第二十二話「不信」
ぼくたちが
ぼくは足を負傷していたこともあり、しばらく任務からは外され、宮美の世話役を姉さんから命じられた。傷ついた彼女の心の傷を癒し、信頼を得、協力に結びつけるように、と。ヒヅル姉さんの方からも話はしたが、宮美の警戒心は強く、姉さんのカリスマ性をもってしても説得は難しいようだった。
宮美は白金タワー百階にある展望フロアのベンチにただひとり座り、ぼんやりと空を眺めていた。
「浮かない顔をしているね。君のような可憐な
歯の浮くようなセリフを平然と言えるようになったのは、正式に白金機関に入った後だと思う。特に潜入工作技術の一環として他者になりすますため、演技力を身につけるために俳優の養成校に通った影響が大きいのではないかと思われる。
宮美はぼくの
「姉さんを警戒してるのかい。彼女が本当に日本のリーダーにふさわしい人間なのか、と」
宮美は首を横に振った。
「そうではありません。彼女はすごい方だと思います。うまく言えませんけれども、まるで世界のすべてを知っていて、世界の未来が見えていて、この世界を、根幹から変えてしまえると思わせるような……何かがあるというか。なぜ彼女がたった一代でここまで巨大な財閥を築きあげられたのか、何となくわかる気がします。カリスマ性、というのでしょうか。二年前、白金グループが東日本大震災の被災地を支援して、原発事故をも収束させたこと、今でもよく憶えています。あの時は滅多に人を褒めないお父様でさえ、彼女が原発事故収束の真の立役者であると、評価していました。彼女なら、お父様の悪行を止めて、日本をふたたび発展へと導いてくださるかもしれません。けれども」
彼女はその続きを言うべきか、
「迷っているのかい。ぼくたちに手を貸すべきかどうか」
ぼくが彼女の心情を推し量り、言葉にすると、宮美は無言で頷いた。
「今さらこんなことを申しあげるのは
先日ぼくたちが警官を爆殺、
ぼくは彼女の手を握り、言った。
「君のせいじゃない。君にそう〈命令〉したのはぼくだ。警官を殺したのは、ぼくたちだ。君は何も悪くない」
「ふえ」
ぼくは彼女の頭を優しくさすりながら言った。
「辛いことを思い出させてごめんね。今すぐ答えを出してくれとは言わない。君の人生にとって重要な決断だ。じっくり考える時間が必要だろう。もし君がぼくたちへの協力を拒んでも、ぼくたちは何も言わないし、何もしない。いきなり放り出したりすることもない。君が望むなら、このタワーの居住区に住めるようぼくから姉さん、うちのリーダーに頼んでおこう」
宮美はただ「はい」と返事をしただけで、それ以上は何も言わなかった。
姉さんならおそらくぼくのこの頼みを断ることはないだろうが、もし断られてもぼくの私費から宮美の生活費を捻出することも考えていた。彼女ひとりを養うだけの金はあるし、彼女はまだ学生の身であり、ぼくたちの一方的な都合で裏の世界へと引きずりこんでしまった。その責任を誰かが取らなければならない。
宮美がこの白金タワーに来てから、彼女はぼくのベッドで寝ていた。もちろんぼくが一緒になって眠るわけではなく、ぼくは代わりにリビングのソファで寝ていたわけだが。
「兄貴、誰? その女」
「彼女は鷹条宮美さん。
「東陽って。めっちゃお嬢様じゃん。何でそんな
「ちがう」
「ふうん。じゃああたしのベッド貸してあげよっか」
「いや。いいよ。ぼくはどこでも眠れる。君こそ疲れてるだろう。星子。ちゃんとベッドで」
「そうじゃないよ。兄貴が私のベッドで寝るってこと」
「だから、ソファで寝るのはあまりお勧めできないよ。星子。ぼくはもう慣れてるけど、君は」
「そうじゃなくて。一緒に寝よ。昔みたいに」
可愛らしい仕草でウインクしながら、星子は言った。アイドルを思わせるような母さん譲りのその愛くるしさに、ぼくの心拍は思わず跳ねあがってしまった。
「あ、兄をからかうもんじゃない。ぼくも君も、もういい歳した大人だ。兄妹でそんなことする歳じゃない」
ぼくがそういうと、星子は可愛らしく口をぶーと突き出して
「ちぇ。兄貴のいけずう」
「そういう君は、学校生活はうまく行ってるのかい」ぼくは強引に話題を逸らした。
「んー。まあねー」星子は眼を逸らし、はぐらかすようにそう言った。
「何かあったら、ぼくやヒヅル姉さんに遠慮なく言うんだよ。いつでも相談に乗るから」
姉さんの名前を出した途端、星子の眉が一瞬ぴくりと動いた。そして少し間を置いて、こう訊ねた。
「兄貴。あの人さ、本当に信用できるのかな」
予想外の、唐突な問いだった。
「何を言ってるんだ、星子。君は姉さんを信用してないのか? ぼくの姉さんだぞ。君とは血はつながってないが、姉さんはぼくと君を今でも大事にしてくれてるし、ヘリオスの連中からも守ってくれてるじゃないか。いきなり何を言い出すんだ」
ぼくの剣幕に
「ううん。そうだよね。兄貴のお姉ちゃんなんだから、大丈夫だよね。あたし、どうかしてたみたい。ごめんね。変なこと言って。全部忘れて。誰にも言わないでね。特にあの、ヒヅルさんには」
星子は不自然に態度を一変させ、そんなことを言い出した。その眼には、まるで何かに対する怯えの色があった。
白金タワーにいる間、宮美はヒヅル姉さんの計らいで星子と同じ白金学園高等部に臨時編入することとなった。警官たちとの戦いのショックもあり、しばらく休んだ方がよさそうなものだったが、彼女はあくまでも自分の本業は勉強である、と、傷ついた己の心に鞭を打ち、星子と一緒にタワーの六十三階、白金学園高等部フロアへと登校していった。
姉さんから宮美の世話役を命じられていたものの、学園までついて行くのも何だか過干渉な気がしたため、学校にいる間は星子にそれとなく宮美の様子を気にかけてもらうよう頼むと、ふたつ返事で引き受けてくれた。あわよくば星子と宮美が友達になれればと思ったが、そればかりは当人同士の問題である。
それからぼくは特にやることもなく、アルマのドローン開発の様子でも見に行ってやるか、と、九十七階にある彼女の研究室へと
相変わらず片づけができないのか、部屋は機能を停止した大小の虫ドローンがあちらこちらに転がっていて、うっかり踏まぬよう進むのに苦労した。何せ足を負傷して松葉杖なのだ。
しばらく進むと、無骨な灰色のオフィスデスクの上に突っ伏して寝ていた、アルマを発見した。
空調は効いているものの、もうすぐ十一月。風邪をひかないように、と、ぼくは着ていたジャケットを脱いで、彼女の肩にかけてやると、彼女はびく、と、身を震わせた。
「あ。ヒデル。おはよう」
アルマの眼の下には、どす黒いクマが、あった。
彼女は集中しすぎると寝食さえ忘れてずっと研究に没頭してしまう悪癖があるため、ぼくや姉さんがこうして時々差し入れ(無論彼女の大好物、メロンパン)を持って様子を見に行っている。
「おはよう。よく眠れた……ようには見えないね。徹夜でもしてたのかい。張り切るのもいいが、体調を崩してしまっては本末転倒だ。無理は続かず成功せず、って姉さんも言ってるだろ」
「もう二度と、仲間を危険な眼にあわせたくないから」
アルマはぼくから眼を逸らし、小声でそう言った。どうやら
「しかし君が倒れてしまっては元も子もない。君は白金機関にとって必要な存在だ。無理はしないでほしい。ぼくも姉さんも、そんなことは望んでいない」
「わかってる。もうドローンガン対策は済んだ。ちょっと大きくなっちゃったから、まだ改良の必要はあるけど」
アルマは机の上の
「この数日で完成させたのか。君は」
ぼくが驚きを隠さずにいると、アルマは弱々しく微笑んだ。
「えへへ。褒めて」
アルマは親に甘える子供のように無邪気にぼくに頭を寄せた。
「よしよし」
ぼくが優しく頭を撫でてやると、彼女はふたたび机に頭を突っ伏して、寝息を立て始めた。
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