第九話「太陽」
ぼくたちを乗せた警察ヘリは、無線機の声を無視してそのまま西へと三、四十分ほど飛行し、山の上の小さく無骨なコンクリートの平屋の上に、不時着した。
「付きましたよ」
操縦席に座った雲母はシートベルトとヘッドセットを取りはずすと、ぼくたちを置いてさっさとヘリを降りてしまった。
「おら。お嬢ちゃん。早く降りろ」
星は気絶させた警官ふたりを手錠でアシストグリップに固定すると、ぼくの尻を乱暴に蹴とばした。
「きゃん」
ぼくが女の子のような悲鳴をあげてヘリから降りると、安全柵も何もついてない建物の屋上(と言っても平屋だが)から落ちそうになったが、脇にいた雲母がぼくの
「ちょっと。落ちて死んだらどうすんですか。先輩だけじゃなくてあたしまでリーダーに殺されるんですよ」
「〈人工全能〉がこの程度でくたばるかよ」
「彼は例外なんですよ。腕だって折れてるでしょ」
「アーアー。わかったよ」
星は面倒くさそうに耳の穴を
「大丈夫? 先輩にひどいことされなかった? でももう大丈夫。これからはお姉さんが守ってあげるからね」
ぼくの手をとって雲母は優しくそう言った。妹よりも背が低く、まだあどけなさの残るぱっつん前髪と外にはねたボブカット、そして細身だが
「こう見えても君よりは年上だから、安心しなさい」
えっへん、と、彼女は薄い胸を張ってそう言った。高神といい、女性にはみな読心能力があるのだろうかと思う今日このごろである。
雲母はぼくを、建物の背後に設置された
「大丈夫? ひとりで降りられる? 支えよっか?」
「あ。大丈夫です。ゆっくりとなら降りられます」
何だか子供扱いされているようなので、彼女の好意に甘えるのは抵抗があった。日頃から女装して女性になりきっているせいなのか、星にお嬢ちゃん呼ばわりされるのにはまったく抵抗はなかったのだが。
下へ降り、建物の正面へ回ると、シャッターががらがらと開いて、中からやや古びた年式の黒いBMW525iが顔を出した。雲母が運転席、星が助手席、ぼくは後部座席に乗りこみ、シートベルトを締めた。隣の黒光りするM4カービン銃とSMAWロケットランチャーがぼくを迎えた。
「舌かむなよ。お嬢ちゃん。こいつは見た目に反してスピード狂だからな」
「見た目は余計ですよ」
雲母はそう言うと、アクセルをベタ踏みし、車を急発進させた。
やがて車は長いトンネルの中へ侵入し、途中にある道脇の非常駐車帯で、停車した。
「俺が開けるぜ」
星が助手席から降り、車の前方へと走っていく。そして消火栓の隣に設置された非常電話ボックスの扉を開け、何やら操作した。
直後、ごごご、と、消火栓の脇の壁が左右に開閉し、車一台分ほどの、新しい秘密の通路が出現した。
「んなアホな」
ぼくはついツッコミを入れた。
「秘密だぜ。お嬢ちゃん」
助手席に戻ってきた星が口元に人差し指をあてて言った。あんぐりと口を開けたまま、ぼくは首を縦に振った。
ぼくたちを乗せた525iが秘密の通路に入ると、ふたたびコンクリの壁がごごごと低い音を立てて自動的に閉じた。中には照明は一切なく、車のヘッドライトだけを頼りに、雲母は車を進めていく。最初に長い長い、まるで地の底まで続いているんじゃないかとすら思わせる下り坂を降り、先ほどとはうって変わって慎重に進んでいく。途中で幾度もの分岐点を右に左に、迷うことなくハンドルを切る。
「この秘密のトンネルは複雑に入り組んでいてな。俺だったらとっくに道に迷ってる」と、星が解説した。
しばらくすると二車線の広い道に出て、雲母は水を得た魚のように、車を加速させた。
そのまま暗黒のジェットコースターに数十分揺られ、ぼくはすっかり車酔いしてしまった。
「ふー。到着」
雲母が非常駐車帯に車を停車させると、ふたたび星が車を降り、非常電話のボックスの扉を開けて何やら操作した。
ふたたび轟音とともに出現する秘密の通路。今度は人ひとりようやく通れる程度のその通路を進むと、多数の金属製のコンテナが並んだ、天井の高い地下倉庫へと出た。
「こっちだ」星がぼくに言った。
倉庫の右端にぶ厚い鋼鉄製の扉のエレベーターがあり、上下の矢印ボタンの横に設置された謎の黒い端末の上で、
エレベーターを降りると、そこには異世界が広がっていた。
薄暗いグレーを基調とした壁紙、吸いこまれるような漆黒の大理石の床にひと筋の深紅の
ぶうううん。
「きゃ」
背後から
「こら。アル」
星が背後を振り向いて叫ぶと、柱の影から全身白ずくめの、性別不詳の小柄な若人が顔を出した。〈白ずくめ〉は背面の光り輝く太陽マークが特徴的なモノリスと呼ばれる白金エレクトロニクスの黒いタブレット端末で何かを操作していたが、ぼくの顔を見るや否やタブレットで顔を覆い隠し、柱の影に隠れてしまった。
「まったく。ドローンで遊ぶのも程々にしとけよ。またヒヅル様にケツをひっぱたかれるぞ」
星がため息まじりにそう言うと、〈白ずくめ〉の、柱の影から覗いていた頭がびくりと動いた。
「告げ口したら殺す。あなただけではない。親兄弟友達恋人ペットから赤の他人までもを皆殺しにする」
物騒な〈白ずくめ〉の脅迫に、ぼくは思わず「へ」と裏声をあげた。
「ああ。これな。こいつなりのユーモアのつもりなんだよ。わかるやつにしかわからねえがな」
星がフォローするように言った。
「アルちゃーん。こっちおいで。彼、うちの新入りだから大丈夫だよ」
いつから新入りに。
雲母が笑顔で手招きすると、〈白ずくめ〉はタブレットで顔を隠しながらそろそろと、こちらへやってきた。何だか人間を警戒している小動物のようでかわいらしかった。そしてタブレットから半分だけ顔を覗かせ、握手を求めるように左手を伸ばしてきた。〈白ずくめ〉の瞳は幻想的な深紅で、その白い肌や髪、服、小柄で猫背な体躯と相まって兎のように見えた。
「ア、アルマ。よよ、よろしく」
「一応、女の子よ」雲母が補足した。
「よろしくね」
ぼくは左手が使えないため、右手で強引にアルマという少女の小さな左手を握った。
「君がぼくらを助けてくれたのかい。ありがとう」
国家保安委員会のビルで高神たちに包囲されたとき、彼女の操るゴキブリ軍団が来なければ、ぼくたちは九ミリパラベラム弾のシャワーで蜂の巣にされていたことだろう。
「べ、別に。仲間を助けるの、当たり前、だから」
アルマは照れたのか何なのか、ふたたびその顔をタブレットで覆い隠してしまった。すると誤操作でもしたのか、太陽の照明に集っていたゴキブリ軍団が四方八方にばらばらに飛び去り、壁にぶつかってかちゃかちゃと地面に落下していった。
「はうわわわ」
アルマはあわててタブレットを顔から引きはがすと、眼にも止まらぬスピードで指を動かして操作していたが、ゴキブリたちは暴走し続けていた。
「ああ。もうこうなったら」
えいという気合とともにアルマがタブレットの画面をひと押しした直後、ゴキブリたちはその機能を停止し、そのすべてが地面に落下した。かちゃかちゃかちゃ。そして地面に四つん
「また故障かな」
星が肩を
「彼女が作ったんですか。あれ」ぼくは星に訊いた。
「そうだぜ。他にも蚊とか
星はまるで妹の自慢話でもするように誇らしげだった。
「さて。行くか。うちのリーダーがお前を待ってる」
星がふたたび歩きだすと、ぼくと雲母も後に続いた。
しばらく歩を進めると、金色のダマスク模様に彩られた重厚な黒い扉の前に出た。
「着いたぜ。お嬢ちゃん」
星がそう言って先ほどもエレベーターホールで見かけた扉の横の黒い端末(おそらく掌紋センサーだろう)に映しだされた赤い円に手を添えると、円の色は赤から緑へゆるやかに変化し、ぶ厚い鋼鉄の扉がひとりでにごごごと開いていく。
扉の向こう側は
おかしな女だった。年の頃は二十代後半くらいだろうか、黒を基調としたスーツに身を包み、肌と腰まで伸びたその髪は逆に雪のように真っ白で、何よりも印象的だったのは、後頭部から黄金の波打つ炎のような形状の〈角〉が、自由の女神よろしく四方八方に伸びていたことだった。眼を凝らしてよく見ると、それは一風変わった
「ああ」
太陽の女性はぼくの存在に気づくと、その神秘的な
そしてぼくのもとまで軽やかな足どりで駆けつけると、両手を広げ、いきなりぼくを抱きしめた。
見知らぬ女性からの突然の
「やっと会えましたね。ヒデル。ずいぶん
ヒデル。聞き憶えのない名前だった。どうやら人違いのようだ。
「あの。すいません。喜んでるところ申し訳ないんですけど、どちら様でしょうか。ぼくはあなたに会ったことはないですし、それにぼくの名前は
こんなインパクトのある女性に出会っていたら絶対に忘れるはずがない。
「そう思うのも無理はありません。最後に
彼女は、ぼくの肩に手を置いて言った。背は女性にしては高く、ぼくと同じ百七十センチくらいで、その
彼女は、さらに続けた。
「朱井空。
星二と明子。死んだ父さんと母さんの名前だ。
「両親を知ってるんですか」
「はい。彼らは
彼女は穏やかに微笑み、立ち話もなんなので、と、ぼくたち三人を部屋の左手側のテーブルセットへと誘導し、自らはその脇にあったワゴンの上に整然と並べられたティーカップを手にとり、テーブルの上に並べ、ティーポットのお茶を、優雅な仕草で
「ふたりとも、任務お疲れ様でした。最高級のハーブティーを用意いたしましたわ。どうぞ召しあがれ」
「サンキュー、ヒヅル様。ちょうど喉かわいてたんだ」
星はそう言うとティーカップを鷲づかみにして一気にお茶を飲み干し、カップをテーブルに乱暴に置いてぷはーと息をついた。良く言えば豪快、悪く言えば粗雑な彼のその仕草に、向かい合って座っていた
ヒヅル様と呼ばれた太陽の女性は、そんな彼を、まるで我が子を見守る母親のような慈愛に満ちた眼で、見つめていた。
「あらあら。
そう言ってヒヅル様は、空になった星のティーカップにハーブティーを注いだ。そしてぼくに視線を向けて言った。
「あなたもどうぞ。遠慮はいりませんわ」
「はあ。その、ぼくは猫舌なので」
「あら。そうでしたのね。おほゝゝゝ」
ぼくの返事にヒヅル様は口元に手をあてて穏やかに微笑み(よく見るとその手には白い手袋がはめられていた)、雲母の隣にゆっくりと腰をおろし、優雅な仕草でお茶を一口だけ飲んだ。そして言った。
「さて。では改めて自己紹介しましょう。
「ええ」
ぼくは思わず驚嘆した。白金財閥といえば
そんな日本の財界の頂点に君臨すると言っても過言ではない人物が眼の前の若き淑女だとは、にわかに信じがたかった。まるで小説のような話である。
だが、本当に驚くのはこれからだった。
「そして、あなたの姉です」
白金ヒヅルは、ぼくの眼をまっすぐ見つめ、たしかにそう言った。
「へ?」
ぼくは阿呆のように眼を丸くし、確認するように自分を指さすと、彼女は微笑を絶やさぬまま
「あなたが、ぼくの、お、お姉さん?」
自分に生き別れの姉がいるなどという話は、両親からは一度も聞いたことがなかった。
「朱井空。ご存知ないかもしれませんが、朱井星二と神崎……いえ、朱井明子は、あなたの実の両親ではありません。あなたは極秘の国家プロジェクト〈人工全能計画〉によって遺伝子を改良され生みだされた人造人間です。あなたの本当の名前は白金ヒデル。私の弟です」
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