第五十一話「逃走1~異世界転移したら無双どころか親友を惨殺されたので逃げだした結果~」


 無数の煌きが森の中を駆け抜けた。


 僕はそれを、何もできずに見ている事しかできなかった。


 風を裂く音が耳元を掠めていく。



 目の前では、親友が――タケシが――まるで歪な舞でも踊るかのように……。



 右腕を射抜かれ、腕が後方へと流され体勢が崩される――左手を射抜かれて、手が後方へと流される。



 衝撃で体が大きく揺さぶられ――それは奇妙な舞を見ているようで。



 胸を射抜かれて、背中に矢じりが突き出して、赤い血に染まっていた。


 脚を射抜かれて、肩を射抜かれて、それでもタケシは立ち続けていた。



 ガクンとタケシの首が後方へと弾かれるように動かされ――その額中央には、棒状の何かが深々と突き刺さっていた。



 タケシがゆらりと後方に体を傾けつつ、たたらを踏む。



 首も、胴体も、腹も、右目も――射抜かれて、射抜かれて、射抜かれて――。



 赤い、赤い血に染まった矢じりが背中から突き出ているのが遠めにも見て取れた。


 こんな暗い森の中だというのに、忌々しいあのおかしな月明かりのせいで、目の前の光景が瞳の中へとまざまざと焼き付けられてしまう。



 僕は、その光景をただ黙って見ている事しかできなかった。



 やがて、矢の雨が止むと、そこには――全身から血を流したタケシが立っていて……。


 ガクリと、タケシは大きく反らせた首の重さで後方によろめくと、背中から大地へと崩れ落ちるように、倒れた。


 アニメやゲームなんかじゃないから、当然の事だけどゆっくりとスローモーションになんて当然ならない。


 あっさりと力無く、バタって……ドサって。


 あっけなく簡単に……それがごく自然であるかのように、糸が切れた人形のように、倒れた。



「……タケシ?」



 その瞳は見開かれたままだった。


 片目なんか矢に射抜かれている。


 それなのに、痛い、とすら言わない。


 それどころか、ピクリともしない。


 微動だにしない……。



「嘘だ……」



 口からはゴポリと赤い血が零れ落ち、周囲の地面が徐々にナニカに染まっていく――。



「タケシ!!」



 最後の力を振り絞るように高々と左手が上げられた。


 だがそれもやがて、力なく地面に落ちた。


 思い出したかのようにビクビクと大きく数度痙攣してからタケシは――。


 僕の親友は――動かなくなってしまった。



「タケシィィィィ!!!」



 僕の叫びが、暗い森の中に木霊した。



 二つの不気味な月明かりの下。



 遠くて暗くて見えないはずの場所に、確かにその現実は存在して。



 見たくないのに。本来ならば暗くて見えないはずなのに。



 あの異常な月明かりのせいで、僕は目の前の現実を突きつけられる。



 そして、その現実を受け入れざるをえなかった。




「あぁぁ……」




――僕は大事なものを今、失ったんだ。




 不良に絡まれていた時に颯爽と現れて僕を救ってくれた。


 アイツは僕の理想だった。


 そして、最高の親友だった。


 一緒に馬鹿やって過ごした。


 面白い奴だった。


 いつだって周りを笑わせてやろうと、無理やりにでも笑顔を生み出すムードメーカーだった。


 もっと沢山遊びたかった。


 いつまでも一緒にいられると思っていた。



 でも、その親友はもういない。



 なくなってしまったから。



 亡くなってしまったから。



 僕の親友は、死んでしまったのだ。



「あぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁああぁああぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!」



 涙で滲んで何も見えない。


 ただ、ただ音が聞こえる。


 獣のような咆哮だ。


 それはもはや音。


 声とは識別できない振動の波。


 喉の奥から吐き出された波の塊だ。




 喉が張り付くように痛い。


 この音はどこから出ているのだろう。




 ひどくうるさくてたまらない。



 すごくちかくからきこえている。



 おとのはっしんげんは――。




――ぼく?





「――りしろ! おい、ケイト!! 戻ってこい!!」



 体が揺さぶられる。



 何……?



 うるさいなぁ……。



 なんだってのさ……。



 ぼくはいそがしいんだ。



 何に?



 なににだっけ。



 とにかく、■■■■――で忙しいから――■■■■なんだよ。



 だから■■■■、放っておい■■■■――。



 ■■■■――。



 あぁ■■■■……もう■■■■、なんだっけ■■■■――?




「おい!! しっかりしろ!! 目を覚ませ!!」



 耳障りな音が耳元をかすめていく。



 なんだよ……ウットオシイナ。



 ナニカが通り過ぎていく。



 キラキラとドこかカラ飛んでくル。



 頬ヲ掠めタ。



 痛イ。



 ドウデモイイ……。



 ほほにてをやると、ぬめっとしたなにかがてにふれた。



 にじんだしかいのなか、あかくそまったなにかがみえた。




「くそ! ふせろ!!」




 ちからづよいいきおいでひきよせられた。


 かたいなにかに、かおがおおわれた。


 あたたかい。


 さっきまでいたばしょを、なにかがひゅんひゅんととおりすぎていくおとがした……きがする。


 いくつも、いくつものおとがした。


 かぜをきるようなおとだった。




「しっかりしろ!! ケイト!!」




 衝撃。



 頬に。



 痛い。




「ケイト!!」




 トールの声だ。



 頭の上からトールの声がする。



 硬い何かに顔が覆われている。



 暖かい。



 けど、少し汗臭い。



 見上げると……涙で滲んでよく見えなかったけど、トールの顔らしきものが見えた。




「お前は……! あいつの死を無駄にする気か!!」



 何?



 あいつの……。



 死……?



 あいつ?



 あいつ……。



 あいつ――。



 タケシ……。



 僕の親友。



 タケシの……死?



 タケシ――。



――僕の親友……。



「あぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁあああああああああああ!!!」



 もう、いないんだ。



 もう、二度と……。



 死んでしまった。



 殺された!!



「~~~~ッッ!! ~~~~ッッッ!! あああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!!」



 危ないから止めるべきだったんだ。

 けど、あの顔は何かを理解している顔だったから。

 タケシとはそれなりに長い付き合いだったから、その顔を見て理解してしまったんだ。

 もうみんなが限界だって事、何か情報が無ければ心が折れてしまうって、知っての行動だってわかってしまったから。

 だから、止められなかった。


 僕は止められなかった!


 その選択の結果が、これだ!



――僕はまた、誰かの命を犠牲にして生き延びたんだ……。



 大事な親友を……犠牲にして……。



 こんな僕だけが、生きてる。




 僕は泣いた。


 トールの胸に抱かれながら。




 風を切る音がする。


 無数の矢が飛び交っていた。


 僕はトールに抱き寄せられながら、いつの間にか樹を遮蔽にして座りこんでいた。



 トールが助けてくれたのか。



 トールが引き寄せてくれなかったら、今頃は僕もタケシのように――。



 いや、違う。



 それだけじゃない。



 タケシが……助けてくれたんだ。



 だって、タケシがトールを残して行ってくれたから――。



 だから、僕は助かったんだ。



 もしも、トールとタケシが前に出ていたらもっと楽に倒せただろう。



 けどその場合、この矢の雨に射抜かれて僕はきっと死んでいた。



 反応さえする事ができずに、あっさりと死んでいた。



 だから、タケシの行動は――間違っていなかったんだ。



「……~~ッ!!」



 自然と涙が零れて落ちた。



「泣くな! いつまで呆けているつもりだ! 気をしっかりと持て!!」



 アキラの声がした。


 その声に振り返る。


 アキラがリョウと麻耶、二人をを地面に伏せさせながらこちらを見ていた。


 声は僕にかけられたものではないようだった。


 アキラの下で、リョウが泣いていた。


 麻耶嬢は呆然と両目を見開いたままだ。



「ここで死にたいのか! 立て! 立ち上がれ!」



 遮蔽になる樹へと二人を引きづりながらアキラが激励を続ける。



「……逃げるぞ」



 こんな状況でもアキラは冷静に目の前の現実に対処し、やるべき事を考えていた。



「人まとまりになってもあの矢の雨ではやられてしまう。各自バラバラの方向に走って逃げるんだ」



 確かに、良いアイデアかもしれない。


 散り散りになれば狙いが分かれる。そうすれば矢の密度は下がる。


 それにここは森だ。無数の樹が遮蔽になるかもしれない。


 何より、僕たちは戦いなんてした事もない素人だ。勝ち目がない。


 逃げる以外に選択肢はない。



 だけど――。



「――断る」



 その唯一ともとれるであろう妙案に対し、有無を言わさぬ確固たる意志で、否定の言葉が響き渡る。



 その言葉は、トールによるものだった。


「どういう事だ?」


アキラが静かに問う。


「俺はここに残る」


 トールは矢の雨の発生源、敵の群れを見据えて顔色一つ変えることなく答えた。


「トール……?」

「神倉……」


 問いかける言葉に、トールは力強くその言葉を口にした。


「ここは俺に任せろ」


 木剣を握り締め、トールが立ち上がる。


「俺が殿しんがりを務める。お前らは先に行け」


 その眼には強い光が宿っていた。


「無茶だよ! あんな数相手に! 死んじゃうよ!」


 樹から少し顔を出して覗いてみれば、森の奥には無数の赤い瞳。

 これだけの矢の雨だ。何匹いるのかわかりゃしない。

 そんな中に? たった一人で?


「確かに、普通ならそうだろうな」

「だったら……!」

「案ずる必要は無い」


 トールは……神倉徹という男は、ギラついた眼で森の奥を見据え、小さく口端を歪めて笑みを浮かべると、誰にともなく小声で一言口にした。


「――すぐにわかる」


 彼はその言葉と同時に飛び出した。

 そして、いつの間に接近していたのか、すぐそばまで忍び寄っていたゴブリンらしき異形の人型へと一足飛びで近づくと木剣を振り下ろす。

 頭部を殴打され、頭蓋をひしゃげさせながら異形の人型が大地へと崩れ落ちる。


 一匹だけじゃなかった。

 周囲には三匹のゴブリン。

 一瞬でトールは木剣をひるがえし、胴へ一撃。振り下ろされる棍棒を叩き上げ、頭部へと振り下ろす。


 一瞬の出来事だった。

 頭部を打ち砕かれた三匹のゴブリン達が、金色の粒子になって溶けて虚空へと霧散する。


 そんなトールめがけて、無数の矢が飛来する。


 だがしかし。トールはまるで見えていると言わんばかりに、ヒョイと体を半歩ほどずらしつつ、頭を横に動かす。

 するとどうだろう。ちょうど彼が動く前に体があった場所を矢がすり抜けていくではないか。


 トール、神倉徹という男はなんと、矢の雨をなんなく回避したのだ。


 まるで止まって見えると言わんばかりに、無数の矢の雨を最小限の動きで回避すると、トールは再び別の樹を遮蔽に取るべく駆け出した。


「お前らは足手まといだ。早く逃げろ」

「でも!」

「終わったら俺も行く。だから行け」


 僕は説得を試みようとした。


 だって、もう誰の犠牲も嫌だったから。

 誰の死も見たくなかったから。


 けど、何の言葉も思い浮かばなくて。

 誰かが犠牲にならなきゃ逃げられないって、頭では理解できてしまって。


 僕はまた、誰かの犠牲で生きようとしている。

 こんな、罪深い生を――。


 その現実に吐き気がした。


 けど――。



「任せていいんだな?」



 アキラが静かに問う。



「あぁ、任せろ」



「死ぬなよ……」



 アキラの言葉に、トールは敵陣を見据えたまま力強くこう応えた。



「別に、全部倒してしまっても構わないのだろう?」



 それは、某有名なゲームの台詞だった。

 死地におもむく戦士が、男の背中を見せながら、決して勝ちえぬ戦へと向かい、死する時の台詞だ。



「冗談だ。森の外でまた会おう」



 遮蔽に取った樹の後ろで、敵陣を見据えた顔を少しだけこちらに向けて、トールは小さく微笑んだ。



 弓の雨が一瞬途切れた。



 矢を装填する一瞬の隙だ。



「行け!!」

「走れ!!」



 アキラの号令に、全員が異なる方向へと走った。



 僕も全力で走った。



 その背中に、アキラの声が届く。



「ケイト!」



 耳を叩きつける風の音と、遠のいていく距離のせいでよく聞こえない。



「ま――可能性――るはずだ――! ここが――のあ――世――だとしたら――!!」



 振り返ると、トールがさらに別の大柄なゴブリンを打ち倒す姿が見えた。



「必ず――はずだ! その――が!」



 死に際のゴブリンの悲鳴が木霊する。

 トールに群がる更なるゴブリン達の耳障りな奇声。

 そのせいでよく聞き取れなかったけど――。



「決して、諦めるな!!」



 僕は確かに、その言葉をしっかりとこの耳で聞き届けた。


 森の中を走って、走って、僕は――。


 アキラのその言葉だけを胸に刻み込んで、走りぬいたんだ。

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