第二十二話「不信」

 ぼくたちが宮美みやびを連れ出してからすでに六日経ったが、彼女がテロ組織に拉致された、という事件が表沙汰になることはなかった。先日のどんぱち騒ぎは黒獅子組くろじしぐみと謎のテロ組織との間に起きた抗争ということになっており、鷹条総理が事を大きくしたくなくてメディアに圧力をかけたのだろうとぼくは考えていた(自分の娘をテロ組織に拉致されたともなれば、彼の面目は丸つぶれとなる上、黒獅子組との関係も公になってしまう。そうすれば野党に徹底的につつかれ、政権の支持率も急落するだろう)。しかし警察あるいはヘリオスによる宮美の捜索は続くとぼくも姉さんも考えており、宮美は当面白金しろがね機関が保護することになった。地獄谷じごくだにが宮美の抹殺まで指示されていたことも考えると、見つかり次第奪還どころか暗殺される恐れもあるからだ。

 ぼくは足を負傷していたこともあり、しばらく任務からは外され、宮美の世話役を姉さんから命じられた。傷ついた彼女の心の傷を癒し、信頼を得、協力に結びつけるように、と。ヒヅル姉さんの方からも話はしたが、宮美の警戒心は強く、姉さんのカリスマ性をもってしても説得は難しいようだった。

 宮美は白金タワー百階にある展望フロアのベンチにただひとり座り、ぼんやりと空を眺めていた。

「浮かない顔をしているね。君のような可憐なに、うれい顔は似合わない。女の子は笑顔が一番だよ」

 歯の浮くようなセリフを平然と言えるようになったのは、正式に白金機関に入った後だと思う。特に潜入工作技術の一環として他者になりすますため、演技力を身につけるために俳優の養成校に通った影響が大きいのではないかと思われる。

 宮美はぼくの気障きざなセリフを無表情のまま「はあ」と聞き流した。

「姉さんを警戒してるのかい。彼女が本当に日本のリーダーにふさわしい人間なのか、と」

 宮美は首を横に振った。

「そうではありません。彼女はすごい方だと思います。うまく言えませんけれども、まるで世界のすべてを知っていて、世界の未来が見えていて、この世界を、根幹から変えてしまえると思わせるような……何かがあるというか。なぜ彼女がたった一代でここまで巨大な財閥を築きあげられたのか、何となくわかる気がします。カリスマ性、というのでしょうか。二年前、白金グループが東日本大震災の被災地を支援して、原発事故をも収束させたこと、今でもよく憶えています。あの時は滅多に人を褒めないお父様でさえ、彼女が原発事故収束の真の立役者であると、評価していました。彼女なら、お父様の悪行を止めて、日本をふたたび発展へと導いてくださるかもしれません。けれども」

 彼女はその続きを言うべきか、躊躇ためらっているようだった。

「迷っているのかい。ぼくたちに手を貸すべきかどうか」

 ぼくが彼女の心情を推し量り、言葉にすると、宮美は無言で頷いた。

「今さらこんなことを申しあげるのは烏滸おこがましいことだとは、思っています。私はすでにあなた方に、手を貸しました。星さんが、警官を殺す、手助けを」

 先日ぼくたちが警官を爆殺、轢殺れきさつした時の光景が頭をよぎったのか、宮美の手がぶるぶると震えだした。あの時、彼女は星にロケットランチャーを手渡しただけだが、真面目な彼女にとっては殺人幇助ほうじょということになるのだろう。いくら肝が据わっているといっても彼女は所詮一般人の女子高生で、その手で人を殺したこともなければ、殺しあいの戦場に身を置いたこともないのだ。

 ぼくは彼女の手を握り、言った。

「君のせいじゃない。君にそう〈命令〉したのはぼくだ。警官を殺したのは、ぼくたちだ。君は何も悪くない」

「ふえ」

 せきを切ったように、宮美の眼から涙があふれ、こぼれ落ちた。彼女はぼくの胸に顔をうずめ、そのまま号泣してしまった。ぼくは、そんな彼女を、ただ無言で抱擁し続けていた。これ以上はたぶん、会話にならない。

 ぼくは彼女の頭を優しくさすりながら言った。

「辛いことを思い出させてごめんね。今すぐ答えを出してくれとは言わない。君の人生にとって重要な決断だ。じっくり考える時間が必要だろう。もし君がぼくたちへの協力を拒んでも、ぼくたちは何も言わないし、何もしない。いきなり放り出したりすることもない。君が望むなら、このタワーの居住区に住めるようぼくから姉さん、うちのリーダーに頼んでおこう」

 宮美はただ「はい」と返事をしただけで、それ以上は何も言わなかった。

 姉さんならおそらくぼくのこの頼みを断ることはないだろうが、もし断られてもぼくの私費から宮美の生活費を捻出することも考えていた。彼女ひとりを養うだけの金はあるし、彼女はまだ学生の身であり、ぼくたちの一方的な都合で裏の世界へと引きずりこんでしまった。その責任を誰かが取らなければならない。


 宮美がこの白金タワーに来てから、彼女はぼくのベッドで寝ていた。もちろんぼくが一緒になって眠るわけではなく、ぼくは代わりにリビングのソファで寝ていたわけだが。

「兄貴、誰? その女」

 星子せいこにそう問われ、ぼくは一瞬返答に詰まった。

「彼女は鷹条宮美さん。東陽とうよう女学院に通う高校二年生で、君と同い年だよ。星子」

「東陽って。めっちゃお嬢様じゃん。何でそんなが兄貴のベッドで寝てるの。もしかして、兄貴の、コレ?」星子は興奮気味に小指を立てて訊ねた。

「ちがう」

「ふうん。じゃああたしのベッド貸してあげよっか」

「いや。いいよ。ぼくはどこでも眠れる。君こそ疲れてるだろう。星子。ちゃんとベッドで」

「そうじゃないよ。兄貴が私のベッドで寝るってこと」

「だから、ソファで寝るのはあまりお勧めできないよ。星子。ぼくはもう慣れてるけど、君は」

「そうじゃなくて。一緒に寝よ。昔みたいに」

 可愛らしい仕草でウインクしながら、星子は言った。アイドルを思わせるような母さん譲りのその愛くるしさに、ぼくの心拍は思わず跳ねあがってしまった。

「あ、兄をからかうもんじゃない。ぼくも君も、もういい歳した大人だ。兄妹でそんなことする歳じゃない」

 ぼくがそういうと、星子は可愛らしく口をぶーと突き出してねた。

「ちぇ。兄貴のいけずう」

「そういう君は、学校生活はうまく行ってるのかい」ぼくは強引に話題を逸らした。

「んー。まあねー」星子は眼を逸らし、はぐらかすようにそう言った。

「何かあったら、ぼくやヒヅル姉さんに遠慮なく言うんだよ。いつでも相談に乗るから」

 姉さんの名前を出した途端、星子の眉が一瞬ぴくりと動いた。そして少し間を置いて、こう訊ねた。

「兄貴。あの人さ、本当に信用できるのかな」

 予想外の、唐突な問いだった。

「何を言ってるんだ、星子。君は姉さんを信用してないのか? ぼくの姉さんだぞ。君とは血はつながってないが、姉さんはぼくと君を今でも大事にしてくれてるし、ヘリオスの連中からも守ってくれてるじゃないか。いきなり何を言い出すんだ」

 ぼくの剣幕に気圧けおされたように、星子は口をつぐみ、しばらく無言のまま何かを考えている様子だった。

「ううん。そうだよね。兄貴のお姉ちゃんなんだから、大丈夫だよね。あたし、どうかしてたみたい。ごめんね。変なこと言って。全部忘れて。誰にも言わないでね。特にあの、ヒヅルさんには」

 星子は不自然に態度を一変させ、そんなことを言い出した。その眼には、まるで何かに対する怯えの色があった。


 白金タワーにいる間、宮美はヒヅル姉さんの計らいで星子と同じ白金学園高等部に臨時編入することとなった。警官たちとの戦いのショックもあり、しばらく休んだ方がよさそうなものだったが、彼女はあくまでも自分の本業は勉強である、と、傷ついた己の心に鞭を打ち、星子と一緒にタワーの六十三階、白金学園高等部フロアへと登校していった。

 姉さんから宮美の世話役を命じられていたものの、学園までついて行くのも何だか過干渉な気がしたため、学校にいる間は星子にそれとなく宮美の様子を気にかけてもらうよう頼むと、ふたつ返事で引き受けてくれた。あわよくば星子と宮美が友達になれればと思ったが、そればかりは当人同士の問題である。

 それからぼくは特にやることもなく、アルマのドローン開発の様子でも見に行ってやるか、と、九十七階にある彼女の研究室へとおもむいた。

 相変わらず片づけができないのか、部屋は機能を停止した大小の虫ドローンがあちらこちらに転がっていて、うっかり踏まぬよう進むのに苦労した。何せ足を負傷して松葉杖なのだ。

 しばらく進むと、無骨な灰色のオフィスデスクの上に突っ伏して寝ていた、アルマを発見した。

 空調は効いているものの、もうすぐ十一月。風邪をひかないように、と、ぼくは着ていたジャケットを脱いで、彼女の肩にかけてやると、彼女はびく、と、身を震わせた。

「あ。ヒデル。おはよう」

 アルマの眼の下には、どす黒いクマが、あった。

 彼女は集中しすぎると寝食さえ忘れてずっと研究に没頭してしまう悪癖があるため、ぼくや姉さんがこうして時々差し入れ(無論彼女の大好物、メロンパン)を持って様子を見に行っている。

「おはよう。よく眠れた……ようには見えないね。徹夜でもしてたのかい。張り切るのもいいが、体調を崩してしまっては本末転倒だ。無理は続かず成功せず、って姉さんも言ってるだろ」

「もう二度と、仲間を危険な眼にあわせたくないから」

 アルマはぼくから眼を逸らし、小声でそう言った。どうやら地獄谷じごくだににドローンを無力化されたことをまだ気にしていたらしい。

「しかし君が倒れてしまっては元も子もない。君は白金機関にとって必要な存在だ。無理はしないでほしい。ぼくも姉さんも、そんなことは望んでいない」

「わかってる。もうドローンガン対策は済んだ。ちょっと大きくなっちゃったから、まだ改良の必要はあるけど」

 アルマは机の上の蜻蛉とんぼのような形のドローンを指差して、言った。

「この数日で完成させたのか。君は」

 ぼくが驚きを隠さずにいると、アルマは弱々しく微笑んだ。

「えへへ。褒めて」

 アルマは親に甘える子供のように無邪気にぼくに頭を寄せた。

「よしよし」

 ぼくが優しく頭を撫でてやると、彼女はふたたび机に頭を突っ伏して、寝息を立て始めた。

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