第二十一話「責任」

 気分が晴れない。

 殺した警官たちの断末魔の叫びが、何度も蘇ってくる。

 ぼくが白金機関のエージェントとして任務に就いてから一年。すでに何人もの標的をこの手で葬ってきたが、ぼくはいつも首尾よく、ただひとりの犠牲者を出すこともなく、完璧に任務を遂行してきた。

 一般人や警官を巻きこんだのは、実は今回の作戦が初めてだったのだ。

「どうしたのです。ヒデル。浮かない顔をして。何か悩み事があるのなら、この姉に相談しなさいな」

 隣の座席に座っていたヒヅル姉さんが、ぼくにそう言った。

「いや。いいんだ。大したことじゃない」ぼくはかぶりを振って返答した。

 今ぼくはヒヅル姉さんとともに、北海道夕張ゆうばり市に新設された白金グループの秘密地下工場の視察に、ヘリで向かっている。ぼくが星や雲母きららとともに米軍事産業大手のハルバード社からデータを盗んできた最新兵器の開発も、ここで行われる予定だという。

 夕張市は二〇〇七年に破綻はたんし、財政再建団体に指定されたが、これを機に白金重工を始めとする白金グループの傘下企業が相次いで進出、かつてメロンの産地、炭鉱都市として発展した夕張市は、一転して日本有数の重化学工業コンビナートとして驚異的なスピードで発展を遂げ、札幌市に次ぐ北海道第二の都市「ネオ夕張」として生まれ変わったのだった。

 だが夕張市の再建はあくまで表向きの理由であり、姉さんの本当の狙いは自ら築きあげた工業都市の地下に大規模な新兵器開発工場を新設することにあった。

 白金グループが世界有数の多国籍コングロマリットで、白金機関が世界中にネットワークを持つ大組織であっても、数の上ではすでに世界を裏から牛耳りつつある秘密結社ヘリオスの足元にも及ばないというのが現状である。この圧倒的な数の劣勢を覆すため、白金機関では戦術戦略はもちろんのこと、エージェントひとりひとりの質、すなわち彼らの頭脳、技能、戦闘能力といった任務遂行能力、そしてそれをさらに強化するための武器や道具の開発に、力を注いでいる。アルマが開発した精巧なドローン兵器の量産化も進みつつある。

わたくしにはそうは見えませんね。ヒデル。自分が、我々のしていることが本当に正しいのか、悩んでいるのではないのですか」

 さいなまれるぼくの心中を女性特有の読心術で見抜いたかのように、姉さんはぼくに問う。

「やれやれ。姉さんはぼくの考えてることがわかるのかい。エスパーなのかな」ぼくは軽くおどけた調子で肩をすくめた。

わたくしには話せませんか。ヒデル」

 話をはぐらかそうとするぼくに、姉さんは急に真摯しんしな面持ちで言った。

 彼女には嘘やごまかしは通用しない。

 そう悟ったぼくは、観念して胸の内を姉さんにさらけ出すことにした。

 誰かに打ち明けてしまいたかった、あるいは甘えたかった、という気持ちもあったかもしれない。

「知っての通り、ぼくは先日、宮美みやび嬢の護送任務で多くの犠牲を出した」

「そうですね」

 姉さんは、ただ静かに肯定する。

「ヤクザどもは人間じゃないから死んでも別にいいけど、市街地で事故に巻きこまれた人とか、ぼくたちが殺した警官たちの中には、ただ純粋に街の人たちを守りたくて警官になった人もいて、そんな彼らには帰るべき家があって、愛していた家族も、いたんじゃないかなって」

「そうかもしれませんね。あなたが完璧に作戦を遂行できていれば、彼らは死なずに今でも家族揃って温かいご飯でも食べているかもしれません」

 姉さんに淡々と事実を突きつけられ、ぼくは大きなため息をついた。

「はっきり言うなあ。姉さんは」

 結果的に宮美を無事に連れ帰ることができたとは言え、今回の作戦はお世辞にも成功と呼べるものではなかった。正体不明のテロリストによる事件として新聞の一面を飾り、五十名を超える死傷者(うちヤクザが三十四名、一般市民六名、警官十二名)を出した。白金機関が世界中にネットワークを持つ大組織であるとはいえ、もしその存在が明るみに出てしまっては、ぼくたちは今後日本で活動を続けることはできなくなるかもしれない。日本ひとつ征服できない者たちが、世界征服の実現など、夢のまた夢だ。

「ですが」

 少し間を開けてから、姉さんは続けた。

「どうしようもないことを考えても仕方ありません。人間は完璧ではないのですよ。ヒデル。我々〈人工全能〉でさえ、真の意味での全能ではありません。いくら超人的な身体能力や神経組織を持っていても、何十もの人間の話を同時に聞き分けられても、地球上すべての言語を理解できても、たった、それだけのこと。未来を予知し、不確定要素イレギュラーを完全に排除できるようにならない限り、物事に絶対はあり得ない。むしろ地獄谷村正じごくだにむらまさというイレギュラーがあったにもかかわらず、あなた方はよくご無事で、鷹条宮美を連れ帰ってきてくれました。あなた方の失敗は、トップであるわたくしの責任。民衆や警官を殺したのは、このわたくし、白金ヒヅル。あなたの罪はこのわたくしが、すべて背負います」

「じゃあ、ぼくたちは姉さんの顔に泥を塗ってしまった。そういうことじゃないか」

 ぼくは脊髄せきずい反射的に叫んだ。

「一向に構いませんわ。敵側に地獄谷村正ジョーカーがいる、そしてそのジョーカーが新兵器を用いてアルマのドローンをすべて無力化してしまう、ということを予期できなかった、わたくしの責任です。もしそれがわかっていれば、もっと他の作戦の立てようがあったでしょう」

 ぼくとは対照的に、姉さんは淡々と言った。

「現実的じゃないことを言わないでくれ。そんなことは不可能だ。理想の実現のためにどうしても犠牲が避けられないなら、ぼくたちは一体何のために戦っているんだ。星子せいこのような善良な人々が安心して暮らせる平和な世界を作るためじゃないか。なのに結果的にぼくたちは、あろうことか、そんな人々を、殺す側に回ってしまった。ぼくが憎んで、打ち倒すと誓った連中と同じ、血も涙もない人殺しに、成り果てた」

 ぼくが髪を振り乱して喚き立てると、姉さんは我が子をあやすように、ぼくを優しく抱擁ほうようした。

「ヒデル。よくお聞きなさい。〈完全世界〉を、作ってしまえば良いのです。わたくしの〈完全世界〉構想が実現すれば、すべて解決する。今世界各地で起きている解決不能の悲劇は、すべてが解決可能となる。今ここで我々が歩みを止めてしまえば、それこそすべて元の木阿弥もくあみ高神たかがみ安那子あなごのような人間が暴力と恐怖で統治する世界が、延々と続くだけです。星子が安心して暮らせる世界を作ると決めたのではなかったのですか」

 愛する妹の名を出され、ぼくははっとなった。

 あの悲劇、安那子が星子を強姦し、ぼくが非力故に何もできず、ただ彼女を見殺しにするしかなかったあの時。

 どんな犠牲を払ってでも、たとえ悪魔に魂を売ってでも、この悪党どもを皆殺しにする。そう願ったんじゃないのか。

 誰かを愛するというのは、他の誰かを愛さないということだ。

 星子が大切なら、ぼくは前に進まなければならない。

 たとえ、この手が、どんなに血で汚れようとも。

 姉さんはぼくの両肩を掴み、その神秘的に輝く黄金のふたつの瞳で、まっすぐにぼくの眼を見て言った。

「我々は、もう引き返せないところまで来てしまっているのですよ。ヒデル。無闇やたらに人をあやめてはなりませんが、立ち止まるわけにもいきません。あなたも白金機関の一員なら、覚悟を決めなさい」

「そうだね。ぼくは何を迷っていたんだろう。ぼくはもう、引き返すわけにはいかない。星子のためにも。ぼく自身のためにも。一緒に〈完全世界〉を作ろう。姉さん」

「ありがとう。ヒデル。あなたならそう言ってくれると思ってましたよ」

 完全なる平和を実現するには、犠牲はどうしても出てしまう。

 それが当たり前、と言っているのではない。

 我々は極力犠牲を避けながら、理想を実現しなければならない。

 世界征服とは、人類が未だかつて成し得たことのない偉業。

 これからさらなる未知の障害が、ぼくたちに襲いかかることだろう。

 だけど、ぼくは諦めない。

 この命尽きるまで。


 しばらくすると、ヘリは白金重工夕張支社要する二十五階建ての第五十一白金タワーの屋上に降り立った。そこではすでに白金重工の社長や重役たちが姉さんの到着を待っており、地下にある秘密工場の入口まで案内した。

 長く続く薄暗い階段を降りると、やがて地下鉄のトンネルを思わせるような円筒型の大きな空洞に出た。等間隔に配置されたハロゲンランプの青白い光が、壁を無数に這う大小様々な口径のケーブルやパイプを不気味に照らし出していた。しばらく進むと、固く閉ざされた高さ五メートルはありそうな巨大な鋼鉄製の扉が姿を現し、ぼくたちはその脇にある人間用の小さな扉の前までやってきた。白金重工の社長が静脈認証装置に指を置くと、がちゃんと大きな金属音が空洞内にこだました。そのまま社長は扉を開け、ぼくや姉さんを招いた。

 中は白を基調とした、大量の機材や物資が置かれた真新しい実験施設だった。

 フロア中央のオフィスデスクに座った、白衣姿で瓶底眼鏡をかけた癖っ毛の若い男性が、こちらへ歩み寄ってきた。

 彼の名は江地村冬馬えじむらとうま。マサチューセッツ工科大学を卒業し、白金グループに破格の待遇でスカウトされ、現在極秘兵器開発部門の技術主任を務めている男だ。

 江地村は子供のように屈託のない笑みを浮かべ、姉さんに顔を近づけて言った。

「お会いできて光栄です、ヒヅル様。〈EMG〉の開発は予定通り進んでおります。今年の終わり頃には実戦配備可能かと」

「素晴らしい。やはりあなたを招いたわたくしの眼に、狂いはありませんでした」

 姉さんは懐から秋草図の描かれた黄金の扇を取りだして開き、口もとにあてながら言った。

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