第十八話「仲間」

 一瞬の出来事だった。

 ぼくを取り囲むように棒立ちになっていたヤクザたち六、七人の胸や腹、背中などが、突然大きく引き裂かれ、血や臓物が辺りに飛散、一瞬で地獄絵図と化した。

「きゃあ」宮美が疳高かんだかい悲鳴をあげた。

 殺気を感じとったのか、ただひとり床に伏せて難を逃れた地獄谷村正じごくだにむらまさは、顔をしかめてぼやいた。「クソ、狙撃手スナイパーか」

『すみません。移動に少々手間取りました。大丈夫ですか。ヒデルきょう』耳に仕込んだ小型無線機から、落ち着いた雰囲気の女性の声が聴こえてきた。

「大丈夫に見えるかい。遅いよ。まったく」ぼくはため息まじりにそう言った。

『ご無事で何よりです』

 無線の声の主は、白金機関の狙撃手、ティキ・セラシエ。エリトリアの元ゲリラにして、独裁政権を崩壊させ、長年続いたエチオピアとの戦争を終わらせた救国の英雄。その後、彼女たちの戦いを秘密裏に支えていた白金グループ、ことにヒヅル姉さんに盲目的な忠誠心を抱く真性の白金ワンワールド主義者。兄の形見でもある狙撃銃ドラグノフで複数の標的を遠方から瞬殺する〈精密機械マシナリー〉の異名を持つ凄腕のスナイパーである。

 地獄谷はティキの弾丸が飛来した方向を見定め、走り出した。

 ぼこ、ぼこ、と、彼の通過した一瞬後に屋敷の壁や地面が、ドラグノフの七・六二ミリ弾によってえぐられていく。

「へっ。これでも撃てるかよ」

 ヤクザのひとりが卑怯にもわが身を守るように宮美みやびを楯にすると、彼女の顔が恐怖に引きった。

 だが、ヤクザの足もとは完全にすきだらけになっていた。

 ざくり。

 ぼくはポケットの中から小型のアーミーナイフを抜き出し、ヤクザの足に突き立てた。

 ヤクザはいぎゃあと叫び、激痛のあまり宮美の腕を握りしめていた手を離した。

 隙あり。

 ぼくは全身全霊をこめてタックルし、ヤクザをふき飛ばし、宮美を解放した。

「走れ」

 ぼくは宮美に叫び、射殺されたヤクザのひとりからAK47を強奪し、ヤクザの集団に発砲した。

 七、八人が体に風穴を開けてふき飛ばされ、手入れの行き届いた美しい芝生を赤黒い血で染めあげた。かろうじて難を逃れた連中は壁の裏側に隠れた。

 追いつめられたヤクザのひとりが拳銃を発砲し、他のヤクザも追従して一斉に発砲しはじめ、つい先ほどまで暗闇と静寂が支配していた黒獅子組組長宅は、たちまち無数の怒声と発砲音と花火が如きマズルフラッシュ、そしてほかほかの鉛弾が飛び交う、屍山血河しざんけつがの戦場と化してしまった。

「撃つな。宮美嬢に当たったらどうする。おい。やめろ。やめんか」

 組長とおぼしき男の絶叫が聴こえたが、多くの仲間を殺された怒りと恐怖で、組員たちはもはや制御不能となっていた。絶え間ない銃弾の雨が続き、ぼくは宮美の腕を強引に掴み、AKで弾幕を張りながら庭にあった大岩の裏に逃げこんだ。

「くそ。数が多すぎる」

 勇敢にもぼくたち目がけて突撃してきたヤクザたちは、たちまち頭や胴体を吹き飛ばされてばたばたとたおされた。ティキのドラグノフが、ぼくたちに襲いかかるヤクザたちを食い散らしていく。ヤクザのひとりが弾丸の来た方向へ闇雲に発砲したが暖簾のれんに腕押し、ろくに訓練もしていないであろう人間に、スコープも使わず何百メートルも離れた相手を狙撃するなど到底不可能だった。


 うーうーうーうー、と、唸るようなパトカーのサイレン音が、ぼくの耳に入ってきた。


 段々大きくなってくる。近所の住人が通報したのか、むしろ今まで来なかった方が不思議だった。

 まずい。警察は事実上ヘリオスの兵隊だと思っていい。六十人程度のヤクザとはわけがちがう。警察が到着したらぼくはたちまち捕らえられ、ヘリオスに引き渡され、白金機関を瓦解がかいさせるための拷問にかけられるだろう。

 通常、スパイものの映画や小説などでは、諜報員スパイが敵に捕らえられた際、情報を敵に渡さぬように舌をみちぎったり、自殺用の毒薬を歯の奥に仕込んでいて自決したりするが、白金機関のエージェントには特にそれは求められていなかった。むしろ逆で、最後まで絶対に生存を諦めるな、と、教えられた。そして捕らえられた仲間は、機関の総力を挙げてでも救出するように、教えられた(むろん拷問に屈して敵に情報を与えるのは論外である)。機密情報保護の観点から言えば、たしかに漏洩ろうえいリスクは増すかもしれない。それが組織に大きな損害を与えることになるかもしれない。

 しかし、ヒヅル姉さんは言った。『川の清濁せいだくの原因は水源にあります。万民ばんみんが川の水ならば、君主は水源。物事には必ず原因があり、その原因の結果として生じた問題も、元を辿たどればトップに起因するもの。失敗した部下に原因をなすりつけ、るしあげるような輩に、指導者の資格はありません』

 部下の失敗はリーダーである自分の責任、そして仲間の失敗は組織が一丸となって支える。仲間に危機が及ぶことあらば、ファランクスを組んでこれを撃退する。降伏を禁止したところで誰もが皆、組織の意向に従って自決するわけではないし、自己責任と見放されてられた部下の中には、裏切って敵に寝返る者も出るかもしれない。何より姉さんは人を見抜く自らの能力に絶対の自信を持っていて、降伏禁止令そんなものは必要ないと言っていた。この一見甘い人道主義は、エージェントたちの練度や忠誠心、そしてチームワークや士気を、明らかに高めていた。白金機関に入って三年、ようやく彼らの強さの秘密がわかってきた気がする(その代わり、姉さんは裏切り者に対しては本当に情け容赦ない)。

 ぼくは、絶対に敵に情報を渡すつもりはないし、おとなしく死んでやるつもりもない。

 捕まえられるものなら、捕まえてごらん。

 拷問だろうが何だろうが、二年以上にも及ぶ御菩薩池みぞろげの地獄の特訓を耐え抜いた、ぼくの鋼鉄の精神をへし折れるものか。


 ぱしゅ。


 唐突に乾いた音が響き渡り、屋敷の壁が大破、そばにいたヤクザたちが、瞬時にしてばらばらの肉片と化した。

 そして直後、見憶えのある一台のBMWが、鋭いエンジンの咆哮ほうこうとともに、屋敷の塀をぶち壊して、飛びこんできた。

『ヒデくうーん。これで貸しひとつチャラだよ』

『待たせたな。ヒデル。報酬はトリプル豚大ラーメンでいいぜ』

 無線機から雲母きららと星の声が聴こえた。なおトリプル豚大ラーメンとは、ラーメンの老舗しにせ・ラーメン三郎の常識にとらわれない超特盛チャーシューメンである。

 星は助手席の窓を開け、中からミニミ軽機関銃の銃口を突き出し、生き残ったヤクザの群れ眼がけうええいと狂ったように叫び乱射しはじめた。

 ヤクザたちも負けじと拳銃やAKで応戦するが、白金機関特別仕様のBMW525iのぶ厚い車体や防弾ガラスを貫くには至らず、一方的に星の放ったミニミの五・五六ミリ弾の餌食となっていく。

 たちまちヤクザたちは壁の裏や屋内に退避し、がら空きとなった庭、その一番奥の巨石の陰に隠れていたぼくと宮美みやびの前にきずだらけのBMWが停車し、後部座席の扉が自動で開いた。

 雲母が叫んだ。「乗って。早く」

 直後がんがん、と、またヤクザの発砲した弾丸が車体に何発がぶちあたり、星が助手席からミニミで撃ち返す。その合間に宮美が後部座席に滑りこみ、ぼくも地獄谷に撃ち抜かれ鮮血に染まり激痛の走る脚を無理矢理引きずり、乗りこんだ。

 どかん。

 正門から勢いよく扉を蹴破り、大盾を装備した機動隊員たちが突撃してきた。

 いや、ちがう。

 あれはSATだ。

 ハイジャックや重要施設占拠といった重大テロ事件を〈制圧〉するため、軍隊並の強力な武装と犯人の射殺が許された警察の特殊部隊。

 まともにやりあったら勝ち目は薄い。

「飛ばすよ。しっかり掴まってて」

 雲母はそう叫ぶと、ハンドルを素早く切り、アクセルをべた踏みし、車を急旋回させた。

 彼女がハンドルの脇についた赤いボタンを押すとカーナビがデジタル照準装置に切り替わり、カーステレオが上下に分割して中から黒と黄色の警戒色に彩られた大きなボタンが姿を現した。

「ぽちっとな」

 雲母が軽い声でボタンを押すと、BMWのボンネットが開き、中から細身のミサイルが勢いよく火を噴き、高速で飛翔、屋敷の塀を粉々に爆砕した。

 そして急発進した車は道路に躍り出、屋敷の前に停まっていた無数のパトカーと機動隊の装甲車が急旋回し、うーうーとけたたましいサイレン音を撒き散らして追跡してくる。

「どけどけ。き殺すぞおんどりゃ」

 普段の可愛いこぶりっこはどこへ行ったのか、運転席でせわしなくハンドルを右に左に切り続けながら、雲母が一般車輌や通行人たちに向かってえた。後部座席に座っていた宮美が怯えたように震えあがった。

 プロレーサーのような運転スキルで車と車の間をうように、しかし映画のように何度も都合よくはいかず、時にはぶつけながら走り抜けていく。戦車のように頑丈な白金機関の特殊車輌(推定価格六千万円)だからこそ可能な荒業で、これが一般車だったらとっくに音をあげ、今頃ぼくたちは警察に捕まっていることだろう。

 市街地を抜けると、大盾を装備した機動隊やらパトカーやら特殊車輌やらがずらりと並び、道路を完全に封鎖。拳銃はおろか短機関銃サブマシンガンMP5や自衛隊で使われていた六四式小銃、果ては対戦車ライフルAW50の銃口を、一斉にこちらへと向けた。

「止まれ。止まらんと撃つ。脅しじゃねえぞこら」

 拡声器を持った警官が乱暴に叫んだ。

「はあん」

 雲母は攻撃的な笑みを浮かべると、さらにアクセルを踏みこみ、車を加速させた。

「撃て撃て」

 がんがんと無数の弾丸の嵐にさらされ、しもの白金機関特製BMWも車体のあちこちがへこみ、窓硝子がらすひび割れてまっ白になっていく。


「おい、後ろ」


 ぼくは叫んだ。

 というのも、BMWのすぐ後ろに一台の黒塗りベンツが近づいているのが、リアガラス越しに見えたからだった。助手席の窓が開き、中から地獄谷が、シャープ・ペンシルのように尖った金属製の……

「RPG」

 ぼくが叫ぶと、雲母の眼が大きく見開かれた。

 対戦車ロケット弾RPG7の弾頭が、こちらへ向けられていた。いくら防弾仕様の特殊車輌であっても、あんなものをまともに食らったらひとたまりもない。

「くたばりやがれ」

 地獄谷が叫ぶと、RPGの弾頭が火を噴き、勢いよくまっすぐこちらへ、放たれた。

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