第三十二話「*神倉徹の事情5」


 眠りについた神倉徹は夢を見た。



 それは幸せな夢だった。



 家族がみんないて、あの幸せな家で、楽しい時間を過ごしている夢だった。



 なぜか涙が溢れていた。



 それは“当たり前”のはずなのに。



 どうしてこんないつもの日々が悲しくて仕方ないのだろう。



 そして、その疑問に答える応えが返って来る。



「それはね。今日でもうお別れだからだよ」



 妹のゆめるが神倉徹に唐突に語りかける。



「お兄ちゃんはもう、新しい道を見つけたんだね。すごいね」

「……何を言ってるんだ? ゆめる。それに、お別れって、どういう……」

「新しいお友達もできたし、私たちはもう……大丈夫だよね?」

「……何を言ってるんだ。わけがわからない」


「お願いだから、負けないで

 どんなに辛い事があっても目をそむけないで……。

 立ち向かって。そして勝って。

 だって、それがお兄ちゃんだから」


「何を言ってるんだよ……ゆめる」


 妹だけではなかった、神倉徹の父も、母も、彼の前に立ち、最後の別れを告げた。


「もう、大丈夫だよな?」

「えぇ、徹は強い子ですもの」

「何を言ってるんだよ、なんだよ、みんな! これじゃあ」


――さようなら、徹。


 その言葉と共に、神倉徹の家族はゆっくりと白い光に溶け込んでゆく。

 よく見れば、周囲の、神倉家の景色も、光に溶け込み、消え去ってゆく。


「嘘だ……嫌だ……! いかないでくれ!! 父さん!! 母さん!! ゆめる!!」


 白い空間の中に、神倉徹はいた。


 何も無い白の空間に、神倉徹だけがいた。


「うぅ……うぁ、あぁぁぁぁぁ!!」


 そして、全てが白に塗り替えられてゆく。


 現実への、無慈悲の帰還。




 小さな悲鳴と共に、神倉徹は飛び起きた。


 目の前には見知らぬ天井……いや、さっきまでの家とは違うだけで――ここは叔母さんの。


「……そうか、俺は……」


 幸せな夢が、余計に現実を苛んだ。


「まだ……そうだよな。割り切れるはず……ない」


 そして、神倉徹は声を押し殺して泣いた。


「本当に、お別れなのか……?」


 なんの意味も無い。


「なんだよ、じゃあ今まではそばにいてくれてたのかよ」


 これじゃあ何の意味も無い。


「だったら、声の一つくらいかけてくれよ……」


 ただの逃避だ。


「……寂しいじゃないかよ……」


 ゲームも、友達も、ただ、現実から目を反らすだけの逃避じゃないか。


「……何にも変わってねぇじゃん……俺」


 何も変わってない。


「何が剣を捨てるだよ……何か捨てたって……忘れられねぇよ……」


 失ってしまった事実は何も変わりはしないんだ。


「友達作ったって……寂しいもんは寂しいよ……!!」


 さっきまでの楽しみがまるで嘘のようだった。


「うぅ……母さん……父さん……」


 それはつまり、今まで味わっていたのは偽りの楽しみ。逃避と言う事。


「……ゆめる……!」


 自分は物語の主人公で冒険に出ている訳でもないし、狂皇子でもない。


「……俺は……独りだ……」


 全てはまやかし、偽者に過ぎない。



――ゲームも、漫画も、結局は全部偽者じゃないか。



 神倉徹は廊下へと出て、急いで台所へと向かった、

 そして、吐いた。


 吐いて、吐いて、胃の中身の全てを吐き戻すようにして吐いて。

 そして、泣いた。


 彼の心の傷は、いまだ癒えてはいないのだ。


 その心の傷が、彼を苦しめた。



 扉が開かれ、居間から光が差し込んだ。


 叔母だった。


 暗闇の中、チカチカと光が漏れてくる。

 テレビでも見ていたのだろうか。

 時間は一時半。

 本当ならもうとっくに寝ているはずの時間だ。


「大丈夫?」


 よく見ると、叔母の目も腫れていた。


「悪い夢でも見た?」


 お見通しのようだった。

 いや、もしかしたら、彼女も、同じように、過去と言う夢に苦しめられて目を覚ましてしまったのかもしれない。


「こっち、座ってて。食べられる? お夜食作ってあげる」


 吐ききってしまったせいか、少し腹がすいている事に気付く。


「そのままじゃ、お腹すいて寝れないでしょ?」


 叔母は、優しかった。


 夜食を待つ間、座って適当にテレビを眺めていた。


 深夜のアニメがやっていた。


 今時ありがちな異世界転生物だ。


――トラック転生。


 異世界転生物でありがちな、トラックにひかれて異世界にいってしまう、というものだ。


 いい迷惑だ。


 飛ばされた本人は良い、


 残されたものはどうすればいいというのだ。


 独りよがりな神風情が、死んだ魂だけケアしたところで、残された者達にはどう謝罪するというんだ!



 失った悲しみを背負って生きていくんだぞ、一生。



 神倉徹は憤る。そのようなありがちな、それでいて独りよがりな視点でしか描かれない物語に。



 そして、ふと思い浮かんでしまった。



 父さんも、母さんも、ゆめるも、実は神様の手違いで死んでしまっただけで、今頃異世界で楽しくやってるんじゃないか、と。



――なんでだよ……だったら俺も連れて行ってくれよ。


――寂しいじゃないかよ。どうして俺だけ残して……行っちまったんだよ!!


――俺も連れて行ってくれよ!!



 涙が止まらない。



 当然、全ては妄想だ。


 実際、異世界転生なんてフィクションなのだから。


 だが、それでも願ってしまう。



――父さんも、母さんも、ゆめるも、その魂は、実は異世界に転生して冒険してて、自分だけが取り残されてしまって……。


――でも、いつか帰ってきてくれるんじゃないかって……!!



 そんな妄想に……涙する。


 そんな……ありえない妄想に。


 だって、そんな御伽噺、ありえないのだから。



――異世界。



――いけるものならば、俺の方が行ってみたいさ。



――こんな世界を捨てて。



――全てを捨てて。



――消えてしまいたい。




――だって、どうせもう、俺には何も無いのだから。



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