第五十三話「僕の物語」



――僕は逃げ出した。



 何もできなかった。


 親友ともいえる仲間が死ぬ様を、ただ黙って見ている事しかできなかった。


 辛い。


 悲しい。


 苦しい。


 体が痛い。


 寒い。


 あれから森を駆け抜けて、逃げている途中で足を滑らせて、崖から落下して……今は水の中。


 何もできない。


 する気力も起きない。



 ただ、流され続けていくだけだ……。



 ゴボゴボと水の音だけが耳に響く。



 このまま、死ぬのかな?



 体が浮いていく。



 仰向けに天を仰ぐ。


 呼吸のありがたさに気付かされる。


 あのまま溺れていたら……そのまま死ねたかな。



 体が痛む。



 落下した衝撃でどこか怪我したのだろう。



 ただひたすらに流されていく。




――これで終わりか。




 紫がかった不気味な夜空。


 天に浮かぶは双子月。


 異様な光景。


 異様な現実。




――全部。夢だったらいいのに。




 そう、これは悪夢だ……。




――思えば、僕はずっと甘ったれていた。




 平和な世界に胡坐をかいて、親に養われて苦労もせずに。

 学ぶ機会を与えられ、ホワイトカラーとも言える仕事に就けるかもしれない権利を持てる恵まれた国に生まれ、それでもその世界の闇を疎んじて、逃げ出そうとした。




――その報いがこれだ。




 意識が遠ざかっていく。



 これが……全部、夢ならよかったのに。




 暗い――闇へと落ちていく。




――僕は期待していたんだ。異世界の扉が開かれる事に。




 馬鹿みたいだよね。



 いや、馬鹿だったんだ。




――僕はファンタジーに憧れていた。




 ありえないと思いつつも、憧れていたんだ。


 だって、物語では主人公が必ず勝つんだから。

 僕もそれにあやかれると、愚直に信じ込んでいたんだ!



 でも、全部フィクションだったんだ、



 あれは都合のいい幻想フィクションだったんだよ……。



 そんな事にも気付けないで……。



 自分もなれると夢想したんだ。



 無双できると夢想した。




――馬鹿だった。



 馬鹿だったんだ、僕は。



 英雄は常に強く、軽々と敵を屠る。

 そんな存在に自分もなれると思っていた。

 現実は甘くないなんて、十分思い知らされていたはずなのに。



――そんな幻想・・・・・を当たり前と盲信していたんだ。



 自分もできるだなんて、信じてしまっていたんだ。



 だって、ゲームではあんなにも簡単に勝利できていたから。

 どんな物語だって、チートで、無双で、ハーレムで、主人公は幸せになれていたじゃないか!

 都合のいい物語フィクションでは、そういうものしか描かれていなかったから……!



 異世界はいつだって夢とロマンに溢れていたんだ!!



――だから!




 こんなに……こんな事っ……!!



 全部! 全部!! 夢だったら良かったのに――!!




 それなのに――。




――僕は目を覚ます。




 夢のように幸せだった過去にちじょうの夢から。




――それは、全部……夢だった。



――そして、全部……夢じゃなかった。




 あの頃の幸せな日常の方こそが夢で……。



 目の前にあるのが――現実……っ!!




 視界に映る景色は質素な丸太小屋で……そこには、暗いのに良く見える“あの月明かり”が射していた。




 長い、長い夢を見ていた気がする……。


 そう、あの幸せだった、日常の日々を……。



 タケシが生きていて、アキラやみんなと馬鹿をやっていた。



――そんな、幸せな……夢……っ!!




「……っ!」




 体がきしむ様に痛んだ。

 それ以上に、心が痛んだ。


「タケシ……っ」


 起き上がろうとしたけど、体が重くて動かせなかった。

 ズキズキと痛む体がこれは現実なのだと主張していた。


 気力が凪いでいた。

 体の痛みよりも、体の重さよりも、心がそれを拒絶していた。


 もう、一歩も歩けない。

 起き上がる事さえできない。


 歩ける気がしない。


 立ち上がる気力なんてわくはずがなかった……。


「トール……みんな……」


 一体、どれだけの時間眠り続けていたのだろう。

 周囲はまだ、暗かった。


 それとも、また夜になったのだろうか。


 短い時間で長い夢を見ていたのか。

 それとも長い日々を、眠り続けていたのか。


 額には湿った布。


 体からはほのかなハーブのような匂いがした。


 思っていた以上に体が綺麗だ。


 もしかしたら、定期的に体を拭いてもらっていたのかもしれない。


 その優しさに涙する。


 こんな、クズみたいな僕に――。


「みんな……!」


 相変わらず生きる運だけは強いな。

 そんな自分に辟易とする。



 また、僕だけが生き残ったのだろうか?


 みんな……死んでしまったのだろうか?



 またかよ……。


 絶望に心が押しつぶされそうになる。



――僕はまるで死神だな。



 僕がいるせいで、誰かが死ぬ。


 僕が生き残るために、誰かが死ぬ。



――僕を残してみんな死ぬ。



 あの事故みたいに、また一人になるのか。



 それはやだなぁ……。



 いやなんだよ……!!



 あの時はいじめられていたから、ほとんどが憎い相手だったからまだよかったけど。


 今度は仲の良かった友達だ……。


 仲の良い友達だけは……亡くすのはやっぱ……辛いよ……。



 絶望に涙を零す僕に、声が届いた。

 それは天使の鳴らした鈴の音のように、心地の良い、美しい声だった。


「アウィー・ハ?」


「……君は」


 部屋の入り口前に、あの美しい少女が立っていた。


「キミィ……ワァ?」


 そうか、言葉が通じないんだっけ。


「グラァーレ! ウォーラー・ヤー!」


 何を言っているかはわからないけど、心配してくれているらしい。

 手には一皿の料理のようなものを持っていた。


「ミェーラ、グウィーヴァ・ヤー! イェータ・ヤ?」


 木製っぽいスプーンらしきものを手に、一口すくってこちらに向ける。


「ウィエ・ハーン・ナァ!」


 その優しさが……逆に辛い。


 こんな僕が生きていたって……。


 こんな罪深い……死神みたいな奴が生きていた所で――。



――そうだよ、いっそ死んだ方が……。



 いや、それはダメだ。


 生きなければ。


 無駄に命を落とすなんて、命を賭してまで僕を守ってくれたタケシと、逃がすために一人死地に残ったトールに申し訳が立たない。


 けど、だけど……!



 僕は目の前に出された食事を前に、ただ無言でうつむいた。



――その時だった。



「ウォア・スァーリェ……。ダーケン・ラァ」


 ピネと名乗っていたのであろう少女は、近くのテーブルに向かい、皿をテーブルに置いてから何かを、歌うように唱えはじめた。


「フィーレ・アーケ・エーレ・ウェン♪ ウィーア・トーチェ・グウィーヴァ・ウェン♪ ヤーレ・ハーヴェ・ウェー♪」


 人差し指を伸ばし、キャンドルらしきものを指さした――すると。



――炎が灯されたのだ。



 キャンドルらしきものに灯された炎。それはとても小さなものだったけれど、僕の心に大きな灯火を産みだした。



「これは……もしかして……魔……法……?」



 その時、アキラが言ったある言葉が脳裏に浮かんだ。

 それは、森から逃げ出す瞬間に放たれたあの最後の言葉だった。


『ケイト!』


 そうだ。あの時アキラは確かに言っていたじゃないか。


『ま――可能性――るはずだ――! ここが――のあ――世――だとしたら――!!』


 あの時、アキラは何と言っていた?


『必ず――はずだ! その――が!』


 わずらわしい怪物共のがなるような奇声と風の音でよく聞き取れなかったけど。


『決して、諦めるな!!』


 そうだ。アキラは確かにそういった。


 決して、諦めるな……。




 諦めるな。諦めるな……?


 でも、こんな状況でどうしろって言うんだよ。


 タケシは死んで、トールだって……。


 アキラもリョウも、麻耶ちゃんだって。


 誰もいなくなってしまって、僕だけで……。



 ずっとそう思っていた。



――そんな風に、諦めそうだった僕の目の前に、希望があった。



 それは少女の指先から放たれた小さな灯火だった。



――魔法。



 この世界には……魔法が存在する?



 少女のその手には何も持たれていなかった。

 何かが隠されているようにはとても見えない。



 ならば――!



 もしかしたら、手品かもしれない。

 もしそうなら絶望だ。

 けど、きっと違う。



 呪文の詠唱?

 それは手品に必要か?

 ……いや、手品だからこそ必要か。


 けど、こんな僕の前で、なんで?

 言葉も通じない、見ず知らずの相手に?

 わざわざ手品?


 そう、ありえない。


 だからこそ、そんなはずがないのだ。



 きっと、この世界には魔法が存在するんだ!



 もし、そうだとしたら――!!



 あの時、アキラの言っていた言葉が、理解できた気がした。


 アキラはあの時、きっとこう言っていたんだ。


『まだ可能性はあるはずだ……!! ここが魔法のある世界だとしたら……』


 そう、魔法があるのなら、その呪文があっても不思議ではない。


『必ずあるはずだその方法が!』


 それはゲームではありがちな、無双ものやチートものならば簡単に手にする事ができるかもしれないけど、TRPGやリアル志向のファンタジーでは禁忌だったり、存在自体が奇跡だったりするものだ。

 だから、この世界次第ではそれを実現するには途方も無い苦難と労力を必要とするかもしれない。

 最悪の場合、存在さえしないかもしれない。

 禁忌として、探すのも使用するのも、国を敵に回すようなものだったりするのかもしれない。




 その魔法とは――。




――死した存在を生き返らせる魔法。




 もしそれ・・が存在するのだとしたら!




『だから、決して諦めるな!!」




 そうだ。まだ諦めるには早い!


 その魔法がこの世界に実在するのであれば、僕達はみんなで、幸せだったあの時間に、きっと戻る事ができるのだから!!



「ピネ!!」



 僕は少女の手を強く握りしめる。



 キョトンと目を見開く少女に僕は――。



「言葉」


「フィ?」


「言葉を、教えて欲しい」


「クォトゥオ……バァ?」


「うん、僕はこの世界を冒険して、探さなきゃいけないものがあるんだ。だから――」



 この世界の言葉を、まずは勉強しなければならない。


 冒険の前に、まずはそこからだ。


 そして、体を鍛えて、この世界に順応できるようにならなければならない。


 そのためにも――。


「教えて欲しいんだ! ここの言葉を!」


 少女の手を握り締め、その目をしっかりと見据えて、僕は懇願した。


 すると――。


「……ウィエ!」


 例え言葉は通じなくても、僕の気持ちを理解してくれたようだ。


 少女は嬉しそうな表情で料理を手に、一口僕によこす。


「フェーロ。ディエ・フェーロ!」


「フェーロ?」


「ウィエ、フェーロ! マブレフ・フェーロ、ファ!」


 ニコニコと笑顔。


 その輝くような笑顔に、僕の顔にも自然と微笑が浮かぶ。


 そうだ。


 僕の冒険はここから始まるんだ!


 諦めたって何の意味も無い。


 僕は……あの世界の闇を見て、嫌悪して、諦めてしまった。


 あの世界で生きる事を諦めてしまった。


 幻想に逃げていた。


 死んでいなかっただけで、勝手に世界に絶望して、生きていなかった。


 あの世界を生きていなかった。


 だから、こんな事になってしまった。


 全てから逃げ出した結果、こんな絶望の結末に至ってしまった。


 だからこそ、もう僕は逃げない。


 目の前の世界から逃げださない。


 この世界で生きる事を諦めない。



 だって――。



 あの日、夕暮れ時の帰り道でトールが教えてくれた言葉を思い出す。


『色んな物語を借りて見てきたがな。一つわかったことがある』


 トールが口にしたその言葉。


『それは、主人公は決して諦めない。という事だ』



――主人公は諦めない。



『いや、主人公だからこそ諦めてはいけないとも言えるのかもしれない』



――そう、それはたった一つの真理。



『主人公は諦めない。諦めないからこそ、道は開かれる』



――それこそが、この世界の真理!



 途中で諦めてしまえばそこでゲームオーバーだ。物語は続かない。

 ゴールにたどり着くには、不屈の精神で何度でも立ち上がり、挑戦し続ける必要があるのだ。


 人生とは自分が主役の物語だ。

 それなのに人は得てして途中で諦めてしまう。

 夢に? 目標に? 生きる事に? いつしか挫折して、全てを諦めてしまう。

 その結果、人生という舞台を降りてただの端役の様な存在モブと化してしまうのだ。

 せっかく人生という物語の主役として生まれてきたにもかかわらず、途中で諦めて逃げてしまったならばその結末はたかが知れる。


 だからこそ、主人公の必須特性。それは決して諦めない心なのだ。

 例え不可能に見える困難であったとしても、それに悠然と立ち向かい、例え絶望の運命であろうと抗い続ける強靭な意志。

 それこそが奇跡を生み出す、ハッピーエンドを引き寄せる力となるのだから!



 どんな運命を前にしても諦めない事。

 それだけが、物語を紡ぐ主人公が唯一持ちえる、最大最高の武器であり、資質なんだ!!



 僕は目の前に差し出されたその一口を口にする。



 口の中に広がる味は、お世辞にも美味しいとは言えない原始的な味。

 塩味だけのシンプルな味。出汁なんてろくに利いてない。

 肉だけの質素な味。肉の脂の混じった透明なスープ。申し訳程度に野菜らしきものが浮いている。


 それを、頬張った。


 味は牛肉に似ている。けど芳醇な香りが比じゃない。決して嫌味な匂いではないけど野生的だ。好みは別れるだろう。

 なによりも絶妙なくらいに野菜の味や香りとマッチしていない。

 美味いか不味いかで言えば、断然不味い。


 けど、それでも。


 染み入るように、弱った体にそれ・・は広がっていく。



――それ・・とは、活力。



 絶望から、希望に心が傾いたゆえの――生きたいと願う力だ!



 少女からスプーンを奪い取るように手にすると、一心不乱にそれをかき込んだ。



 生きる。生き延びてやる!

 そしてこの傷を治して! 言葉を学んで! 力を付けて!



――僕は!



 みんなを取り戻して、元の世界に帰るんだ!




 僕は決して諦めない。

 こんな絶望的な状況だけど。


 今の僕を照らしているのは、消え入るほどに小さいほのかな希望だ。


 けど、それでも諦めない。諦めるもんか!!




 諦めない心こそが、主人公最大にして、唯一の武器なのだから!!




――人生とは、自分が主役の物語。




 そう、これは僕の物語だ。


 僕による、僕のための、僕だけの物語じんせいなんだ!




 だから、決して、僕はもう――二度と諦めない!




――僕の冒険はこれから始まるのだから!!




 これは、異世界へと飛ばされた僕達が――。




――艱難辛苦の冒険の末に。




――地獄のような長い冒険と戦いの果てに。




――元の世界へと、帰還を目指す物語だ。




【第二部へと続く】



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