1-13「不気味な男」
「──あぁ♪ 君は宗一の弟君だねぇ?」
玄関が開く音がした。
「え」
玄関に立った男が幽也を見て、不気味なほど口角を上げて笑った。
──影のような男だった。
黒髪黒目、黒い半袖に黒いジーンズ。外見だけならば真っ黒とはいえども、平凡な何処にでも居そうな日本人だ。
だが、その男が纏う空気は平凡からはとてもかけ離れていた。ただ玄関を開けて立っているだけだというのに、幽也は恐怖を感じた。
そして聞き覚えの無い声に、幽也は警戒心を総動員させて身構えつつ玄関を見た。
「人の家に入って、何を探しているのかなぁ、幽也君?」
幽也を襲った恐怖は、ヤゴロシと相対した時の比にならない寒気を伴って思い知らされた。
うるさいくらい鳴り響く鼓動の音。それから視界にちらつく黒の燐光。それらが幽也の頭で喧しく警鐘を鳴らしている。
この男の相手をしてはならない、幽也の勘がそう叫んでいるのだ。
身がすくんで動けないでいる幽也に電話先の女性が語りかける。
『……イヤホンを外してスピーカーにしろ霧川幽也』
その声でハッとして正気に戻る幽也。小声で叫ぶように返答した。
「っ? そんな事して何に」『──大船、だ』
そう言った。内心歯噛みしながら、幽也は思考を巡らせる。
幽也には、なにも出来ることはない。任せた方が良い方に転がる可能性は高いと判断し、呟く。
「……分かりましたよ」
ぶちっと、イヤホンをスマホから外す。幽也はイヤホンを外す直前に大きく息を吸う音を聞いた。
スマホのスピーカーから勢いよく音が飛び出す。
『それを言ったらあんたも何でこんなオンボロアパートに来てるんだ!!!』
男は幽也を見て、目を細めて楽しそうに言った。
「女の人の声だぁ♪ 幽也君、女の人の友達いたんだね?」
『答えろ!!』
馬鹿にしてるのか、と反射的に言いそうになった幽也の感情を潰すほどに強く、スマホが叫ぶ。
「えぇ、やだぁ、怖ぁい~。幽也君、何とか言ってよぉ」
『ふざっけんな!!』
「やだなぁふざけてなんかないよぉ? 理由だっけぇ? 幽也君のお兄さんのオ・ト・モ・ダ・チ、だからだもん♪」
細められた目が幽也を射抜いた。語調に対して恐ろしく静かに冷めたその目が幽也にはとても恐ろしかった。
「ねぇ? 幽也君?」
捕食者の目、とでも言うのだろうか。アレはヤバい人間の目だ。
「だ…………よ」
「んぅ♪ 聞っこえなぁーい♪」
幽也は、ふざけた語調の男を睨み付ける。目が合った。怖い。
怖かった。
「ゆっ、幽也君幽也君って、さっきから、誰だよお前は……!!」
だから幽也はたまらず叫んだ。そして、その内容が予想外だったのか電話先の女性が驚いた。
『……知り合いじゃないのか?』
「酷いなぁ。ボクは獄島黄昏だよぉ?」
「それを!! 俺は!! 誰だってっっっ!! 聞いているんだよ!!」
知らない。
幽也は獄島黄昏という兄の友人など知らない。こんな目の前にいるだけで凄まじい寒気のするヤバそうな奴、一度目にしたら忘れるわけがない。
幽也は高校に入ってから兄とは余り関わりがない生活を送ってきていた。
兄と共通の知人が居るとすればそれは中学までの友人の事だが、その共通の知人の中にもこんなふざけた奴は居ない。
電話先の女性が動揺するのを尻目に、堪らず言ってしまったこの発言でどう反応するかを見定めるために、幽也は恐怖を感じながらも黄昏を睨み付ける。
「ひっ、どぉい……………………ふふっ♪」
笑った。
「あはっ。君はそう言うこと言うんだぁ?」
口許を片手で隠すように笑う。でも口を隠したことで目が笑っていないことが強調されてより恐ろしい表情へと変わってしまっていた。
「でもいいよぉ? ボクのことが怖いんでしょお? 真っ先に逃げようとしてたじゃない? 叫んじゃうくらい動転してるのも、いいなぁ♪」
遂に黄昏は動いた。
土足で、家へと上がり込む黄昏。全く靴を脱ごうと言う気すら見せなかった。スマホが震えるほどに早口に叫ぶ。
『待てお前は何をしに此処に来た獄島黄昏!!』
「それはぁ、〈ヤシロ〉のお姉さんに聞かれたい内容じゃあ、無いのよぉ」
なにもしていないのにスマホの画面が割れた。ライトが消えた。通話が途切れた。くの字に折れ曲がって幽也の手が何かの力を受けて大きく弾かれる。
スマホが壊れた。
手離さなかったスマホの割れた画面が幽也の手に刺さり、血が滴る。当然、幽也は力強く握っていたのが原因で割れたわけではない。
黄昏が何かをしたのだ。
その何かをしたはずの黄昏は、笑ったまま壊れたスマホを睨み付ける。
「あーぁ、壊れちゃったねぇ。寿命かな?」
(壊した本人が言うことじゃ……ないでしょ)
黄昏が幽也へと近寄る。それを幽也は心の内で毒を吐くこと以外に身動き一つすら取れずに見ているしかなかった。動けなかった。
そうして幽也の目の前まで来た黄昏は、壊れたスマホを血に濡れた幽也の手から奪い取り、投げ捨てた。
そして、幽也の傷付いた手を血に濡れる事も構わずに、先ほどまで持っていたはずのスマホの代わりと言わんばかりに握りしめた。
「悪魔、どうだったぁ? すっっっごい刺激的な体験ができたでしょ♪」
声が出ない。黄昏の手は幽也の手よりも細くしなやかで力比べをしたら幽也でも勝てそうなほど弱そうだ。とても冷たかった。
それだけなのに、幽也には目の前の男がヤゴロシよりもよほど悪魔であるように見えた。
触れるほど近くに居られる事が恐ろしくて、幽也は何の返事も出来ない。体が硬直して動かない。
「宗一に悪魔のコト教えたのはボク♪ 出会ったときの宗一ってばすっごい……ふふっ♪ 宗一に悪魔があればぁ、ステキでぇ、シアワセになれる♪ そう思ったのぉ♪」
手を離した黄昏は踊るように部屋を歩く。
足元の何かを探すように目線を落として、楽しそうに、愉しそうに。
黄昏が離れたことで、あらゆる感情を抑えていた恐怖が薄れた幽也は代わりに他の感情が顔を出すのを感じた。
その感情は、怒りだ。この男が宗一を唆したのか。
「お前、が……っ」
「そっ、宗一にピッタリの悪魔、その触媒とぉ?」
拾い上げたのは、赤城翔太の免許証。
「悪魔に対する知識ぃ?」
拾い上げたのは、走り書きのされたノート。
「きっと悪魔もこの自分にピッタリの状況を楽しんでるのぉ♪ うぃん、うぃん♪なんだぁ」
宗一に悪魔を与え、知識を与え、殺しの準備を整えた張本人が目の前に居る。
その事が、遂に幽也に恐怖を完全に忘れさせた。
「お前が、ッ!!!」
幽也は黄昏に掴み掛かる。
────お前さえ居なければこんなことにはならなかった!! 俺がが死ぬこともなかった!! 兄貴も俺を殺そうとまではしなかった!! お前がここまで悪意に溢れたお膳立てをしなければ、こんなことには!! こんな状況が生まれなかったはずだろ!!
沸騰した頭では、口から先には全く言葉が出てこなかった。掴みかかられているというのに平気な顔の黄昏が、笑みを深めて言う。
「あはっ、ボクは宗一の背中をちょんっ♪て押しただけでぇ、殺される方が悪いんだよぉ? 殺されるようなコトをするのが、悪いんだよぉ??」
幽也は、その言葉を聞きながらぶちっという音を聞いた。怒りが限界を振り切ったのだ。
「お、ま、えがああああああああああああああああ!!!!!」
幽也は怒りのままに黄昏の胸ぐらを吊し上げるように持ち上げ力任せに壁に押し付ける。
黄昏の笑みは消えない。
気に入らない。
なんて酷い言い草だ。
お前が唆したからだろ。
いくつも頭に浮かんだ言葉は、怒りに沸騰する幽也の口から出ることはなく。ぱくぱくと、ただ声にならないで蒸発していく。
「君は良いよねぇ、自分は悪くないって思えるんだからぁ」
「っ!?」
幽也は、気が付けば黄昏に投げられていた。
受け身を取れずに段ボールに背中から突っ込んだ幽也。気を失わなかったのは黄昏の技量であり、投げた張本人である黄昏は笑顔で手を振っていた。
そして──ふっ、と。笑顔が消えた。
「何を言っても、もう過ぎたことだよ。選べ。目を背けて子供らしく駄々をこねていれば良いと思うなよ」
「……っ」
先程までの黄昏とは凄味が違った。背中を段ボールにぶつけて悶絶している幽也に向けて、超然とした態度で言葉をぶつけた黄昏。
しかし言い終えたと同時に黄昏は力を抜いたような笑顔を浮かべた。
「なぁーんてぇ? 言ってみちゃったりぃ? ばいばいっ! がんばれーぇ、どんな結末でもお兄さんを楽しませてねっ、そうすれば文句なんて言わないからねぇっ♪」
そして、軽やかに部屋から去っていく。
嵐のような男だった。
噎せながら立ち上がった幽也はよろめきながら壊れたスマホを拾い上げて部屋を出る。
ドタバタと騒げば、このオンボロなアパートがいくら人の気配がしないとはいえども人の目につきかねない。
──幸い発見されることはなかったが。
「……ちくしょう……」
黄昏はタイミングを見計らって部屋に入ってきたのだと、幽也は考えていた。
恐らくある程度の情報を幽也が手に入れるまで待ったのだ。
それをした理由は、詳しくは幽也には分かるはずがない。分からない。
分かりたくもない。
「言われ、なくても……っ! わ、かって、るっての……!!」
ただ一つだけ、幽也はハッキリとわかったことがあった。
宗一は幽也を殺そうとして殺したのだ。
迷いがあった。まさか。本気じゃない。騙されているかも。
そう思っていた……でも違った。
獄島黄昏は『悪魔があればステキなことになる』と、言った。
たとえ黄昏が唆したのだとしてもそれは最初から幽也に対して思うところが──殺意があった事を否定する材料ではない。寧ろその感情を裏付けるだろう。
きっと幽也は、宗一の事を理解していなかったのだ。
うわべだけの仲の良さに目を奪われて、宗一が何を考えていたかを微塵も理解ができていなかったのだ。その殺意に、気づけなかったのだ。
気付けなかった事に気付いた幽也にはやるべきことが見えた。
だから。
幽也は立ち上がって、部屋を出たのだ。
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