第十話「真実」

 白金しろがねヒヅルは伏目がちに眼をそらし、話を続けた。

「星二と明子のことは残念です。わたくしにとっても彼らはよき友人。彼らを救うことができなかったのは、我々の力不足。忸怩じくじたる思いです」

「やはり父さんと母さんは殺されたんですか。やったのは誰だ。高神麗那たかがみれいなか。あるいは国家ぐるみの陰謀なのか」

 ぼくは憎しみに駆られ、脊髄せきずい反射的に身を乗り出し、白金ヒヅルに質問していた。

「落ちついてください。ヒデル。星二と明子の殺害を指示した真犯人に目星はついていますが、証拠はありません。ですが、あなたのご両親が以前から〈ある組織〉から狙われていたことは事実です」

「ある組織って何ですか。教えてください」

 そいつらが父さんと母さんを殺し、ぼくの腕をへし折り、星子を強姦した真犯人なのかと思うと、ぼくはいてもたってもいられず、眼を血走らせて白金ヒヅルに尋問していた。

「ちょっとおちつけ」

 星がドスのきいた声でそう言って、ぼくの肩をそのごつい手でつかみ、力ずくで着席させた。その迫力にぼくはすっかり萎縮し、「すいません」と謝ってしまった。


「秘密結社ヘリオス」


 白金ヒヅルは、そう言った。

 ぼくはその名前に聞き憶えがあった。ネットや本などの陰謀論、あるいはフィクションに登場する謎の組織。世界史に残るような大きな出来事が起こる度にそれは「ヘリオスの仕業だ」という陰謀論者がネット上にごまんと現れる。彼らはもっともらしいことを述べて、自身の仮説を真実と錯覚させ、読者の不安をあおって飯を食らう。物事はあることよりもないことを証明することの方が難しく(いわゆる悪魔の証明)、彼らの仮説を妄言と証明することもまた不毛であるため、野放しにされているのが現状だ。彼女もそんな怪しい陰謀論者なのだろうかと、ぼくは失望した。

「父さんと母さんを殺したのは国家権力じゃないんですかね。特に秘密警察、高神麗那」

 ぼくは疑念に満ちた眼で白金ヒヅルを見つめ、反論した。彼女は眉ひとつ動かすことなくこう返した。

「そのとおりですよ。ヒデル。秘密結社ヘリオスは陰謀説にもよく登場しますし、その多くがデマですが、実在します。わたくし自身がその一員でしたから。今の日本の政財界には、多くのヘリオスのメンバーが潜んでいます。そう、あの国家保安委員会にも」

「高神もですか」

 国家保安委員会のビルで、高神が〈組織〉という言葉を口にしたのを、ぼくは思い出した。

「そうです。おそらく星二と明子は、あなたに〈人工全能計画〉のことも、自分たちが何者かに追われていたことも、話していないのでしょう。あなたには〈人工全能〉白金ヒデルとしてではなく、彼らの息子・朱井空あかいそらとして生きてほしかったのではないかと。研究所にいた頃、彼らはあなたを我が子のようにかわいがっていましたからね。彼らは遺伝子工学の優秀な研究者として〈人工全能計画〉に参加し、あなたを生みだした。〈人工全能計画〉はもともと国家を率いる次世代の逸材を生み出すための日本の極秘プロジェクトでしたが、それを知ったヘリオスが計画そのものを買収。その後ヘリオスによる巨額の出資と管理のもとで、計画は急速に進んでいきます。その真の目的は彼らに尽くし、彼らの利益を守る優秀な人間を生み出すため。わたくしも初めはヘリオスによる支配こそが世界の安定と繁栄につながると信じて疑わなかった。そう教育されてきたのです。けれどある日、わたくしはヘリオスの恐ろしい計画を知ってしまった。ヘリオスの最終目標は、暴力と貧困と恐怖による世界の支配。第三次世界大戦を引き起こし、大国同士で争わせ、人類の大部分を虐殺。最終的には彼らに忠誠を誓う富豪と彼らの利益を守る軍隊や警察、そして搾取される大衆だけの世界を、作りあげる」

 んなアホな、と、ぼくは心の中でツッコミを入れた。まるで小説のような話だ。

「まるで小説のような話だ、と思うでしょ?」

 雲母きららがまたぼくの心を読み、ぼくはどきりとして返答に詰まった。

 白金ヒヅルは構わず続けた。

「しかし世界はすでに彼らの目論もくろむ大戦、そしてその後の理想世界構築に向かって突き進んでいる。大国同士の軍拡競争、テロリズムと報復戦争の連鎖、各国で進む国民監視と警察権力の強化、貧富の格差の拡大と固定化による新しい貴族社会の構築。大衆は情報を掌握され、すでに彼らの傀儡かいらいと化したメディアによってマインドコントロールされ、ますます貧困にあえぎ、富者がさらに富を得るための養分となる。自由や平等、博愛といったスローガンは、彼らが国家を通して行う支配の道具にすぎないのです」

「つまりその、秘密結社ヘリオスは、よくある陰謀論で言われているように、世界を裏から支配する闇の組織、ということなんでしょうか」

 半ば話についていけなくなっていたぼくは、強引にそうまとめた。

「少し違います。彼らは世界に絶大な影響力を持っていますが、まだ世界を完全に掌握しているわけではありません。が、このまま彼らの計画通りに三度めの世界大戦が実現してしまえば、彼らは世界の真の支配者として君臨するでしょう」

 白金ヒヅルは取り澄ました顔でカップを手にとり、優雅な動作でハーブティーを飲み干した。

 ぼくは反射的にティーポットを手にとり、「どうぞ」と彼女のカップに追加のお茶を注ぐと、彼女は「まあ。ありがとう。ヒデル」と、ぼくの頭を軽く撫でた。ヒデルという名前はどうにもしっくりこなかったが、彼女にとってはぼくは朱井空ではなく弟の白金ヒデルということなのだろう。

「あなたも〈人工全能〉なんですか」

 ぼくは白金ヒヅルに率直に訊いた。

「ええ。そうですよ。〈人工全能〉の特徴は、遺伝子操作によって強化された肉体と頭脳。しかしその〈精製〉は非常に難しく、数百という規模の〈実験体〉が精製中ないし精製後に肉体が崩壊して死んでしまったか、あるいは何らかの障害を持って生まれてきたため、処分されました。最終的にわたくしやあなたも含め二十四人が誕生していますが、その多くはヘリオスによって殺されてしまいました。計画が進むにつれて、我々〈人工全能〉が自分たちに代わって世界を支配することを恐れたのでしょう。今から十八年前、つまりあなたが一歳のとき、研究所はヘリオスの暗殺部隊によって襲撃され、わたくしは他の〈人工全能〉たちを率いて抵抗しました。が、力及ばず。生き残った仲間たちを連れて命からがら逃げ延びたのです」

 唐突に、白金ヒヅルは右手の手袋を外した。

 中から出てきたのは、白磁のような美肌の手……ではなく、無機質な灰色の義手だった。

 ぼくは思わず圧倒された。それは白金ヒヅルの話が作り話ではないと証明するに足る、強烈な説得力を持っていたのだ。

 白金ヒヅルはすぐに手袋をはめ、ふたたび優雅にぼくの注いだハーブティーを口にする。その手は、手袋をしていると義手とは思えないほど精巧に、自然に動いていた。現代の義肢の進歩はすさまじく、脳の電気パルスを感知して意のままに動かせるものまで開発されていると聞く。

「あなたが星二と明子に連れ出されて生き延びていたことを知ったのは、それからだいぶ後のことです。明子が殺され、あなたが高神麗那に拉致されたと知ったときは焦りましたが、我が機関のエージェントの優秀な働きによって、こうして無事に再会することができました。ありがとう。周一しゅういち雲母きらら

 白金ヒヅルはそう言って星と雲母に軽く頭を下げた。

「今回の一番の功労者はアルちゃんでしょ」

 雲母がそう言うと、星も頷いて同意した。

「そうでしたね。彼女の開発した最新鋭のモスキート型ドローンがあったからこそ、敵地の全容の把握と、囚われたヒデルのDNA照合という文字どおりの離れわざを実現できた。今度メロンパンたくさん買ってあげないと」

 白金ヒヅルは解説するようにそう言った。どうやらぼくが独房で奮闘していたあの変な機械じかけの蚊は、アルマという少女の製作したドローンだったらしい。あんな小型のドローンがあれば、国家保安委員会のビルの内部構造や敵の現在位置をすべて把握できても不思議はない。ぼくにドローンをけしかけたのは、高神同様ぼくが〈人工全能〉白金ヒデルであるかどうかを確認するためだろう。それにしても、そんなものが開発されるなんて恐ろしい時代に突入したものである。プライバシーは死んだ。

「お茶、冷めてしまいますよ」白金ヒヅルが言った。

「あ。はい。すいません」

 ぼくは思い出したように、彼女のれたお茶を星のように一気飲みした。冷めて微温ぬるくなっていたそれは、紅茶のような渋みはあまりなく、やや酸味のきいたうすめのレモンジュースといった味だった。正直どのへんが最高級なのかよくわからない。

 ふいにぴろりろりーんという電子音が鳴り、白金ヒヅルは「失礼」と断ってスーツのポケットの中からスマートフォンを取り出し、操作しだした。

「仕事か? ヒヅル様」星が腕を鳴らした。

「いいえ。ひかる朱井星子あかいせいこを無事に保護した、と。上の展望フロアにいるようです」

「星子」

 ぼくは、そのしらせを聞いて叫んだ。

 そうだ。いろいろありすぎて、星子のことをすっかり忘れていた。

 安那子あなごのばかたれに暴行されて、深く傷ついてる彼女をひとり放置して、ぼくはこんなところで何をくつろいでいるのだろう!

「ここで待っているのもなんですから、会いに行きましょうか。ヒデル」

 白金ヒヅルはそう言って立ちあがり、出口へと向かって歩みだすと、ぼくと星と雲母も後に続いた。

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