第十一話「*神倉徹~後編~」



 “竹中”は心の中でほくそ笑んだ。



――向こうは上手くやったつもりだろうが、計算どおりだぜ。そんな見え見えの挑発、乗ったふりしてやってるだけだっつぅの。



 竹中は計算の結果、自身にとって得な勝負となった時点で“決闘”とやらを受けることはすでに決めていたのだ。



――最近、転校してきたとかいう、訳ありの超有能生徒とやらを無理やり顧問の奴が勧誘しようとしているらしいって噂。そういや、ちょろっと耳にしていたよ。ぶっちゃけそんな奴、いてもらっちゃぁ困るんだよなぁ。


――入部される前にご退場いただくのが最善。目の上になる予定確実なコブを消し去れるチャンスが勝手に転がって来やがったってんだからよぉ。


――これだから“悪”ってのは“やる”もんだよなぁ!



 “悪”と呼ばれるような行為をしない奴がいるとしたら、それは“それ”を行えるだけの力が無いからだ。


 なぜなら、世の中とは“力こそ正義”だからだ。


 勝てば官軍、負ければ賊軍。


 歴史とは常に勝者が決めるもの。



 ゆえに――。



――“悪”ってのはなぁ“それ”を行える者にのみ与えられた“特権”なんだよ。


――卑劣であろうがなんだろうが、勝ちゃぁいいんだよぉ。勝つことこそが全てなんだ。


――美学も糞もねぇ。勝てない奴には何も言う権利なんて与えられねぇ。それが世界なんだ!


――卑怯ってのはよぉ、力なんだよぉぁ!




 これこそが竹中幸雄という男の人生哲学であった。




「お前、防具無しで本当にいいんだなぁ?」

「問題ない」

「何があってもお前の責任だからな? いいんだな?」

「くどい」

「あっそ、俺は止めたからねぇ~」


 竹中は嗤う。


「本当にやるんですね?」


 次に風間が竹中へと問う。


「ご本人がやる気なんだし。しょうがねぇだろ?」

「貴方は剣道部。神倉は部外者。それでもやると?」

「責任は全部おっかぶってくれるってよ。聞いてたろ? お前も事実をちゃんと述べてくれよな? ま、俺を潰したいんじゃなければ、だけどよぉ」

「……俺は止めましたよ」


 互いの意思を確認し、責任のありどころ、落としどころを決定した所で、風間と安部がそれぞれに旗を持つ。


「本当はもう一人欲しいところだが……君もいつかはこういうことをする時が来る。練習だと思って副審を頼む」

「わ、わかりました……」

「ルールはどうする? 二本先取でいいか?」

「心が折れるまで、何度かかってきてもらっても構わん」

「……言うねぇ……勝つ事前提ってか」

「そのくらいのハンデは必要だろう? 一本でも取れればお前の勝ちだ」


 こうして審判もルールも決定し、表立っては公開できない非公式にも程がある試合が実現した。



 結論から言えば、それは一方的な試合だった。

 いや、もはや試合とは呼べないような――。


――“一方的な打ち込み”だった。



 竹中とて遊んでばかりいたわけではない。

 それなりに剣道に打ち込み、卑怯な手は使えど周囲よりも抜きん出た成績をキープできる程度には努力していたのだ。


 だが――。


――かすりもしない。


 それどころか、剣先はおろか、竹刀の一部さえも、神倉の体に触れる事はなかった。


 あらゆる仕掛け技を演舞の如く綺麗に返され、得意技である“事故(イレギュラー)に見せかけて胴の隙間である脇へと打ち込む一撃”“小手に見せかけて腕を打つ”“すれ違いざまに袴の脚へと叩き込む攻撃”さえも全て回避され続けた時点で、竹中はある事に気がつき始めた。


――こいつ……!


 フェイントが利かないのか……?



 剣道とはフェイントの応酬とも言える。

 相手をいかに動かし、自身に有利な行動を取らせるか。

 相手を動かせる。動かして、打ち込む。

 それこそが、剣道における熟練者同士の基本戦術とも言えた。


 だがしかし。

 目の前の男。神倉にはその一切が通用しないのだ。


 どれだけ気迫を放とうと、叫ぼうと、動こうと、それが虚である限り、神倉は微動だにしない。

 それなのに、いざ打ち込もうと動いた瞬間、避けられて打ち込まれているのだ。



 竹刀特有の破裂音が道場内に響き渡る。



 それは、綺麗な返し胴だった。



 フェイントは全て読まれ、挙句、痛みにより相手を鈍らせる目的で放たれた反則攻撃さえも避けられる。


 つまり――。


――本気で打ち込む攻撃が全て、そのことごとくがバレてるってのか……!?



 だから、竹中の剣は一切が当たる事無く。

 神倉の剣だけが、一方的に被弾し続ける事になる。



 その異様な光景(しあい)を、風間だけが知っていた。



 なぜなら、風間はかつて一度だけ神倉との面識があったからだ。


 どの程度のものかと、ある日――異なる道場間による他流派同士の試合――交流戦がセッティングされた際に、是非にと手合わせを願ったのだ。


 付近では天才剣士として、東の神倉、西の風間と、共に謳われた者同士。

 どれだけの試合ができるものかと、道場内では同年代で叶う者なしだった風間にとっては興味と勝気で試合前は興奮してやまないほどだった。


 だが、結果は凄惨たるものだった。


 化け物だった。


 同レベルと謡われるのが恥ずかしくなるほどに。


 何度も立ち向かった。


 その度に、大人が子供を相手にするが如く軽くいなされた。


 だが何より恐ろしかったのは、その予知とも思えるほどに正確な読みだった。


 卓越した武術の試合において、読みあいを制した方が勝つ、などと言われてはいるが、実戦でそれを行える者などいるはずがないのだ。


 超能力者ではないのだ、予知能力でもない限り、相手の心でも読めない限り、虚実の判断などできるはずがない。


 だが、目の前の男はそれを実現させた。


 神倉徹にフェイントは利かない。

 そして何より――。


 何度打ち込もうと、陽炎のように消え、実態の無い風に向け剣を振るうが如く、すり抜ける。


 その一撃一撃がまるで“見えている”かのように当たらない。


 剣道とはコンマ数秒を競う競技だ。

 竹刀で行う、斬撃に特化したフェンシングとでも思って欲しい。

 それはもはや、ボクシングでいう所のジャブの応酬に近い。


 それほどに――速いのだ。


 なのに、一撃たりとて、相手の竹刀が体に触れない。

 まるで逆に、剣が体を逸れていくかの如く。一撃も当たらないのだ。


 それは脅威を通り越して妖術の領域であった。


 剣道の世界において、勝負はある意味で時の運とも言える。

 努力の果てにたどり着いた力量同士であれば、そこに圧倒的な差異などはなく、実力は拮抗するものだからだ。


 ゆえに――。


 例えるならば、サイコロを振って、出た目が高かった方の勝ち。

 ある意味では、単純に考えるならばそれくらいに、両者最大限の努力の果てにある勝負というものは、運の要素が最終的には左右する事も多い。


 にも関わらず。


 大会に出れば、約束された演舞のように、華麗な五人抜き、十人抜き、十五人抜き。


 一人も神倉からは一本さえ取ることができずに終わる。


 歴史上、他に類をみない“化け物”。


 それこそが神倉徹という男であった。



 風間はその現実に一度、絶望さえした。

 剣の道を捨てようとさえした。

 だが、だからこそ努力した。


 それでも4位が限界だった。


 むしろ、その経験と努力があったから全国4位まで自分程度が上がれたとも考えていた。


「……」


 風間は苦虫を噛み潰したような表情で旗を揚げる。

 燃える炎のように、されど血のように濃い赤の旗色は、神倉の勝利を表す色。



――それだけ、実力に差があったということか。


――まだ、こんなにも差がある。


――いや、だからこそ、こんなにも俺は今、燃えている。



 風間は口端を上げて笑う。


 あの敗北があったからこそ、さらなる高みへと、鍛錬を積んだのではなかったのか。

 あの時、あれだけ悔しいと感じ、無念に涙しながらも、それでもやめられなかった。それが剣の道では無かったのか。


 風間は己自身へと問いただす。


 ならば、こんな所で潰されるべきではなかった。

 意地やプライドで、致命的な失敗をする所だった。



――それを、神倉は止めてくれたのだ。



 風間は己が愚挙を恥じた。

 そして正しく理解した。

 己が真にやるべき事を。



 道場内に、小気味の良い破裂音が鳴り響く。

 竹刀から発せられた高く良く鳴り響くその音は、神倉の完全勝利を告げる音であった。



「……」



 終了の礼などは無く、竹中は、ただただ静かに目の前に転がった無数の、百にも及ぶ敗北を反芻する事しかできなかった。

 その様を神倉は高い位置から見下ろしていた。



 誰が勝利したのかは明白であった。



 だが、そんな中でも、神倉徹は無表情に、されど無数の後悔と怨念を孕んだような瞳で虚空を睨みつけていた。



「……」



――俺は何を間違えてしまったのだろうか。


――俺は、何のためにこんな場所に立っているのだろう。


――“あの日以来”脳裏に延々と繰り返される疑問。俺は、何のために剣を振るってきたのか。


――何のために、全てを犠牲にして、こんなくだらない事に打ち込んできたと言うのか。


 こみ上げる虚しさと後悔の念を抑え、飲み込みながら、神倉はその想いを反芻する。




――俺は何を間違えてしまったのだろう。




 むせ返るような汗の匂い立ち込める剣道部の道場にて、神倉徹が心の中でひとりごちる。



 神倉は再度、思い出したように竹中へと瞳の焦点を合わせると、興味なさげにくるりと振り向き、静かに帰路へと着く。



 だが、振り向いた先に待っていたのは――。




「何をしているんだ……」




 剣道部顧問の教師。恩ある道場の先輩でもある関口康孝の姿。


「……荷物を取りに来たついでに、掃除を少々」


 まっすぐにその目を見据え、皮肉めいて神倉は答えた。


「この馬鹿者が!!」


 竹刀の音にも似た高い音が道場内に響き渡る。

 気配は読めども、神倉は避けなかった。


 関口の平手打ちを微動だにせず受け止めながら、神倉は口を開いた。


「そのために、俺が必要だったんでしょう?」

「そうじゃない……そうじゃないんだ……!」


 目の前には心が折れきったかのように膝立ちのまま放心している竹中。

 そして、防具を一切纏わぬままで、竹刀を持ったまま、去ろうとする神倉。


 その時点で関口は全てを察した。


 確かに神倉の言うとおりだった。

 関口が神倉に期待したのは、このくすぶった剣道部への風通し。いわば革命。

 不良生徒の巣窟ともいえる状態になりかけている部を立て直すために、起爆剤として投入するという野心があった。


 だが、それだけじゃない。そんな訳が無い。

 大事な後輩ともいえる、同じ道場で剣の道を学んだ、弟分のような神倉徹が、見るも無残な状態になっている。


 ただただ、救いたかった。


 それもまた本心だったのだ。


 もう一度剣道に打ち込ませれば、時が解決させてくれるとばかり思っていた。

 だから、編入の話を聞いた際に、神倉の現在の親代わりとも言える叔母の相談もあり、決心したのだ。


「俺はお前に……!」


 だが、神倉徹の視点から見れば違った。


 無理やり編入と同時に入部を薦められ、一方的に形見とも言える大事な訓練道具一式と防具などを送りつけられ、強制的に会いたくもない相手と合わされざるをえない機会を作られ、剣道の再開を押し着せられた。


 神倉とて、叔母と関口の想いを理解してはいたのだ。

 このままくすぶっているよりは、全てを忘れて何かに打ち込んだ方が良い。

 多くの人はそう言う。そう思う。


「……君の辛さもわからなくはない」


 だが、人はそんなに強くはないのだ。


「だが、剣の道は怒りの発散に使うようなものじゃない」


 神倉の受けた“傷”とは、そんなに早く立ち直れるようなものではなかったのだ。


「君だって、その事は誰よりもわかっているはずだ」


 放心したまま固まっている竹中の肩へと関口が優しく触れる。


「だから“それ”を彼に教えるために、こんな事をしたんだろう?」


 神倉は無言のまま、何も答えない。


「……今回の事は不問とする。事情は大体推察できる」


 関口は深々と神倉に向け、深々と礼の姿勢を取ると、


「元はと言えば我が部の問題だ。巻き込んですまなかった」


 静かに、謝罪した。


 そして、神倉の帰路の先にある、鍛錬具と武具一式を見て、


「……それは一旦私が預かろう。そうさせてくれ。だから後日、また取りに来なさい。気が変わる事もあるだろうから」


 神倉の心の変化を願った。


「……」


 本心から言えば、神倉はもう二度と剣道部に関わるつもりは無かった。

 だが、関口の顔を立てると同時に、自身の今回の過ちへの戒めも込めて、道具一式を関口に預けることに決めたのだった。



――これが、後の神倉にとって、いや、この物語に関わる6人にとって、一つの重要なターニングポイントとなる。



「わかりました。ご指導ご鞭撻(べんたつ)……痛み入ります」



 深々と礼をした後、神倉徹は再度帰路へ着く。



 その耳元へと、



「……この、死神が……!」



 忌々しげに呟かれた竹中幸雄の怨嗟の声。



 神倉徹は自虐的な笑みを浮かべると、



「……確かに、そんな汚名こそ、俺にはふさわしい」



 一人静かに道場を後にした。



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