第八十三話「誘惑」

 ぼくたちが白金ヒヅルと死闘を繰り広げた翌日、サリーの〈リリカル・マジカル・キャッスル〉が崩壊したというニュースは、早くもメディアを通じて全米どころか全世界に知れ渡った。犯人は悪の秘密結社白金機関と、最悪のテロリスト〈悪魔の太陽〉こと白金ヒヅルであると報道され、やつらの悪名は世界中に拡散されることとなった。これは後でサリーから聞いたのだが、〈リリカル・マジカル・キャッスル〉にはいたるところに隠しカメラが仕掛けられていて、あわよくば白金ヒヅルの狼藉を全世界に放映してやろうと画策していたのだが、どういうわけか全てのカメラが破壊されていたらしい。レーザーのようなもので焼かれたような跡があったそうで、詳細は不明だが、まあ白金機関の仕業だろう。やつらはドローン技術で世界の最先端を行っており、一ミリ以下のドローン兵器すらも実用化していると聞く。忌々しい連中だが、侮りがたし。もっともサリーは、ヒヅルが何の対策もせずにわさわざ敵地に赴くはずがないと踏んでいたようだが。

 我々ヘリオスは、世界中のメディアに影響力を持っている。愚昧な一般人に真実を見抜く術はなく、我々が「白金ヒヅルはテロリストである」と繰り返し主張すれば、それはその通りになる。加えてサリーのアイドル・スターのように愛くるしい魅力が、大衆洗脳に拍車をかけている。HALOなどの慈善団体に幾度となく巨額の寄付をし、彼女自身も今まで行ってきた売名ボランティア活動の成果か、サリーは少なくともアメリカでは慈善活動に精を出す良家のお嬢様と認識されており、「悪の組織に狙われた悲劇のヒロイン」という実にわかりやすい構図である。インターネット上で若者を中心に「悪の組織白金機関許すまじ。報復せよ」との世論が盛りあがり、日本に制裁を加えるべきだ、との声がアメリカ世論の過半数となった。メディア洗脳の威力恐るべし。

 さて、その悪の組織白金機関の動きだが、不気味なほど沈静を保っている。世界中の、特に欧米のメディアを中心に袋叩きにされ続けている白金ヒヅルは、〈白金グループ〉を代表して、先日のリリカル・マジカル・キャッスル襲撃事件に対して声明を出した。「正体不明のテロ集団に命を狙われたブラックメロン氏には心からお見舞い申しあげます」と前置きした上で、自分たちはまったく関与していない、欧米の主要メディアはフェイクニュースだという旨の供述をしたのである。自分たちをテロリスト呼ばわりするなら証拠を出せ、と。表舞台の情報戦には乗ってきたヒヅルだが、しかし白金機関がアメリカの重要人物、殊にプラトン大統領やその周辺に接触してくることはなかった。それは無論ぼくや村正たちが徹底的にやつらの手先を叩き潰し、アメリカ国内でのやつらのネットワークを粉砕した戦果だと言えるが、あれしきのことでヒヅルが手を引くとはぼくにはどうしても思えない。必ず何かしらの手を打ってくるはず。


 あれから一カ月ほど経ったが、白金機関には相変わらず目立った動きがない。

 今日ぼくはサリーから「大事な話がある」と呼び出され、ミラクル・オラクル本部の最上階、すなわちサリーの部屋までやってきていた。ヒヅルに完膚なきまでに爆破解体されてしまったリリカル・マジカル・キャッスルが〈ネオ・リリカル・マジカル・キャッスル〉として復活するまでは、彼女はここで暮らすことにしているらしい(すでにアメリカ建築最大手のガンスラー社により大規模な建設部隊が派遣され、着工している。あと一週間ほどで完成するという)。

「待っていたわ、パエトン」

「大事な話って、何だい。サリー」

 高鳴る鼓動を感じながら、ぼくは平静を装って訊ねた。

「それについては、後で話すわ。まずは二人で楽しみましょ」

 実はサリーは今ネグリジェ姿で、部屋の中央に設置されたダブル・ベッドの上に座り、とても十代の少女とは思えない妖艶な眼差しで、ぼくを見つめている。

 これはつまり……そういうことだよな。

 記憶を失ったぼくでも、場の空気や、サリーの熱っぽい視線から、数分後の未来を予想することは容易たやすい。サリーのあどけない少女の如き低身長、華奢きゃしゃ体躯たいくに不釣りあいな、漆黒のドレスの下に潜みしふたつのブラックメロンが、ぼくを刺激する。

 しかし、ぼくは迷っていた。

 ぼくには、現時点で宮美みやびという恋人がいる。が、宮美とはまだ数回デートしただけで、体の関係というわけではない。ぼくがそれとなく誘ってみてもいつも頑なに拒まれてしまう。そんな彼女の様子を見ていると、実はぼくたちは恋人同士ではなかったんじゃないかと思えてくる。ぼくが記憶喪失となったのをいいことに嘘をついているのではないか、と。宮美を疑いたくはないし、彼女は美しく知的でぼく好みの女性ではあるのだけれど、どうもお堅いというか、一線を越えようとすると、何となく拒絶されているような雰囲気になってしまうのだ。記憶を失う前のぼくは、本当に宮美のことを愛していたのだろうか。

 徐々に冷めていく宮美への愛情や肉欲とは反比例するように、ぼくの心は急速にサリーにきこまれていった。この一カ月の間、ぼくはこのミラクル・オラクル本部ビルの中に潜伏していた不審者を二人ほど捕らえた。不審者といっても、恐ろしく巧妙に変装していた潜入のプロだ。ひとりは清掃員に、もうひとりは厨房のスタッフになりすましていた。おそらく白金機関の手の者だろうが、ぼくが拷問にかける前に歯の奥に仕込まれた毒を呑んで自害してしまった。白金ヒヅルに宣戦布告したサリーは、おそらく白金機関がいの一番に殺したい標的だろう。

 それから程なくして、ぼくはサリーの頼みでふたたび護衛として、常に彼女の傍にいるようになった。白金機関の刺客は二十四時間三百六十五日どこから襲いかかってくるかわからない。ヘリオスのエージェントとしての訓練の賜物なのか、戦場を幾度もくぐり抜けて自然に身についたのかはわからないが、ぼくは神経を研ぎ澄ませ、立ったまま眠ることができる。ベッドで安らかに眠るサリーの傍らで立ちながら仮眠し、敵がやってきたら〇・一秒で銃を構えることができる。食事も常に一緒にとり、トイレや入浴の時も即座に彼女の敵を排除できるよう、すぐ近くで索敵センサーを張り巡らせている(ただしぼくの記憶を取り戻す〈治療〉の間だけは、サリーの傍を離れなければならない。その間はサリーは自室に籠り、他の護衛に警護させている)。そんな生活を始めてからは、当然宮美とはデートどころか会う時間すらまともにとれていない。ぼくの心がサリーに傾くのも必然なのかもしれない。

「しかし……君のように年端もいかない少女としたら、作者が……いや、ぼくが社会的に抹殺されてしまう」

 サリーは一瞬眼をぱちくりとさせ、すぐに見た目にそぐわぬ妖しい笑みを浮かべた。

「あら。私、こう見えてもあなたより歳上よ。見た目で人を判断したらいけないわ。それとも……私みたいなおばさんが相手じゃ、いやかしら?」

 サリーはふたたび年頃の少女のように可愛らしい仕草でほっぺたに指を当て、ねてしまった。

「君はおばさんなんかじゃない!」ぼくは反射的に叫んだ。「君はどう見ても可愛らしくて素敵な少女じゃないか。サリー。でもね。申しわけないんだけれど、ぼくには恋人が」

「知ってるわ。宮美のことでしょ」サリーは平然とそう言った。

「知ってて、ぼくを誘ったのかい」ぼくは憮然と言った。

「なに堅苦しいこと言ってるのよ。一夫一妻制なんて古いわ。複数の異性と遊んだ方が楽しいじゃない。ひとりの異性だけを永遠に愛しなさい、なんて思想はつまらないわ。ずっと同じアダルト・ビデオを見続けるようなものよ。もっと野生の本能に忠実になりなさい、パエトン。人間なんて、所詮は動物なのだから」

 サリーはベッドから立ちあがり、ぼくに歩み寄り、顎をくいと手で寄せ、唇を寄せてきた。


 ぴんぽおーん。


 最悪のタイミングでぼくの後ろ髪を全力で引くように、インターフォンが鳴った。くそ。いいところだったのに。

「誰かしら。パエトン。見てきてくれる」

 サリーに言われ、ぼくはシャツのボタンを戻してドアホンの親機のディスプレイを覗き見た。

「宮美だ」

 なぜ彼女が、ここにいる?

「あらまあ。どうしたのかしら。今日は非番のはずだけど」サリーが面白そうな顔で言った。

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