1-2「いつも通りとは違う朝」
霧川幽也は独り暮らしである。
アパートの一室を借り受けて、一人暮らしで高校に通っている。
中学卒業するまでの幽也にとって一人暮らしというのは憧れだった。
兄が高校の時に独り暮らしをしていたので、俺もやってみたい、とただそれだけで苦労も何も分かっていない幽也は高校に入ったら一人暮らしが出来るように頑張った。
たったそれだけの理由を隠し通す建前をどうにかこうにか練り上げたりして親を説得。そうして念願の独り暮らしを始めたのだ。
だが、幽也が自ら望んで始めたくせにすぐに後悔することになった。
憧れたはいいが、幽也は中学の頃には殆ど家の手伝いなどしなかった子である。
自活能力など持ち合わせていない、というか野垂れ死なない? などと若干失礼な反対をした両親は、やっぱり正しかったのだろう。
進学先の高校はかなり偏差値の高い進学校。独り暮らしをするならバイトとかしないで良いから、成績の維持をするように強く親に念を押された。
幽也にとって特別欲しいものもなかったから、本当にバイトはしていない。
一人暮らし生活は既に一年を超えている。幽也はある程度の家事をこなせるようになっていた。
だが、もしもバイトをしていたならば、きっと幽也の自活能力の成長よりも部屋がゴミだらけになる早さが上回っていたに違いない。
幸いなことに幽也は特別勉強をしなくても成績は維持する程度は余裕だった。親が言ったような成績の心配は無用だろうと、少なくとも幽也はそう思っていた。
「……朝か…………」
幽也は目を擦って大きく伸びながら欠伸。立ち上がってカーテンを全開にする。
すると眩しいほどの日差しが床に反射して目が痛い。
「ポカポカと陽気なって言うには暑いね、まだ朝なのに」
季節は六月。温度は朝であれど、夏であると言えるほどには高かった。
日差しがによってぼんやりしていた幽也の頭がはっきりし始める。
……よく見たら外は曇ってきていた。明るいし、太陽も顔を覗かせているが、晴れではなかった。
変に現実的な夢を見た気がするが、目覚めたのは自宅のベッドである。
寝る前の記憶が曖昧だ。曖昧だったが。自宅で寝ていることの違和感が強烈にある。ぼんやりとしか覚えてない曖昧な記憶は夢だと断じて幽也は家事を始めた。
掃除洗濯料理にゴミ捨て。普段以上に早起きしてしまった幽也はそれらを手際よく済ませる。
下手だ出来ないと嘆いていた頃が懐かしい。諸々の家事はもう一年以上もやっている。ある程度上達もした。
最初の頃は掃除しているかどうかとか洗濯してるかとか、ちゃんとバランスの取れたごはん食べてるかどうかとか、気にして親が時たま来ていた。
だが最近ではしっかりできているのはご理解頂けたはずで、だから来ていないのだと幽也は思っている。
──本当はたまに来て掃除だけしているのだが、幽也は気付いてない。気付けるようなら親は来ていない。そんな細やかな感覚を備えていれば、そもそも杜撰な掃除をしないのである。
「いただきます」
もっしゃもっしゃと焼いたパンにマーガリンを塗って食べる。一枚じゃ保たないなら二枚食えばいいと、パンを二枚重ねにして口に詰め込んだ。
ついでにと作った昼ご飯用の弁当は冷食の詰め合わせ。昨日米を炊くのを忘れたらしくて焦ったが、辛うじて冷凍してあったご飯があったので放り込んだ。しかし、米のストックがなくなってしまった。ゆゆしき事態である
全部冷食の弁当である。雑? なんとでも言え。
そうして幽也はいつも通りの身支度をして、いつもよりも何倍も早く、高校に向かった。
徒歩。移動時間にして3分。高校までは滅茶苦茶に近い所で部屋を借りている。一人暮らしは移動時間短縮のためでもあるのだ。
「やっぱり、人……いないな」
高校の始業よりもかなり早い時間である。学生が全くいないということはないのだけれど、普段登校する時間に比べれば全く居ないと言ってもいい。
いつもであれば登校してくる学生に紛れて登校する幽也である。
もっと遅い時間の、通学する生徒が沢山いる中を。
こんな時間に登校するなんて珍しい話だ。
変な夢を見てしまって、妙に早起きしてしまった。変な夢。そう、変な夢だ。いつも通りでいられなくなってしまうような、変な夢を幽也は見た。
だからだろうか、幽也はいつも通りを心がけて行動した。
しかし、家でやることも大抵が終わってしまって、手持ち無沙汰になって家を出てきたから特に引き返そうとも思わないのだが、登校してもやることは無い。
これならもうちょっと弁当凝ってても良かったかもしれないな、と幽也は歩きながら考えている内に高校に辿り着いた。
学校開いてからそう時間も経っていないからだろうか。誰も居ない教室は静かで、壁に掛けてある時計の秒針の音だけが鳴り響いている。静かすぎてちょっと怖かった。
進学校の二年生と言えど流石にこんな早くから高校には来ないだろうな、と幽也は普段と違う学校のようすに落ち着かないまま自分の席に座り込んだ。
勉強をしようと持ってきた教科書とルーズリーフを取り出す。数学である。
幽也にとっては数学は難敵だ。
数学担当の教師は非情なまでの部分点の採点が厳しく、点が取りにくい。この間は説明文の漢字ミスで減点された。
これは数学だぞ、おかしくないか?
「数学……」
教科書を開いて、幽也は呟いた。
思い出したのは、自分が死ぬ夢だ。
その夢で受けた傷の痛みは、妙に現実味があった。夢と思うことにはした、したのだが。夢だとは断じきれなかった。
心のどこかであの夢は現実だったんじゃないかと言う思いが拭いきれないのだ。
もしかしたらすでに自分が死んでるのではないかなんて考えは、今朝早起きして掃除洗濯やらの家事をこなしながらも片時として頭から離れない。
本当に、生きているのか? 死んでいないか?
幽也はそんな不安に刈られた。朝から誰とも話していないことが、どうにも寂しく感じた。紛らすためにいつも通りに行動したけれど、かえって不自然だった。
「このXは……」
目の前の数学の問題が、式が頭に入らないかった。幽也は頭を抱える。全く問題が解けない。集中できない上に、そもそも問題文から目が滑る。勉強に意識が向かないのだ。
死んでる?
生きてる。そもそもなんであんな夢を見たのか。兄貴が。なんで。夢だから。
夢なの? あれはなんだったの。
なんだったんだ?
そうやって思考の海に沈んでいる幽也は
「幽也、おはよう。珍しいね、こんな朝早くから」
「……おはよう」
教室に入ってくる女子生徒に声を掛けられた事に気付かないまま返事をした。
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