第八十六話「終末計画」
二〇一八年九月一日。ぼくはサリーに連れられ、ニューヨーク郊外にあるブラックメロン家現当主、つまりサリーの父であるハロルド・ブラックメロンの邸宅を訪れた。本日はちょうどハロルド卿の生誕七十四周年め――すなわち誕生日であり、家族や親戚をはじめ、秘密結社ヘリオスの幹部なども集め、ゴージャスなパーティを開くことになっているという。その中にはぼくも含まれ、晴れてサリーの正式な騎士となったぼくをハロルド卿や夫人、他の兄弟たちに紹介したい、とのことだった。
ハロルド卿の生誕祭に出席した面子は、実に
サリーから聞いた話によると、ブラックメロン家の勃興は十八世紀初頭、神聖ローマ帝国時代の欧州にまで遡る。当時の神聖ローマ帝国フランクフルト(現在のドイツ連邦共和国ヘッセン州)のメロン農家の生まれであったルートヴィヒ・ブラックメロンが銀行家として成功を収めたのが始まりだという。その後、彼の七人の息子たちが欧州の各地で銀行業を拡大させ、鉄道や郵便事業、軍事やエネルギー産業など、さまざまな分野に進出。ルートヴィヒの孫にあたるアレクサンダー・ブラックメロンがアメリカで創始したゼネラル・オイルは当時のアメリカの石油市場を独占し、現在でもエリクソンモービルとしてアメリカの石油メジャー最大手として君臨している。二十世紀初頭では日本にも日露戦争での戦費や、関東大震災後の復興費用など巨額の融資を行なっていた。
「エネルギーを支配すれば、国家を支配できる。食糧を支配すれば、人々を支配できる。金を支配すれば、世界を支配できる」というのが、彼らの家訓らしい。そして実際にブラックメロン家は世界のエネルギー産業と食、金融において支配的な地位を得、世界の基軸通貨米ドルの発行権すら握っている。世界中の富の七割以上が彼らの手中にあり、世界の覇権を握るのも時間の問題とされている。
「親愛なる我が家族たちよ。そしてヘリオスの同志諸君。今日は儂の生誕を祝いに遠路はるばるよく来てくれた。心より感謝する」
中央の壇上に現れた大柄な男、ゆうに二メートルを超す身長に、逞しい肩幅。重力に逆らうように天に向かい伸びる白銀の髪と、豪快に伸びた髭。ブラックメロン家八代目当主であるハロルド卿のありがたいお話が始まると、万雷の如き歓声と拍手がわき起こり、一分間話が中断された。
「静粛に」
館内に鋭い声が
声の主はヘリオスきっての武闘派、実行部隊を統括するリーダー、〈
「あなたがサリーの騎士さんかしら?」
エメラルド色の、ところどころに精緻な
「ええ。ヘリオスの特務部からサリー様に引き抜いていただきました。これからよろしくお願いいたします。エステル様」
ぼくが折り目正しく四十五度の角度でお辞儀すると、エステルは途端に憐れむような眼で、ぼくを見おろした。まるでこれから殺処分される野良犬か猫を見るような、そんな眼だった。
「あなたも憐れですね。サリーの騎士に選ばれるなんて。こんなに可愛らしいのに。一体どんなひどい仕打ちを受けたのでしょうか? 何か辛いことがあったら、この私のところにいらしてね。いつでも相談に乗りますわ」
エステルが、ぼくの肩に手を置いてやや芝居がかった調子で、そう言った。
「ちょっと、エステルお姉様。そんな言い方ってひどいんじゃないかしら?」サリーが憮然と抗議するも、エステルは相手にせず、夫と思しき人物と一緒にさっさと行ってしまった。
「おや。サリーに騎士ができたとは聞いていたが、まさか君だったとは。世間は狭いな。ははは」
黒の燕尾服に身を包んだ長身の白人男性、ぼくと同じくらいか少し歳上くらいの、鈍色の短髪の青年が言った。彼はブラックメロン家次男のナサニエル。爽やかな二枚目だが、アメリカの軍事企業最大手ハルバード社のオーナーにして武器商人、いわゆる〈死の商人〉である。以前どこかで会ったような口ぶりで話しかけてきたが、記憶にない。もしかしたら記憶を失う前にどこかで会っていたのかもしれない。
「あら。あなたたち、顔見知りだったの」サリーが意外そうに眼を丸くした。
「あー」ナサニエルは途端に口籠もり、数瞬考えこんでから口を開いた。「ちょっとアジアくんだりまで旅行に行った時に出会って意気投合してね。
「
「ふむ。人違いだったか。世界には自分によく似た人間が三人いると言うしね。そういうこともあるだろう」
「貴公がサリーの騎士か。また、酔狂な人間がいたものだ」
ハロルド卿の遺伝と思われる天を突く逆立った金髪が印象的な若い白人男性が、やたらと尊大な態度でそう言った。隣には紅い巻き毛の温和そうな女性。ブラックメロン家次期当主に最も近いとされる人物、ハロルド・ブラックメロン〈二世〉と、その妻ベランジェール。サリーの話によると、ブラックメロン家現当主のハロルド一世は、有能で最も思想が近い長男のハロルド二世に当主の座を継がせようと考えているらしい。サリーやナサニエルは次期当主の座にはさしたる興味もないようだが、中には我こそが次期当主と納得していない者もいるとのこと。特に長女アレクシアがハロルド二世を見る眼には何というか一種の――そう、怨念のようなものが、こもっていた。
ぼくはエステルやナサニエルの時と同様、世界の次期首領とも言えるハロルド二世に丁寧に
「まったく皆、人を魔女か何かみたいに。失礼しちゃうわ。魔女は魔女でも、可愛い魔法少女なんだからね。ぷんぷん」サリーが十代少女のように可愛らしく頰を膨らませていた。
「そうよ。せっかく晴れて私たちの妹にこんな素敵な
ナサニエルの横から、腰まで伸びる
「アレクシアお姉様」サリーの顔が、年頃の少女のように輝いた。そのままサリーは長女アレクシア・ブラックメロンの元へ
「そういえば、ナサニエル。注文していた〈超人種〉の件はどうなっているのかしら?」アレクシアが唐突にナサニエルに訊いた。
「開発は順調だよ。アレクシア姉さん。すでに完全なる〈超人種〉の最初の一体が完成している。後は量産するだけだ。もう二カ月ほどすれば、活きのいいやつを届けられると思う。ま、安くはないがね」
ナサニエルが酷薄な死の商人としての笑みを浮かべて返答すると、アレクシアは真剣な表情でナサニエルに詰め寄り、念を押すように言った。「それじゃ遅すぎるわ。一カ月よ。報酬なら言い値で払うから、急ぎなさい」
ナサニエルは肩を竦め、苦笑いを浮かべた。「やれやれ。相変わらずせっかちだな、アレクシア姉さんは」
「我らヘリオスの世界制覇の障害、排除すべき敵は――」
ぼくがサリーの兄姉に挨拶をして回る中、ハロルド卿の演説は続いていた。ハロルド卿の背後の巨大なスクリーンに、見憶えのある四人の顔が映し出された。
「日本の白金ヒヅル、中国の
ハロルド卿の演説に会場が一気に熱狂に包まれる中、ぼくは一抹の疑念を抱いていた。
この世界を地獄の業火の中に叩きこむって? 核戦争でも起こそうというのか。我らヘリオスの役目は、力によって世界に平和と秩序をもたらすことではなかったのか。
「怖がらないで。パエトン」不安が顔に出ていたのか、サリーがぼくを抱き寄せ、優しい声で宥めた。「私の騎士でいる限り、あなたは〈こちら側〉の人間よ」
「本気なのかい。サリー。三度めの世界大戦だなんて。君は〈世界平和〉を望んでいるんじゃなかったのかい」
「望んでいるわよ。でも、今の世界はだめね。この腐りきった世界の、
「核戦争なんて起こったら、ぼくたちだってただじゃ済まないぞ。中国やロシア、日本を攻撃すれば、必ず核による報復を受ける。アメリカも道連れになってしまう」
「そうよ。いいじゃない、別に」
サリーは平然と、そう言い放った。
いつもの無邪気な、少女の如き笑みで。
「サリー。君はぼくにとって大切な人だ。騎士として、あなたに忠誠も誓った。なら、黙ってあなたについていくのが本来あるべき姿なのかもしれない。でも、ぼくはあなたを大切に思うからこそ、あなたの過ちを、止めなければならないと思う」
「はあ」サリーは深いため息をついた。「もし仮に私があなたに諭されて、お父様を説得したとして、あの人はそれで止まる人じゃないわ。お父様がやると言ったら、それは必ず実現する。白い鳥もお父様が黒といえば黒。何も変わらないどころか、あなたと私は裏切り者として地獄と化した地球に放りこまれるだけ。私は嫌よ、そんなの。地上の有象無象どもが大勢死んでもいいから、私は生きたいわ」
「でも」
それでもまだ食い下がるぼくの口を、サリーは塞いだ。自らの口によって。
「あなたにも、死んでほしくはないわ。せっかく私の騎士にしたんだもの。世の中には決して抗えない力というものがあるのよ。あなたも私の騎士なら、聞き分けなさい」
「わかった」
サリーの
自分の良心に従うよりも、サリーと一緒にいることを望んだから、ぼくはサリーの騎士になったんじゃないのか。この眼の前の聖女を守ると誓ったのではないのか。何より、サリーがそれを望んでいるのだ。彼女の人生に介入しようなんて、ぼくは何て出過ぎた真似をしてしまったのだろう。
アメリカが現在建設中の〈ユートピア〉は、表向きは宇宙の観測や宇宙環境を利用した研究、実験を行うための宇宙ステーションであるとされている。しかしその詳細は非公開で、日本や中国、ロシアは軍事要塞に転用するつもりなのではないかと疑っている。
無論皆さんもご存知の通り、宇宙における兵器の配備や軍事利用は宇宙条約によって禁止されているのだが、あくまで平和的利用が目的とアメリカは主張し、建設中の宇宙ステーションの調査は機密保持のためと
それもそのはず。その実態はハロルド卿の言うように、宇宙から一方的に地上を焼き払うための、宇宙兵器なのだから。
「それはそうと、サリー。〈改造手術〉を受けさせたい人って、一体誰なんだい」唐突にナサニエルが、サリーにそう訊いた。
「まさしく私の騎士、パエトンよ」サリーは平然と答えた。
「え」
ぼくの全身に、怖気が走った。
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