第五十八話「内紛」

チョン委員長。キムの挑発に乗ってはなりません。一対一の決闘など無意味。いや、敵を利するだけ。ベレスフォードきょうに何を言われるか」

「うるさい」千成沢チョン・ソンテクが叫んだ。「一兵卒風情めが、新たなる朝鮮の王たる儂に意見するか。王の座さえ頂いてしまえばこちらのものよ。完成した核戦力をちらつかせれば、連中も下手なことはできまいて。まあ見ておるがよい。金暻秀キム・ギョンス小童こわっぱなど赤子の手をひねるように仕留めてくれるわ。貴様ら若造とは戦いの年季が違うのだ。くけけけけ」

「な、何を言っているんだ。あなたは。ヘリオスに楯突いて、ただで済むはずがない。祖国を滅ぼす気か」千成沢チョン・ソンテク豹変ひょうへんぶりに、宋赫ソン・ヒョクは明らかに狼狽うろたえていた。

宋赫ソン・ヒョク

 金暻秀キム・ギョンスが、ヒョクの眼をまっすぐに見て言った。

「貴様の主は一体誰なのだ。朝鮮の王なのか。それともヘリオスの連中なのか」

 そして今度は、宋赫ソン・ヒョクの背後で銃を構えている千里馬チョンリマ部隊の兵士たちに向けて。

「貴様らもだ。この金暻秀キム・ギョンスの支配に不満があるから、チョンとともに立ちあがったんじゃないのか。朝鮮の未来を憂い、チョンの下で国を立て直すために、この俺に反旗を翻したんじゃないのか。ならば、黙って見届けろ。それとも、身も心もヘリオスの犬になり下がったか。朝鮮の英雄としての誇りを忘れたか」

 金暻秀キム・ギョンスの予想外の説教にさしもの千里馬チョンリマ部隊も一瞬たじろいだ。なるほど。腐っても鯛か。数年とはいえ、伊達に一国の指導者をやってないというわけだ。彼に対する評価を改める必要があるかもしれない。

「ヒデル。わかっていますね」

 姉さんが、ぼくの耳元でささやいた。

「もちろんだよ。姉さん」

 金暻秀キム・ギョンスには利用価値がある。今ここで彼を失うわけにはいかない。よって、やることはひとつ。

 だが結局のところ、金暻秀キム・ギョンス千成沢チョン・ソンテクの決闘は、実現しなかった。

 不意に千成沢チョン・ソンテクの後頭部に突きつけられる、白頭山ペクトサン拳銃。

宋赫ソン・ヒョク。貴様」千成沢チョン・ソンテクの声は怒りで震えていた。

チョン委員長。出すぎた真似はしないでいただきたい。あなたは秘密結社ヘリオスの、朝鮮支部長にすぎないのだ」

 冷淡な眼でチョンを見下ろし、ヒョクは感情を押し殺し抑揚のない声で言った。

「身も心もヘリオスの犬となり下がったか。宋赫ソン・ヒョク金暻秀キム・ギョンスが、失望したと言わんばかりに大きなため息をついた。

「その銃をおろせ。ソンよ。またキムの暴政に逆戻りしたいのか。儂以外に朝鮮をひとつにまとめ、繁栄の道を切り拓ける者がいると思うか」千成沢チョン・ソンテクが横目で宋赫ソン・ヒョクを睨みつけながら言った。

「言ったでしょう。あなたはヘリオスの代官にすぎない。代わりはいくらでもいるんですよ」冷淡な笑みを浮かべる宋赫ソン・ヒョク

 だが、すぐに状況は一変した。

 千里馬チョンリマ部隊のひとりが、短機関銃スコーピオンの銃口を、宋赫ソン・ヒョクに向けたのだ。

「銃を下ろしてください。隊長。あなたのやっていることは、売国に他ならない」

 丸っこい眼鏡をかけた優しそうな青年の隊員が、緊張した震え声で宋赫ソン・ヒョクに告げた。

裵勇實ぺ・ヨンシル。貴様、裏切る気か。この耄碌もうろくした老いぼれとともに国を滅ぼしたいのか」宋赫ソン・ヒョクが牙を剥いて怒鳴った。

「ほゝゝ。仲間割れですか」

 銃を下ろした姉さんが、面白そうに見物していた。ぼくとしては偉大なるヒヅル姉さんを空気の如く扱うこのれ者たちを、今すぐ銃殺してやりたかった。姉さん抜きに話を進めるんじゃない! 無礼者!

 もっとも姉さんは、自らの駒にしようとしている金暻秀キム・ギョンスを死なせるつもりはない。姉さんの視線は、先ほどから千成沢チョン・ソンテクの動向を伺っている。千成沢チョン・ソンテク金暻秀キム・ギョンスに向かって引金を引く前に、姉さんの銃弾がチョンの眉間を穿うがつであろう。ぼくと真茶の役目は千里馬チョンリマ部隊から姉さんやキムを守ることだが、いかんせん敵の数が多い。ここは一旦、どうにかしてキムを連れてこの部屋、いや《党》本部ビルの外に出た方がいい。

 宋赫ソン・ヒョクが鋭い眼で裵勇實ぺ・ヨンシルを睨みつけ、威圧した。

「こんなことをしてただで済むと思うなよ。ここでの様子は、俺に仕込まれた小型カメラと盗聴器によってベレスフォード卿に筒抜け」

「死ね、売国奴が」

 隙あり、と、裵勇實ぺ・ヨンシルに気を取られていた宋赫ソン・ヒョクに、金暻秀キム・ギョンスが発砲した。

 唐突に崩れる均衡。

 室内に響き渡る、無数の銃声。

 ぼくは隙を見て千成沢チョン・ソンテクを抹殺しようと狙撃を試みる。

 が、向こうも素人ではなく、そしてまた千里馬チョンリマ部隊の妨害も入り、失敗に終わった。

 向こうは短機関銃スコーピオンで武装している上に、十人以上いる。いくらぼくや姉さんが〈人工全能〉で、さらに超聴覚を備えた真茶がいようが、こちらの武器は拳銃のみ。火力面で圧倒的に不利である。素人が思っている以上に、火力の差は大きいのだ。

 事実ぼくも姉さんも真茶も、短機関銃から放たれる無数の銃弾を前にして防戦一方で、ただ柱や壁の陰に身を隠すしかなかった。それは金暻秀キム・ギョンスも同じことで、彼は姉さんの足下で身を低くしていた。

「ヒヅル様、壁から離れろ」真茶が大声で叫んだ。

 ほぼ同時に身の危険を感じた姉さんが、金暻秀キム・ギョンスの首根っこをひっ掴んで、地面すれすれに低く、跳んだ。


 どごおん。


 飛散する瓦礫がれき。火炎。爆散した兵士。肉。肉。内臓。絶叫。真茶。姉さん。反転する天地。頭を襲う鈍痛。暗転する視界。ぼくの意識。

 気がつけばぼくたちの背後にあった鉄筋コンクリートの壁が破壊され、跡形もなくなり、その向こうに平壌ピョンヤンの高層ビル群と、雲ひとつない快晴の蒼々とした空が広がっていた。

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