第六十一話「実験台」

「うっ」宋赫ソン・ヒョクが呻いた。

 彼が白頭山拳銃で車洪万チャ・ホンマンを処刑する直前、ほんの刹那せつなの差でヒヅル姉さんが発砲。黄金銃デザートイーグルより撃ち出されし四四マグナム弾が、宋赫ソン・ヒョクの肩の肉をえぐり、骨を断ったのだ。

 ぱあんぱんぱんぱん。

 大きくバランスを崩した宋赫ソン・ヒョクは、さらに金暻秀キム・ギョンスの追加射撃によって顔面のあちこちに数発の弾丸を叩きこまれ、即死した。

「おらをだましたな」

 車洪万チャ・ホンマン千成沢チョン・ソンテクに向けてKPV重機関銃の引金を引いた。いくら千成沢チョン・ソンテクが手練れであろうと、近距離から放たれた大量の十四・五ミリ弾の前では回避に専念するしかなかった。ひたすら逃げ回っていた千成沢チョン・ソンテクは、やがて姉さんと金暻秀キム・ギョンスの挟み撃ちに遭い、あっけなく撃ち死にとなった。

「何だ、てめーは」

 真茶まさが低い声で言った。

 攻撃ヘリMi24を撃ち落とすべく装甲車に乗ろうとしていた真茶を、何者かが銃撃した。事前に持ち前の超聴覚で襲撃を察知した真茶は、際どいところで銃弾を避けた。

 真茶の視線の先には、黒いスーツに身を包んだひとりの白人男性、それもかなりの美男イケメンが、立っていた。男性にしては長めの金髪をセンターで綺麗に分けており、年の頃は二十代後半から三十歳くらい。オフィーリアと同じく、腰から細長い年代物の西洋刀レイピアを下げていた。

「油断するなよ、シメオン。そいつは悪名高い殺し屋、〈緑兎グリン・バニー〉だ」オフィーリアがセンター分けの男に言った。

「存じております、オフィーリア様。相手にとって不足はありません。〈新兵器〉のいい実験台になることでしょう」

 シメオンと呼ばれたセンター分けの男は邪悪な笑みを浮かべ、懐に手を入れた。

 中から出てきたのは、何やら怪しげな薬の入った注射器だった。

「くっくっく」

 不敵な笑みを浮かべたシメオンは注射器を首筋に乱暴に突き刺し、毒々しい緑色の液体を、すべて注入した。そして乱暴に注射器を投棄なげすて、うつむいたまましばらく静止していた。

 どくん。どくん。

 まるで単気筒エンジンのバイクのように体をノッキングさせ、ぐうと呻きながら体中を掻きむしり始めた。

 シメオンの腕が、足が、そして全身が、まるでプロレスラー……いやそんな表現では生ぬるい。もはやゴリラ並に太くなり、着ていたスーツがところどころビリビリと裂けた。

「おいおい。こんなんありかよ」

 眼の前で起きたSF映画さながらの変身に、さしもの真茶も眼を丸くして唖然あぜんとしていた。無理もない。ぼくと同じくらいの中肉中背の美男が、一瞬で二メートルを遥かに超すゴリラ男に変身したのだから。

麻薬クスリか」

 ぼくが嫌悪感剥き出しの顔でぼやくと、オフィーリアが首を横に振った。

「残念。ハズレよ。あれはハルバード社が開発した、肉体強化用のナノマシン。まだ試作段階だけどねえ」オフィーリアが淡々と解説した。

「あなたは使わないんですか」ぼくは笑顔でオフィーリアに訊ねた。

「冗談じゃないわ。危ないでしょ。それに、私のような美女が醜い化物に変身したら全米が泣くわ」オフィーリアは半笑いを浮かべて言った。あのゴリラと熊を足して二をかけたような化物となってしまったシメオンは、もう元の姿には戻れないのだろうか。平気で新兵器の実験台にするあたり、オフィーリアは部下の命を単なる使い捨ての駒くらいにしか思っていないのだろう。吐き気がする。姉さんなら、絶対にそんなことはさせない。やはりヘリオスは滅ぼすべき悪だ。

「さあ、始めようか」

 シメオンは短距離走選手スプリンターのように大きく屈み、跳躍した。

「うわ」

 弾丸の如き勢いで突っこんできたシメオンを、真茶は慌てて避けた。

 シメオンのNFL顔負けの殺人タックルを真茶の代わりに受けた装甲車は、まるでダンプカーに正面衝突されたようにぐしゃりと大きくひしゃげた。

 あんなもの、まともに受けたら即死だ。

 腰に下げていた西洋刀が今のタックルの衝撃か、明後日の方向へと転がっていった。もはや無用の長物だろう。

「余所見してるなんて、余裕ねえ」

 いつのまにか眼の前まで迫ってきたオフィーリアが、すさまじい勢いでレイピアを突き出してきた。

「くっ」

 ぼくはすかさず〈全能反射〉で半身になった。

 ずばっとスーツの胸元が大きく真一文字に切り裂かれ、ぼくのセクシイな胸板が露わになった。ぼくが〈人工全能〉じゃなかったら、呆気なく串刺しにされていただろう。

 肉体強化ナノマシンによって改造人間顔負けの身体能力を手に入れたシメオンを相手に、正攻法では分が悪いと判断したのか、真茶は党本部ビルの窓硝子を銃床で叩き割り、中へ侵入した。

「おら。死にたきゃ来てみろよ」

 真茶はシメオンに向かって中指を立てて挑発していた。

小癪こしゃく

 シメオンは窓からの侵入を試みたが、真茶にVSSの銃口を向けられると、瞬時に横に跳んで弾丸の雨をかわした。そして先ほど自らタックルしてオシャカにした装甲車のプレートをべりべりと力ずくで剥がすと、それを楯のように前に構え、真茶に向かって突進した。いくらゴリラのような筋肉の鎧をまとっていようと、ライフル弾を急所に受ければ死ぬだろう。

 どすどすどすどすどす。

 体重二百キログラムはありそうなくせして丸太のように太い脚の筋肉のおかげで、シメオンは短距離走のオリンピック選手顔負けの俊敏な走りで、真茶に迫った。百メートル走に出たら金メダルを獲れるかもしれない。

「これでもくらえ」

 真茶は上着のポケットの中から小型の発煙弾を取り出し、安全装置を外して放り投げた。

 直後ぱあんという疳高かんだかい炸裂音とともに、部屋の中に煙が充満する。

 視界の悪い場所は、超聴覚を持つ真茶の独壇場である。

 が、しかし、直後にじりりと火災報知器が鳴り響き、スプリンクラーが作動。せっかくの煙幕を一瞬で台無しにしてしまった。

「ち。貧乏国の分際で」

 水もしたたるいい女となった真茶が顔をしかめた。

「お前は自ら死地へと足を踏み入れた」

 屋内へシメオンを誘いこみ、煙幕を張って一気に決着をつける気だったのだろうが、宛が外れてしまったようである。

 壁を背にした真茶にもはや逃げ場はなく、まさに袋の鼠だった。真茶だけに。

 このままではゴリラと化したシメオンによって、彼女は生きたまま解体されてしまう。

 真茶を援護しなければ。

 焦燥感が、ぼくを襲う。

 しかし一瞬でも隙を見せれば、ぼくが眼の前のオフィーリアにたちまち串刺しにされてしまう。

 どうすれば……

『真茶。伏せなさい』

 無線機越しに姉さんの声が聞こえた。

 気がつけば、姉さんが攻撃ヘリを引き連れて、こちらへけ寄ってくるではないか。

「待ちなさい! 中にはシメオンが」

 オフィーリアが慌てて叫んだが、もう遅かった。

 しゅごー、という轟音ごうおんとともに、ヘリからミサイルが一発、発射された。

 計算通りと言わんばかりに、姉さんが口角を吊りあげ、党本部ビルの中に飛びこみ、一瞬で部屋のテーブルをひっくり返し、即席の塹壕ざんごうを築き、床に伏せた。

 ミサイルは割れた窓の中へまっすぐ飛びこみ、ばあんとすさまじい音を立てて炸裂。

 党本部ビル一階の窓硝子がすべて消し飛び、炎と煙が四方八方に、噴き出した。

「くそ。味方の動きくらい把握しとけ、ボーンヘッドが」

 オフィーリアが苦々しい表情でぼやいた。

「けほけほ」

 真茶が咳こみながら、窓から出てきた。

「ヒヅル様。無事か」

「ええ。危ないところでしたわ。ほゝゝ」

 服についた土埃を払い落としながら、姉さんは涼しい顔で言った。特に負傷した様子はなかった。

「おい、シメオン。生きてるか」

 オフィーリアが大声で呼びかけるも、返事はない。

「奴なら私が殺してやったよ。手足がぶっちぎれて苦しんでたんでな。楽にしてやった。何、礼は要らんよ」

「貴様」

 勝ち誇った顔で舌を出し、親指を下に向ける下品なハンドサインであおっていた真茶を、オフィーリアが鋭い眼で睨みつけた。

 隙あり。

 ぼくは素早く間合いを詰め、ナイフを突き出した。

「くっ」

 オフィーリアは反射的にり、紙一重でぼくの不意打ちを避けた。彼女の豊かな双丘の頂点に切っ先が触れたのか、黒のコートの胸元が大きく裂け、はだけた。

 ヴヴヴヴヴヴヴ。

 攻撃ヘリのバルカン砲が姉さんと真茶に向かって咆哮ほうこうした。

 近くにいた千里馬チョンリマ部隊の若い兵士が巻きこまれ、スイカ割りのスイカように、一瞬で血飛沫をあげて砕け散った。

 秒間百発、二十ミリ機銃弾の塊を叩きつけられれば、人間だけでなく、地上の如何なる動物も原型すら残らず解体バラされる。

 が、どんなに強力な兵器でも、当たらなければ無意味である。

 姉さんと真茶はふたたび党本部の建物の中に飛びこみ、バルカン砲の攻撃を凌いだ。

 バルカン砲の弾幕は鉄筋コンクリートの壁すら容易たやすく崩落させたが、そこにはすでに姉さんと真茶の姿はなく……


 どおおん。


 鼓膜が破れんばかりのすさまじい音と同時に、攻撃ヘリが跡形もなくバラバラに、吹き飛んだ。

 燃え盛り墜落していくMi24のさらに上空を、一台のヘリコプターが飛んでいた。

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