩を掴んだ幽也の手を外側へと押した。
彼女は、出来るなら否定したかった。けれど、きっとそれは事実で、それを否定することは彼女にはできなかった。
幽也は、信じたくなかった。兄が自分を殺そうと考えたこと、そして実行に移し殺したこと。
でも、と彼女は言った。
「でも。真実だから」
幽也の目の前の少女は、真摯に幽也の目を見て僅かに震えた声で言った。
嘘なんて言ってない、彼女の目はその事を裏付けるように真っ直ぐ幽也の目を見ていた。
幽也は、そんな目を見て、急にみっともなく叫び散らした事が申し訳なくなった。
彼女をつかんでいた手を離すと、そのまま脱力したように倒れ込んだ。目を合わせないように視線を逸らしながら、後ろへと。
「……ごめん。…………………ちょっと………動揺した」
目を会わせられないように左腕で目元を隠しながら、幽也はそう呟いた。
「別に平気だよ」
声色が今までの色とは違った気がして、ちらと幽也が顔を隠した自分の腕の下から少女を見た。
しかしと言うべきか、やはりと言うべきか彼女は無表情のままだった。
暫く二人とも無言になる。ただ、それは長く続かなかった。
あまりのんびりしていられない状況である。その事を理解していた少女は、口を開く。
「悪魔の話。あいつらは科学的根拠に寄らない魔法みたいな事をする。それが魔術。さっき接敵したとき、あの悪魔は一切使わなかったけど」
「……へえ」
少し落ち着いた様子の幽也に、少女は安堵する。
「魔術師というのは、悪魔の使う魔術を模倣して使う。悪魔は自由に魔術を生み出し、その性能を余すことなく発揮させることが出来る。魔術師は使うことはできても魔術をゼロから生み出すことが出来ない。その原理、理屈が分からないから」
「……? そうなのか?」
「そう。だから即興で魔術を組める悪魔に、人間は一対一では何かの間違いでも起きない限り勝てない。死ぬ。Death」
「それは、不味くない?」
この場にいる魔術師は、〈杖〉ただ一人。そして、彼女の味方には彼女に以上の実力の魔術師は居ない。そして魔術師の救援は、事情があって無い。
本当はかなりギリギリの状況である。
しかし、ここで彼女は救援が無い事を誤魔化した。
「滅魔機関と言うのがある。私は滅魔機関〈ヤシロ〉に所属した魔術師。対悪魔機関。つまり私は対悪魔のプロ。スペシャリスト。だから問題はない。悪魔を倒すなんて楽勝。無問題。安心してほしい」
そのマシンガンのような発言に幽也は首を傾げたがそもそも会ってから少ししかしていないのでその違和感をスルーしていた。
「そうなの? それは心強いよ」
「大船に乗ったつもりで居て良い」
この女の子、どことなく調子に乗ってる気がしないでもない。
幽也は思ったが、口に出さない。だが顔には出ていたので相手には伝わってしまっている。
「私の〈杖〉に人間だから不利だとかはあんまり関係ないから」
〈杖〉魔術師は滅魔機関〈ヤシロ〉に所属する魔術師だ。
滅魔機関。悪魔を殺す──滅する為に集団という形を取り、機関と名乗った集まり。それに所属する〈杖〉の魔術師。彼女の仕事は悪魔を殺す事。
「私なら悪魔を殺せる」
自信満々に、〈杖〉の魔術師が言った。
その言葉に嘘はない。彼女は既に何十もの悪魔をこの世から消し去ってきた魔術師である。
だから悪魔を倒す方法を彼女は幾つも知っている。決して事実無根の自信などではない。
「悪魔は別に完璧じゃない。悪魔は知名度に応じ強くなる特性がある。ヤゴロシと名乗った悪魔。私はそんなのは知らない。だから雑魚悪魔」
「それは、結構な自信だね」
幽也は〈杖〉の魔術師に強い違和感を感じた。何となく、まあ、というか勘なのだが。
「例外がレアティファクトの取り込みによる格上げ。でも私ならそれでも勝てる。大船」
「…………大船って」
略すかそれ。幽也は苦笑した。
〈杖〉の魔術師は苦笑いする幽也を見て僅かに口角を上げる。そして部屋の外へ向かおうと振り返る。
そこで、幽也は彼女の背中が黒く煤けているのを見た。
目の錯覚だろうか?
さっきまではそんなもの見えなかったというのに。目を擦ってもう一度幽也は見たが、そのときにはもう〈杖〉の魔術師は部屋から出ていった後だった。
〈杖〉の魔術師は嘘を吐いた。本当は悪魔を真っ当に人間が一人で倒すことは殆ど不可能なのだ。
──霊体化。人間の生きる世界からズレた世界に移動する悪魔の魔術。連発はできないが、これを使われると生きている人間が悪魔に干渉することはできなくなる。もしも追い詰められたとしてもこれをされてしまえば手詰まり。負け。
霊体化自体にほぼ悪魔からの敗北宣言のような意味は含まれているけれど、今回はそんなものは関係ない。されたら幽也の命はないだろうから。
だが、霊体化は〈杖〉の魔術師も対策がある。封じる手はある。これについては心配は無用だ。
簡単に倒す方法はあるのだ。今回、〈杖〉の魔術師にそれを実行する気がないから、難易度が高いのだが。
簡単に悪魔を妥当する方法とは──契約者の殺害をする事、である。
悪魔は知名度に応じて強くなると、〈杖〉の魔術師は言った。しかし、そもそも悪魔は何故契約をするのか。道楽ではない。
──差し迫った理由が存在する。
それが存在の補強。
悪魔は知られることで存在の補強が行われ、その結果強くなる。レアティファクトを取り込むことで一層強くなるのもこの理屈に通じるものがあるのである。
契約者の存在をそのまま流用することで、契約の大きさに応じて契約者のダメージが悪魔に行くのだ。
契約の程度がいくら軽かろうとも、契約者の命を奪われれば悪魔は損害を免れられない。
だが、〈杖〉の魔術師はそれをしないと決めていた。
そもそもそんな手段があると知られないように気を逸らすつもりで、彼女は勝てる勝てると口に出したまである。
何故、そんな事をしたのか。
「……私が悪魔を倒す。君は生き返ってお兄さんと仲直りをする。これで完璧」
つまり、二人が仲直りする事が出来る状態を維持するためだ。
仲直りが出来ること、それが思い込みでも、本当は不可能でも、独りよがりな行動かもしれなくても、そうしたいと彼女は思った。
本当に死んでしまったら、きっと、そんなことも出来ないから。
一度目の死から守ることはできなかったけれど。少女はせめてそれくらいはしたかった。
「やってやる」
外に出た〈杖〉の魔術師はひとり、空を見上げて呟いた。
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