第五十六話「村での日々(後編)」


 畑近くにある大きな樹。

 その下、日陰になっている場所へと座り込む。


 草と土の匂い。


 のどかで平和な一時だ。



 僕は両手を前にかざし、その言葉を口にした。


水よヴィッタ偉大なる精霊よ・アーケ・エーレ・ウェン♪ 我らにウィーア恵みを・グレイア与えたまえ・グウィーヴァ・ウェン♪ えいや、そーれ、はーヤーレ・ハーヴェ・ウェー♪」


 リズムを刻み、音を奏で。

 それは歌のように、小さく周囲に響き渡る。


 そう、それは呪文。


 僕が覚えた魔法だった。


 やがて、虚空に人の頭大の水が生成される。


 空中に固定されている内に口を付け、ジュルジュルと飲み干す。


 発動から三十秒ほどすると水がバシャンと落下する。


 飲みきれない分は、両手ですくうような形にして受け止める。


 手が汚れている事を忘れていた。


 まだまだ飲み足りなかったけど、水が汚れてしまった。

 しょうがないので手を洗う。


 生活魔法。水生成クリエイトウォーター


 こちらの言語では「水を生み出すボルン・ヴィッタ」と言うらしい。



 この世界には、よくあるなろう小説みたいなスキルシステムなんて便利なものはない。

 当然、ステータスオープンみたいな奴も無い。


 何かを急にピコーンと閃いて使用可能になったり、「スキル大魔導士を獲得しました」みたいに世界の声とやらが聞こえていきなりなんかできるようになるとか、そういうものは無いっぽい。多分だけど。


 この生活魔法は気合で暗記して覚えたのだ。

 まだこの世界の言葉もろくに理解していなかった時に。


 そう、あれはピネに拾われて目覚めてからしばらくした後。

 トイレで用を足した後に、とある事情でどうしようもない危機的状況に襲われたのだ。


 それはつまり……なんていうか。


 小ならともかくさ。大をした後にお尻を拭く紙が無かったんだよね。


 え? え!? どうすればいいの!? ってオロオロしている時にピネがやって来て……。


「もしかして生活魔法、使えないの?」


 みたいな事を言って、この魔法を使ってくれたのだ。


 その後、再度水魔法と浄化の魔法で手を綺麗にしてくれた後、熱乾燥の魔法で手を乾かしてくれたピネが、「明日、教会に行こうね」みたいな事を言ってくれて、村の中央にある教会に連れて行ってくれたのだ。


 みたいな事とは言うものの、今ではそれなりに言語がわかってるので、ほぼ合っている事が判明している。


 それはともかく。


 そこの教会で、生活魔法を授与してくれたのだ。


 この村では、生まれた子供が3歳くらいになった頃にはこの儀式を受けるしきたりになっているそうで、それ以降は親が呪文を忘れないように学ばせていく流れになり、遅くとも4~5歳までには生活魔法を使えるようになっているのが当たり前なのだそうな。


 だから当然、生活魔法の登録もろくになされていない僕を教会の人はかなりいぶかしんだ。


 けどピネが、


「きっと異世界から来た勇者様なんです!」


 という強力な謎プッシュを行った結果、神官の人は折れた。


「まぁ、本物ならば祭りの時期にわかるでしょう」


 という謎の言葉と共に。


 祭りって何? と聞くたびに、ピネは「そのうちわかるよ」といい笑顔で返してくれるのだった。


 最近では「そのうち」ではなく「もうすぐわかるよ」になっているのでちょっと期待してたりする。


 ちなみに何の祭りなのかについては村人に聞いて見ると、かつて村に勇者がやってきて森の魔女を退治してくれた記念の祭りなのだそうな。


 それでなぜ本物かどうかがわかるのか。なぜかそれについては教えてくれないのだが……。


 なんか村人だけの秘密とか掟みたいなものがあるのだろうか。


 それはともかく。

 生活魔法。これはとても便利だ。


 呪文を唱え、少しの体力消耗と共に使用できるのだが、水は作れる、風は起こせる、体を綺麗にできるし、ドライヤーみたいな乾燥熱風も生み出せる。他にも様々な便利魔法がセットで身に付く。


 これは素晴らしい。


 今も水を頭からかぶって全身を塗らしつつ、風を生んで涼んでいる所だ。


 ちなみに今着てる衣服も借り物だ。

 麻とか綿みたいな、なんか天然素材チックなものでできているようで、肌触りとかも凄くいい感じ。


 ちなみに学ランは家に飾ってある。

 あんなもの暑くて着ていられないからね。


 そう、家の壁に飾ってあるのだ。

 デ~ン! って感じに。


 ピネはなぜかあの学ランをとても気に入っている。

 まぁこっちの世界では珍しいだろうし、しょうがないんだろうけど。


 そもそも、彼女が目覚めた僕に対して口にした言葉を覚えているだろうか。



あなたは何者ですかユラー・ウィトソ? アイラーこんな服・ヴィジブ見たことない・スウィト! あなたがユラ・伝説のレジェナ・勇者さまブレハ・アヌズハ!?」


 である。


 彼女は僕の衣服を見て、僕の事を「かつて異世界からやってきたという御伽噺の勇者様」と重ね合わせてしまったようなのだ。


 まぁ、異世界から来た、って所までは合ってるんだけどね。


 けど、僕はだんじて勇者さまなどではない。


 勇気は無いし、世界を救う力だって、特別なものなど何も持ってない。


 異世界から来ただけの、ただの普通の人だ。


 むしろ、この世界では、村人よりも非力なくらいの……凡人以下の存在だ。


 それなのに。


 ピネは僕に優しい。


 村長さんいわく、ピネは異世界から勇者様がやってきて、自分をさらってくれると夢想しているきらいがあるのだとか。


 現実逃避。


 わからないでもない。


 だって僕もそうだったから。


 退屈で辛い日常から、非現実がやってきて僕を連れ去ってくれる。


 そんな夢想を、僕も――僕達もしていたのだから。



 重たくなってしまった気分を吹き払うように、再度水の魔法を唱え、頭からかぶる。

 風の魔法と併用するととても気持ちがいい。



 ちなみに、この魔法を使うための呪文についてだけど。


 最初は当然だけど苦労した。


 だって、言葉さえわからない状況で使わざるを得なかったのだから。


 それでも、呪文だけは気合で覚えた。


 もう本当、気合で暗記せざるをえなかった。


 けど、ピネの歌うようなやりかたがよかった。


 音とリズムに合わせて覚えるのだ。


 なんでも、ピネが子供の頃に母親が教えてくれたやり方らしい。


 とても覚えやすかった。


 子供だったピネに、呪文だけでも覚えられるようにと、歌にしてくれたのだそうな。


 ちなみに、えいや、そーれ、はーヤーレ・ハーヴェ・ウェーの部分は、本当はいらない。


 けど、覚えやすくするために、リズムをよくするために付け加えたっぽい、とピネは話していた。



 ……ぽい。そう、理由はもう誰にもわからないのだ。



 だって、ピネの御両親はすでに亡くなっているのだから。



 ピネは今、村長さんや村の人に支えられながら独りで生きている。


 それなのに、ただでさえ大変なはずなのに。


 僕なんかを拾ってくれたのだ。


 その恩に報いるためにも、がんばらなければ。



そろそろ休憩終わりナウア・レスタウェンいけるかユラ・ゴナ・レ?」



 呼ばれ、作業に戻る。

 今度は収穫した野菜を籠に乗せるといった単純労働系の力仕事だ。


 大量の野菜をかかえて、荷台に乗せる。


 村の一員として生きる以上、最低限働かなければならない。


 ニートなんてとんでもない。

 人員はいくらあっても足りないくらいなのだ。


 あの世界の……都会とはまるで違う。


 生きるために。

 本当に純粋に、生きるために。

 ただ生きるために、働かなければならない環境。


 あの生ぬるい現代社会とは本当にまるで違う。

 僕はあんなにもぬるま湯のような世界で生意気にも悩み苦しんでいたのだ。

 そして、そんな世界に甘えながら、生意気にも異を唱えていたのだ。


 恥の多い人生でした。

 今、その恥に気付いた気分で一杯だ。


 無知の知。


 恥は知らなければ恥では無い。

 気付いた時に、恥になるのだ。




 夕日の赤に照らされて。


 巨大な太陽と広大な空の下。


 自分の小ささが身に染みる。



 自分の小ささ。ここではそんなことを考える暇さえない。

 今日生きるために働くだけで精一杯。



よしサー今日はこれまで・トディエラ・ディ・セ・フィニお疲れさん・グルハルドラ



 思い出したかのようにどっと湧き出る疲労感。体中が悲鳴をあげていた。



 今日もがんばった。



 明日もがんばろう。



 僕は家へと――。



 ピネが待っている家へと帰路に着くのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る