2-10「問題提議」


 狭城真昼と名乗った万夜はふと思うのだ。


 ──咲菜には母しかないのだろうか?


 そう思ったのは、彼女から垣間見える事情から読み取れた断片的な情報をちょっとだけ整理したからだ。


 もとより万夜はこのパン屋の事情には踏み込まないつもりだった。仕事以外はどうでもいい、そう思っている。


 住居を得る。その為の労働。その為のアルバイト狭城真昼。


 そのつもりだった。


「魔法がたりない」


 でも、見てられない。彼女はとんでもない。母の味じゃないと、美味しいパンをと切り捨てる。さくさくふわふわしたこのフランスパンを。もちふわなあんパンを。とろとろのピザパンを。


 彼女は決して自分の店のパンを、などとは言わなかった。


 そんな彼女がなぜパン屋をやっているのか。不思議とは、万夜は思わなかった。


 今の彼女には母しかないのだ。いや、母だけがないのか。どちらにせよつまりはその母がどうにかなった為に店をやっているのだろう。


 ならば、と万夜はすこしは咲菜の問題に首を突っ込んでいいんじゃないかと思ったのだ。



 ◆◇◆◇◆



「えっと、つまり上瀬さんはお母さんが事故って大怪我して入院してるその入院代を払うためにわざわざ夜間の高校に行きつつ店を経営してさらに借金までしているってこと!?」


 瑠華は、幽也の言葉を肯定するように優しい笑みを浮かべた。


「そう、まあ、借金の方が厄介でね。簡単に言うと吹っ掛けてきてるの。もともと貯蓄があったけど、店のせいでそれが危うくなって、それもあって今実は咲菜は……」


「…………そりゃ、俺には無理って言うよねぇ」


「うん。でさ、実はその、咲菜のお母さんと私、明日面会するんだけど、来る?」


「え? なんで……?」


「えーっと」


 露骨に目を逸らす瑠華。


「いいよね? 私、幽也に咲菜を手伝って欲しいし?」


「どういうこと……? いや、行ってもいいなら行くけどさ」


「なら決まり! じゃあ明日の放課後よろしく!! 私はちょっと用事あるからここでバイバイ!」


 瑠華は駆けて駅まで行ってしまった。





 帰ったあと、幽也は宗一にこれまでの経緯を説明したところで宗一が難しい顔をした。


「なァ、その女……」


「え?」


「いや、いい。ムカつくからな」


 宗一は『瑠華が幽也に気があるのでは?』と思ったが言うのを止めた。この弟、分かっていない。アホな間抜け面で宗一を見ている様はとてもムカついた。


 もし言ったとしてもどうせ『あり得ない』と否定されるのも宗一には想像がついた。というかこの弟がモテるとは微塵も思っていなかったので、宗一としても『あり得ない』とその思考を投げ捨てた。


「ともあれ、突然現れた悪魔に、借金やらの問題を抱えたパン屋。で、お前は《破滅》つったか? そのレアティファクトの力なんか変なのが見えたんだったよな?」


「うん。それはもうバッチリと黒い光が」


「ま、じゃあ、黒だろォな」


「……つまり悪魔と上瀬さんは繋がりがあると?」


「じゃねェかなァ、浅いって思われてもしゃあねェ。がそう思って警戒しておくのもイイだろ? どうせ疑う程度はタダなんだからよ」


「いや、でも無理があるんじゃ?」


「疑え。お前、もう少し警戒しろよ」


「……警戒はしてるつもりだよ」


 宗一には、全く幽也が警戒しているようには見えなかった。加えて言えば、疑心に陥る幽也が想像出来なかった。


 それは、まあ、仕方ないと宗一は思うのだ。性格レベルの問題が一朝一夕で変わるものではない。


「……ま、ならしゃあねェけどよ。少なくともその上瀬とかいう奴の状況。変だろ。何で借金してンだよ」


「そりゃ、入院代が払えないからじゃない?」


「わざわざ経営の傾いた店を開けながら『金がたりない』ってか? 金が減るだけだそんなンは。だったら他所でバイトでもした方が金は手に入るだろ? そいつが正気ならバカとしか言いようがねェ。正気じゃねェ、何かあるって思うだろそりゃあよォ」


「なる、ほど?」


 早口で捲し立てるように喋ったからか幽也は疑問符を浮かべていた。


「店が赤字だと、金は減るんだぞ?」


「それぐらいわかるっての」


「とにかく、借金が膨れるのを分かっているかどうかは知らねェが、赤字らしき母の経営していた店を開け続けているのは。分かるな?」


 幽也は唸りながら頷く。


「そのってのは、悪魔じゃねェか? ってのが俺の推論だ。聞きゃあの魔術師が店員に紛れ込んでるらしいじゃねぇか、放っときゃ悪魔は解決できるが…………なァ幽也は、その上瀬って奴の事どう思う?」


「どう、って?」


「悪魔を使役しているように見えるか?」


「見えないけど」


「即答か。それはどういう意味だ? 悪いやつに見えないとかそういう意味か?」


「そうだよ。俺は、上瀬さんが悪魔を使って人殺しするような悪い人には見えない」


「そォか」


 宗一はただ頷き、一つ息を吐いて忠告する。


「……なら、〈杖〉の魔術師に悪魔の契約者であることは絶対に気付かれるなよ? もし、契約者だったとしたら、だけどよ」


 宗一は知っていた。ヤゴロシが言っていた──万夜は悪魔の契約者を真っ先に抹殺するのだと。


「……? わかった」


 幽也は宗一の真意がよく分からないままに頷いた。結局何一つ疑うこともなく。


 宗一は、そんな幽也の様子に苦笑を溢した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る