第四十五話「*神倉徹の受難2」
長谷川家のある団地に辿り着く直前の事だった。
近場の公園にその姿はあった。
それは、無数の男共の群れ。
率いるは――。
「やっぱりここを通るよなぁ」
「誰だ貴様は」
フルフェイスメットの男だった。
「お前に先日散々屈辱味合わされた男だよ!」
「あぁ、あの時の」
剣道場での事を思い出す神倉徹。
そう、あの時散々痛めつけて無数の敗北を与えてやったうぬぼれ男、竹中幸雄であった。
その出で立ちは仰々しく、ヘルメットだけではなく、全身バイクのプロテクターで武装していた。
引き連れている十数名の男共も一様に、ヘルメットやプロテクターという重武装。その手には各々、釘バットや木刀などが握られていた。
「お前が今日お友達の家に遊びに行くって聞いてなぁ。待ち伏せしてたんだよぉ!」
素手で、ボクシングのデトロイトスタイルで身構える竹中。
「もう一戦付き合ってもらうぜ?」
「なぜだ。お前との戦いはもう終わったはずだ」
「いや、終わらないね。なぜなら――ありゃぁ反則だ」
「反則?」
「非礼行為だよ。不正用具の使用に相当する。防具をつけていなかった事がなぁ。おやおやぁ? 剣道界トップのお方がそんなルールも知らなかったんですかねぇ?」
竹中の愚かな言動に神倉徹は声をくぐもらせて小さく笑うと。
「甘ったれるな」
竹中を睨みすえて一喝した。
「非礼で反則? そんなものが戦場で通用すると思うな!」
そして一笑に付した。
「あれが真剣での斬りあいだったとして、そんなものがお前の命を守ってくれるとでも言うのか」
戦場の剣を目指していた男にとって、それは剣の道に対する侮辱以外の何ものでもなかった。
「失われた命が、帰ってくるとでも言うのか!」
すでに死したお前が、死者の分際で多勢に無勢でお礼参りとは……神倉徹は竹中に対し度し難い怒りを覚えた。
「何が礼儀だ! ルールだ! そんなものは糞くらえだ! 現実じゃぁ、実戦じゃぁな、そんなもんはなんの役にも立たん戯言なんだよ!」
「……言いやがったな。ルールなんて糞だってよぉ。なら、こんなんもありだよなぁ!!」
――不意打ち!
脱力と腰を切る動きで下から突き上げるように放たれた瞬速のフリッカージャブ。
竹中の放つそれは、威力重視ではなくスピード重視。しかもダメージではなく不意を突く為の一手として放たれたフィンガージャブだ。五指を軽く開いた状態で瞼に叩きつけ、目を閉じさせる事で一瞬相手を怯ませ、続く必殺コンビネーションを叩き込むための布石とする。
その後、金的を蹴り上げ、下半身に意識が向けられた相手の頭部、両鼓膜へのダブルイヤーカップ――空気を含ませるように中央部をふんわりと膨らませた形で開かれた掌打――を耳に叩き込み、そのまま相手の頭部を掴み引き寄せ顔面へと膝を叩き込む。そして意識が頭部に向けられた相手へと、必然的にガードの甘くなったボディに向けて、ダメ押しの全力テレフォンパンチを叩き込む!
これが竹中の必勝コンビネーションであった。
だがしかし、ジャブは額で受けられ、続く蹴りはすくわれてダメ押しの足払いを受ける。そのまま投げられるように一瞬、宙を舞った竹中は、その股座にスナップの利いた鋭い裏手打ちを叩きつけられ悶絶する。
空中に浮いた状態で副睾丸への激しい痛みを受けた竹中は受け身もろくにとれないまま地面へと叩きつけられ、とどめとばかりに放たれた腹部への踏みつけを受け動かなくなる。
一瞬の出来事であった。
倒れ伏した竹中を見下ろし、神倉徹は静かにその言葉を紡いだ。
「斬られれば人は死ぬ。死んだら終わりなんだよ。死人風情が口を開くな」
怒気を孕んだ殺気が周囲に放たれる。
明確な、それでいて、この男ならやりかねない、そして“それができる”と言外に語る殺意を向けられ、周囲の男達は怯む。
「何もかもがくだらん……」
――くだらない児戯に時間を使ってしまった。
「こんなものは、ただの遊びだ……」
――どうせ遊ぶなら、楽しい方がいい……。
神倉徹が再びその道を歩まんと一歩を踏み出したその時だった。
「待てや……! まだ終わっちゃいねぇんだよぉ……!」
ヨロヨロと、起き上がる竹中。
「ヘルメットと、腹に巻いたさらしの中のジャ○プが無ければ終わってたかもしれねぇがなぁ……」
防具のおかげか、対したダメージは負っていない様子だった。
「けどさ、これだって全然、反則じゃぁ無いよなぁ? そうだろぉ? なんせ、実戦なんだからなぁ!」
背後の男達が戦意を取り戻し、身構える。
「それに、誰がタイマンだなんて言ったよ」
竹中が顎で合図すると、神倉徹を囲むように、男達が周囲に散り、囲むように位置取りをする。
「これだけ集めりゃさすがに死ぬだろ」
そして、完全に包囲が完了すると――。
「こっちは別にやられたってもいいんだもんなぁ! 過剰防衛の暴力、怪我に対する慰謝料で訴えて、てめぇの人生グチャグチャにしてやんよぉ! さらに、怪我が治ったらお前のお友達にも嫌がらせしまくってやるからなぁ! もうお前だけで責任取れる状況じゃあねぇんだよぉ! わかったら大人しく死ねやぁ!!」
「剣道部員の名がすたるな」
「あん?」
「最後に頼る武器が木刀ですらないと」
「あいにく、こいつが一番使いなれてんだよぉ」
男達の一人から渡されたのであろう、金属バットを携え竹中は自信満々にあざけ嗤う。
それに対し――。
「――手加減はできない。死ぬぞ? それでいいんだな」
神倉徹は静かに、練習用の巨大木剣を手にして身構えた。
「やれるもんならやってみろや」
「たったの十三人か。安く見られたものだな」
そして上段に振りかぶる。
「かかってこい。下郎!」
「おうよ、やってやらぁ! てめぇら、行けぇ!!」
『おう!』
竹中は、この時のために後輩を金で集めていた。
竹中は昔のダチと久しぶりにカツアゲをした。
ここ数日でかなりの額を稼いでいた。
その上で、その友人と後輩、さらには友人の後輩――特に戦闘員として優秀な者――に声をかけたのだ。
そう、つまりは金で雇われただけの関係。
彼らはほんの小遣い稼ぎのつもりでこの場に来ていたのだ。
人を囲んでボコるだけの簡単なバイト、などと口車に乗せられて――。
――ゆえに、決着はわかりやすいほどに簡単に着いた。
それは一瞬の出来事だった。
竹中には見えてすらいなかっただろう。
そして、記憶にすら残る事はなかった。
神倉徹へと一撃を加えんと竹中が一歩踏み出そうとしたその刹那――。
脳天への一閃。
まさに一撃必殺。
巨大な木剣による、非情にして痛烈な一打だった。
その一撃で、竹中は倒れた。
糸の切れた操り人形の如く、力なく倒れた竹中は、バタバタと不規則に手足を動かした後、全身を激しく痙攣させ、やがて小さな痙攣のみとなり、そして動かなくなった。
ヘルメットの頭頂部は砕け、大量の血が流れ出ていた。
周囲の男達は、その光景を見て、動きを止める。
やがて戦場にすえた匂いが漂いだす。
竹中が失禁したのである。
その股座は濡れ、異臭は小水のみならず、脱糞の匂いも漂いだした所で、男達は恐れおののき戦意を喪失させる。
神倉徹は剣道を憎悪していた。
ゆえに、剣道の技を使うことに嫌悪感を抱いていた。
結果、こう考えたのだ、
――そうだ、ならば剣道でなければいい。
……殺人術ならばいいのだ。
祖父から習った古流剣技。
抜き打ち――居合からの真っ向切り。
真上から一直線に打ち下ろす最速の居合。
それを何度となく繰り返してきた修行の果てにある、最速の上段。
その一撃が、竹中の頭部に叩き込まれたのだ。
――あいつは、俺だけでなく、友にさえ手をかけようとした。
――生きている限り、永遠につきまとうと宣言してきた。
――なら、もう殺すしかないじゃないか。
なぜ、殺人事件が起きるのか。
なぜ、人が死ぬような事件が起こるのか。
答えは簡単だ。
危険に対する認識の甘さだ。
殺すぞ。
例えばシンプルなこの言葉。
人は往々にして、誰もがそういった警告に対して“どうせできない”“口だけの脅し”と思い込む。
まるで雪山の危険性を軽く見て軽装で登山するかのように。
まるで豪雨時の氾濫しかねない川や、台風時の荒れ狂う海の目の前へと物見遊山で訪れるかのように。
自然はいつだって牙を剥き命を奪う。
だから警告には耳を傾け、危険からは身を遠ざけるべきなのだ。
だが、人間は人間という自然を甘く見すぎている。
殺すと覚悟したならば、人は人を簡単に殺すに足る力があるというのに。
人など所詮、刺されれば簡単に死ぬ程度の生命力しか持たない脆弱な生き物にすぎないというのに。
どうせできないと、殺されたりはしないだろうと、楽天的に、自身の絶対の生を妄信、過信する。
だから、死ぬのだ。
ゆえに殺されるのだ。
自然に対する敬意と畏怖を忘れた時、災害や事故で人が死ぬように――。
――人に対する敬意と畏怖を忘れた時、人を舐めるから、殺されるのだ。
神倉徹は確かに口にした。
手加減はできないと。
死ぬぞ、と。確かに警告をしたのだ。
だが、その警告に対し、“どうせ殺されまい”と過信した竹中は、見てのとおりの結果となった。
――動かない。
頭部の周囲を、血の赤で、池のように染め上げて――。
――竹中はピクリとも動かない。
「こ、こんなの聞いてねぇよ」
「割りにあわねぇって……」
そして恐怖は伝染する。
「小遣い稼ぎでこれはなぁ……」
小金で雇われた軽い関係。
「俺、嫌だよ……死にたくねぇよ」
「俺もだ」
仕返し、復讐などとは無縁の男達。
「ひ、ひぃぇぇぇぇ」
一人が逃げたら後は――。
神倉徹と、倒れ伏した竹中を残し、誰もいなくなっていた。
「愚かな男だ」
――明確な殺意を持って、全力で打ち込んだ。
――死んだ……?
――殺した……?
どうしようもなかったとはいえ。
いや、それすら言い訳なのだろうか。
他に手はあったのか?
いや、なかった。
他に方法が無かった。
仕方なかったんだ。
神倉徹は竹中を見下ろし、木剣を袋の中に戻した。
――わずかに返り血の付いた木剣を。
「……まぁいいか。所詮、俺の人生などこんなものだ」
――今日が最後のシャバになるかもしれん。
――後悔の無いよう、全力で遊んでこよう。
神倉徹は倒れ伏した竹中を一瞥すると、無表情のままそれを見下ろし、一人、目的地である長谷川宅へと歩んでいくのだった。
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