第七話「逃避」

 すさまじい轟音ごうおんとともに大きな衝撃が、建物全体を震撼しんかんさせた。

「な、何」

 ぼくはあわてて窓から外を覗きこんだ。

 ぼくのいる独房のある東側の区画とは反対側の一階と二階の一部が崩落して炎に包まれ、黒い煙を吐き出していた。瓦礫がれきの中から建物に押しつぶされたトラックの後輪部分がはみ出していた。

 まさか、爆弾テロ?

 そんなぼくの推測を裏づけるかのように、爆竹を思わせるような銃器の発砲音が耳に入ってきた。

「急げ。西棟の一階だ」

 野太い男の叫びが聴こえ、ぼくは扉の小窓から廊下側を覗いた。パワードスーツと見違えるようないかつい防弾スーツを着こみ、短機関銃サブマシンガンH&Kヘッケラーアンドコック・MP5を持った警備隊員たちが数名、建物の西側へ駆けぬけていった。

 そしてしばらくすると、反対側からそろそろと、錆鼠さびねず色のスニーキングスーツに身を包んだ怪しい男が、右手に短機関銃イングラムM11を構え、こちらへ進んできた。若い長髪の男性で、男のぼくから見てもかなりのイケメンだった。

 長髪のイケメンは、ぼくの視線に気づくと、しー、と、口もとで人差し指を立てた。

 まさか、テロリスト?

 彼は扉の前までやってくると、周囲に敵がいないことを確認し、ぼくにこう告げた。

朱井空あかいそらだな。お前を助けに来た。離れてろ、いま鍵を破壊する」

 何が何だかわからなかったが、ぼくはとりあえずこの長髪イケメンの指示に従うことにした。逆らってもろくなことはないだろう。

 彼は扉のドアノブに九ミリ弾を撃ちこみ、破壊すると、強引に蹴り開けた。

「あの。あなたは一体」

 ぼくは茫然ぼうぜんと間の抜けた顔で彼にそう尋ねたが、彼は「詳細は後で説明する。今はだまって俺についてこい」と、やや高圧的に言った。世の女性たちはぼくのような草食系男子(あるいは絶食系女装男子)よりもこういう多少強引な男性にかれるんだろうな、と暢気のんきにそんなことを考えていた。

「おら。もたもたすんなよ。お嬢ちゃん。走れ。捕まるぞ」

 彼はそう言って、ぼくのお尻をばちんとたたいた。

「ひゃん」

 ぼくは女性のような声をあげ、彼の後を走りだした。

「お前。朱井空、だよな」

 長髪イケメンは唐突にそう尋ねてきて、ぼくは首肯しゅこうした。ぼくの性別が一瞬わからなくなったのかもしれない。

「俺は星。星周一ほししゅういちってんだ。よろしくな」

 テロリスト(?)にいきなり自己紹介をされ、ぼくはどう反応していいのかわからなかったが、とりあえず「あ、はい。よろしくお願いします」と返しておいた。

 星と名乗った長髪イケメンはぼくを率いてビルの中を、敵の間隙かんげきうようにして進んでいく。絶えず無線機で仲間と交信しており、まるでどこかから敵の位置を把握しているようであった。

 だが、そんな芸当も長くは続かなかった。


「止まりなさい」


 高神たかがみの鋭い声がフロア内に響きわたると、ぼくたちはいつの間にか敵部隊に包囲されていた。

 彼女は左手に持った自動拳銃グロック18の銃口をこちらへと向け、安心したように大きく息をついて、こう言った。

「危うくだまされるところだったわ。でも、少しばかりおとりの動かし方が露骨だったわね。北朝鮮特殊部隊による同志たちの奪還作戦、と見せかけて本命はこちら、〈人工全能〉の奪還、と。あなたは白金機関の人ね。ヒヅルは元気にしているかしら?」

「あんたが高神麗那か。うちのリーダーがむかし世話になったって聞いてるぜ。なるほど、一筋縄じゃいかねえわけだな。こりゃ」

 落ちつきはらった様子で、星は肩をすくめた。

「さあ、武器を捨てておとなしくうちの新米職員を返しなさいな。そうすれば命まではとらないわ」

 いつの間にか新米職員にされていた。

 星が怪訝けげんそうに眉をひそめてぼくの顔を伺ったので、ぼくは咄嗟とっさに首を横に振った。

「違うって言ってるぜ。奴隷的拘束および苦役は憲法違反じゃねえのか? 麗那さんよお」

 星がうすら笑いを浮かべてそう言うと、高神はため息をついた。

「馬鹿な子。せっかくエリートになるチャンスをあげたのに。自らテロリストに身をやつすというのなら、いっそここで私自ら引導を渡してあげるわ。犯罪者が私の庭を闊歩かっぽするなんて許さない。国家に楯突く反逆者は全員粛清する」

 高神が右手を上げると、後ろで待機していた警備隊が短機関銃MP5の銃口を一斉にこちらへ向けた。

「これが最後の警告よ。武器を捨てて、彼をこちらへ引き渡しなさい」

 高神が高圧的にそう命令すると、星はまるでこの絶望的な状況を楽しんでいるかのように口角をりあげ、こう言った。

「出番だぜ。アルたん」

 刹那、ぱん、という炸裂音が響きわたり、警備隊員ひとりの右腕が、ふきとんだ。

 宙を舞う赤い飛沫しぶき。地に落ちる腕と銃。

「あああ。う、腕がああ」

 彼の悲鳴がフロア内にこだますると、他の警備隊員たちも得体の知れない攻撃に動揺し、った。

「何事」

 高神は表情をこわばらせ、腕をふき飛ばされた隊員に一瞬眼をやると、すぐに射るような視線と殺気を、こちらへ向けた。

 ばららら、と連続で火を噴く、高神のグロック18。

 自らの意志とは関係なく、星のすさまじい力で強引に背後のコンクリの柱の裏側へと引きずりこまれる、ぼくの体。

 一瞬すべての時間がビデオのスロー再生のようにゆっくりと流れ、高神の放った九ミリ弾の群れが、紙一重の差で、柱のコンクリをえぐっていく。

「何をしてる。撃て。ふたりとも処刑しろ」

 高神麗那がややヒステリックにそう叫ぶと、警備隊が一斉にMP5を発射した。

 無数の弾丸が、コンクリの柱を削り、辺りを粉塵が舞った。

 ぼくと星は柱の裏に隠れてしばらく弾丸の豪雨をやりすごしていたものの、このままではどう考えてもジリひんである。が……

「何じゃこりゃ」

 突如眼に飛びこんできた奇天烈きてれつな光景に、ぼくは頓狂とんきょうな声をあげた。

 ぶううううん。

 それは、まるで雀蜂すずめばちのような野太い羽音を伴って、現れた。

「安心しろ。味方だぜ」星が言った。


 それは隊列を組み、空を飛ぶ、ゴキブリの大群だった。

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