第五十七話「クローグ村」
夕日の赤に照らされた帰り道。
あらためて周囲を眺めてみる。
遠くに森が見え、平原があり、ログハウスのような木製の家がポツポツと建っている。
クローグ村。
僕が流れ着き、ピネに助けてもらって、今生活している村。
とても小さな村だけど、のどかで良い所だ。
なんでも遠い昔に薬師でもある魔術師のクローグという人物が隠遁するように住み着き始め、やがて森の素材を集める中継地点として発展していったのだそうな。
僕が流されてきた川。その上流にある樹海。アジャラタの森。
そこにはゴブリン……じゃない、
だからちょっとだけ危険ではあるけれど、森の恵みには変えられないそうで……。
ホゴルブの森。
ここから村を挟んだ先に見える、村から徒歩で三十分程の距離にある広大な森。
そこでは様々な薬草や薬果が取れるのだそうな。
それらは病気の治療や毒の治療、それらをサポートする治癒魔法の触媒等に使われるらしい。
白い花を咲かせる薬草、ミルト。
拳大の真紅の実を付ける樹、クスィ。
オレンジ色の小さな実を付ける草、ラシャ。
尖った葉を持ち、紫色の毒の実を付けるけど、根には薬効があるという花。フォグラジス。
怪しい蛍光色な色合いの蒼いキノコ、モグリム。
緑の実は食用にもなる、けれどその葉にこそ薬効が宿るという樹。ジュペレス。
どれも珍しい植物らしく、この近辺ではホゴルブの森以外では手に入らないものばかりなのだとか。
魔法も万能ではない。傷を癒したり、病を治したり、毒の治療を行う魔法は難易度が高いらしく、その魔法を使用するには様々な薬草や薬果を使用した秘伝の薬が触媒として必要となるのだそうな。
ちなみに行商人のバンガスさんから聞いた話によると、この世界はエルデフィア、と呼ばれているらしい。
いつからそう呼ばれ始めたのか、さだかではないらしいが、古代魔法文明の時代にはそう呼ばれていたらしい。
そして、ここはヘスカラント。
周囲を海に囲まれた巨大な島なのだそうな。
かつて古代魔法文明時代には海を隔てた大陸との交流もあったのだそうだが、今では海の巨大な魔物に阻まれてちょっと近くの海で漁業を行うぐらいが限界らしい。
今ではもう、他大陸にまだ人が住んでいるのかさえわからない状況なのだとか。
そしてここヘスカラントは今、二つの国に分かれている。
アジャラタの森を挟んで北に存在するグリムレア公国と、ここから南に存在するガルツ共和国だ。
南に向けて馬車で一週間も旅をすればガルツ共和国の首都に辿り着くのだとか。
バンガスさんもそこからやって来ているらしい。
僕だって何もしてこなかった訳じゃない。
言葉の勉強がてら、そして情報収集も兼ねて、色々教えてもらったりしてきたのだ。
「おう、ケイト君」
近所の御老人。ジノーさんが挨拶してくれる。
「どうも、こんばんわ」
こちらも挨拶を返す、
ちなみに、当然喋っているのは現地語だ。
たまに片言みたくなってるかもしれないけど、きちんと喋れているはずだ。
「やぁケイト君。お疲れ様だね」
「どうも、こんばんわ」
道行く人から挨拶される。
同じ返し方しかできない。
異国語難しいです……。
そんな感じで村人から挨拶されながら帰る道すがら、近所のおばさんに話しかけられたり、御老人とおしゃべりしたりしながら帰路を進んでゆく。
みんな良い人ばかりだ。
もっとも、最初は警戒されてたみたいなんだけどね。
ピネががんばって裏で色々とりなしてくれたらしい。
仕事も手伝うようになって、言葉も通じるようになって、しばらくしたらいつのまにかこんな感じになっていた。
ちなみに、一部の人は、僕をガルツの大富豪一家のお坊ちゃんだとか、グレムリアの道楽お貴族息子だとか思っているらしく、上手く取り入れば何か褒美をもらえるかも、とか思ってた人もいたんだとか。
いずれにせよ、祭りになれば“勇者であるかどうかはわかる”らしいので、今はみんな様子見状態のようだ。
祭りとやらで何があるのかわからないけど、がっかりさせて追い出されないか心配だけどね。
「おう、ずいぶんとらしくなったじゃねぇか坊主」
そんな僕に声をかけてくる男。
「バンガスさん!」
白髪交じりの短髪、口髭がよく似合う、頭に巻かれた赤いバンダナのせいで山賊か海賊か、とも思わされるいでたちの中年。
彼が行商人のバンガスだ。
「うまくやってるみたいだな。これでやっとお前さんもケイト・クローグになったってとこか?」
ケイト・クローグ。
つまり、クローグ村のケイト。
このヘスカラント、特にガルツ共和国領では貴族だけでなく平民も苗字を持つ事が許されている。
けれど、ここクローグ村では、真名を明かす事は禁忌とされている。
なので苗字の代わりに村人はクローグを付けて名乗る。
その理由は、なんでも呪いの中に「相手の真名を呼ばなければ使えないもの」があるらしく、それから身を守るために風習となったのだそうな。
特に、かつて森に住んでいた魔女はそういった呪いを得意としていたらしく、今でもその名残でタブーは続いているらしい。
始めて会った時、ピネは、
「
と真名を明かしていた。
本当はピネ・クローグと言わなければならなかった場面でだ。
それだけ僕に期待していたのかもしれない。
一体、僕はその期待にどこまで答えられるのだろうか……。
「うまく馴染めているといいんですけど」
「安心しろ。お前さんはうまくやれてるよ」
バンガスさんは豪快に笑った。
「だいぶ言葉、上手くなったな」
「そうでしょうか?」
思わぬ所で褒められた。
「だってよぉ、最初の頃のお前さんときたら」
こらえきれなかったのだろう。押し殺した笑いを漏らすバンガスさん。
「その話はもうやめにしましょう」
何でも、最初の頃にがんばって覚えた僕の言葉は……なんと、いわゆる女性言葉だったらしいのだ。
それも、小さな子供の喋り方。
つまり、可愛らしい女の子が喋るような言葉遣いで僕は喋っていたらしいのだ。
なんたって、言葉の模倣の中心となる相手はピネだ。
最初はピネの言葉を模倣する事になる。
そりゃあ口調だって似るに決まってる訳で……。
「いやぁ、見た目もあったしなぁ、あん時は悪かったなぁ坊主」
僕の見た目が小柄で中世的な事もあって、どうして女の子が男装してるんだろう?
とか思ってしまったのだとか。
いや、声でわかってよ。
まぁ、ずいぶんとハスキーな声の女の子だとは思ったらしいけど。
「体つきも立派になってきたな」
「力仕事、がんばりましたから」
だいぶ体も鍛えられた……と、思いたい。
「……この村から出たいって気持ちは、まだあるのか」
「はい」
バンガスさんには色々と話していた。
といっても、本当の事なんて全部伝えるわけにはいかないから色々とぼかしながら。
冒険者になって旅に出てみたい、という話になっている。
だから行商人のバンガスさんに色々聞いて回っている、という事にして情報収集を続けてきた。
ちなみにこの事はバンガスさんとの二人だけの秘密だ。
「冒険者なんて言ってもなぁ。有名な御伽噺とかじゃあ英雄なのかもしれねぇが、実際は相当にアレだぜ?」
「覚悟しています」
「なら、今度ツレに話しといてやろう。今のお前さんなら少しくらいは稽古についていけそうだ」
バンガスさんは今、村の宿泊施設に泊まっている。
稀に緊急採取依頼などでやってくる冒険者や、バンガスさんのような行商人、そして森の植物の生態を調べに来る学者などが泊まる施設があるのだ。
宿泊施設と言っても、滅多に使わないから、普段は村人が住んでる家の空き部屋を使っているだけなのだが。
当然、彼らを護衛する冒険者もそこに宿泊する。
バンガスさんも当然、身を守るために連れて来ている。
ツレとは、その冒険者の事なのだろう。
体を鍛える期間は終わった。
そろそろ次のステップに進む頃合かもしれない。
「しっかし、前見た時は服装以外、完全に女の子だったのになぁ」
喋り方だけでなく、体の貧弱さも女の子に見間違えられた要因である事は間違いなさそうだ。
この世界では、特に異端に見えたのかもしれない。
「それじゃ、しばらくはいつものとこにいるから、用事があったらよってくれ」
「はい」
バンガスさんは愉快そうに微笑むと去って行った。
ディストピア~蒼天のヘスカラント~ 金国佐門 @kokuren666
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