第一章「天上の記憶」

第二話「ありし日の日常1」




 夢を見ていたかった……。



 ……僕はただ、夢を見ていたかっただけなんだ。


 けれど、僕たちはそれを望んでしまった。


 その結果、現実は大きく歪められてしまった。


 非現実的な、幻想へと――。



 僕たちはたどり着いてしまった。


 どこへ?


 異世界へ。


 そこは、本当に想像していた通りの異世界で……。


 想像だにしない程の異世界だった。


 見たこともない木々に、虫たち。


 空には二つの月。


 そう、そこは紛れもない、異世界だった。


 けれど。



 その世界は――とても残酷で……。



 来るべきじゃなかったんだ。



 望むべきじゃなかったんだ。



 だって、現実は、物語とは違うのだから。



 現実は、物語ほど、甘くはないのだから。



――望むべきじゃなかった。



 そう、望むべきことではなかったんだ。


 何の力も無い僕たちが……。


 ただの一般人に過ぎない僕たちが……。


 勇者なんてとんでもない。普通の一般人の僕たちが、だ。


 ……間違ってしまったんだ。


 そんな事、少し考えればわかるはずだったのに。



 けど、知らなかったんだ。


 そんな事、思いもよらなくて……。


 望んでしまった。



 夢を見たかった。



――逃げ出したかった。



 空想に夢を羽ばたかせ、ただ妄想に遊んでいたかっただけなのに……。



 それを現実にしたいと、一瞬でも望んでしまった……。



 それが罪であるとも知らずに。




 もう、戻れないのだろうか。



 もう、あの頃のように、笑いあうことはできないのだろうか……。




――あぁ、どうしてこんな事に。






「悪夢……だ……」




 落ちゆく意識の中。


 硬いベッドの中。


 深い眠りへと落ちゆく刹那の時間。



 呟いた言葉。



 けど、言葉とは裏腹にそれらは告げる。



 痛みが、苦痛が、苦しみが、――これが夢などではなく、紛れも無い現実なのだと。



 苦痛が、寒さを告げる感覚が、記憶が、全てが……。



 全身を蝕む痛みが、吐き気を催す苦痛が、寒さを告げる感覚が、ここに至るまでの、“今”に至るまでの記憶が、起きた出来事全てが……告げるのだ。




――目の前の現実が。




――夢などではないのだと。









 深い眠りへと落ちていく。


 硬いベッドの上。



――痛みで、もう動けない。



 ぼんやりと眺めていた天井がぼやけていく。



 まどろみの中へと、落ちてゆく。



 深い眠りへと――落ちていく。




 夢に見るのはありし日の思い出たち。




 僕は思い返す。



 もう二度と取り戻せはしないであろう幸せだった日々を。




 過ぎ去ってしまった、日々を。




 平和で幸せだった在りし日の思い出たち……。





――なんでもない、けれど大切だった、幸福な楽園の日々の出来事を。









 時をさかのぼること一週間前。



 夢の中の僕は、まるで当時の現実を再現するかのように、現実に起きたとおりに、夕方の校舎、多目的ルームにいた。


 そう、これは僕の回想だ。

 夢と言う形で見ている、僕の、幸せだった日々の思い出。


 僕は全てから眼と耳をふさぐように、机に突っ伏して寝たふりを決め込んでいた。


……そう、目の前の現実から逃避するために。




「あぁ……悪夢だぁ……」





 目の前に広がる光景……それは、見るに耐えない地獄だった……。


 本来ならば、可愛らしいロリータボイスの声優さんが可愛らしく歌っているはずの萌え萌えアニメソング。

 流れている曲自体は良い。申し分ない。天使の歌のはずなのだ……。


 いかに世間が評価しなかろうと、電波ソングと揶揄されていようと、僕たちオタクと称される生き物にとってそれは、天上の音楽なのだ。


 だがしかし……。



 そう、それは良いものだ。良いもののはずなんだ……。



 唯一問題なのは……。



「甘く切ない♪ 不思議な気持ち♪ これはなんなの♪ 病気ナノカナ♪」



 その曲が流れるゲーム内で、可愛らしいおにゃのこ達がキュートに踊る、萌え萌えしたダンスを……。



「きゅんきゅんハートに♪ 想いを乗せて♪ 君のハートに♪ 届けちゃうぞ♪」



 踊っているのだ……!



「きらめきキュートなストーリー☆ 心うきうきハーモニー♪」



 身長180センチメートルをゆうに超えるガタイの良い筋肉質な長身の大男が!




「ふわっふわな恋心にー☆ とろけちゃうんダゾ♪」




 ……ハスキーがかった野太い男の声で。




「ときめきぴょんぴょん、すりすりチュッチュ、ハーピネース♪」




 ……一緒に歌いながら!



「恋の行方はね、あなた次第なの~♪」



 目の前で踊り狂っているんです……。



「ぺろぺろきゃんきゃん、あまあまにゃんにゃん、キャンディ~♪」



「……むしろ地獄か」



 それはまさに地獄と呼称する以外の何物でもない光景だった。



「恋の予感かナ~? ドキドキラブ☆サンシャイン♪」



 振り付けは完璧だ。

 まったくもって隙の無いほどに見事な完コピと言えるだろう。


 しかも全身をまとう筋肉のせいもあってか動きもキレッキレだ。


 ごり押しな某剛力アイドルさんも真っ青なキレッキレのダンスだ。



「夢であなたに♪ 口づけしたら♪ お菓子になって♪ 飛んで行ったゾ♪」



 ダンスのみに点数を付けるのであれば、文句なしに百点満点。


 いや、百点満点中百二十点は叩き出せるできばえと言えるだろう。



「ゆんゆん電波に♪ 想いを乗せて♪ プルプルタッチで♪ 元気になぁれ♪」



 ……踊っているのが、マッシブな大男でさえなければ。



「ぷにぷに秘密のテリトリー☆ 頭ぽわぽわ☆ヘヴンリー♪」



 逆立った茶髪ぎみの髪から汗が滴り落ちる。



「とろっとろなこの心を~☆ こじ開けてよネ♪」



 海で遊びすぎて色が抜けたらしい、実際、染めてはいないそうなのだが色の抜けかけた茶の髪。

 生来地毛が硬いらしく突っ立って見えるため、教師からは常に目を付けられている剣山のようなウニヘッド。


 汗に塗れたシャツからは鍛えこまれた筋肉が透けて見えていた。


 胸板は厚いし腹筋は見事なシックスパックに割れている。



「ふわふわポンポン♪ ときめきキュンキュン♪ シャーイニーング♪」



 それはもう、何だ。

 実に男子の理想体型とも言えた。


 顔もなかなかに整っている。



「愛の形はね、人それぞれなの~♪」



 こんなダンスを踊る馬鹿でさえなければ、イケメンの部類に入ってもおかしくないレベルの顔立ちだ。



「ふにゃふにゃみゅんみゅん♪ ぱぷぱぷキャンキャン♪ スウィーティー♪」



 どうしてこんな事になってしまったのだろう。



「天まで逝けたら~☆ ハピハピ☆ラブサンシャイン♪」



 ……まぁ、大体僕のせいなんですけどね~。



「間奏ターイム♪ スターティン☆ イエーイ☆」



 初めて彼、山下武やましたたけしと出会った時はこんな奇妙な奴じゃなかったんだ。





 そう、あれは中学一年生の入学式の時だったろうか……。


 運悪く初日から三年生に目を付けられカツアゲされていた時だった。

 周囲にはいかにもな、もはや今時漫画の中でしか見かけないであろうド・チンピラ風味の不良生徒が五人。


 今時防塵マスクて、風邪ひいてるの?

 毎日そのリーゼントヘア、整えるの大変じゃないですか?


 などと突っ込めるような余裕などなく、誰の目から見ても因縁を付けられているようにしか見えない嫌な壁ドン体勢で僕が威圧され、大絶賛絡まれモードな真っ最中だった。



 言うまでもなく、人生大ピンチ。



 けどね、そんな面倒な状況、誰かが助けてくれるなんていうのは漫画の世界だけなんだよね。



 現実ってのは厳しいんだ。



 そう、誰もが見てみぬふり。



 痛い目に合うなんてのは誰だって嫌だ。何より他人のために痛い思いをするような損な事、好き好んでやるような奴は、よほど酔狂な人間かバカ、もしくは本当のヒーローだけだ。


 けど、正義のヒーローなんてのはブラウン管の中にしかいない。



 そんな“奇特”な人間、というか……そんな頭が“危篤”な人間なんてそうそういるはずもない訳で……。




――あぁ、時が見える。



――そして人生オワタ。




 帰りに買う予定だったTRPGマイナーなゲーム追加データ集サプリ三冊は諦めざるを得ないだろうなぁ。


 ……下手すると病院代なんかもかかっちゃうかもしれないなぁ~。


 嫌だなぁ~。怖いなぁ~。うざいな~。


 なぁんか、おかしいなぁ~。


 なんかね? 匂うんですよ。

 これは口かな? 口が臭うのかな? なぁんか、臭いなぁ~って。


 ヤニの匂いなんですよ、これ。あきらかに吸ってるんです。

 まだ若いのに。そう、煙草ですよ。


 もうね、嫌だなぁ~臭いなぁ~口が臭いなぁ~って。


 嫌だなぁ~。怖いなぁ~。痛いの嫌だなぁ~。


 本当、うざいなぁ~って。



 稲川●二の真似を心の中でして現実逃避しつつもね。



 もはや、絶望しかなかった。




 そんな中、さっそうと現れたのがタケシだった。




『何だぁ? テメェら……。 え? うっそ、まさかのカツアゲ!? え、何? 今時カツアゲなのぉ? ウッソ、マジィ? うっわマジかよ~恥っずっかしいぃ~。ダッセェ~。オイオイオイ。こいつら頭悪ぃわ。バイトしろぉ~バイトぉ~。真面目に稼いだ方が早いっつぅの~、ププス~ッ』




 と、散々煽った挙句、鼻で笑いながら、身長180をゆうに超える大柄な男が現れた。



 一瞬の出来事だった。



 不良たちが何か因縁を付け、殴りかかった次の瞬間。



 殴りかかった不良の一人が、僕のすぐ脇にある壁へと叩きつけられていた。



 それから先はもう、瞬きする暇もあったかどうか。



 まさに瞬殺。



 その体格と筋肉は伊達じゃなかった。



 一瞬で五人の不良を倒すと、タケシは優しく微笑みかけてくれた。




『よっ、大丈夫かぁ~? 怪我とかしてねぇか?』



 それがタケシとの出会いだった。



 僕がもし女の子だったなら、その場で惚れていてもおかしくないシチュエーションだ。



 そんなラブ臭の強い少女マンガの第一話的展開の末、しかも偶然にも同じクラスだったってんだからもう、お前ら結婚しちゃいなよ、とか言われても否定の言葉もなかったくらいだ。



 御礼を言って、語り合い、彼はオタク趣味全開の僕の事でさえ、差別することなく接してくれたんだ。







 それ以来、僕とタケシはまるで正反対な存在でありながらも、親友と呼べる関係となったのだった。





――でも、あの頃の、触れれば誰でも傷つけかねない、ナイフのように尖ったクールガイな彼はもういない……!





――もう、どこにもいないんだ……!




「恋の予感かナ~? ドキドキラブ☆サンシャイン♪」




 タケシはひとしきり踊り終えると優雅にターンし、決めポーズをとり、ワイルドで男らしいその顔だちがもったいなく感じるほどに可愛らしい仕草と共に、僕目掛けてとびきりの笑顔でウインクした。




 ……きもい。




 本当。どうしてこうなっちゃったんだろうね。



 まぁ、二年ほど前に、タケシがなんかちょっと色々あったらしくて落ち込んでたから、気分転換にと思って僕の持ってるアニメのDVDとゲームとか『特選アニゲセレクション! これではまらない奴はきっといない僕の大好きな作品ベスト20』を全部貸したら、まさかのドはまりしちゃったのが原因なんだろうけどさ。



 うん、全面的に僕が悪かったですよ、こんちくしょう!



「どうよ!」



 ……いや、そんなドヤ顔でどう? と問われても返答に困る訳で。



「う、うん。普通に上手いと思うよ」



 その時の僕にはもう、そう答えるしかできなかったんだ。








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