第二十九話「*神倉徹の事情2」



 それは、神倉徹にとっては初の体験だった。

 先日のゲーム同好会。そして、翌日である今日、休み時間の集い。


――遊び。


 それは何とも甘美で。


 無駄な時間の使い方であるはずなのに。


 だがそれは――まさに時という財産を盛大に、ふんだんに用いた、濃厚なる、豪遊。



 夕闇に染まる通学路。


 ……金曜日の二次会。


 遊びの二次会。


 初めての体験。


 どんな事が待っているのか、心が躍る。


 剣の道を志していた頃には、こんなにも楽しい日々は無かった。


 ただひたすらに、誰よりも強くなるために自分を追い込み、独り、剣とだけ見詰め合っていた。


 だが、今は違う。


 友人、木村ケイトから誘われた悲願の日常。



 金曜に行われる更なる楽しみを提示され、跳ねる気持ちを抑えての帰宅路。



――その一瞬だけは、自身の不幸な境遇を忘れさせてくれるのであった。



「なかなかに難しいのだな」



 帰宅時も、独りではない。

 友がいる。

 競い合うのではなく、殺伐としたものも無い。

 ただ楽しみあうためだけの友達。


「まぁ、このカードゲームはねぇ」

「慣れれば簡単だよ~」

「けど、慣れるまでが難関なのよね~」


 カードゲーム。


 中に何が入っているのかわからないパックを買って、ランダムに得たカードを元に、自身の戦うための手札集を作る。


「運が必要なのだな……欲しい物を手にするには大量の資金が必要……」

「まぁ、安くても強くなる方法はあるから、やり方次第だよ」

「どれが強いものなのかわからんが、欲しい物を手に入れて勝った時を考えれば……なるほど、みなが課金ゲーと呼ぶ物にはまる訳だな」

「アレは少し違うと思うけどね」

「アナログゲーはあんな異常金額を飲まれたりはせん」

「きちんと手元に物が残るしね」

「そうそう、開発側の都合で急にサービス終了、なんてこともないから」

「本人が飽きない限り何度でもできる」

「そのための必要経費だよ~」

「それに、データと違って実物なら貸す事もできる」

「なるほど」

「いつか消えるデータに金をかけるより、どうせ確率による脳内麻薬を得る遊びをするならTRPGでダイスを振るなり実物のカードゲームでドロウするなりした方が確実に安上がりだし健全だ」

「……あくまで個人の意見って奴だけどね」


 とは言っても、経験者の語る言葉。

 否定できない説得力を神倉徹は感じるのであった。


 こうして、神倉徹は立派なアナログゲーマーとして育とうとしていた。


 順調に。

 そう、彼は順調に楽しい日々を過ごしていたのだ。


 その裏側で、悩みを抱えながら。


 だが当然その事を木村ケイト達が知る事は無く。

 当然逆に、彼らの悩みも、神倉徹には知るよしもなかったのだ。




 神の視点なくして、他者の事情など、知る事はできないのだから。




 帰宅した神倉徹は、仏壇の前にいた。

 いつものとおりの所作で、故人に語りかける。


 そして、在りし日の姿を思い浮かべるのだ。



夢留ゆめる……」


 神倉夢留。享年十四歳。


 漫画やゲーム、アニメなどを好む今時の普通の子供だった。


 神倉徹は悔いていた。

 失って初めて気付く、後悔。


――もっと一緒に遊んでおくべきだった。


 神倉徹の人生は剣の道であった。

 幼き頃からその才を見出され、その道のみに生きてきた。

 ゆえに、生まれてからずっと、遊びと言う事とは無縁の人生を送ってきたのだ。


 無論、妹である神倉夢留ともあまり遊ぶ事はできなかった。


 それゆえに、心が痛むのだ。


 もっと一緒に遊ぶべきだった。


 もっと一緒の時間を過ごすべきだったのだ、と。



――だが、できなかった。



 当時の徹は、最強などという無価値な称号のために、全ての時間を費やしていた。


 そして、実際に最強とも言える地位に着いた。


 だが、その先にあったのは、空しさだけだった。


 最強など、いらなかった。


 その事に気付いた時には、全てが遅かったのだ。


 父と一緒に過ごすべきだった。


 母と一緒に過ごすべきだった、


 妹と一緒に過ごすべきだった。


 家族と一緒に過ごすべきだった。


 神倉徹の過ごしてきた時間は……彼にとって無価値だった。


 その現実が、神倉徹を剣術嫌悪症というまでの、剣道に対する憎悪を生み出したのだった。



――俺は何を間違えてしまったのだろう。



――くだらない無駄な時間を浪費し、何をしてきたというのか……。



 心の痛みが、止まる事は無かった。


 ゆえに、全てを忘れて逃避するための何かが欲しかった。



 だから、人生をやり直すつもりで。今までの全てをドブに投げ捨てるつもりで、遊びというものに身を投じてみたのだ。



 それは、とても甘美な世界だった。



 今までの、自らに課してきた艱難辛苦と比べ、遊びは、当然だが、楽しみしかなかった。


 見た事のない世界。見た事のない大冒険。面白いストーリー。面白いゲーム性。


 全てが『快楽』でできていた。


 修行とは、まったく正反対だった。



――家族とは、こうして過ごすべきだったのだ。



 後悔。


 最初からこうしていればよかった。


 無謀な夢など求めず、くだらない剣の道なんて孤高の道を選ばず。


 普通に遊び、普通に家族と関わっていれば――。


――時間を無駄に使ってしまった。


 だから。


 やりなおすため。


 ケイトにアニメを、ゲームを、遊びを薦められた時は――運命を感じた。



――それは救いだった。



 剣の道は孤高だった。

 共に高めるライバルがいない訳ではなかった。

 だが、その圧倒的な力の差は、絆さえも切り裂いた。


 嫉妬、憎悪、諦め。


 それらが友を、自然と遠ざけていったのだ。


 孤高の剣士、神倉徹に友と呼べる存在はいなかった。



 だが、始めての経験だった。


 友達というものができたのだ。


 そこに勝負という概念は無い。


 競い合うのではなく、共に遊び、楽しみあうだけの――同志。


 やっとできた友、仲間。


 同じ共通の何かで盛り上がれる、仲間。


 勝ち負けも上下もない世界での友人、仲間。



 遊びなど無駄な時間の浪費と吐き捨てる者もいるが、なんという皮肉だろう。



 今まで人生の目標としていた剣の道こそが無駄だったのだ!


 やりたいことを、やりたいだけやりたいようにやってきたはずだった。


 だが、今は後悔しかない。


 自分でやりたいと決めたはずだった。


 祖父の薦めがあったとはいえ、自分で決めた道のはずだった。


――それなのに。


 グルグルと後悔を無限に続け、自ら心を傷つけ続ける兄を、妹はどう思っただろう。


 苦しみ続ける息子を、父は、母は、どう思っただろう。


 だが、その心が伝わる事はないのだ。


 しかし、守護とも言える偶然が起きる事が、稀にあるもので。



 鍵を開く音、家の扉が開く音で神倉徹は終わらない後悔という、無限連鎖の負の呪縛から解き放たれた。


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