1-11「掛かってきた電話」
「戻ってこない……」
幽也はのほほんと布団で寝ていた。
30分だ。〈杖〉の魔術師を名乗る銀髪少女が部屋を出ていってから既に30分は経過していた。
〈杖〉の魔術師と初対面で少し会話しただけの幽也でも、待ちすぎだなー、流石におかしいなー、と思い始めている。
幽也は迷っていた。視線をさまよわせ、うんうんと唸りながら、誰に話しかけるわけでもなく呟く。
「忘れ物かなぁ」
部屋の机にぽつねんと、置かれたスマートフォン。
「忘れ物、だよねぇ」
カバーやら装飾の類いが無い真っ黒で味気ないデザインのスマートフォンだ。万夜が置いていったものだろうが、幽也はそれを眺めて唸るように何度も似たような呟きを漏らしていた。
万夜のスマートフォンの扱いをどうするか。幽也は決めあぐねていた。
こういう時ってどうすればいいんだっけ。下手に弄らない方がいいよなぁ。などなど思考が廻るが、結論は出ない。
このスマートフォン。実は万夜は忘れたのではなくあえて置いていったのだが、その事を幽也が知る由はない。
──ピロリロピロリロ♪
スマートフォンから音が鳴る。どこかで聞いたことのある着信音だ。
それは、幽也のスマートフォンと同じ初期着信音だった。だが、音源は幽也のスマートフォンではないようだ。
(じゃあ、この音はどこから聞こえて……?)
幽也は慌てて部屋を見回した。すると万夜のスマートフォンが振動しているのが目に入り、一瞬動きを止めた。
(どうしよ、電話に出ようかな……?)
思考の合間も音は鳴り続けている。電話相手は誰か今の幽也の位置からは見えなかった。
(もしかしたら、忘れたことに気がついた〈杖〉の魔術師かも)
そうであれば幽也は電話に出ない理由がない。出よう。
そうして幽也は慌ててベッドから転げ落ちるように降りた。机に近付き、スマートフォンを手に取った。
「えっと、たしか」
幽也はスマートフォンで電話をあまりしないためにどうやって電話の応答をしたらいいのか、よく分からない。スライドだっけ? タップだけでいいんだっけ?
幽也は機械音痴だった。受話器マークをスライドし、通話に入った。
表示されていた名前は上司。
〈杖〉の魔術師の上司というのが一目で分かる、とても簡潔な表記に万夜の性格が表れていた。
「も、もしもし?」
『……誰だ』
女性の声だ。
刺のある声音で誰何された幽也は、その語気に圧されて口ごもる。
当然〈杖〉は女性なので、男が出たら一発で他人だとバレる。裏声でもバレる。そもそも裏声してどうする。
そうした一瞬の逡巡を経て、幽也は素直に自分の名を名乗った。
「霧川幽也、でふ」
噛んだ。
相手が女性だということと切迫した雰囲気に緊張し過ぎてしまったのだ。
まずった、と慌て始めた幽也が言葉を重ねる前に電話先の女性が思わずといった風に吹き出した。
『くはっ、ははっ、なんだそりゃ、くくっ、噛むかフツー??』
「あ、えっと……そんなに笑わなくてもいい、ですよね……?」
刺々しさが霧散したのは良いが、笑われるのは不服だ。
暫く漏れ出すような笑い声を聞きながら、安堵したようなムカつくような複雑な顔をした。
『あー、ははっ。すまんな。つい、な』
それを知ってか知らずか電話先の女性は気を取り直すように咳払いをして質問を切り出す。
『こほん。それで……お前は本当に霧川幽也なんだな? うちの魔術師と接触したファクター。確かにそうだな?』
ファクター、という単語に聞き覚えは無い。だが、恐らくはレアティファクトを略して、それっぽい感じにした単語だろうから、間違いないと幽也は判断した。
「……はい。そうです」
『そうか。で、うちの大っ事な、大っっっ事な魔術師を何処にやった?』
「えっと、それは俺が知りたいくらいです」
三十分も姿を消している。
もうこの家には居ないのだろうとは幽也は察していた。
だが〈杖〉が悪魔にいきなり戦闘を吹っ掛けに行っているなど幽也は微塵も考えていなかった。
幽也は悪魔と戦うということをあまり想像できていなかった。平和ボケしていたのかもしれない。
だから幽也は正直に答えた。電話先の女性はキレた。
『はぁ? じゃあなんでお前がアイツのスマホ持ってんの?』
「スマホ置いてどっか行っちゃったんですよ」
幽也の口調は丁寧だったが、何一つ女性にとって有益な情報が出てこない。苛立ちが募る。
『見てなかったのかよ?』
「この部屋から出てってからは、見てないですね。三十分くらい」
『部屋……? どういう、いや、ちょっと待て、今お前は何処に居る?』
幽也は周りを一度見る。
目覚めたらここに幽也は居た。ここは、間違いなく自宅だ。
万夜が幽也が気絶しているうちに、幽也の家の位置を探し、自分よりも重い男子高校生をそれなりの距離運んで、その上鍵をどうにか開けて自宅にぶちこんだのだろう。
その事実に感謝しつつ幽也は言った。
「自宅です。間違いなく。〈杖〉の魔術師さんが、連れてきてくれたみたいで」
『なるほど。その状況で、お前の家から去ってるのか、あのバカ……丸投げしやがったな……?』
「………………?」
心配と呆れの混じった声音に、幽也は何か自分が悪いことをしたんじゃないかという気分になる。
この場合やらかしたのは明らかに〈杖〉の魔術師なのだが。
『ヤバいってか……まぁ、あー。ちょっと臨時的に手伝いを頼めるか?』
「えっ、何でですか」
『そりゃあ、人手不足だからな。ついでに移動をさっさとした方がいい、そう何度も死ぬのは嫌だろ?』
「死ぬのは嫌ですけど、でも〈杖〉の魔術師さんが」
『でも? 何だ?』
少し威圧感のある電話先の女性に、幽也は言い澱む。けれど〈杖〉の魔術師はしっかりと幽也を安心させるように言ったのだ。
大丈夫だ、って。
「あの子が、大船に乗った気分で居ろって」
電話先の女性が息を飲んだ。空気が変わったような、そんな錯覚を幽也は電話越しに味わった。
同時に、〈杖〉の魔術師が部屋を出るときの背中をどうしてか幽也は思い出していた。
……黒く煤けたように錯覚した、あの背中を。
それでこの反応だ。まさか、何かあったんじゃないか。幽也はそう思わずにはいられない。
電話先の女性は幽也の不安を蹴り飛ばすことはしなかった。幽也の感じた通り、空気が変わってしまったのだ。
彼女が切迫した声音で、不遜に言い放つ。
『気が変わった。問答無用で手伝え。移動の準備をしろ。今、すぐにだ』
ったく、あのバカ、バーカ、バァカが。電話口からはそんな呟きが聞こえた。
それだけで充分だった。幽也にも充分に伝わった。
幽也は休んだお陰で多少復活した思考能力をフル回転させて考える。
問答無用で手伝え、とは。
(今、実は結構危ないのでは……?)
幽也が居るだろう場所に馬鹿みたいに幽也が居ては、当然すぐにバレて狙われてしまうのだろう。
彼女は幽也が狙われる状況を危惧しているのだ。多分、幽也はそう推測した。
〈杖〉が幽也についているのであれば、〈杖〉が守ってくれるだろう。
だが、今〈杖〉はこの場に居ない。
彼女は〈杖〉が幽也の近くに居ないのが相手にバレている、もしくは〈杖〉は既に悪魔と戦闘になっていると、考えていた。
つまり幽也は守られていないことが相手に知られているとその可能性を追っていた。
もしかしたら〈杖〉は、もう──。
悪い想像が頭を過る。
少なくとも現状から、幽也が置かれた状況が危ないのだというのを想像するのは容易かった。
であれば、幽也の返事は一つ。
──ちょうど移動しろと言われているのだ。
それに乗らない手はない、と幽也は首を縦に振った。
「分かりました。何をすれば?」
『契約者の自宅を捜索しろ』
「……良いですけど。何でですか?」
『悪魔に無策で飛び込んで勝てるほど、私達は強くないからな。まずは知ることからだ』
なるほど。一理ある、と幽也は納得した。
人間は悪魔に
さしずめ、搦め手こそが正攻法と呼べるものなのかもしれない。
霧川宗一の家は、幽也の家の最寄り駅から二駅ほどの場所にある。
幽也は宗一の家には数えるほどしか行ったことはないが、ちゃんと道は覚えているので余計な時間は掛からないだろう。
『どうせ役に立たん。大した荷物は要らんだろ、移動最低限の金と今通話してるスマホだけ持っていけ。いいな?』
「分かりましたよ」
幽也は、言葉通りに金と通話しっぱなしのスマホにイヤホンを指して片耳だけに突っ込むと、それだけ持って家を出た。
最低限のお金しかないのは少し不安だったが、幽也は不安を押しきり交通費以上の金は置いていった。
一応、家を出るときに鍵は閉めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます