1-12「血まみれの免許証」
「っ、はぁ……よし……着いた。久しぶりだな」
外観からかなり年季を感じるアパート。その一室の玄関前に幽也は立っていた。
今の時間はどのくらいだろうかと幽也はスマホの画面を注視すると20:56と表示されていた。もう完全に夜だ。
辺りは暗く、灯りと呼べるのは外に立っている街灯ぐらいだろうか、ろくな光源がない。
しかも、人の気配がこのアパート周辺からしない。音も光も発する者は幽也ただ一人だけ。
不気味な静けさだった。
幽也は不安になって、左手に持ったスマートフォンのライトを頼りに表札を確認する。
間違いなく宗一の部屋だ。
因みに万夜の上司との通話は、既にテレビ通話に切り替えてある。電話先の女性にはカメラを通して映像が届けられているのだ。
スマホの光ははっきりと玄関の扉横の表札の文字を画面越しに見れる程度には前を照らしてくれている。結構明るい。
幽也から送る映像は大丈夫そうだ。その代わり、万夜の上司から送られてくる映像はは真っ暗だ。声は加工されている風ではなかったけれど、姿は隠すつもりらしい。
『ここが、悪魔の契約者の家か。ボロいアパートだな』
「そうだね、確かに……味があるというか」
幽也は疲労の滲む声を返し、音を殺して一歩前へ出る。ライトでドアを照らす。
ライトを消して電話先の女性に文句を言われたため、忍び込むというのに幽也はライトをつけっぱなしにしていた。
しかし言われてなくても幽也は消さなかっただろう。そもそも真っ暗なのは迷子になったときの事を思い出す。怖い。
ただでさえスマホのライトが幽也の存在をアピールするかのように光輝いているというのに付け加えて、このぼろいアパートの廊下は古く、軋んでいた。一歩踏む毎に床板が軋む音がするのだ。
幽也は音がする度に飛び上がるように驚き、声を全霊で抑え込んでいた。
(……ライトをつけていて良かったぁ……。これで暗闇だったら、パニックになっていたかもしれないし)
これから部屋の留守に忍び込むというのに、幽也は全く姿を隠せていない。それは不味いと思ったが、怖かったので気配にまで気を回す余裕がなかった。
なんとか、そうした恐怖に耐えて何度か動きを止め、遅々とした足取りでありながらも幽也は扉まで辿り着いたのだ。
辿り着いて、自分が冷や汗で体をびっしょりと濡らしていたのにようやく幽也は気がついた。兄の家に侵入という話の筈なのに、侵入する前のもうすでにとても疲れていた。
手が扉まで届いていた。なのに、幽也は動けなかった。
(ここから先に進めば、本当に不法侵入なんだ。違法だよね。それは、悪いことだよね。……本当に、その覚悟はあった? )
扉の前にようやく辿り着いたからだろうか。ふと、考え込んでしまったのだ。
その様子を不審に思った電話先の女性が幽也に聞く。
『幽也。鍵は開いているか?』
「…………開いてる」
声を掛けられ、幽也は考えを打ち切る。
そもそも、引き返す選択肢など無いのだ。行くしかない。
(……ええい!! 考えててもしょうがない!!)
幽也は慌ててドアノブに手を掛け、力を込めた。ドアノブはあっさりと回り、扉が開いた。
うだうだ悩んでいた幽也に反して呆気なく開いた扉に、はぁ、と幽也の口から無自覚に大きな吐息が零れる。
小さく開けた扉の隙間から覗き、ライトで照らすが、チェーンなども掛けられている気配がない。
中に人の気配は、ない。
扉を押さえた手が震えている。部屋の内の暗闇に怯え震えて、入ろうとする事に未だに尻込みしていた。
(躊躇うな、行くしかないんだから、早くしなきゃ)
今はそんなことで時間を無駄にするわけにはいかない。気合いを入れるべく、ドアノブを掴む手にいっそう強く力を込めた。
『何も居ないだろう。だが、警戒を怠るな』
「分かりました」
意識を切り替えるために一度思い切り扉を開ける。すばやく体を扉に滑り込ませ、扉が音を立てないように意識しつつ思い切り閉める。
宗一の家の中は、雑多に段ボールがいくつか積まれているだけだった。
段ボールはそのどれもが口を開けていたり、閉じていてもガムテープなどで固定はされてなかった。探るには好都合だが、おかしい。
(兄貴が引っ越しするなんて話、聞いたことがないよ……? というか、今は6月だし、おかしなタイミングな気が……)
荷物がまるで引っ越し準備しているかのように段ボールに仕舞われ積まれている光景に、幽也は首を捻る。
おかしいとは思うが、その疑問を掘り下げたところで目前の光景が変化するわけでもない。
「引っ越しするなんて、聞いたことがなかったけど」
『む? まあ知らんうちに勝手に物事が進むことなんてよく有ることだ。そもそも今のお前はここの家主と良好な関係とは言えないからな、秘されたままの方が普通だろ』
今混乱している幽也が考えるよりも万夜の上司に考えてもらった方がいいだろうと思って口に出したのだが、彼女はそうやってバッサリと斬った。
全く以てその通りだと納得した幽也は大した反論もせず、部屋を観察するべくゆっくりとスマホを動かして部屋内部を撮影した。
『なるほど、引っ越し寸前で家具が殆ど無い、といった訳だな。探す手間が省けていい』
「……いや、探す手間は結構あるんだけれども」
壁際に寄せられた段ボールの数々が見えないのかと、幽也はふてくされた。大量の段ボールを探させられるこの怒り、伝われ。
しかしそんな幽也の怒りなど伝わっていないのかのように、電話先の女性は飄々と解説する。
『何、私達は悪魔に関するものを探しに来ただけだ。日用品に用はない、そう面倒なことでも無いだろ』
確かに、服やら食器やらが見える段ボールがいくつかある。
無視して平気だと彼女は言ったが、一応幽也はそれらの段ボールを中身を探ろうとした。
『おい待て、話聞いてなかったのか?』
「……日用品に混ざってたらどうするの」
『この男は几帳面だろう。そっちの様子を見るに、物の種類毎に分けられているからな』
なら平気だと言わんばかりの自信たっぷりな発言に、幽也は日用品の入った段ボールを探るのを止めた。
幽也は別の段ボールを開けると同時に、口を開いた。
「もう運び出されていたらどうするのさ」
『その時はその時さ。霧川宗一の人間関係から悪魔召喚を誰が
不法侵入ということを鑑みて、部屋の電気は付けずにスマホのライトだけを頼りに段ボールを漁る。
不法侵入していることがバレるのが怖いというのならば、スマホのライトだけでも不審に思われるだろうがこれは仕方ないと幽也は割り切っていた。最悪の場合弟だってことで押しきるつもりでいた。
探っているうちに幽也が一つの小物を手にして止まった。見覚えがあった物だったからだ。
(あ、懐かし、この御守りまだ持ってたんだ)
『おい……いいか? 書物を探せ。最悪メモでもなんでも良い。御守りとかどうでもいいから』
悪魔の物品と関係ない物をしげしげと眺める幽也を見咎める声が幽也の耳に刺さった。
「えっ」
漁るものの方向性を咎められて、幽也は咄嗟に学業成就と刺繍された御守りを自分の服にしまいこんだ。
『しゃんと探せ』
「って言われても……?」
そう言いながら適当に探る。
しばらくそうしていると掴んだものの一つに違和感を覚えた。幽也はそれをライトで照らす。
(うっわ、黒っ!? これは……少し固い、カード? 顔写真? ……あぁ、これは運転免許証だ)
『何だ? これは……赤城 翔太? 免許証か』
(こんな汚れた誰かの免許証がなぜ兄貴の家に? )
明らかな異物感。幽也はその免許証を段ボールに纏められた荷物から弾いて分かりやすいように退けておいた。
『赤城……赤城……?』
「どうしたの?」
『どこかで聞いたか……? いや、何かの間違いだ。気のせいだろう』
「そっか」
次に出てきたのはノートだった。
暗すぎてよく見えないが、〈悪魔の召喚方法〉や〈魔術〉、〈縁〉などと走り書きをされているのを幽也は見付けた。
明らかに悪魔関係の代物だろうと段ボールに戻さずに弾く。
『普通の人が見たら中二病ノートにしか見えないな。画質悪くて細かいところがよく見えんが……しかし、ま、筋は通っている』
「そうなんだ」
『もしかしたらその悪魔との契約者は筋のいい魔術師になっていたかもしれんな。ま、しらんが』
「そっか」
それからも幽也は捜索を続けた。
電話の向こう側では何やらキーボードを叩く音が聞こえてきていた。
何か調べているのだろうと幽也は思っていたら、電話先から呟きが聞こえてきた。
『赤城翔太……あぁ、なるほど。すまない、何かの間違いでは、なかったようだな』
何か分かったらしい。幽也は聞いた。
「何か分かったんですか?」
『一家心中だ。検索をしたらすぐに引っ掛かった。道理で覚えがあるはずだ』
「一家、心中……?」
『調べたところ赤城翔太という人物は一家心中の首謀者なんだ。まあ、十年以上も前の話だ、お前が知らんのも無理はないがな』
「なるほど」
幽也は知らなかった。十年前と言うとまだ小学生であり、それ以上前なんて覚えているかどうか怪しい程には昔の話だ。
その頃だとまだ迷子癖があったな、程度の記憶しか幽也は思い出せなかった。
そのくらい昔であれば、なにか覚えている筈もないなと幽也は開き直りながら聞くことに集中した。
『家族は赤城翔太含め四人、一緒に暮らしていたらしい祖父母を含めると六人。赤城翔太は家族の全員殺害を試みて重軽傷を負わせて、それから自殺。赤城翔太の妹のみ奇跡的に生き残ったんだ。一家皆殺しを決行して自殺、なんて事件だ、当時ショッキングな事件って騒ぎになったんだよ』
「一家皆殺し……って何でそんな人の免許証がこんなところに……!!?」
幽也は思わずスマホを持つ手に力強く握り締めていしまった。これは他人のスマホだということを思い出して慌てて力を緩めた。
『そうだな。まあ、首謀者の赤城翔太の死体は結局見つかっていないらしいという怪事件なのだが、何故そんな人間の免許証がこの部屋にあるのか、その答えはそう難しいものでもないだろ』
「……何?」
『ヤゴロシ』
「なんで悪魔の名前を……あっ」
幽也も察した。幽也と電話先の声が重なった。
『「
「でも、人じゃないんですか!? 赤城翔太は!!」
『そもそも、我々滅魔機関や当の悪魔による悪魔の定義は〈人ではない超常的存在〉を指すからな。悪魔を名乗るのであれば、当然人ではない。中には悪魔と呼ばれる事を嫌う悪魔や悪魔に憧れた人間もいるが、人ではない以上悪魔扱いされる。だからまあ……どうなんだろうな?』
「ヤゴロシは黒猫の姿をしてるし、赤城翔太がヤゴロシと同一っていうのは流石に無理があると思うけど。赤城翔太って奴がヤゴロシと何かしらの関係はあるのは間違いないと、思う」
『そうだな……まあ、関係はあるだろうが、同一ではないだろうな』
悪魔が赤城翔太であることはかなり無理がある。二人はその結論に落ち着き、じゃあこの免許証は何なのかと思案したが、その答えは出なかった。
しかし。この場から出てくる反撃に使えそうな手札はもう出てこないような予感が幽也にはあった。
『……まだ探さなきゃだな』
ふと。
「そう、だね」
幽也がまだ探っていない段ボールに手を伸ばした瞬間。
──玄関が、開く音がした。
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