第三十三話「*山下武の事情2」


 ずーっと、正義の味方に憧れていたんだよな。

 子供の頃に見たヒーローって奴に憧れてたんだよ。

 強くあろうと思った。


 だから、体を鍛えた。

 とりあえず体を鍛えて、強くなった気がして……。

 小学校低学年の頃、同級生に悪さする上級生に初めて立ち向かった。


 全然勝てなかった。


 体格の差はもちろんの事、技さえ無かったからな。


 限界を感じた。


 そんな時、空手に出会ったんだ。




――そして今。



 水曜日。深夜十一時。

 いつもどおり、動きやすい格好で外に出て、軽く甘いものを腹に入れ、俺、山下武は団地前の広場で一人、型稽古を続けていた。


「こぉぉ……ッ波紋疾走オーヴァー・ドライブ!!」


 一通り型を終えたら、次は千本突きだ。


「セイヤ!! エイヤ!!」


 型も千本稽古も、姿勢が命だ。

 崩しちゃなんねぇ。正しいフォームに、力が宿るんだ。

 ただ適当に数だけこなしゃあいい訳じゃねぇ。

 一本一本大切に、それこそ、感謝の正拳突きってくらいに丁寧に打たなきゃ意味がねぇ。

 惰性は許されねぇ。フォームが崩れちまったらそれこそ練習が無駄になっちまう。

 肩の力を抜いて、脇を締めて、腰を入れる。

 チンクチ掛けてガマクを入れる。

 しっかりと整った正拳を放つ!!


 そう、正しい拳と書いて正拳。

 ならば、正しいフォーム無くして正拳無し!


「セイッ! エイッ!! ッセイ!! ッエイ!!」


 千本突きを終わらせたら、次は蹴りだ。


 前蹴り、下段蹴り、三日月蹴り、回し蹴り、後ろ回し蹴りを各自五百本づつになるよう繰り返す。


 終わる頃には、体が眠くなってる頃合だ。


 それまで、我を忘れて、一心不乱に鍛錬に打ち込む。


 これが俺の毎日のノルマ。


 別に道場なんざ無くたって、その気になりゃどこだって稽古なんざできるってもんよ。


 結局、武道なんて孤独なもんだからな。


 毎日のノルマをこなしながら、ふと考える。


 俺は何のためにこんな苦行を続けるのかって。


 そりゃあ強くなるためさ。


 なんのために?


 健康のため、体を鍛えられるからってのもある。

 けど、それだけなはずがねぇ、


 誰かを守れる力を得るために。

 自分を守れる強さを手に入れるために。


 自分に勝つなんておためごかしじゃねぇ。

 いざという時に他者に勝つためだ。


 そうじゃなきゃ、誰も守れねぇからな。



――誰かを守った先に、空手をやめさせられたのに?



 ……うるせぇ。


 わかってんだよ。そんな事は。



『空手とは道じゃ』



 道場に通ってた頃、師範の奴が言ってたっけな。



『空手とは武道とは、敵に勝つためのものではない、己に打ち勝つためにある』



 なんてよ。


 じゃあよ。自分に打ち勝って我慢して、戦わねぇで大切なもんも奪われちまったらよ、それさえも耐えて己に勝つのが道だとでもいうのかよ?


 ふざけんじゃねぇ!! そんなもんは武道でもなんでもないだろう!


 逃げ腰の負道じゃねぇか!!


 勝たなきゃいけない時ってのがあるんだよ!!


 他者に勝たなきゃいけない時ってのがよ!


 他者を蹴り飛ばし、殴り飛ばしてでも倒さなきゃならねぇ時ってのがあるんだよ!!


 誰かを守らなきゃならねぇ時ってのがあるんだよ!


 そういう時に、勝つために研ぎ澄ます牙! それが“武”だろうが!!


 そうじゃなきゃ、そんなもんはただの“舞”だ!!


 俺たちゃ踊り踊るために通ってたんじゃねぇぞ!! 糞が!!


 結局、自分達に飛び火するのが嫌だっただけなんだろうな。


 空手が悪者にされ、危険な暴力とされ、道場のイメージが傷つかねぇために、てめぇ可愛さで逃げやがったんだ。



 何が破門だよ。



 ダチも守れない力に何の意味があるってんだ! こっちから願い下げなんだよ!!



「破門疾走……オーヴァー・ドラァイブッ!! ……なぁんてな」



 俺は稽古を一通り終えると帰路に就く。


 喉が渇いたな。


 ジュースでも飲んで帰るか。


 がんばった自分へのご褒美として、自販機に立ち寄る。


 選ぶのはもちろん、濃厚ミルクセーキバニラ風味。


 動いた後は甘いもんに限るもんな。


「……」


 そう、奪われちまったら終わりなんだよ。


 負けたら何も残らねぇんだ。



 小学校低学年の頃。俺はいわゆるガキ大将だった。


 いじめはしなかった。横暴ではあったかもしれねぇ。


 けど、ダチを傷つける奴は許さない。いわば小さな番長だった。


 ところがだ、例の上級生との喧嘩で負けた瞬間だよ。


 周りの見る目が完全に変わっちまった。


 仲間も、友達も、たった一度の敗北で全部無くなっちまうんだ。


 力の無い無能に価値は無い、とでも言うみたいにな。


 勝たなきゃ守れねぇんだよ。


 俺が負けたせいで、ダチだった奴らまで目を付けられて……。


 勝てなかったから、迷惑かけちまった。


 喧嘩を売った理由だって、ダチ共が絡まれてピンチだったからだ。


 正義の味方気取りだったんだ。


 力が無かった。


 正義無き力に意味はあるかもしれねぇが、力無き正義に意味なんて無ぇ。


 その時、俺は初めてこの世の真理と理不尽を知ったんだ。


 そして何より。


 警察は役に立たねぇ。


 もちろん、被害者が出ちまってから犯人を捕まえるって意味では役に立ってるだろうよ。


 だが“被害者が出てから”だ。


 被害とは何だ? 何かを奪われる事か? 奪われる? 何を?


 怪我だけならまだいい? 良いわけねぇ。


 奪われたのが金ならまだいい? 良いわけねぇ!


 奪われるのが命だったら?


 無価値なんだよ。法の番人様はよ。


 自分で、誰かが、身を守らなけりゃならねぇんだ。


 正当だろうが過剰だろうが、防衛しなきゃならねぇんだよ。


 例え法律がそれを悪だとのたまおうと、守らなきゃならねぇ時があるんだよ!!


 それを、その身を守る権利を妨げて、何が法律だ! 何が警察だ!!


 奪われたり怪我したり死んだりしてからじゃ遅ぇんだよ!


 それからしか動けないんじゃ無意味なんだよ!!


 それなのに……この国の常識は、ルールは、法律は、自分を守る権利さえ認めねぇってのか!



――それはもう、悪法だ!!



 被害が出てからしか警察は動けねぇ。


 身を守るために防衛したら過剰だの言われて犯罪者呼ばわり。


 俺たちは身を守る権利すらないのか?



 ぐしゃりと、飲み終わった缶を握りつぶす。



――何のための武だよ!!




 そんな風に考えながら、一人空を仰いで黄昏ていた時だった。



 声をかけられた。



 それは、もはや二度と聞きたくもない、忘れたい、嫌な声だった。


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