第三十話「*神倉徹の事情3」


「あら、徹君おかえり。また……語り合ってたの?」


 現れたのは、帰宅した叔母。


 山寺静瑠やまでらしずる


 旧姓神倉静瑠。


 神倉徹の叔母にあたる。


 現在三十六歳。


 余談だが、神倉徹の父、真一は入り婿である。

 よって、神倉の姓は母方のものとなる。


 山寺家の家庭事情は、それほど厳しい状況にある訳ではない。


 病で他界した夫の保険金。


 それをやりくりしながらであれば、普通に生活する限りは、わずかな仕事さえしていれば何とでもなる程度の貯蓄はあった。


 だが、朝昼夜と働きづめで、帰宅時間は遅い。


 彼女いわく、家のローンを返す為と言ってはいるが……。


 それは建前に過ぎないのだろう。



 ……何かに没頭していないと辛いのだ。



 それを神倉徹は己の事のようによく理解していた。


 自分と同じように、何かに没頭していないと、歩みが止まると思って、必死なのだ。


 逆なのに、と神倉徹は思った。


 彼は歩みすぎた。一本の道を突き進みすぎた。


 だからこそわかる。


 傷ついた心を休めるには、本当は休息が必要なのだ。


 だが、心がそれを許さない。


 何かに没頭していないと、思い返してしまうから。


 そして延々と、過去への後悔から抜け出せないのだ。


 さっきの自分がまさにそうだったではないか。


 されど、神倉徹には、この叔母の自傷的なまでの忙しさへの渇望を、何とか安らげる方法が無いものかと心配でならなかった。



 彼女の夫、山寺和夫かずお


 死因はありがちな、癌だった。


 仕事に誇りを持ち、忙しくても、多少体が悲鳴をあげていようと、ローン返済のために力を尽くす。

 実によくできた男だった。


 中々子供ができないゆえ、だからこそ、自身の存在意義といわんばかりにバリバリと仕事をこなす、社会の戦士。現代の武士もののふだった。


――だが、それがわざわいした。


 気がついた時には手遅れだったのだ。


 ステージは余命宣告を告げねばならないレベルにまで達しており、解決策は無かった。


 そして、静かな休息の末に、帰らぬ人となった。


 彼の思いはいかなるものだったろうか。


 仕事に全てをかけ、ろくに家にも帰れない生活で――。


 最愛の人との時間さえろくに得られずに死ぬ。


 生きるために仕方なかったのかもしれない。


 とはいえ――なんとも、悲しい世界ではないか。


 山寺静瑠。結局彼女には、独りでは大きすぎる家だけが残された。


 最愛の人が命をかけて残してくれたものだ。寂しいからといって売る事も捨てる事もできない。


 だが、その空間にいる限り、心を苛む残滓。


 耐え切れない生の時間。



 だからこそ、おせっかいをしてくれたのだろう。



 同じ悲しみにくれる彼に、居場所を与えてくれたのだ。



 独りきりのマイホームで過ごす苦しみを知るがゆえに、うちに来ないか? と。



「まったく、だめですよ? 君はまだ若いんだし、生きているんですから。いつまでも終わった事にばかり目を向けていたら……」



 そういって、数瞬だけ、仏壇に向かって、今は亡き夫の残滓と語らうと――。



「ちょっと遅いけど、今からご飯作るからね」



 立ち上がり、台所へと向かう。


「お鍋でよかったかな?」


 そばに置いてあったコンビニ袋を掲げ。


「今日は胡麻豆乳鍋だよ~。お肉たっぷりだからねっ」



 やがて、暖かな手料理ができあがる。


 母の妹である叔母との語らいは、独りである事を忘れるために必要な一時であった。

 だが逆に、父も母も妹もいないという現実を告げる時間でもあった。


「練習道具の事、ごめんね」


 唐突に、叔母がその事を口にする。


「君のためだと思ったんだよ」


 静かに、黙々と食べる時間を打ち切って、静瑠が徹に語りかける。


「ほら、いつまでも過去にしがみついててもいけないんじゃないかって思ってさ。何かに集中して没頭してた方がいいんじゃないかな? って。何もしないでいるとさ、辛いでしょ? そんな風に思ってさ。勝手に決め付けちゃって……ごめんね。おせっかいだったね」


 その言葉に。


「俺はもう大丈夫ですよ」


 徹は答える。


「過去を振り返るのはやめにしました。その過去には、剣の道も含まれるんです。健康のためにしばらく鍛錬は続けますが、俺は新しい道を目指そうと思います」

「新しい道?」

「全力で遊びます」

「……あそ……ぶ?」

「今まで全然遊んでこなかったんで……それが後悔の元なんで……剣道なんてやらないで、もっと、みんなと、家族で遊んでいたらって……そう思ってしまったんです」

「……そう」

「家族は取り戻せませんけど、新しい友達なら作れそうです。だから――」


――俺はもう、大丈夫ですから。


 神倉徹は、前向きな答えを提示した。


「そっか。そんならしょうがないね。君の実力はもったいないと思うけど、本人がやりたくないんじゃしょうがないもんね」


 そして、ごく普通の会話をした。

 家族らしい会話だ。

 学校で何があったとか、こんな遊びをした、とか。



 始めてやった、TRPGのこととか。


 思い出す。


 あの時、もしあんなふうに妹が実は生きていて、記憶などを失って異世界に転生していたら、なんて。

 そんな事を妄想していた。


――妹の魂が、眠りにつく直前に、異世界転移のように、あの世界に転移して、こんな風に冒険していたら――。


 そんな、幸せな妄想。


 まぁ、キャラがおかしな事になった結果、途中からはそういった事を忘れてゲームに集中できた。


 追加された変な設定のおかげで、ゆめるではなくユメリアという別キャラになった。


――もし、あのままゆめるのままキャラを作成してプレイしていたら……。


 途中で思い出してしまっていたかもしれない。


 けど、アイツ。タケシの変なアイデアで別キャラにできたから、最後まで楽しむ事ができた。


 嫌なことを忘れて幻想に浸る。

 その努力をした。


 それがどれだけ大切な事なのか、思い知った。


 人は現実だけでは生きていけないのだ。


 現実は、辛すぎるから。


 だから、それを忘れるために、非現実に逃避するのだ。


――案外、みんな。誰もがそんな風に生きているのかもしれないな。



 現実だけでは苦しすぎる。


 この世界は、辛すぎる。



 だから、悩みや苦しみを忘れるために、今を楽しむために遊ぶのだ。



 心の傷も多少は癒えて来たかもしれない。


 諦め、現実を受け入れたという事なのかもしれない。



 食事を終え、部屋に戻って、漫画やゲームで遊ぶ。


 怠惰に時間を使う。


 だが、それだけが、今……彼、神倉徹にできる唯一の癒しなのだ。


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