第二十二話「*山下武の事情1」


「たっだいまー」


 山下と書かれた表札。

 でっかい団地の一室。


 俺、山下タケシは帰宅した。


「おかえり~」


 お袋の声で出迎えられる。


 今日も最高の一日だったぜ。


 靴を脱いで消臭スプレーを一吹き、しとかねぇと足が臭ぇからな。


 ちなみに俺の小学生時代のあだ名はアシクッサマンだ。


 靴下を履かないと異様な匂いが靴との間で熟成され、足より放出されるのだ。

 かつてはダチの家で“足をビニール袋で包まないと家に入れない”なんて言われた事があるほどの毒スキル保有者だ。


 さしずめ『スキル:裸足のヴェノムS級』ってとこかな。


 まぁ、冗談だが。


 玄関をあがると、5畳程度の廊下兼キッチン。そこを通ると4畳程度の質素なリビングもどきがある。

 まぁ団地な訳だから、アキラん家やケイトん家と間取りはほぼ一緒なんだがな。


 で、その奥が俺の部屋。5畳程度の部屋が敷居でしきられていて、その半分が俺の領域(テリトリー)だ。


 質素な家に見えるかもしれねぇけどよ。二人暮らしなら、まぁ快適な方だ。


 トイレも風呂とは別だしな。風呂とトイレが一緒ってシステム、あれ絶対ぇおかしいぜ。

 だってよ、体洗ったり風呂入る時にうんこの匂いがするとか考えるだけで地獄だろ?


 アレ考えた馬鹿、絶対ぇ地獄行った方がいいと思うんだよなぁ。何考えて作ったんだか。

 てめぇの楽よか、住む奴の快適さをまず考えろっての。


 まぁ、それはおいといて、だ。


 こんなちっぽけな家でもよ、団地アパートであるがゆえの安さを差し引けばかなり待遇は良いんだと思うぜ?


 部のパイセンが暮らしてる牢獄みてぇなワンルームだけのアパート。

 もちろん風呂トイレ一緒の奴な。


 アレ、どうなのよ。


 あんなとこに寿司詰めで生活させられるよりかは遥かにマシなんだろうな、って思っちまう。


 子供部屋おじさんなんてパワーワードが最近じゃ流行ってるみてぇだけどよぉ。あんな囚人部屋での生活を考えれば、シェアハウスしてでもこれくらいの家は最低限キープしたいって思っちまうよなぁ。


 タコ部屋じゃないだけマシなんだろうけどよぉ……。


 あんなワンルームとか、奴隷部屋みてぇなもんだろ。


 ってなると、奴隷部屋ワンルームおじさん? ……は長すぎるか。


 孤独部屋おじさん?


 まぁどうでもいいな。


 でだ、シェアできる相手もいないから、子供部屋おじさんから無理に抜け出そうとしても奴隷部屋ワンルームおじさんになっちまう訳だろ?


 不動産屋しか得してねぇじゃん。


 どこぞの売るための常套句かなんかだったっけな。



 持ってて当たり前と思わせろ。

 持って無ければ“恥ずかしいと思わせて売り込め”。



 だっけ? 他にもいくつかあった気がするけどよ。



 本当、世知辛い世の中だぜ。



 って風に考えるとよぉ。子供部屋おじさんって言葉、ちょっと酷くねぇ?


 こんな言葉が流行って得するのってよぉ、やっぱり不動産屋だけじゃねぇか。


 これ、いづれわが身だぜ?


 てな事を考えながら俺は部屋で着替えて、リビングもどきへと飯を食いに向かった訳よ。




 低い木製のテーブル。昭和のアニメでいかつい親父がよくひっくり返すイメージのある、ちゃぶ台めいた丸い奴だ。

 その上に豪華……とは言えないまでも、質素とは言えない料理が載せられていた。


 豚の生姜焼きに大盛りのキャベツ、わかめの味噌汁に白ご飯。

 十分すぎるラインナップだよな。


「おっしゃ、いっただっきまーす」


 頬張り、噛み締めるように喰らう。


 白米と一緒に肉を頬張る。生姜の利き具合、味わい、良し。そして染み出る肉の油。味の染みた玉ねぎ。もう最高。

 飲み込んだら次はキャベツだ。口の中一杯に詰め込んだキャベツを押し流すように味噌汁を口にぶち込む。

 塩加減といい出汁の旨みといい、今日も格別だぜ。日本人に生まれてよかった。幸せを感じる瞬間だねぇ。


 お袋は調理師学校の出で、それなりに料理の免許的な何かを持っているらしい。

 栄養士? だかの勉強もしてたとか。それを俺を育てるために育児に専念して……。

 金さえあれば店だって持てたかもしれねぇ。その可能性を捨ててでも俺という未来を選んでくれたんだ。


 ちなみに親父は寿司職人だったが、別の女を作って消えた。


 とある事情で精神病院通いになった時、お袋がろくに信じもせず相手にもせず、最後まで精神病のふりした奴扱いだったからなぁ、頭に来るのも無理は無い。未だにあの時の親父は精神病のふりをしていたもんだとお袋は思ってる。事実はわからねぇ。結局、いづれ終わる運命だった、と思うしかねぇな。


 世の中そんなもんだ。


 愛だの恋だの、結局いつかは終わるんだよ。


 まぁ、幼い頃。俺が意味もよくわからずに「弟か妹いる?」って聞かれた時に「いらない」って答えちまったのが元凶なのかもれねぇけどな。


 だってよぉ。家に入る賃金は同じ。それで子供が二人になるって事は……つまり、俺の小遣いが減るって事じゃねぇか。


 なんて事を考えてた訳で……。悪ぃな親父。


 当時の俺にはそういうこと、よくわかんなかったんだわ。


 そんな昔の事やらを思い浮かべつつ、テレビを見ながら食事をする。



 実に平和で牧歌的光景じゃないですか。


 幸福を噛み締める瞬間ですわな。



――だが、唐突に。


 テレビが、そんな幸福の場を乱す事がある。



 これだからマスメディアって奴は……。


 まぁ逆恨みなんだけどさ。


 それは、スポーツニュースのコーナーだった。

 海外のバスケがどうのとか、なんかそんな内容だった。

 日本じゃそれほどバスケットボールはメジャーじゃねぇからさ、こんな事は少ねぇんだけど……。

 稀にこういう事があるから困る。



「続けていれば……いづれあんたもねぇ」



 お袋が呟いたのは、もう終わってしまったモノに関する言葉だった。



「言うなよ」



 俺は味噌汁をすすりながら一言呟いた。


 終わったことを愚痴愚痴言っててもキリがねぇ。

 後悔したってしょうがねぇ。

 終わりは終わり。きっちりと次に進まねぇとな。



「俺は間違った事をしたとは思っちゃいねぇぜ」



 俺がバスケを捨てた理由は、実に俺らしくてわかりやすい、馬鹿な選択の結果でしかなかった。




 俺がここ、星学に入れたのは、ある意味ではスポーツ推薦のおかげみたいなものだった。


 バスケ部に入ってすぐに思ったことは。

 ここはクズの巣窟だな、って事だった。


 体育会系特有のカビの生えたような古臭い間違った縦社会構造が未だに残っていた。

 無意味に偉ぶるクズ上級生共と、奴隷のように扱われる下級生。

 自分がやられたことだから、って理由で次の代にまで受け継がれていく負の連鎖。間違い狂った負の遺産。



 弱いものは探し出してでもいじめて潰す。


 いじめを恐れて忠誠を誓った下級生の、その意思を試すかの如き犯罪の強要。


 やれ万引きしてこいだの、煙草買って来いだの、酒買って来いだの。

 今時未成年が煙草や酒なんてそうそう買えるもんじゃない。

 それでも無理なら親のを盗んで来い。金が無いなら親の財布くすねて来い。



 むちゃくちゃだった。



 特に『臨時収入』。通称『バスケ部募金』という名目で行われるカツアゲが酷かった。



 あまりに目の着くこれら悪行を、俺が黙って見てみぬふりなんてできるはずもなかった。



 真面目にバスケやりたくて来てる奴だっていたんだぜ?

 それがああいった部のガンとも言えるような糞野郎どものせいで……いい迷惑だろ?


 で、ついてけなくなったまともな奴は辞めていくってんだから。

 最終的には何部だよここ、って感じの不良の溜り場が生成される。


 で、馬鹿な教師は気付かねぇ。


 教師の見てねぇ所でこういう奴らは悪さするからな。



 だからよ。当然の如く、俺は声を荒げて拒絶した訳よ。


 無い頭総動員させてお説教よ。


 こんなのは間違ってるってな。



 そしたら、わかりやすいよなぁ。放課後の校舎裏特別パーティへのお呼び出しだ。



 どこの中堅少年漫画雑誌の不良漫画の世界だよって思うだろ?



 腐りきった体育会系ってのはどこもこんなもんだぜ?



 で、大量に増殖した有象無象のクズ共相手に荒っぽいダンスパーティになっちまったって訳。


 ボコボコにやられたかって?

 それでぶちのめされて泣き寝入りしてたら部を辞めさせられるような羽目にはなってねぇって。


 実はよ、バスケよりも好きなスポーツが俺にはあったんだわ。


 それは空手。


 子供の頃からずっと近くの道場で続けててよ、今でも毎日鍛錬を怠ってねぇ。


 バスケ部に入ったのなんざ、中学にも高校にも空手部が無かったからに過ぎねぇ。


 で、どうなったかって?


 一人じゃやばかったな。


 昔取った杵柄、ってか、今でも毎日振り回してる杵柄だ。

 人間、やっぱ一芸持っとくと得だよなぁ。


 5、6人くらいまでなら楽勝だったな。

 けど、相手は20人近くはいたかなぁ。


 ちょっとやべぇって思った時によぉ。

 この学校を占めてる番長がちょうどいたんだよ。


 なんか、多勢に無勢って姿勢が気に入らなかったらしくて助けてくれたんだわ。


 当時一年の俺。同学年の番長。笑えるだろ?


 赤髪のそいつが言う訳よ。


「何人いける?」


 って。


「5、6人までなら」


 この答えに何て返ってきたと思う?


「じゃあ後は喰っちまっていいんだな?」


 だぜ? 笑えるだろ?


 後で聞いた話。

 入学初日に気に入らない教師をぶん殴って停学になった挙句、停学明け早々因縁つけてきた3年の番長グループをぶちのめして新番長になったような化け物だったらしくてよ。


 もう圧勝な。


 笑えてしょうがなかったよ。


 ん? そいつはどうなったかって?


 いい奴だったんだけどな。

 面白い奴で、仲良くなれたんだけどよ。

 2年の時にいなくなっちまったよ。自主退学って奴さ。


 まぁ、それは置いといてだ。


 偶然居合わせた番長とタッグ組んで無双したのはいいけどよ。

 その時ぶっ倒した中にいたんだよなぁ。


 元同じ中学でよ。ぶちのめした事のある、ある意味で因縁のある不良。

 過去にケイトが絡まれてるのを助けた事があってよ。その時にぶちのめした奴……。


 校舎裏の方は番長の方にタゲが行ってくれたのと、呼び寄せたのもバスケ部上級生グループの方って事で多少は軽い罰で済んだんだけどよ。


 俺、ダチ狙われるの弱ぇんだわ。


 わざわざ見せしめにするつもりかラブレター付きで校舎裏への再度祭りへのお呼び出し。

 行ってみりゃ今度はケイトが因縁つけられて殴られようとしてるじゃねぇか。


 もう頭の中が真っ白って奴よ。


 秒でそいつらぶちのめして……。

 二度とダチに悪さできないくらいのお仕置きくれてやった訳だけど……。


 ……さすがにそれが悪かったみたいでね。


 元々はスポーツ推薦の件もよ。俺みたいな有能な選手を呼ぶことで部を活性化して、生徒同士のコミュニティ内の自浄作用で不良どもを清浄化、みたいな狙いがあったらしいんだけどよ。世の中そんなに甘くは無ぇわな。


 逆に部員の殆ど病院送りにされて、次の大会に出られるメンバーさえもろくにいない状況にされちまうなんて思ってもいなかったんだろうな。


 売り言葉に買い言葉って奴でさ。言ってやったんだわ。


「ダチ助けるために喧嘩して何が悪いんすか?」


 って。そしたら顧問の奴、大激怒。



「そん程度でやめさせられるような部活なら、こっちから願い下げじゃボケェ!」



 で、スポーツ推薦なのにバスケ部退部。


 色々と面倒な事になっちまった訳よ。



 ま、あの時の選択に後悔はしちゃいないけどな。



 ってかよぉ。いくら有能な選手が増えたからって、腐ったコミュニティがそう簡単にクリーンになんてなる訳ねぇだろうがよぉ。

 夢は見ねぇで欲しいよな。漫画やアニメじゃあるまいし、殴り合って芽生える友情なんて無ぇんだからよ。



 で、スポーツ推薦で入ったものの、辞めちまった訳だろ?

 けど高卒ぐらいは取っておきてぇじゃねぇの。

 部の状況の悪さのせいで喧嘩に巻き込まれた訳だから、なんて理由で学校側と徹底的に争ってよ。


 学力的に問題ない限りは、一般で受かったのと同じ条件で普通に在籍できる状況を勝ち取ったっていうか、まぁ、ごちゃごちゃ色々と面倒な事になったりした訳よ。




 ぶっちゃけ世の中って理不尽だよな。


 悪党をぶちのめしただけで怒られるんだぜ?


 警察は何もしてくれねぇのによ。


 警察は被害者が出た後でしか動けねぇ。

 事件そのものに対して何も出来ねぇ。


 悪党は平然と暴力を振るってやりたい放題してるのに、こっちは防衛する権利すらありゃしねぇ。

 正当防衛なんて幻だろ? どうせ何やったって過剰だの言って犯罪者扱いにされるんだ。

 だから向こうは“どうせ泣き寝入りしかない”。“法で裁かれるのが怖くて手を出せないに決まってる”。なんて思考で一般人相手に好き放題無双状態だ。


 そんな社会にぶっちゃけ俺は辟易してる。

 変えられない世界。変われない世界。

 自分を変える方が簡単なんて言葉があるけどよ。


 悪い世界を変えずに、自分だけがそんな世界に適応するって事はよぉ。

 臭い汚れた世界を掃除せずに、臭いと感じる心を変えて臭さに順応するようなもんだろ?

 心は平気かもしれねぇけど、それって体に悪くないか?

 汚い空気をずっと吸い続けるって事はそれだけで体に悪影響が出るはずだろ?


 なら、この変えられない汚い世界に順応した大人達が、この汚い社会に順応するよう教育した結果、この汚れた世界で精神的に順応した結果にあるのは、肉体的な病だ。

 変えられない汚れた世界に心だけ無理に順応させても、体は素直に異常を感じてしまうはずだからな。

 その結果が、今の世界にあふれている、欝とかの精神病とか、精神的とされている肉体的悪影響なんじゃねぇのかな?


 心だけ適応させて、汚れた世界で生きていく。

 臭い汚れたトイレのような空間で臭くないと思い込んで生きていく。


 ただ、みんなで掃除すればいいだけなのに。掃除は行われない。

 世界を変えることは難しいから。


 自分を変えたほうが楽だから。


 掃除をせずに順応する。

 世界を変えずに、各々一人一人が無理に順応したふりをする。


 適応なんてできるはずねぇのに。

 肉体が本当に適応できるなら、最初から臭い汚いなんて生理的嫌悪が発生してる訳がねぇんだ。


 結果、肉体的な悪影響として、病が発生する。


 欝とか精神病って言ったって、脳や神経系のトラブルだからな? 心なんて曖昧な表現すんじゃねぇ。肉体の異常なんだよ。


 汚れた空間、とかなら異常が起きるのは肺とかだろうからわかりやすくて非難のシュプレヒコールも挙げやすいんだろうけど。


 汚れた社会なら、心……。脳や神経。肉体的異常のはずなのに、心という曖昧な定義のせいで理解されずらい。


 やっぱさ。どこか間違っているはずなのに変えられないってのは、体に悪い事なんだよ。


 どんなに気持ちだけで適応しようとしても、肉体が異常を感じてしまうものなんじゃねぇかな。


 それなら……。


 それでも変えられない世界に、絶望しちまって何が悪いんだろうな。


 変えなきゃ行けない世界に対して、現状はおかしい、って言って何が悪いんだろうな?



「ダチ救うために戦って何が悪ぃんだよ。ダチ見捨てなきゃいられないような場所でよ。そんなとこで夢見てたって……そんな人生、糞と変わんねぇだろ」



 思わず、呟いていた。

 それに対してお袋が返した答え。



「ま、あんたの人生さ。あんたの好きなように、やりたいようにやりゃぁいいさ」



 自分の未来を捨ててまで育ててくれた親。

 そんな、バトンを受け継いだ未来であるはずの俺の選択。


――代替品の夢。


 お袋は俺に夢を見て、その代償として自身の未来を捨てたようなものなのに。



 こんな理不尽で終わっちまって、良い訳ないはずなのに。



「あんたが友達思いなのは母さん似だからね。ま、警察のご厄介にならない程度に、貫いたらいいさ」



 その笑顔が眩しくて、飯を食い終えたこともあって。なんとなく居辛くなった事もあって。


 俺は逃げるように部屋に戻った。


 部屋の本棚にはお気に入りの、無数の漫画やゲームが並べられていた。


 退部に追い込まれて、遣り甲斐も、学校を続ける意味も、いれる理由も失った俺を救ったのは、かつて自分が救った相手。

 木村ケイトだった。


 あの――退部が決まって、自分の未来が消えて――俺が落ち込んでた時期に。


 心配そうにしながらケイトが貸してくれた“特選おススメ集”。


 アレは利いたね。


 特選おススメ集って言うだけあって、まずハズレがねぇ。

 全部が異様に面白くて、今でも俺の中でトップ30に入る名作ばかりよ。


 あいつが貸してくれたアニメやゲーム。それが無駄に残されちまった膨大な暇な時間を埋めてくれた。


 無駄なことを考える時間が無くなった。


 時間だけがあると人はえてして思考する。残されたのは夢も希望も失いやる事さえない、無限とも言える膨大な時間だ。

 思考は時として自らを苦しめる堂々巡りの無限回廊に陥る可能性もありうる。


 その果てに、絶望に至って命を落とす奴だっている。


 けどよ、誰かの作った物語という“夢”に浸っている間だけは、楽しむ事ができた。

 一切の不幸も感じる事無く、次を楽しみにして生きる事ができた。


 そして、フィクションの世界では、いつだって絶望の中に救いがあった。


 理想があった。救済があった。未来があった。



 体育会系の友人達は、一部の有名どころはともかくとして、アニメや漫画なんてのはとどのつまり“落ちぶれた奴の行き着く果て”“落伍者の暇つぶし”だと笑っていた。


 自分が努力する対象も無く、努力できる才能も実力も無い奴が、他人の活躍を見て自己投影をして楽しむ“ただの逃避”“くだらない遊戯”。


 確かにそうかもしれねぇ。否定はしねぇ。それでもだよ。


 スポーツばっかやって、ろくに見てもいなかった。知ろうともしてなかった。世間様共が、知りもしねぇで植えつけてくれた勝手な偏見で、ずっと馬鹿にしてきた世界にだぜ? あったんだよ。現実には無い、夢と希望が。


 熱い世界も、悲しい物語も、心を振るわせてくれる色んなものがさ。

 そこにはあったんだよ。



 フィクションの世界には無限の可能性があったんだ。



 だから俺は、今日も今日とて明るく道化を振舞う。

 苦悩なんて人様に見せて、悲劇のヒロイン気取ったって、なんも面白くねぇからな。


 だったら明るい馬鹿を演じてた方がマシってもんだろ?


 演じてるうちに本物の馬鹿になってる可能性も微レ存だけどな。




 オタクだって馬鹿にされようとよ、自分が楽しいと思うもん楽しんで生きて、何が悪いってのさ。




 ……とまぁ、実はこんな風に人並みに多少の悩みとかはあったりするんだぜ?


 けどよぉ。そんな家庭の事情なんて人に見せても面白くねぇからよ。


 俺は全てを隠して明るく生きる。



――後悔はしてねぇけど、夢を捨てちまったことに対しては悪いなと思ってる。



 親が俺を信じてバトンを受け渡してくれたのによ。

 てめぇの人生を捨ててまでこんな俺のためにがんばってくれたってのによ。


 俺はそれに報いる事ができねぇ。


 それについては悔しいさ。



 けど、他の選択肢なんて無かった。


 ダチを見捨てて、奴隷みたいに媚びへつらって、やりたくもない犯罪の片棒担いで、そんなんでスポーツやって、スポーツマンシップに則った、なんて言えるのかよ?


 そう考えちまうとよ。もう、この学校を選んだ時点で詰んでたんだなって思っちまう。



 ま、スポーツ推薦なんて“甘い話は罠だった”って事だな。よくある話さ。



 まぁ、本当は柔道部もアマレス部もボクシング部も、俺のポテンシャルから俺の事を欲しがってたらしいんだけどよ。去年の担任っていうか、学校側が緩やかに妨害してたみたいなんだよな。


 それを知ったりもしたせいでさ。なんか、くだらねぇうっすい栄光なんぞのための闘いはさ、もう飽き飽きなんですわ。捨てちまったんだ。



 いつか、あの時みてぇに誰かを救えるならそれでいい。


 正義の味方がいないなら、俺がなってやる。


 そう意気込んで、俺は日々、未だに鍛錬を続けているって訳よ。


 合間に新しい趣味をはさみながらな。


 ちなみに、空手の道は行かないのかって思うかもしれねぇけど。


 そっちの道も、喧嘩の事が知れて破門になっちまってるんでね。


 けど、自力で稽古するくらいなら一人でもできるからな。


 段位も取れねぇ。

 道場で教えて仕事にすることも出来ねぇ。


 ただの趣味。


 そして実用。


 ただ、強くなるためだけに。


 俺は今日も鍛える訳よ。


「まずは走り込みだな」


 俺は玄関に向かうと、靴を履いて外に出る。


「ちょっと行ってくる」

「気をつけて」



 お袋の返事を耳に受け、今日も自主練とランニングがてら……。



「暇だし、後でアキラん家にでも遊びに行くかね」



 団地の周囲を数週してから、ダチの家に上がりこむのだった。




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