第二十話「血路」

 がしゃーん、という、凄まじい音が、突然ぼくの耳をつんざいた。

「何ごとだ」

 刑事が慌てて振り向くと、そこにはパトカーの群れをまるでボウリングのピンのごとく弾き飛ばしながら、一台の巨大なトレーラーがこちらへ突っこんでくるのが、見えた。

「くそ。新手か」

 地獄谷じごくだにはぼくへと向けていたM240機関銃をトレーラーへと向けた。

 トレーラーを運転していたのは、唐茶からちゃ色の外套マントに身を包んだ背の高い褐色かっしょく肌の、異国の女性。

「ティキか」ぼくは叫んだ。

『遅れて申しわけありません。ヒデルきょう。これの調達に少々手こずりました』

 異国の女性こと白金機関随一ずいいつの腕を誇るスナイパーであるティキ・セラシエは、流暢りゅうちょうな日本語で淡々と返答した。

「相変わらずおいしいところを持っていくな。君は」ぼくは無線でティキに言った。

『主役とはそういうものです』

 まずい。いつの間にか主人公の座剥奪はくだつの危機に。

『私のことも忘れないでくれたまえ』

 無線機から、低く落ちついた男性の声が聴こえた。トレーラーの助手席に、喜劇役者がかけるような円形の眼鏡が印象的な長身の男性が、座っていた。

 彼の名は棗光なつめひかる。白金機関のエージェント(主に荒事を担当)であり、ティキの観測手としてよく行動を共にしている。漫画や小説の世界では狙撃手が単独でビルや茂みの中から獲物を狙うという描写が散見されるが、実際の戦場では観測手と呼ばれるサポーターと共に行動することが多い。スコープを覗きこんでいるとどうしても狙撃手の視野は狭くなるため、観測手が肉眼や双眼鏡で周囲を警戒し、情報を収集し、敵の接近をしらせたり、時には排除したりすることで、狙撃手は安全かつ確実に、標的の狙撃に集中できるというわけである。また、狙撃手は長時間過酷な環境下で潜伏することもあり、疲労などによる命中精度の低下を防ぐために観測手が交代で狙撃手を務めることもある。

 ティキの運転するトレーラーはそのまま勢いよく突っこみ、地獄谷のベンツを弾き飛ばし、大木に押しつけてくしゃくしゃに潰してしまった。

「ち」と、地獄谷が舌打ちした。

 彼はクローディアとともに間一髪BMWの裏側に逃げこみ、難を逃れた。

 無論、その隙を見逃す雲母きららではなく、クローディアの銃口から逃れた途端にBMWのアクセルをベタ踏みし、急発進させた。

『我々が道を開きます。援護をお願いします』

 無線から、ティキがそう言った。

「任せときな」星が助手席の窓からミニミ軽機関銃を構えた。

「お任せあれ」ぼくは後部座席に置いてあったM4カービンを拾い、チャージングハンドルを引いた。

 コンテナの側面にあるSAGARAという大きなアルファベット文字が示す通り、ティキは、そのへんにあった相良さがら急便のトレーラーを拝借はいしゃくしてきたのだろう。いくら車体が大きくても当然白金機関謹製きんせいの防弾車ではないため、警察の集中砲火を受けたらひとたまりもない。ぼくたちは全力で警察の攻撃を止めなければならない。

 地獄谷がロケット弾を撃ちこんで崩壊しつつあった正面の警官隊は、ふたたび隊列を整え、こちらに無数の銃口を向けていた。

 トレーラーが発進し、警官隊の列めがけて走り出し、その脇をぼくたちのBMWが並走する。

 ものすごい勢いで迫る大型トレーラーを前に、彼らも必死で銃撃を開始した。助手席の棗がM16アサルトライフルで応戦するが、いかんせん多勢に無勢である。

 背後では地獄谷とクローディアが木の陰からぼくたちを狙っていたが、ぼくがM4で弾幕を張り、阻止した。

「ロケランだ。ロケランをくれ」

 星が大声で叫んだ。

 ぼくは地獄谷たちの相手で手いっぱいだったため、宮美みやびにお願いすることにした。

「宮美さん。足もとに転がってる。星に渡してくれ。おっと、頭は上げちゃだめだよ」

「あっ。は、はい」

 先ほどから後部座席で身を低くしてひたすら悲鳴をあげ続けていた宮美は、役目を与えられるや否や覚醒かくせいし、別人と化したように必死でその細腕で重たいSMAWロケットランチャーを持ちあげ、助手席の星に手渡した。

「サンキュー。宮美ちゃん。愛してるぜ」

 軽い投げキスとともに、星は既視感のあるセリフを吐いた。

「はあ」

 宮美はどう反応していいのかわからない、というような顔でふたたび後部座席で身をかがめた。

「ぶっとびやがれ」

 星がロケットランチャーの弾頭を警官隊へと向けると、彼らは先ほど地獄谷に誤爆されたトラウマが蘇ったためか、蜘蛛くもの子を散らすように、一斉に走り去っていく。

 そんな彼らに、星は容赦なく引金を引いた。

 凄まじい轟音ごうおんとともに、眼にも止まらぬ速度で飛翔する、円筒型の弾頭。

 それは停車したパトカーの一台に命中し、炸裂さくれつ

 周囲のパトカーごと、まとめてふき飛ばした。

 べちゃ、と、BMWのフロントガラスに何かが貼りついた。


 それは、肉片と化した警官の、腕や、内臓だった。


「見るな」

 ぼくは、ふと顔を上げようとした宮美の頭を、押さえつけた。

「ど、どうなったのですか」

 宮美はただ、困惑したようにおろおろと声をあげた。

「大丈夫だよ。君はぼくが必ず守る」

 彼女を安心させたい一心で、ぼくは屈んでいた宮美を包みこむように、抱きしめた。

 まったく、とんだ詐欺ペテン師だな。ぼくは。

 今の一撃で警官からの銃撃は完全に止み、ティキのトレーラーが半壊したパトカー軍団のバリケードに強引に突っこみ、こじ開けた。

「わあ」

「ぎゃあ」

 警官たちの断末魔の叫びが、聴こえた。

 ロケット弾の爆撃を受け、逃げ遅れて道路に横たわっていた警官たちが、トレーラーの下敷きとなったのだ。

 雲母は素早くハンドルを切り、トレーラーの後ろへと回りこみ、ティキの開いた文字通りの〈血路〉を、突破した。

 ベンツを潰された地獄谷たちが追ってくることもなく、ぼくたちはそのまま山林の中まで逃げ延びることができた。


 山中でトレーラーを乗り捨て、ティキと棗はぼくたちのBMWに乗り移った。地獄谷たちの猛攻でただでさえ満身創痍まんしんそういだったBMWは、悲鳴をあげるようにみしみしときしみ音を立てながら、山道を走っていた。この車の定員は五人なのだが、無理矢理詰めこむように六人乗っている。具体的には、後部座席でぼくが一番小柄な宮美に向かいあうようにして立ち乗りしている。バランスをとるために背もたれに手をつき、ちょうど近年流行りの壁ドンと言われるような体勢でしばらくぼくたちは見つめあっていたが、宮美は恥ずかしそうに眼を逸らし、黙りこんでしまった。

 ぼくはわざとらしく地獄谷に撃たれた脚(すでに包帯で応急処置済)をさすって言った。「一応怪我人なんですけどね。ぼく。代わってくれませんかね。星先輩か棗先輩」

 星がぼくをにらみつけて言った。「俺も棗もでかすぎて宮美嬢が窮屈だろ。男だったらそのぐらい我慢しろ」

「私はその、別に大丈夫ですので」宮美が遠慮がちに言った。

「私の上に座りますか。ヒデル卿」ティキが助け舟を出した。彼女は背は高いがすらっとしていて前方の空間にぼくひとりが入るくらいの余裕はあった。が。

「いや。いくら何でも女性の上に座るわけにはいかない。紳士として」

 ぼくが丁重にお断りすると、ティキはぼくの回答を予想していたように微笑んだ。「ヒデル卿なら、そう言うと思っていましたよ」

「ちょっとガレージ寄ってくよ。この車、修理に出すから」運転席から雲母がそう言い、ぼくたちは無言で頷いた。

 しばらくすると山中のトンネルへと入り、日本各地に存在する白金機関の人間だけが知りうる〈白金地下迷宮ラビリンス〉の中へと、入っていった。存在自体を知っていても、中は呼んで字のごとく〈迷宮〉なので、目的地へと正確に辿たどり着ける者は限られている。ぼくも割と最近その全容を把握したところだった。

 迷宮入りしてから三十分ほど車を運転すると、途中で大きなシャッター扉が見え、雲母はそこで車を停止した。彼女は車から降りると、シャッター扉の隣についたインターフォンの、赤いボタンを押した。

 びー、という小さなブザー音が、シャッターの向こう側から聴こえて数秒。

『誰でい』という野太い中年男性の声が返ってきた。

「あ、た、し、よお。宗次郎そうじろうおじさまあ」雲母は甘く蠱惑こわく的な声で言った。

『気持ちわりい声出すんじゃねえ。耳が腐る』

 雲母の戯れに対しシャッターの向こう側の人物の反応は冷淡そのもので、雲母はねたようにぶー、と、口を突き出した。もうじき三十路みそじを迎える淑女であるというのに、そんな子供のような仕草が何だか可愛らしかった。今や高校生となった星子の方が大人びて見えるほどだ。

 がらがら、と、大きなシャッターが開けられ、ぼくたちは中へと入った。

 中にいたのは金髪にサングラスにアロハシャツ、極太の葉巻をくわえ、口からぷかぷかと煙を上げていた、ちんぴら風の中年男だった。

 彼は〈車屋〉誉田宗次郎ほんだそうじろう。白金グループ傘下の自動車メーカーである佐藤自動車で働いていたが、その知識と技術、そして何より車に対する情熱を買われ、白金機関の秘密整備士としてスカウトされ、今に至る。秘密整備士というのはもちろん通常の整備士とは異なり、白金機関特製の防弾武装車全般の整備を担当する車のスペシャリストである。

「こりゃまた、派手にやりやがったな」誉田は呆れたように眼を細めて言った。「しゃあねえ。全部分解バラして、新しい車に生まれ変わらせてやるか」

「おじさまあ。新しい車の鍵ちょうだい」雲母が誉田に手を差し出して言った。

 誉田は黙って鍵をとり、雲母に向かって放り投げた。三つの楕円を重ねた特徴的なマークが目印のトミタ自動車のハイブリットカー・シリウスαアルファで、七人乗りであるため、ようやくぼくは窮屈な壁ドン体勢から解放されることとなった。疲れが溜まっていたせいか、最後尾の席でぼくはつい宮美にもたれかかって寝入ってしまった。


 白金タワーに戻ったぼくたちをエレベーターホールで真っ先に迎えてくれたのは、アルマだった。

 普段は表情に乏しいアルマが、その顔をぐしゃぐしゃに歪め、涙をぼろぼろこぼしながら、ぼくに許しを請うた。

「ごめんね。ヒデル。ごめんね。ごめん。私が不甲斐ないせいで、こんな、ひどい眼に遭って。ごめんね」

 アルマがなぜ泣いているのか、一瞬ぼくには理解できなかった。地獄谷に虫型ドローンを無効化されたことを悔やんでいるのだろうが、あんな展開を予測しろという方が無茶で、ぼくには彼女を責める気などまったくなれなかった。

 ぼくはただ、笑顔でアルマを抱きしめた。

「大した怪我じゃないよ。それより、眼の下のクマがひどいね。眠らずにぼくたちを待っていてくれたのは嬉しいけれど、君の可愛らしい顔が台無しだ。早く寝た方がいい」

 ぼくの言葉にアルマは感極まり、ぼくを抱き返し、子供のように泣きじゃくった。

「無事で、本当によかったよお。ヒデルう。うわあんあん」

「さーさー。私たちは早く我らがリーダーに成果を報告しないとねー」

 雲母が空気を察知したように他の全員を連れて、さっさと姉さんのいる執務室へと歩いていった。

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