第五十二話「*神倉徹の死闘」




――思えば、このためだったのかもしれない。



 神倉徹は一人、思いに耽る。




 彼はずっと悩んでいたのだ。




――『何のために剣の道を選んだのか』と。




 飛来する無数の矢を見やる。


 神倉徹には見えていた。


 自らの体へと被弾するであろう矢と、はずれるであろう矢の違いが理解できていたのだ。


 怪しく不気味な月明かり。


 暗い森の中だというのに不思議とくっきりと見えるその光のおかげでもあったが、それだけではなかった。



――ゾーン。



 神倉徹は厳しい修行の結果、極限状態における超集中により、周囲のスピードが遅くなって見える程に思考を加速させるという技を身に着けていた。


 ゆえに――。


 当たる矢と当たらない矢の違いなど、動きの流れで理解できた。


 ゆえに半歩だけ後ろ足を引き半身になった後に、首と右手の位置を軽くずらす。


 それだけで、まるで神倉徹を避けて通るかのように矢がすり抜けて行くのだ。




――思えば、最初は父さんに無理矢理習わされたものだったな……。




 それがやがて古流剣術にはまり、大会でも良い成績を残せるようになって、楽しくなって、誰にも負けない特技となった。




 だが、彼の思いは変わった。


 剣の時間が、修行の時間が、大切な時間を奪っていた事に気付かされたからだ。




――こんなくだらない児戯に時間をかけさえしなければ。



――もっと、家族との時間を大切にしていれば……!




 激しい後悔。


 家族を失って以来、神倉徹はずっと悩み続けていた。




――『俺は、何を間違えてしまったのだろう』と。




 神倉徹は駆け抜ける。


 森の中を駆け抜ける。


 次なる矢の雨を容易に回避すべく、樹を遮蔽にし、左翼展開を目論む弓兵部隊目がけて駆け抜ける。



 だが、そんな神倉徹に迫り来るは白兵型の異形、その数、二。



 片方はボロボロの長剣らしきもの。片方は薄汚れた槍で武装している。



 神倉徹は思考する。

 槍のリーチは危険だ。刀の間合いよりもはるかに長い。

 女子が薙刀を習うのはリーチの差を補えるからだ。

 男が薙刀を使えば、当然刀よりも間合いが取れる分、はるかに強い。


 だが、ならばその利点をなくしてしまえば良い!



 一瞬の思考の後、神倉徹は左から迫る異形の人型へと一足飛びにて接敵する。

 異形は直線的な槍の一刺しで応戦する。

 その一撃を半身になって避けると、神倉徹は鋭い剣打を側面へと振り下ろす。


 鈍い音と共に槍の柄がへし折れ、ただの棒切れと成り果てる。



 それでも人型の怪物は短くなった棒を振り回し、尖った先端を向けて攻撃を続ける。

 柔らかな肉に突き刺すことができるのであれば同じことだからだ。


 だが、そんな一撃さえも、神倉徹はサイドステップでひらりと最小限の動きにて回避する。

 そして避けると同時に、振り上げた木剣を打ち下ろすのだ。



 頭部を粉砕された怪物が金切り声を上げて倒れ、やがて金色の粒子と成り果てて消滅した。




 神倉徹は戦いながらも思考する。


 戦の中で振り返る。


 己が人生のその意味を。




 目の前に立ちふさがる長剣と盾を持った異形。

 その背後には左翼に展開した弓兵多数。




 こいつを倒せば――!!




――きっと、これで、報われる。




 神倉徹は後悔していた。


 己の歩んできた剣の道を。




――自分は一体何のために剣を手にしたというのか。




 何度も自分に問いかけてきた。



 だがしかし!



 今この瞬間に理解する!



 この人生が、あの苦難の日々が、今日この日、この時のためにあったのだとすれば……!




――俺はきっと、報われる。




 神倉徹は剣を振るう。

 ただひたすらに、戦いを続ける。

 孤独で、ただ命を散らせるだけの死闘だ。


 だが、それでいい。


 神倉徹はその命を燃やして剣を振るう。

 己が苦難の日々にせめてもの意味を見出さんと!




 異形の赤い瞳がギラリと煌めくと、一瞬の跳躍の後に、鋭い踏み込みからの突きが放たれる!

 先手たる一撃を繰り出してきたのは異形の人型だった。

 長剣と盾を構えた姿。実に戦いなれている。

 その動きに一切の無駄は無く、隙も無い。


 だがしかし――。


 その一撃を、剣先を下に向けた木剣の横腹で流すように軽くいなすと、そのまま胴体へと叩きつける。

 アバラをへし砕いたであろう不快な感触がその手にまとわりついた。


 だが、温い。甘い。


 これは刃の付いた真剣ではないのだ。

 ゆえにそれだけでは死に至らない。



――ゆえに、相手はまだ、生きている!



 痛みにぐらりと揺らぐ怪物の頭部へと、バックステップで側面に移動しつつ、面打ちを全力で叩き込む!


 その一撃で、異形の怪物は即座に絶命し、金色の砂塵と化して消滅した。




 神倉徹は安堵する。

 これで報われるのだ、と。



――『俺の人生は無駄ではなかったのだ』と。




 弓兵の群れが矢を一斉掃射する。


 既に、その距離は近い。

 まだ槍の間合いよりも遠い。

 だが、もはや近づいて打てない距離ではない。


 この機を逃す訳には行かない。


 神倉徹は迫る矢の雨へと向かって駆け抜ける。




――そうだ。この戦を全うする事で俺の人生に意味が生まれるのだ。




 神倉徹が剣を身に着けた意味。

 この日。やっと彼はその意味にたどりつく事ができたのだ。理解する事ができたのだ。受け入れる事ができたのだ。



 なぜなら、彼が今まで剣の道に人生を捧げてきた意味が、やっとここに成就されるのだから。




 射線上にある矢を知覚する。

 視界内、被弾するライン上の矢をできるだけ少なくできる道筋を探り出し、駆け抜ける。

 それでも被弾する流れにあった矢はあった。それらは木剣の腹で受け、叩き落し、半身になり、被弾しうる部位をわずかに傾け――神倉徹は歩みを止めることなく、前進を続ける!


 頬にかすかな痛み。

 わずかに避け損ねた矢がかすめたのだ。


 スローモーションの世界。


 頬から流れ出る赤い血潮が視界の端に映る。



――どうって事は無い。支障なし!



 急速に接近する神倉徹を前に、弓兵の群れは次弾たる矢を手に慌てて狙いを付け、やぶれかぶれに射抜かんとする。


 だが時すでに遅し、戦場は白兵の間合いと化していた。


 下手に射れば味方を撃つ。それでも関係無しと射撃を試みる弓兵達の頭部を、神倉徹の無慈悲な木剣が打つ、打つ、打つ!!


 射られた矢を最低限の動きで避けながら、あっという間に神倉徹は左翼展開中の弓兵、一部隊を殲滅させるに至る。




 神倉徹は刹那の圧縮された時間の中、自らに問いかけていた。




――思えば、どれだけの時間を無為にしてきたものか。




 全てを犠牲にして、この剣の道に打ち込んできたのだ。


 家族との、あるべきであった幸福な時間さえも捨てて……!


 何故か。




――あぁ、今ならわかる。全てはこの時のためだったのだ。




 友の命を救うため。

 仲間の命を生かすため。


 そのためにこそ、俺は剣の道に生きてきたのだ!




――そう思えたなら、ここで死するも悪くない。




 神倉徹は刹那の中、片頬を上げ小さく微笑んだ。




 次に狙うは中央に展開したままの弓兵部隊。

 護衛の白兵型亜人は三体。右翼展開中の弓兵部隊も健在。




――なんの、まだいけるさ……!




 神倉徹は圧縮された刹那の時の中、過去に思いをはせる。

 思えば厳しい鍛錬の日々だった。

 もしかしたら祖父は、こんな戦を想定していたのかもしれない。

 毎日の厳しい稽古の中には、己の体力の限界を超えさせるためのものもあったのだから。


 終わりなく剣を振るわされた。

 腕が鉛のように重くなり、体が粘ついた泥に包まれたように動かなくなろうとも、延々と剣を振り続けた。


 重りを付けて山の中を歩かされた。

 水も制限され、何キロも行軍させられた。


 走らされた。とにかく走らされた。

 毎日毎日走り続けた。


 戦の基礎は体力だと、体で教わった。



 ゆえに――俺はまだ、戦える!!




 迫る白兵型の異形、その数、三。

 所持武装。棍棒一、斧一、双剣一。


 振り下ろされる棍棒の一撃を避け、胴に一撃!

 迫る手斧のなぎ払いをサイドステップで避け、棍棒使いの脳天に一撃。


――絶命!


 二刀剣の突きを半身、払いをバックステップで避けると手斧使いに近接。

 手斧を振り上げる暇も与えずに喉元に突き!

 そのまま蹴飛ばして背後の双剣使いの攻撃に応戦。


 振り下ろした異形の右手に小手。

 手の甲の骨が砕ける感触。

 敵が剣を落とし、苦痛に悶える。

 その脳天に一撃。


――絶命。


 転倒して悶え苦しむ斧使いに近づき、その脳天に一撃。



――絶命!




――これならば、許してくれるはずだ。




 家族との時間をないがしろにした、罪深き俺を。


 父も、母も、妹も。


 命を賭して闘い、仲間のために死したのであれば、きっと!




 迫り来る矢の雨も、もはやそよ風の如し。


 いつしか神倉徹は、顔にギラついた鬼神の如き狂笑を浮かべていた。

 そして、さながら死を振りまく暴風と化しながら、敵陣へと迫りゆく。


 そのような、人外の領域へと成り果てた男に、恐れるものなどありえようはずもなく。


 ゆえに、放たれる無数の矢雨の一本さえも、その身に触れることは無かった。




 神倉徹はあの日、生きる意味を失った。


 家族を失い、剣を振るう意味さえも無くなった。


 全てが空虚だった。


 世界がまるで自分だけを残して空っぽの偽物へと変わったかのように虚ろだった。


 その中に、唯一与えられた小さな光明。


 それが、新しい友との楽しい時間だった。


 だが、所詮それは偽りの灯火。


 絶望の闇に凍りついた彼の心を真に溶かしきるには時間が足りなかった。


 ゆえに今、神倉徹は死地を求めていた。



――ここで死んでもかまわない。



 そのつもりで戦っていた。


 いや、実際にここで死ぬつもりなのだ。




 だが、まだ足りない。




――俺の命をくれてやるにはまだ足りない!!




 猛然と進撃するは闘神が如き狂剣の担い手。

 その手に握られしは返り血で赤く染まった巨大な木剣。

 一瞬の接敵と共に、矢を放ち続けていた中央部隊の弓兵を一体打ち倒す。

 何度も繰り返してきた動作。

 ゆえにそれは最適解たる最小限の無駄を省かれた動き。

 速く、鋭く、重い。

 それは頭部への面打ち。


 一撃だった。


 その一撃で脳漿を飛び散らせながら、人型の異形は絶命する。

 それを見た異形の群れは悲鳴をあげて散り散りに逃げだす。

 その有象無象の群れを追いかけまわし、打つ、打つ、討つ!!


 一瞬で部隊は制圧された。


 中央弓兵隊、壊滅!



 次なる贄を求め、神倉徹は貪欲に周囲を見回すと、即座に獲物を見つけ出し、駆け出した。



 残る弓兵隊は右翼展開中の群れのみ。

 わずか三体風情の白兵護衛隊なぞなんたるものぞ。

 一心不乱に近づいていく。


 飛来する矢をものともせずに突き進む。

 無数の矢の雨を避ける避ける避ける。


 近づいてくる白兵型亜人を打つ、打つ、打つ。


 打ち砕くたびにその手は血の赤に染まっていった。


 返り血により、そのかおさえ赤に染まっていた。


 その姿、もはや狂戦士バーサーカー




――そうさ。どうせ俺の手はこんなにも血に汚れている。




 正当防衛だったとしても。


 過剰防衛だったとしても。


 俺は人を殺した。


 その事に変わりはない。




――人殺しの俺に、帰るべき場所などもはやないのだ。




 その時、神倉徹の脳裏に浮かんだのは、木剣にて頭蓋を叩き割った一人の男の姿だった。

 他に方法は無かった。

 いつまでも追いかけまわすと言われた。

 友にさえ危害を加えると脅された。

 被害が出ない限り警察は何もしてくれない。

 ゆえにああする他なかった。

 だがそれでも、殺人は殺人だ。


 家族もいない。

 ましてや俺は、もはや罪人。殺人者。


 俺にはそもそも、帰る場所などとうに無いのだ。



――ならば!



 例え殺人鬼の俺だったとしても。

 ここで友の命を守るために――戦って、戦って、戦い抜いて、そして死んだのだとすれば!




――父さんも、母さんも、ゆめるもきっと、俺を許してくれるはずだ……!




 もはや戦場は狂乱の一途を辿っていた。

 戦意を喪失して逃げ出そうとする者。

 一心不乱に狂ったように矢を放ち続ける者。

 そのことごとくが、彼の餌食となった。


 戦場に、もはや敵はいなくなった。


 ……かのように見えた。



「増援か……」



 どうやら弓兵は殲滅したらしい。

 増援に弓持ちの姿は見えない。


 これであいつらも逃げ切れるだろう。




――俺の仕事もここまでか。




 迫る残敵――巨大な斧や大型の棍棒を持った巨体の亜人、約二十。




――面白い。最期まで付き合おうじゃないか!




 鉛のように重く感じ始めた体。

 それでも神倉徹は力を振り絞って駆け抜けた。



 さらなる敵の群れの中へと――。



 それからの闘いは、凄惨を極めた。

 いかに鬼神が如き戦いぶりを見せつけようとも所詮は人間。

 疲弊した体では満足には動けず、いかに見えていても体が付いていかなかった。

 避けられる攻撃をかわしそこね、致命傷は避けながらも徐々に傷を増やしていった。

 薄皮一枚とは言え、血が流れだすとさらに体力の消耗は激しくなる。

 腕も鉛のように重い。

 その一撃も鈍り始める

 それでも神倉徹は戦い抜いた。

 己が体に染みついたありとあらゆる技を駆使して。


 だがやがて、その快進撃も終わる時が来る。


 息を乱しながらその動きが止まる。


 その体にはいつしか、無数の傷が刻まれていた。

 白い学ランは無残にも切り裂かれ、血の赤に染まっていた。

 致命傷こそ無いものの、腕、脚、胴、いたる所にかすり傷。

 切り裂かれた制服の下からは、血に染まり傷ついた肌が露出していた。


 それでも最後の力を振り絞り、神倉徹は一歩、また一歩と歩みを進めはじめる。


 なぜか。


 これこそが、彼の望んでいた戦だったから?


 今までの生きてきた意味だから?




――否、償いだからだ。




 巨体が沈む。彼の一撃を受けて。

 すでに死に体の身のどこにそんな力が残されていたのか。

 最小限の力で体を動かし、頭部へと一閃。力ある一撃を放ったのだ。


 お返しとばかりに、さらなる異形の巨体が近づき、荒れ狂う暴風のような一撃が振るわれる。

 巨大な棍棒によるその一撃を紙一重で回避する。


 神倉徹は戦った。


 己が人生の意味を知るために


 神倉徹は戦った。


 己が人生の意義を示すために。




――俺の生きてきた意味はここにあったのだ。




 全ては仲間ともを生かすため。


 全ては仲間ともの命を守るため。




――この身、この人生を剣にかけてきた意味。それは今日この日のためにこそあったのだ。




 家族との平穏な幸せを捨てて、無為に剣の道を選んだ俺の生きてきた意味が!

 平穏な日常を捨てて、夢に生きた愚かな男の償いが!




――今ここに成就するのだ!




 迫る致死の一撃を避け、木剣を振るいて腕に一撃、足に一撃、体勢を崩した頭部へ一撃!




――絶命!




――次!




 そうさ、あいつらはこんなとこで死ぬべき奴らじゃないんだ。


 こんな俺に、楽しい時間を教えてくれようとした良い奴らなんだから。




 だから――。




 あの時、あの場所で、一番強いのは誰だった?

 山下がいなくなった以上、他に誰が適役だった?




――答えは一つだ。




 四方から攻められぬよう、背後を取られぬよう、位置取りに注意しながら一体、また一体! 敵を打ち倒す!!




――あの時、言うべき台詞は決まっていた。




 『ここは俺に任せろ。お前らは先に行け』。


 少年漫画にありがちなチープな台詞だが、ここで言わずしていつ言うというのだ。


 そして安心させるためにあえてその言葉を口にした。




――『別に、全部倒してしまっても構わないのだろう?』




 理解しているさ。死亡フラグと言うのだろう?

 こんな時にふざけた台詞だとも思ったさ。

 だが多勢に無勢。しかも弓兵までいる。

 いつまでもいられちゃ足手まといだったからな。安心させたかったのさ。

 それに冗談だとは言ったがな。ふざけてなんかいないさ。やってみせればいいのだろう?




 抜き胴! から背後へと回りこみ、面打ち!




――絶命!




 有限実行と行こうじゃないか。

 倒れるときは死す時なり。

 死ねば何も残らない。ゆえに失敗した所で恥も何もなし。

 言うだけ言った。後はやるだけだ。

 死が訪れるその時までに、一匹でも多く、道連れにしてやろうじゃないか!



 あいつらを逃がしきるまで、戦い抜いてやろうじゃないか!!




 亜人達の動きは所詮は洗練された技を持たない力づくの動き。戦いなれてはいても、何匹で襲い掛かろうと無駄だった。

 命の灯を燃やし尽くして戦う神倉徹の勢いはさながら鬼神。闘神。魔人。

 さらに一匹、また一匹と敵を討つ!




――有象無象風情が群れを成したところで!




 すでに何体倒しただろう。

 いつの間にか異形の増援はその数を残り三体にまで減らしていた。




 それでも怯まぬは亜人の矜持か。それとも異形の狂気か。

 ゆらりと歩み寄る巨体の持つ武骨で巨大な棍棒が振り上げられ、打ち落とされる。


 脚は鉛の様に重く、もう動けない。避けきれない。

 受け止める? 否!


 受け流す!


 そして最小限の無駄のない動きで真向斬り!

 真上より振り下ろされる木剣。

 異形の脳天へと一撃。

 吸い込まれるように叩き込まれる!




 その時、彼は解放されたのかもしれない。




 己を縛り付けていた呪縛から。


 なぜなら――。



 辛い時も、苦しい時も、何もない日でも、特別な日でも、毎日のように振り続けてきた鍛錬用の木剣。

 彼の生涯における、剣の道の象徴とも言える特別な品。


 思い出の品だった。

 亡き父の形見の品だった。


 彼が剣の道を捨てた後でさえ、未だ忘れられぬと、まるで固執するかの如く振るい続けてきた巨大木剣。



 それが――へし折れる!




 無数の剣打を打ち込んだ。

 何年も使用してきた経年劣化もあっただろう。

 何より先程の受け流しが止めとなった。

 その衝撃で木剣にひびが入っていたのだ。




 形見の木剣は、根元から真っ二つにへし砕かれていた。




――『終わったら俺も行く。だから行け』




――『森の外でまた会おう』




 嘘だ。


 もうわかっている。

 これが勝ち目のない戦であるという事は。




 だが、それでも!

 俺は諦めない!!



 カラリと折れた剣先が地面に転がり落ちた。

 折れたせいで衝撃が伝わり切らなかったのだろう。巨体の怪異は未だ健在だ。



――ゆえに!



 へし折れて短くなったものの、尖った先端を持つ木剣の柄を、亜人の喉へと向けて叩き込む!




――まだ、戦える!




――俺はまだ、戦える!!




 首から血の泡を零しながら巨体が崩れ落ちる。

 もがき苦しみ、のたうち回る。

 即座に絶命とはいかないものの、撃破と言えるだろう。




 だがしかし。




「……ッ!?」



 次の瞬間、神倉徹の体がグラリと揺れる。

 体勢が崩れ、膝をつく。

 体がしびれて動けない。


 その隙を見て、迫り来る巨体。

 振るわれる斧。

 そのまま倒れこむように回避。


 流れるような動きでくるりと前転し、体勢を立て直す。

 と、同時に続けざま、巨大な亜人の足の後ろ、アキレス腱目掛けて一撃!


 柄だけになったとはいえ、尖った鋭く硬い木の棒だ。急所を狙えばまだ戦える。

 片足を傷つけられ、体勢を崩した亜人の喉に止めの一突き!


 神倉徹は戦い続けた。

 ただの尖った木の棒と化した木剣の柄で。


 亡き父の形見たる武器で。


 祖父から学んだ剣の技で。


 己が人生で培った経験で!



 あと何匹!?



 眩暈――!?



 目元が霞む――!



 ……毒かっ……!



――残るは最後の一匹?



 それとも、まだ増援いるのか?



 気配――!



 風の動く感覚を肌で感じ取り、全力で前へ!

 背後を恐るべき暴風がかすめていく。


 再度、暴風を感知――回避。


 敵の動きから相手の位置を予測――狙うは喉!




 血飛沫を浴び、敵の撃破を悟る。




 まだ――。




「くっ……!」



 倒れそうになる体を無理やり立て直す。




――さすがにもう、これまでか……。




 神倉徹はすでに限界だった。


 すでに何も見えてはいなかった。


 見えてはいても、霞んでいてよくわからなかった。



 そして、何も聞こえてさえいなかった。



 聞こえてはいても、それが何であるか理解する事を脳が拒絶していたのだ。



 立っていた。



 神倉徹はそんな中で、立っていた。




 静かだった。




 静かではなかったのかもしれない。




 だが、神倉徹は静かな闇の中に立っていた。




 やがて――。




 力なく倒れ伏す。




 無理も無い。限界はとうに超えていた。




 無音。




 無言。




 静かな夜だった。




 天を仰ぐように仰向けに倒れた神倉徹の瞳に空の月が映る。




 ぼやけてよく見えないはずだったが、先ほど見た記憶がその光景をはっきりと幻視させたのだ。




 二つの月。




 異世界。




 ここがどこなのかはわからない。




 そんな場所で死ぬ。




 理不尽極まりない最期だった。




 だが、不思議と安堵できた。





――これで死ねる。




 これなら死ねる。



 これならきっと、みんな、笑って迎え入れてくれる――。



 そう、信じる事ができた。




 遠くから音がした。



 足音だろうか。



 音だろうとはわかるが、何であるかを、知覚、理解することを体が拒否していた。



 何も見えない。何もできない。



 騒がしい。



 敵の増援だろうか?



 まぁ、そうだろうな。



 さすがに倒しきれはしなかったか。



 それでも――。




――父さん。母さん。ゆめる。俺、がんばったよな?




 ここまでか……。



 薄れ行く意識の中、神倉徹は微笑んだ。




 思い浮かぶは家族の姿。




 もう二度と会う事のできない家族の姿。




 だが、会えないのは住む世界が違うからだ。




 ゆえに神倉徹は微笑んだ。




 家族がいるであろう場所に、これから行くことができるのだから。




 やっとだ。これで俺も帰れるんだ……。




――家族みんなの所に。




 無数の音が近づいてくる。


 それは足音だった。


 足音の主は倒れ伏した神倉徹のすぐそばで止まった。


 そして――。



「ジュッギャッ!!」



 甲高い醜い金切り声があがる。


 同時に、飛沫が舞った。



 それは赤い液体だった。

 ひどく粘性の高い、生温く、鉄さび臭い――それが神倉徹の顔にかかる。




――父さん、母さん。ゆめる。




――俺、がんばったよ。




 神倉徹の意識は、そこで途切れた――。





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