第三十一話「玉座」
勝利を確信した
「もやしイ。てめえは完全に包囲された。が、俺様も鬼じゃねえ。武器を捨てて出てこい。両手を上げて降伏すりゃ、命だけは助けてやるぜ。〈姉御〉も、てめえだけはなるべく殺さずに生け捕りにしろって言ってたしなア」
あれだけ殺す気満々で襲撃してきた地獄谷の突然の降伏勧告を、ぼくは
しかし頑丈なコンクリート製のカウンターの裏に隠れているとはいえ、手持ちのふたつの拳銃はすでに弾切れ。有効な武器と言えば、袖の下に仕込んだ暗殺用のナイフ一本だけ。これで機関銃やライフルで武装した地獄谷とクローディア、それに少なくとも三人以上はいる短機関銃MP5で武装した偽衛視たち全員を倒すのは、どう考えても不可能だった。
追いつめられたぼくは地獄谷の指示に従い、残弾の尽きたワルサーとスタームルガーをカウンターの外へ放り投げ、両手を上げてゆっくりと、彼らの前に出ていった。
地獄谷が奇妙に優しい声で言った。
「よしよし、それでいいんだよ。わざわざ無駄死にすることはねえ。命は大事にしなきゃな。そうだろ」
お前が言うか。
ぼくが胸の内で突っ込んだ直後、がつん、と、後頭部に鈍器で殴られたような激痛と衝撃が走った。背後から接近したクローディアが、
『ヒデくん。大丈夫? 今中央塔に着いたよ。どこにいるの?』
突如無線機から
むろん返事などできる状況ではない。
『ヒデル。何があったの。ねえ。大丈夫? 応答して。ヒデル』
ぼくがしばらく沈黙していると、今度は慌てふためいたアルマの声が聞こえてきた。なお、今でも絶えず続いている銃声や爆発音、そして段々と大きくなりつつあったヘリのローター音などの雑音のおかげで、無線機から
『雲母、大変。ヒデルが敵に捕まってる。中央塔の三階、エレベーターのすぐ前。敵の数は最低でも六。村正もいる』
監視ドローンで状況を把握したのか、アルマが無線機で雲母に言った。
『
今まで沈黙を保っていたティキの声が、聞こえてきた。彼女は今回、姉さんの指示で〈万一の事態〉に備え、別行動をとっている。
『いえ。ティキはそのまま〈工作〉を継続してください。終わったら所定の場所で待機を。
『了解。ヒデくん、今助けに行くからね。できるだけ、そこで時間を稼いで』雲母が言った。
時間を稼ぐ、か。
ぼくは頭をフル回転させ、打開策を模索した。
「地獄谷」
ぼくは
「なぜ姉さ……
唐突なぼくの問いに、地獄谷は一瞬片眉を持ちあげたが、すでに勝利を確信していたせいか、すぐに余裕の笑みを浮かべて答えた。
「あのババアの真の狙いに気づいたからだよ」
「真の狙いだと」
「てめえはあのババアに
「おい、村正。そのへんにしとけ。お前はどうもおしゃべりが過ぎる」
クローディアが
地獄谷はそんなクローディアの肩を馴れ馴れしくばしばしとたたいた。
「かてーこと言うなよ、クーロちゃん。この仕事が終わったら、また一緒にワイヤーラーメンでも食いに行こうぜ」
「その呼び方はやめろ」
「さて、姉御のところまで来てもらおうか。歩け」
地獄谷に促され、ぼくは仕方なく階段へ向かって歩みだした。少しでも抵抗するような素振りを見せれば、背中に突きつけられた偽衛視のMP5の弾丸がぼくを貫き、殺すだろう。
ちーん。
突如、階段の隣にある古めかしい年代物のエレベーター(階数アナログ表示)が、開いた。
瞬時に警戒した地獄谷とクローディアが、身を低くして銃を向けた。
中にいたのは、体中に赤黒い穴を開けて息絶えていた、スーツ姿の女性だった。
たたたた。
そんな女性の死体に向け、偽衛視のひとりが容赦なく九ミリパラべラムのシャワーを浴びせた。弾丸を受けた女性は、身体をびくびくとのけぞらせ、床を赤い海で染めあげた。
警戒しつつ、エレベーターの中に入る衛視たち。
天井裏に誰か潜んでいるかもしれないと思ったのか、彼らは天井へ向けて一斉にMP5をフルオート射撃した。
が、反応は何もなかった。
どががががが。
いきなり床に無数の穴が開き、偽衛視たちは身体を下から上へと、銃弾に貫かれながら死のタップダンスを踊った。
床に
直後、がつん、がつん、と、ハンマーか何かで殴りつけるような音と共に、エレベーターの床が盛りあがっていく。そしてひときわ大きい破壊音とともに、機関銃のストックが、床から跳びだしてきた。
「あー。くそ。血まみれじゃねえか」
床からドロドロとこぼれ落ちてきた大量のケチャップの如き血肉を浴び、
残った偽衛視たちが星にMP5を向けると、今度は横からやってきた弾丸のシャワーによって、彼らは
いつの間にか階段から上ってきた
驚くほど息のあった連携で、今度は星がミニミ機関銃から放たれた五・五六ミリ弾丸の嵐で弾幕を張り、地獄谷を牽制。雲母が反対側にいたクローディアにイングラムを発砲、反撃を許さなかった。
解放されたぼくは、素早く横に跳び、鬼瓦の持っていたMP5を拾いあげ、地獄谷に向けて弾幕を張りつつ、エレベーターの中へと飛びこんだ。
「雲母先輩!」
星とともにぼくは地獄谷とクローディアを牽制しつつ、エレベーターの中へ飛びこんできた雲母を両手でがっしりと受け止め、エレベーターのボタンを押して扉を閉じ、身を低くした。
「遅いですよ。先輩方」
ぼくは皮肉めいた笑みを浮かべ、彼らを歓迎した。
「これで借りはひとつ返したな。お嬢ちゃん。さっさと来い」
「言われるまでもなく」
地獄谷の放ったものと思われる弾丸がエレベーターの扉にぼこぼこと無数の穴を開けたが、星がミニミで反撃し、鎮圧した。
ぼくは耳に手をあて、アルマに訊ねた。
「アルマ。総理は今どこにいる。中央塔にまだ残っているのか」
『うん。発信機を内蔵した虫を付けておいた。今中央塔の四階にいるみたい』
エレベーターはそのまま階上へ向かって動き出した。七階止まりのようだったが、七階のボタンだけは押しても反応がなく、五階と六階のボタンは存在しなかったため、実質四階止まりであった。ぼくの脳内に記憶された国会の見取り図によれば、四階は国会図書館、五階と六階部分は吹き抜けとなっており、上の展望フロアである七階、八階、九階は普段は議員の出入りすら認められていない開かずの間となっている。ここへ至るには専用エレベーターで七階まで行き、八階以上へは階段で上るしかない(なお〈人工全能〉であるぼくの正確精密鮮明な記憶に
ちーん、という古めかしいエレベーターの到着音が鳴り、扉が開かれた。待ち伏せしていた敵兵の銃撃を警戒していたが、特に何ともなく、ぼくと星と雲母は三方向にそれぞれ銃を構えながら、フロアへと躍り出た。
「四階は図書館じゃなかったのか」と、星が言った。
そう。白金機関が入手した国会議事堂の見取り図によれば、四階は国会図書館のはずであった。白金機関の優秀なエージェントたちがガセ情報を盗んでくるとは考えにくい。
左右には天井近くまで
そのひと際目立つ派手な玉座には、絨毯にも負けぬ鮮やかでエレガントな
「あら。いらっしゃい。
その玉座に座った女性、国家保安委員会情報総局の長である
「めでたく
ぼくたちは、引金を引かなかった。
否、引けなかった。
金の像の後ろに潜んだ、偽衛視たちとはまた違った、ロボットのようにごつい黒塗りの装甲に身を包んだ兵士たちが、腕に仕込まれた機銃の銃口を、一斉にこちらへ向けていたのだ。数は五。いや、六。ぼくたちの誰かが高神に発砲すれば、彼らは容赦なくぼくたちを蜂の巣にすることだろう。
「遅れてすまねえ。姉御」
フロアの対角線上に位置する階段から、地獄谷とクローディアが上ってきて、こちらへそれぞれの銃口を向けた。
「勝負ありね。銃を捨てなさい。せっかくのディナーを、血の臭いで台無しにしたくないわ」
高神が落ち着きはらった声でそう告げると、まず雲母が持っていたイングラムを床に捨てた。ぼくと星も追従し、一旦持っていた銃を捨てることにした。
「彼らを拘束しなさい」
高神が命令すると、地獄谷とクローディア、そして像の裏に潜んでいた装甲兵の何人かが、がしゃんがしゃんとやかましい金属音を響かせながら、こちらへ近づいてきた。
クローディアがぼくの肩を掴み、強引に床へと引きずり倒した(女性のものとは思えない、凄まじい力だった)。
「さんざん手こずらせやがってよお」
地獄谷が星の長い髪の毛を掴み、強引に顔を床に叩きつけた。
「先輩」
星の身を案じた雲母も、まもなく装甲兵のひとりによって腕を捕まれ、動きを封じられてしまった。
「両手を上げろ。さっさと歩け」
クローディアがぼくにライフルの銃口を突きつけ、抑揚のない声で言った。
ぼくたち三人は言われた通りに両手を上げながら、高神のもとへと連行された。
「年貢の納め時よ。御三方。そうね。とりあえずそこに
「けっ」
星が悪態をつくと、地獄谷が背後からM240の銃床で星の後頭部を殴り、無理矢理地べたに押さえこんでしまった。
ぼくと雲母は、高神の言う通りに膝をつき、
「いい子ね」
高神が満面の笑みを浮かべた。
「さて。
「何を言ってるかわかりませんね。ぼくには姉などいない」
一応戸籍上では、ぼくの身内で現在生存しているのは
高神はぼくを
「ふふふ。とぼけても無駄よ。私はあなた以上に、ヒヅルのことを知っている。ヒヅルは昔から、身内にだけは甘かったわ。自分と同じ〈人工全能〉たちを、まるで家族のように、大切にしていた。〈失敗作〉アルマが処分されようとしていた時、自分も一緒に処分されるリスクを冒してまで、助けようとした。あなたのこともきっと、最後まで見捨てないわ」
「だったら何だ。ぼくが自分の代わりに姉さんを差しだすような
ぼくがそう言うと、高神は一転して、我が子を諭す母親のように優しい笑みを浮かべた。
「あらあら。獄中で泣いてばかりだった坊やが、ずいぶんと勇ましくなったわね。ますます殺すには惜しくなったわ。私の下で働けば、妹君にも不自由のない暮らしを約束してあげられるのに」
星子の名を出され、一瞬だけ揺らぐ、ぼくの意志。高神はどうやらぼくをだしに姉さんを始末した後、ヘリオスの尖兵として働かせるつもりらしい。星子の安全と今後の暮らしを考えるなら、ここで高神の軍門に下ってしまった方が、得かもしれない。
だが、ぼくは一瞬でその選択肢を頭からたたき出した。
今のぼくに、姉さんを売るという選択肢はない。
ぼくがここで死んでも姉さんは星子を捨てるような人ではないし、星子もまた、今ではヒヅル姉さんを実の姉のように慕っている。
ぼくがいなくなっても、きっと彼女たちはうまくやっていけるだろう。
何より、命を懸けて星子を救ってくれたヒヅル姉さんを裏切ることなんて、絶対にできない。
「星子の名前を出しても無駄だ。ぼくが死んでも、彼女のことは姉さんが何とかしてくれるさ」
「大した絆ね。なら、仕方ないわ」
高神がクローディアに目配せすると、クローディアのMSG90の冷たい銃口が、ぼくの後頭部に突きつけられた。
最初に白金機関に入ると決めた時から、こうなることは覚悟していた。
でも、いざ死を眼の前にすると、やっぱり怖いな。
『いけませんわ。ヒデル。あなたは
無線機から突如、姉さんの声が聞こえた。
ぱああん。
ライフルか何かの銃声のような、耳をつんざくほどに
同時に、ぼくたちを包囲していた装甲兵のひとりが、〈破裂〉した。
まるで胸のあたりに抱えた爆弾が、爆発したかのように。
装甲ごと五体ばらばらにふき飛び、赤やピンクの血や臓物を周囲に飛散させたのだった。
「そんなことになったら
無線機から、そして空気を通じて、もはやさんざん聞き慣れ親しんだ、姉さんの本物の声が、聞こえてきた。
天井付近に位置する吹き抜けの高窓に、見たこともない形状のライフルを持った姉さんが、
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