第八十四話「夜」

「り、理事長」部屋に入るなり、宮美みやびがヒステリックに叫んだ。「なな、何をしているんですか。あ、あなたは、ひ、人の恋人を、よりにもよって、ね、寝取るなんて」

「うるさいわねえ。私はただ彼とセックスがしたいだけよ。いいじゃない、セックスくらい。友達でしょ」

 激昂する宮美とは対照的に、サリーはめんどくさそうにため息をついて言った。

「は、破廉恥はれんちです。不潔です不潔」

「はー」サリーは露骨にため息をついた。「なーにカマトトぶってるのよ。木の股から生えてきたような顔して。恋人同士だと言うのに未だにセックスの一発もしてないなんて、どうかしてるわ。もっと本能に忠実に、肉欲に従って生きなさいよ。あなたも私も、お父様とお母様がセックスしなければこの世に存在しないわけで、人類がここまで栄えてきたのも、数えきれないほど多くの男女がセックスしてきたからです。お勉強とかお仕事とか趣味なんていうのはおまけで、すべての男女がセックスを拒めば、国は五十年もしないうちに滅んでしまう。でも、お勉強やお仕事を多少怠けたところでたくさんセックスして子供を産めば、少なくとも国が滅ぶことはないでしょ。政治や経済がうまく機能すれば、国がふたたび栄えるのも難しくないわ。セックスそっちのけで仕事や学問に打ちこんでしまうのは、生物として欠陥品なのよ。人間はセックスによって生まれ、セックスによって命をつないでいく。人間の体は十二、三歳くらいでセックスできるようになるのに、セックスを忌避して学問や仕事に傾倒せよ、なんて考えはナンセンスだわ。健康的にも精神的にも大変よろしくない。いっぱい勉強していっぱい仕事してお金を稼いで経済を回しても、セックスしなければ国は滅びる。日本の少子化も、若い子たちに意味のわからない貞操観念を押しつけたり、恋愛やセックスをするだけのお金や時間を与えないからよ。お金や時間がなければ、若い子たちは自分を磨くこともできないし、異性と交際する余裕もなくなってしまう。こういう時こそ国が動いて老人や企業が貯めこんでいるお金を吸いあげて、若者たちに投資しなきゃ。おっと、話が脱線したわね。とにかく、宮美。セックスは、いいものよ。あなたもこちらへいらっしゃい」

 一方的にセックスについて熱弁するサリーに、宮美は明らかに気圧けおされていた。

「し、しかし、そういうのはもっとお互いをよく知ってから、ですね」

 頰を赤らめ、初心うぶな女子中学生のようにしどろもどろの宮美に、サリーはいきなり抱きついて濃厚なディープ・キスをした。

「HMMMMM」

 唐突に唇を奪われた宮美が、声にならない声をあげた。美女ふたりが絡みあいキスをする姿を見て、ぼくもつい興奮してしまった。

「愛しあう男女がセックスしないなんて、自然の理に反しています。宮美。理事長命令です。パエトンとしなさい」

「し、しなさいって」

 宮美はさらに顔を紅潮させ、視線を泳がせていた。

「ほら、ぶちゅー」

 サリーが宮美の顔を無理矢理ぼくの顔に押しつけた。ぼくは持ち前の反射神経で、しっかりと宮美の唇を、自らの唇で受け止めた。

「HMMMMM」「HMMMMM」

 宮美はどうしたらよいかわからないのか、脱力して完全にぼくに身を委ねてきた。彼女にこういう経験があるとは思えない。ぼくがしっかりリードしてやらねば。

「いいかい。宮美」

「あっ。ま、待ってください。まだ心の準備が」

 ぼくが同意を求めても、宮美は未だそわそわと視線を泳がせていた。

「あー。ほら。もう。じれったい」

 サリーが背後から宮美の首根っこを掴み、ベッドに押し倒し、衣服を次々と剥ぎとり出した。

「あーれー」宮美が悲鳴を上げた。「み、見ないで」

「あら。どうして? 恥ずかしがることないじゃないの。とてもきれいよ。宮美。そのへんの女優なんかメじゃないわ。ねえ、パエトン」

 サリーがぼくに同意を求めると、宮美もこちらをじっと見つめてきた。

「うん。とても美しいよ。宮美。月の女神ディアナも、君の美貌には嫉妬するだろう」

 ぼくが爽やか美男子微笑イケメンスマイルでそう言うと、宮美は恥ずかしさのあまりとうとう飛びあがり、声にならない声をあげながら衣類を素早く回収してさっさと部屋から出ていってしまった。

「あら。何よ。つまんない女ね。本当にパエトンのことを愛しているのかしら」サリーは憮然と言った。「ま、いいわ。あんな堅物はほっといて、ふたりだけで楽しみましょ。パエトン」

「君は、ぼくのことを愛しているのかい。サリー」ぼくは真剣な眼差しでサリーにそう訊ねた。

 数瞬眼を丸くして沈黙してから、サリーは言った。「野暮ねえ。私が愛してもいない男と寝るような尻軽に見えるのかしら?」

「愚問だったね」ぼくはサリーの顔に手を添え、情熱的な濃厚接吻ディープ・キスを交わし、そのまま身体を重ねた。

 ぼくたちの〈夜〉は、数時間にも及んだ。記憶を失ったぼくにとって、それは突然異世界に放りこまれたような衝撃であった。サリーがこの地球上のどの女性よりも魅力的に見え、何者かに取りかれたように彼女を求め続けた。サリーはぼくの熱き想いをすべて受け止めてくれた。少なくともこの夜において、ぼくとサリーは一心同体であったのだ。

 ぼくの腕の中ですっかりへたりこんでしまったサリーが、うっとりと満悦した顔で、唐突にこんなことを言った。

「ああ。可愛い私のパエトン。あなたのことがますます気に入ったわ。あなたを、ずっと私の傍に置いときたくなっちゃった。予定変更。あなたを私の〈騎士〉に任命しちゃいます。ずっと傍にいて、私を守ってね」

「もちろんだとも」

 完全にサリーの魅力の虜となっていたぼくは、ふたつ返事でそれを快諾した。

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