ディストピア~蒼天のヘスカラント~

金国佐門

第一部(前編)

プロローグ

第一話「序章」


 暗い闇の中に僕はいた。



 体中が悲鳴を上げる中、僕はただ耐え続ける事しか出来ない。



――痛い。




――苦しい。





――寒い。





 目を開くと、わずかな光。


 覚醒した僕に与えられた感覚。

 それは、ただただ過酷な現状を思い知らせるだけのものでしかなかった。




 あれからどれくらいの時間が過ぎたのだろう。


 “あの後”僕は……川に落ちた……のか? それから……。




――みんなは?






 薄暗い。


 視界の先には……天井?


 部屋の中のようだ。



 起き上がろうとするものの、鈍い痛みがそれを阻む。


 体が重い。泥の中に埋もれているかのような倦怠感と疲労感。



 僕は体を動かせる範囲内で辺りを見回してみた。



 ……僕の他には誰もいなかった。



 周囲を観察する。

 木製の天井に灯りは無く、壁も木製。丸太をそのまま重ねたような質素な建造物。


 テーブルの上に置かれた蝋燭立ての小さくなったキャンドル。火は灯されていない。


 風を取り込むためにあるのであろう四角い窓らしき場所は分厚いボロ布で覆われていて、隙間からはわずかな光が入り込んでいた。


 僕の体を支えているのは粗末な硬いベッド。掛け布団の中に入っているのは何だろう。少なくとも羽毛ではない。藁か何かだろう。


 少なくとも、僕の知ってる『家』ではなかった。


 僕の生まれがもし、日本では無く、イギリスやロシアとかであったなら、もしかしたらこんな形の家でも違和感を感じずに済んだのかもしれない。


 だけど、違和感の正体はそれだけじゃなかった。


「……」


 漏れている淡い光。


 部屋の入り口であろう箇所。扉代わりらしき布製のカーテン。その下にある隙間からだ。



 “あの”月明かりだろうか……。



 淡く優しい光。

 にも関わらず、不自然なまでに暗がりの中がよく見える。



――つまりは“そういう事”なのだろう。



「ここは……」



 口を開いたその時、布製のカーテンが揺れた。


「ウィブル・ディクル・エレーノ?」


 鈴の音のような美しい声が響き渡った。


 開かれたカーテンから差し込む強い月明かり。一瞬、眩しさに目を細める。




 何と言っているのかはわからないが、それは女性の……可憐な少女の声だった。


 淡い逆光の中に佇んでいたのは、僕とさほど年も変わらないであろう少女。


 年は十四か十五歳といった所だろう。

 風にそよぐ、透き通るような長い金の髪。鮮やかな蒼の瞳。

 陶器のような白い肌。細身で華奢な体躯は繊細な芸術品を思わせる。




 彼女は、その可憐な姿に似合わない元気一杯といった声音で一方的に話しかけてきた。



「ピネ・アイミーラ。アイミーラ・ピネ・パラ!」


 自身を指差しながら彼女は必死に何かを訴えかけている。彼女の名前だろうか。


「ピネ……?」


 そう呟くと、少女は飛び跳ねて喜んだ。


「ウィエ! アイミーラ・ピネ! ユラハ?」


 覗き込むように僕に尋ねてくる。


「僕は……ケイト。キムラ・ケイト」


「キム? ラー?」


 しばし考え込む少女。


「ケイト?」


 いぶかしげに尋ねる彼女。僕は素直に頷いた。

 やがて、顔を上げると彼女は僕の名を連呼した。


「ケイト……ケイト? ケイト!! ユラー・ウィトソ? アイラー・ヴィジブ・スウィト! ユラ・レジェナ・ブレハ・アヌズハ!?」


 ここが想像通りの場所であるならば、恐らく英語ですらない。少なくとも日本語ではない。だから言葉はまったく通じてないけど、彼女が興奮している事だけは理解できた。

 ピネと名乗る少女が目を輝かせながら見ていたのは、ベッドの脇に立掛けられた僕の服だ。


 白い学ランなんて少し派手過ぎる、とか好き勝手言われてはいたが、僕にとってはいたって見慣れた学校の制服だ。



 一方、彼女の着ている服は……まるで中世ヨーロッパの村人を思わせるような、簡素な淡いピンクの色合いの……天然生地で出来ていそうな衣服だった。



「アイラヴィジブスウィト! ユラ・レジェナブレハ! アヌズハカムヌ・ジズランダセルブ・ハ!?」


 興奮しながら少女が放つ言葉は、まったく聴いたことも無い響きの言語。


 例えるならば、そう。


 日本人が無理して話す英語の延長上のような発音で、本質は英語に近いような、けれどまるで中国語のような……というか中国人が無理に話す時の片言の日本語に近い響きを持つ、そんな不思議な言語だ。




 ……だから、それらの事実がいやおう無しに思い知らせてくれるのだ。




 ここが“僕の知る世界では無い”のだという事を。














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