1-7「悪魔と契約者と名前の話」
「帰ったぞ、契約者」
悪魔ヤゴロシは羽織っていたコートと帽子を乱雑に投げ捨てて、部屋に置かれた新品のようなソファーに体を投げ出して、足を組んだ。
姿は黒猫だがヤゴロシの所作はまるで人間そのものである。
まるで仕事帰りのサラリーマンのような疲れの見える動きに、宗一は若干ムカつきつつ白い目を向ける。
しかし、その目を受けてもヤゴロシは一切意に介さない様子で、一度大きく伸びてから存分にだらけ始めた。
「出掛けてたんだろ、成果は?」
部屋の反対に置かれたソファーベッドで横になっていた宗一がヤゴロシの欠伸を見て、それにつられて欠伸をした。
「君の弟を観察をしていたら滅魔機関の魔術師が出現した。そのせいで、ちと、厄介な事になりそうだ」
くぁぁ、と。二度目の欠伸を噛み殺し、ヤゴロシは口許を笑みを浮かべ言った。
なんで失敗したのに楽しそうにしてやがると宗一はヤゴロシの様子を更に苛立たしく思い、舌打ちをする。
「それとだ。契約者の弟君だが、アレは……もう一つあるのが今日観察していてわかった。これはほぼ正確な話だね。見間違えはしない」
「へぇ? ンじゃ、契約の代償の回収はまだ済んでないってことかよ?」
「その通り。もう一つを頂いてようやく契約は成る。と言いたいが、既にそこまで貰わずとも履行しても構いはしないな。契約者は何を望んだのだったかな」
「…………金だ」
返事には少しの時間があった。
ヤゴロシは宗一の様子を愉快と思ってくつくつと笑いながらヤゴロシは大袈裟に頷いて見せる。
「おお、そうだった。契約者は金を要求したのだったな」
ヤゴロシは大仰に手を振って足を組み替えた。動きも相まってまるで白々しい演技だった。
──お前の願いはほんとうにそうなのかなぁ?
ヤゴロシは笑顔で宗一に言ったが、一連の白々しい所作の真意はそんなところだろう。ヤゴロシが言外に含んだその嘲るような真意に、宗一は気付いていた。
苛つく。再びの舌打ち。
「っるせぇな。契約は絶対なら、ンなこと聞かなくても分かるだろうが」
「さてね」
ヤゴロシは笑顔を消さず、絶やさず宗一を見た。それが宗一の気に障る。
何もしなければずっとその顔をやめないだろう事を宗一は分かっている。だから、苛立ちを隠さずに話題を振る。
「そもそも魔術師に俺が殺されたら終わりなんだぜ? そこんとこどうなンだよ」
既に宗一はヤゴロシから幾つかの説明を受けている。
障害に成るのは滅魔機関の魔術師だ、とか。
レアティファクトの持ち主が死なない限り持ち主から悪魔が大して離れられないこと、だとか。
契約者が危害を加えられると悪魔も危険に晒される、とか。
「平気だ。あの小娘は、《ヤシロ》の所属の『杖』と名乗った。真に〈ヤシロ〉の〈杖〉であれば、契約者が危害を加えられることは有るまいよ」
意味深な言葉に宗一は眉をつり上げてヤゴロシを睨む。
契約者を狙うことは人間が悪魔に勝つために行うことの出来る数少ない妙手である。悪魔を相手にするよりも人間相手の方が明らかに楽である。
それをしてこない理由は無い。
だと言うのにヤゴロシは自信満々に、それはない、と言い切っていた。
それだけの根拠があると言うのであれば、その根拠は何だと言うのだろうか。宗一は知りたかった。
「何でだ?」
「あの小娘は俺の耳に情報が届くほど優秀だ」
頭上の猫耳を指差すヤゴロシのおどけた仕草に、宗一は半眼でヤゴロシを睨み付けた。
因みに猫は人間の聴力の十倍を有していると言われるため、その情報収拾の雑さを表現するにはそもそも比較対照の耳が良過ぎる。
「そうかよ」
それだけで宗一はヤゴロシに呆れて、雑に返す。
ヤゴロシの威厳の無い姿を見せつけられて、コイツはぞんざいに扱っても平気だろ、と宗一は思った。
この時既に彼には悪魔に対する敬意も畏れも何もない。そもそも今は身内なのだから恐れる必要がないのだ。
そして宗一が雑な扱いで良いかと考えた事には特別ヤゴロシは何も言うことはないし、不快とは思っていなかった。
そもそも。宗一がどう反応しようがヤゴロシはやりたいようにやる。だから、どう思われていようがヤゴロシはあまり気に留めないのである。
「だからあの小娘の事情は頭に入っているんだよ」
「耳に届いただけじゃ頭になンか入らんだろ」
「言葉のあやだ」
そうかよ。宗一は態度に反して耳を傾けながら吐き捨てる。
ヤゴロシはちゃんと調べている、そういう話だということはちゃんと分かった上で意地悪い話し方を宗一もしていた。
そして、ヤゴロシは相手の情報を整然と話し始める
「
宗一は真顔だった。素で引いた。ドン引きだった。話の途中だが、耐えられなかった。
仕方ない。マシンガンのような話し方を突然し始めた黒猫の悪魔だ、宗一でなくとも静止するのを耐えるのは難しいだろう。
「……素で引くな。たかがデータを読み上げただけだぞ」
「それがキモいって言ってンだ。つか何? 敵は十四歳なのか。年下?」
「さてな。戸籍上十四歳とは書いてあるがこれが本当かどうかは不明だ。そもそも捏造されたものである可能性も高い。まあ、見たところ気にするほどまでに歪ってわけじゃないけどな」
「ふーん? ンで。それでどうして俺を攻撃しない? 基本の動きなんだろ?」
「あの女は家族に弱い」
その言葉に、宗一はピンと来た。
何せ、状況が状況だ。今丁度宗一が思い付いたこと以外にヤゴロシの発言の意味はないだろう。
「へぇ? そういや両親が死んでるって言ったな」
正直先ほどの万夜の説明をするヤゴロシの話はあまり頭に入らなかったが、宗一はその事はなんとか意識に引っ掛けていた。
だから即座にその発想に辿り着けた。宗一は己の平均よりも幾分か高い聴く力に感謝した。ヤゴロシが講釈垂れるのを聞くのはもう十分だ。
「まさにそれだ。どうも彼女は家族という繋がり、縁や絆というものをとりわけ尊重する。契約者の弟に肩入れする以上、契約者を殺害するような搦め手は使わないだろうね」
「じゃあ、安心して構えていればいい訳だ」
ヤゴロシは満足気に頷く。
ヤゴロシとしては、この話をしたことは失敗だとすぐさま悟った。だが、何とか気付かれなかった事に笑みを深くする。
ヤゴロシは当の魔術師とは会ったと言ったが、魔術師に幽也と宗一が兄弟であることを知られていることを前提で話してしまった。
その事にこの時の宗一はまだ気付かなかった。
「その通り。だが、一つだけ問題があるとすれば、彼女ではなく」
「幽也だろ? ……分かってるぜ? 平気だ、喧嘩なら俺の方が流石に強い」
「万が一霧川幽也が向かってきた場合自身のレアティファクトを喪失している以上、彼には死というものは緩慢に訪れる刻限でしかない。……殴り合いでは分は無いな」
「あー。そうか。そう言われりゃそうだった。じゃあどうすればいいんだよ?」
宗一は素直にヤゴロシの言葉に納得して聞いた。その問いにヤゴロシが提供できる答えはそう多くなかった。
「屋内に居ろ。我が名は
つまるところ、〈屋内では強い〉と言うことである。宗一はそう理解した。ヤゴロシのいう言葉の一つの面として確かに存在する属性である。
「じゃ、
「その通り。まぁ、連想ゲームみたいなものだが、その名前のお陰で破壊を引き起こす魔術の幾つかの性能が上がったりもするわけだな。名前というのはこの世界ではかなり重要なんだってことが分かるハズだ」
「じゃあよォ、なンか何でも出来るーみてェな名前にすりゃあいいンじゃねェか?」
その言葉に渋い反応をするヤゴロシに、先の発言の不味いところに直ぐ様気付いた宗一は、ヤゴロシの発言に先んじて呟いた。
「あァ、嘘はいけないのか。それか全部出来ると言うことが例え嘘じゃなくても意味が薄れるンか」
言われずに気付く宗一に、それなりに頭の回転が早いのだな、とヤゴロシは思った。
そうして少しだけヤゴロシは宗一に対する意識を改めた。
「まさしく。欲を張りすぎれば破滅する。何でも出来ると言うことは言ってしまえば得意なものがないとも取れる。しかも、何か出来ないことを自覚した地点で効果が薄れてしまう。そんなものに意味を見出だす奴は、馬鹿か頭がイカれているかのどちらかだ」
宗一はその言葉に、やっぱり都合よくはいかないか、と肩を落とした。
「なるほど。結構複雑だなこの世界」
「まぁ、確かにそうだな。 穴だらけの規則、裏口だらけの解釈。大まかなルールはあるが、確かな答えを導く式もないからな」
宗一は大まかなルールを理解したような気がして、納得したように頷いた。
ヤゴロシは、脱線したなと咳払いする。それからこの部屋の入り口に目を向ける。
「とにかく、俺たちに取れる手段は隠れ、潜むこと。まぁ──」
ヤゴロシは、言葉の途中に部屋に悠々と突入してきた闖入者を注視する。
少女だった。
平均よりもかなり低い背丈、細身に見合わぬ大きな杖。動きやすさを重視したのか、戦闘には邪魔であろう長い銀髪を一括りに纏め上げていた。
服装はこれまた戦闘には邪魔にならないようにという意図だろうか、赤の長袖のジャージに、赤のハーフパンツだ。
そして小さめなバックパックを背負っていて、その中身は解らないが何らかの準備をしていたのは察することが出来る。
「──来てしまったみたいだがな」
身の丈ほどある大きな杖を、ヤゴロシに向けた〈杖〉の魔術師、狭山万夜。
ゆっくりと立ち上がったヤゴロシに彼女は平坦な声で告げる。
「どうも、悪魔。宣言通り殺しに来た」
「なぁヤゴロシ。これがお前の言っていた狭山万夜っていう対魔機関の奴か……?」
宗一が神妙な顔でヤゴロシに聞く。
小柄で可憐な少女といった風な万夜を、宗一はとても強い奴とは思えなかった。
それに加えてなにかが引っ掛かると思いつつも宗一は万夜の様子をソファーベッドの影に隠れて眺めていた。
しかし、よくよく見たら服装は可憐とは呼べなかった。
(何に引っ掛かったか少し時間をかければ分かりそうだな……見覚えがある、のか……?)
宗一は身を隠しながらその疑問に首を捻った。
その間にも万夜は殺気のようなものを放ち、二人を威圧している。
多少荒事に馴れている宗一はあまりその事を気にしていなかったが幽也ぐらいなら卒倒させられるほどに強い威圧感だった。
「対魔じゃない。滅魔」
「まぁどっちでもいいけどな」
食って掛かるように即座に訂正した万夜に、冷めた様子で呟くヤゴロシ。
悪魔にとって忌々しい機関の名前などどうでもいい。それは宗一にとっても同じことだ。
名前はどうでもいい、重要なのは敵か味方か。それだけであり、結局のところ悪魔とその契約者の二人とはこの魔術師は敵対関係だった。
「宗一。忠告は覚えているな?」
「当たり前だ。誰が意味もなく死ににいくかよ」
「ならいい」
ヤゴロシはじゃらりと爪を鳴らして手を構える。すると爪が伸びる。魔法ではなく、単純な体の構造。爪は隠していただけである。普段から伸ばしていたら物を持つときに真っ二つにしてしまうだろう。
「何をごちゃごちゃ。来ないなら私から行く」
「おっとお嬢さん、言ってる側から動いてるじゃないの」
「待つと思っていたのか、悪魔。〈
円陣が中に描かれ、その円陣から一直線に空間が歪むかのような振動が放たれてヤゴロシを壁に吹き飛ばす。
「のわ──ッ」
──振動が壁に円形の穴を開ける。
「ヤゴロシ!!」
宗一は叫んだ。
万夜は、その様子を一瞥しただけで単独の宗一を狙うことなく、ヤゴロシの追撃のために走り出した。
……狙われなかった。その事実に宗一はほくそ笑む。
「マジで言った通りだな。流石、猫耳は伊達じゃねェな」
外からは別世界のようだと思いたいほどに大きな戦闘の音だけが響いてくる。
「しゃあねェ、外に出るか」
改めて得られた力の大きさを実感しながら宗一は誰も他人が居なくなった壁に穴の空いた部屋でその穴の先を眺めながら、愉しげに呟いた。
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