第八十九話「暴露」

宮美みやびがスパイだって」ぼくは混乱する頭で、叫んだ。「サリー。それは一体どういう意味」

『察しが悪いわね。パエトン。しっかりしなさい。それでも私の騎士かしら? あなたには黙っていたけれど、宮美には白金機関のエージェントに接触した容疑がかけられていたのよ。とりあえず馘首クビにして泳がせておいたのだけれど、見事に罠にかかってくれたわ。ヒヅルはパエトン、あなたにご執心みたいだから、必ず宮美をけしかけてくると思っていた』

 サリーの(パワードスーツの)右手には、黒いスーツに身を包んだ男が握られていた。すでに血にまみれ、全身のあちこちを骨折し、虫の息となっていた。その凄惨な姿を見て、宮美がひっと呻いた。

 くちゃ、と、いやな音を立てて、黒スーツの男の身体がトマトのようにいとも簡単に潰され、血や臓物が辺りに飛び散った。

「ぼくをだましたのか。宮美」ぼくはたちまち激昂げっこうし、叫んだ。

「ち、違います。私の気持ちは」

 宮美の顔が恐怖に引きった。

 しかし直後、何かを決意したようにまっすぐぼくの眼を見据え、こう続けた。

「嘘じゃありません。ヒデルさん。あなたを愛しています。……だから、本当のことをお話しします。あなたはアメリカ生まれでもなければ、ヘリオスのエージェントでもない。エンパイア・ステート・ビルから落ちて記憶を失ったというのも、真っ赤な嘘」

 とっさにどす黒い殺気を感じたぼくは、反射的に宮美を抱きかかえ、地面に伏せた。

 ぱぱぱ、という炸裂音が数発闇夜に響き渡り、宮美の背後にあった木の表面が大きくえぐられた。

『あら。パエトン。あなた一体どっちの味方なのかしら』

 サリーの〈ブーさん〉の右肩から突き出た機関銃の銃口から、青白い硝煙が立ち昇っていた。

「あっ。ち、違うんだ。サリー。今のは反射的に身体が動いて」ぼくは必死にサリーのご機嫌をとるべく弁明した。

 宮美はそのまま語り続けた。

「あなたは白金機関のエージェント白金ヒデルとして私を連れ戻しに日本からやって来てヘリオスに拘束され、そしてサリーさんの手によって記憶を奪われ、偽りの記憶を刷りこまれました。アメリカ国内に潜んだ白金機関のスパイを排除するために。そしてプラトン大統領を殺した〈白金機関の殺し屋〉として、歴史にその汚名を刻ませるために。なぜサリーさんが急遽〈代役〉を立てたのかはわかりませんが」

「何だって」

 宮美の言葉は、頭を煉瓦レンガで殴られたようなショックを、ぼくに与えた。

『耳を傾けてはだめよ。パエトン。まったく、拾ってあげた恩も忘れて根も葉もない嘘をべらべらと』サリーが不機嫌そうに言った。

「あなたと恋人同士だった、というのも嘘です。本当にごめんなさい。あなたの記憶がないのをいいことに、私はあんなひどい嘘を、ついてしまった。あなたを騙して、自分のものにしようとした。私は、最低の人間です。本当に、ごめんなさい」

 涙をぼろぼろ流しながら、宮美は喚いた。

『パエトン。そこをどきなさい。邪魔よ』サリーが冷たい声で命令した。

「こんなことを言っても信じてもらえないかもしれませんが、ヒデルさん、あなたの精神は、サリーさんに支配されています。それを証明する方法が、ひとつあります。あなたがミラクル・オラクルで〈治療〉を受け続けていても、あなたの記憶は元に戻ることはないでしょう。〈治療〉などというのは嘘で、あれはヒデルさんに偽りの記憶を刷りこむための装置です。〈治療〉をやめれば、ヒデルさんの記憶が元に戻る可能性はあります。どうか私を信じて、もうミラクル・オラクルの施設には行かないでほしい。私の言うことがもし嘘だったら、どんなことをしてでも償います。あなたが死ねというなら、ここから身を投げます」

 宮美の気迫と覚悟に、ぼくは気圧けおされていた。

『騙されないで。パエトン。そこまで言うのなら、証拠はあるんでしょうね。宮美。証拠もなしに、あなたは私の名誉をおとしめようというのかしら』サリーは今度は淡々と、しかしどこか威圧的に反論した。

 ぼくには宮美がサリーを陥れるために嘘をつくような人間には思えない。

 ずきん、と、またぼくの頭が痛んだ。

 くそ。何なんだ、この痛みは。

 しかし、宮美が嘘を言っているとは思えないのだが、サリーがぼくを洗脳して都合のいい駒として操っているとも、どういうわけか、思えなかった。

 何が正しいのか、ぼくにはまったくわからない。

 頭が割れそうに痛い。

 ぼくがこのままミラクル・オラクルの施設に帰らなかったら、サリーはどういう顔をするだろうか。

 怒るかな。

 それとも悲しむのか。

 あるいはどうでもよいとぼくを見放すのかな。

 それは、わからない。

 でも、ぼくはサリーを裏切れない。

 エンパイア・ステート・ビルから転落したぼくを救い、無償で記憶を取り戻すための〈治療〉を……

 いやいや、宮美はそれすらもすべて嘘だと言っているのだが?

 ずきずきずき。

 うるさい。サリーを疑うな。彼女は無償の愛を持った聖女なのだぞ。

 眼の前にいるこの女こそが、サリーを陥れようとしている魔女だ!

「ぼくの! サリーを! 侮辱するな! 無礼者!」

 ぼくは一瞬で宮美の前まで詰め寄り、胸ぐらを掴んでねじりあげた。地を離れ、宙を泳ぐ彼女の両足。

「ぐ、げ」

 宮美はじたばたともがき続けてはいたが、特に抵抗するそぶりは見せなかった。

 ただただ、悲しそうな顔で、眼尻からぼろぼろと、涙を流していた。

 こいつ、命が惜しくないのか。

 やめろ。

 ぼくの中で、誰かが叫んだ。

「や、め、て」

 口端から泡を噴きながら、宮美は哀願し始めた。

 こいつは、この女は、ぼくの恩人であり聖女でもあるサリーを裏切り、陥れようとしている白金機関のスパイだ! 殺せ!

 やめろ。宮美を離せ!

 ぼくではない〈何か〉が、ぼくの中で何事かを、必死に叫んでいる。

 こいつはサリーを裏切った敵だ。敵は討たねば。ぼくは秘密結社ヘリオスの聖戦士パエトンだ!

 ちがう! ぼくの名はーー


 突然がつん、と、強烈な衝撃が頭に加えられ、ぼくは地面に昏倒した。


「死ぬ気か。君は」

 黒いスーツに身を包み丸眼鏡をかけた長身のアジア人の男が、ぼくを蹴り飛ばし、いつの間にか宮美の前に立ち塞がっていたのだ。

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